もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第495回 もとまち寄席 恋雅亭
 
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 公演日時: 令和元年11月10日(日)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  桂   福 丸  「道具屋」
  桂   しん吉  「長尾さん」くまざわあかね 作
  桂   かい枝  「首の仕替え」
  笑福亭 松 枝  「高津の冨」
    中入
  笑福亭 伯 枝  「闘病日記」
  桂   雀三郎  「夢の革財布」(主任)
 
   打ち出し 21時05分 
   三味線  入谷 和女、勝 正子。
   鳴り物  桂 紋四郎。
   お手伝  桂 出丸。
 11月になって急に寒くなって来た今年。今回は前売り券完売せず、ちょっと不安な中、令和元年11月10日の日曜日に、令和になって七回目の第495回公演として開催させて頂きました。当日は、本通りの人波も多く、多くの通行人が当席の提灯に目をやられる中、熱心な多くのお客様に開場まで並んで頂きました。
チラシも、「新開地喜楽館」、「よせぴー」や本日の出演者の持込などを中心に多数届き、多くの出演者や、関係者にも手伝って頂き、いつも通り、いつも以上に手際よくこなして、定刻の5時半に開場となりました。チラシも益々、立派となり、パンフに挟むと分厚くてズッシリ感。いつもながら永らく並んで頂いたお客様が、一番太鼓に迎えられ、思い思いの椅子に着席されました。その後も、途切れることなくご来場されるお客様で、客席はほぼ埋まり、定刻の6時半の開演時には、大入満席公演となりました。

 その公演のトップは、桂福團治一門から、上方落語協会の知恵袋、地元は神戸、灘中、灘高、京都大学の出身の桂福丸師。シャープな頭脳と、口跡の良さ、イケメン、そして、師匠の厳しい躾。さらに、明るい笑顔で繰り広げられる行儀の良い高座は定評があります。平成19年入門のキャリア12年で、三度目のご出演となる当席・常連であります。
 早くから楽屋入りされ、準備やチラシの挟み込みも手伝って頂き、顔立ちと一緒の品の良い着物で準備OK。『石段』の出囃子で高座へ。「えーただ今より、恋雅亭開演でございまして、まずは福丸の方で・・・」との挨拶から、落語をやり難かった仕事の話題で笑いを誘う。ショッピングセンターの1階広場での営業なのでそこのお客様は誰も聞いてくれないし、館内放送がやかましい。反応がある人はエスカレーターに乗っている人だけ。ただし、小咄でもオチまでいくと9階。
充分笑いをとってスッと始まった本題は、『道具屋』の一席。
 古くからある小咄を集めて、一席の落語にしたオムニバス形式の落語で、古今東西に多くの演じ手のいるポピュラーな噺です。多くの演じ手のいるということは多くの先人の工夫により受ける噺ですが、反面、比べられたり、お客様が良くご存知と、難しい噺とも言えます。その噺を福團治師匠の教えをキッチリ守って、行儀良く、基本に忠実に、随所に師匠の工夫が散りばめられ、端正な顔立ち同様、端正な落語、きっちりとツボツボで客席から狙い済ましたような笑いを誘った十五分強の好演。サゲと同時に一段と大きな拍手が起こりました。
 この『道具屋』には多くのサゲが有ります。福丸師のサゲは次の①でありました。
サゲだけ書くとなんのこっちゃ判りにくいですが、
①「そんな、足元みるな」「いや、手元みております」。
②「この鉄砲の台は?」「樫です」「値は?」「ズドーン」。
③「木刀では抜けない。何か抜けるものは?」「お雛さんの首が抜けます」
④「あー、家、一軒盗まれた」

 二つ目は、今回で10回目の出演となる当席常連でイケメン揃いの桂吉朝一門でも上位の桂しん吉師匠。平成17年11月の第327回公演。前々日に師匠の吉朝師匠がお亡くなりになり高座で、「今、師匠が降りて来られました。」と、絶句されたのは小生の脳裏に焼きついています。その吉朝師匠が亡くなられたのは、今から14年前の平成17年。この年は上方落語界にとっては訃報が多かった年です。3月9日に、「エチオピアの煙突掃除」こと桂文紅師匠。3日後の3月12日に、四天王の一人・五代目桂文枝師匠。さらに3月29日は、「市ちゃん」こと林家染語楼師匠。8月17日には四天王と共に戦後の上方講談を支えられた三代目旭堂南陵先生。そして、11月8日に桂吉朝師匠。いずれも、当席に数多くご出演頂き、思い出満載の師匠ばかりでした。
 しん吉師匠は、鉄道マニアでも有名で乗り鉄+撮り鉄=兼ね鉄。勿論、落語の腕前はグリーン車。楽屋で伯枝師匠から走っている車中から映した外の景色の写真を見せられ、「京阪沿線の**付近」。小生が車両写真を見せると「写真に映ってるのは鬼太郎列車。終着駅。前にフェンスがある。判った、これは簡単、鳥取県の境港駅。」と、即答。これには「びっくりくりくりくりっくり」。
『早禅相方』の出囃子で高座へ。マクラは、勿論、鉄道の話題と思いのほか、吉朝師匠との電話の思い出。入門志願をした携帯もまだ、普及していなかった時代のエピソードを紹介したり、留守電のコメント、居留守を使ったりとしゃれっ気タップリだったエピソードを紹介。充分、笑いを誘って始まった本題は、携帯電話に纏わる創作落語『長尾さん』の一席。
作者は、落語や古典芸能に造詣が深く、落語作家の小佐田定雄先生の夫人のくまざわあかねさん。いかにも、現在、どこにもあるようなストーリー。共感を呼ぶ笑いが巻き起こった20分の秀作でありました。

 三つ目は、五代目桂文枝一門から、地元尼崎出身で神戸在住の桂かい枝師匠。古典落語、創作落語、英語落語、さらに、「発掘かいし」としての復興落語と大活躍中の、いかにも上方らしい派手・陽気・賑やかな高座で大活躍中であります。同期の平成6年入門組には、菊丸・吉弥・三金・三若・春蝶・文鹿・福矢・米紫師匠ら実力者揃いです。と、紹介しましましたが、9人衆の一人、桂三金師匠が、当席開催日の前日に急死され、楽屋入りされたかい枝師匠も沈痛な表情で故人を偲ばれておらました。
出番が間際には気分一心。いつもの明るいかい枝師匠として、『三枚弾き』に乗って高座へ。鉄板の「今日は英語で落語をするか日本語でするかをお客様の反応で決めます。」と、英語小咄。『図書館での会話』。反応を見て、「それでは、今日は日本語で。(客席大爆笑)」。マクラは、「唇の大きい人、首の長い人、と世界の美人の基準はバラバラ。日本も昔から、色々な顔が美人とされました。本日のお客様も全員、美人。生まれた時代によりますが・・・。男もあまり男前過ぎると女性は緊張されます。それが証拠に今日、私が出てきたら皆様、緊張されてますね・・・。」と、笑いを誘って始まった本題は、『首の仕替え』。
 この噺、最近は珍しい噺になりました。現在の噺家さんが相対的に男前になって、噺に登場するインパクトの有る顔の噺家さんが難しくなったのが原因?
発端は、『色事根問』から「一、見栄。二、男。三、金。四、芸・・・・・。十、評判」と、女性にモテるためには、首を替えるのが良いとアドバイスを受けで首を替えに。
ここで、登場する噺家は、六代目笑福亭松鶴師匠。松鶴師匠がお亡くなりになって久しいですが、「なんですの、この鬼瓦みたいな・・・」で、客席からは笑いが起こる。続いて、笑福亭仁鶴師匠、当公演のトリの桂雀三郎師匠。そして、ええ男、男前の首として見つけるのは**枝師匠・・・。お定まりの寄席向きな腹から笑える20分の好演でありました。下りて来られたかい枝師匠、「この噺、もっと、現代に置き換えなあかんのですが、六代目師匠のインパクトに勝る噺家が思いつきません。けど、よう受けます。助けてもろてます。」との感想でありました。

 中トリは、上方落語界の重鎮・笑福亭松枝師匠にお願い致しました。今回も師匠の持ち味のホンワカムードを漂わせての楽屋入り。実に楽しそう。楽屋のメンバーに「ありがとうねー。」と挨拶をされ、袖から客席の反応を確認される。着替えが終わって準備が出来、『早船』の出囃子で高座へ。「ありがとうございます。うちのおやっさんのことを覚えて頂いていて嬉しい限りです。『鬼瓦みたいな顔』で、笑いが来るなんてね。記憶がなければ笑えませんねぇ」との挨拶から、「ちょっと、小咄をするんで、サゲが判ったら言って下さいね。ボケ防止ですよ」。「隣の家に囲いが出来たで。」、客席から「・・・」。「鳩がなんか落としていったで。」、「・・・」。「おかあちゃん、パンツ破れた。」、「・・・」。「卓球してるの?」、「・・・」。「楽ですね、これ続けましょか」から、お医者さんを扱った小咄をトントンと五連発。
 そして、スッと本題へ。始まったのは、六代目笑福亭松鶴師匠の十八番中の十八番、『高津の冨』の一席。「大阪の大川町、ここは昔、宿屋さんが多かった処で、一軒の宿屋さんの前に・・・」から、サゲまで、半時間のホンワカする包まれるような名演でお中入りとなりました。
下りて来られた師匠から、「難しいな、この噺、時間掛かるねん。半時間は。どこも抜けへんしな。内のお父さんも時間が無かったら、しはらへん(演じな)かったし、高い声、出さなあかんしなぁ。ええお客さんに助けられたわ。」とお伺いしました。

 中入後のカブリは、同じく六代目笑福亭松鶴一門から笑福亭伯枝師匠。いかにも噺家らしい風貌で演じられる上方落語は抱腹絶倒請け合い。中トリの松枝師匠と、六代目松鶴師匠の生誕百年記念の会を打ち上げての揃い踏みのご出演となりました。当日は早くからの楽屋入りされ、チラシの挟み込みからお手伝い願いました。キャリア37年の師匠に恐縮。
本年2月に、進行性直腸癌ステージ3の人生初の手術をされ、術後、9ケ月、ちょっぴり細身になられての当席、ご出演となりました。
中入後、『白妙』の出囃子で登場され、「決して、お坊さんではありません。」との鉄板フレーズから、もうすっかりネタ化してしまった、入院生活のドキュメントを面白おかしく紹介。
ステージ3の大腸癌を明るくネタにされる。本来であれば、笑い難いのですが、客席は大爆笑の連続。そして、本題も入院の時のエピソードを参考にされた自作の『闘病日記』。大いに共感の笑いを誘った22分の名演でありました。残念ながら、皆勤の打ち上げは欠席。伯枝師匠、皆勤をお待ちしております。

 十一月公演のトリは、上方落語界の重鎮・桂雀三郎師匠。昭和46年入門の師匠キャリア48年のベテランですが、いつまでもテンポ溢れる高座の雀さん師匠です。皆様、良くご存知の通り。今回もその幅広い演題の中から何を演じて頂けるかの期待の拍手の中、軽快な『じんじろ』の出囃子で高座へ登場。
 マクラは、「今の若手は忙しい。私らが若手の頃はアルバイトをしないと食えなかった。」から、当時のアルバイト・魚の卸商の実話談?を紹介。これが、実に面白く、どこが実話でどこがフィクションかが判らない秀作。大いに笑いを誘って始まった本題は、『夢の革財布』、東京では『芝浜』として演じられています名作です。舞台は大阪の住吉の浜。
全編、人情味一杯の夫婦の会話で物語は進み、ホロッとさせるクダリや爆笑のクダリの後、あのサゲになります。半時間の雀三郎師匠の熱演でありました。

***  落語ミニ情報 其の一 『芝浜』について  ***
この噺、幕末から明治に活躍された名人・三遊亭圓朝師匠が、「酔漢」、「財布」、「芝浜」の三題噺として演じられたものとされています。三つのお題については諸説あるようです。
 歌舞伎では明治三十六年に世話物狂言『芝浜の革財布』として、初演されました。
 戦後は、『芝浜』の三木助と異名をとった、三代目桂三木助師匠が、作家や学者の意見を取り入れて改作され、現在まで多くの名人上手の名演が残っています。
 この噺の舞台は、東京の芝浦。現在のJR山手線の品川~田町。江戸時代は雑魚場として栄えた漁村。そこに仕入れに行って財布を拾う所が芝浦の浜。
 来年・令和二年の春には、JR品川駅と田町駅の間に新駅が出来ます。新駅の募集の投票の結果での、第1位は「高輪」、2位が「芝浦」、そしてこの噺の演題名の「芝浜」が3位だったそうです。正式な駅名は、130位の「高輪ゲートウェイ」だそうですが。個人的には、投票数の多かった名前が情緒があって良いのではと思いますが。

***  落語ミニ情報 其の弐 『桂三木助』について  ***
 『芝浜』の三木助と呼ばれている師匠は三代目。
この三木助と言う名前は元々は、上方の名前。初代は、亭号は桂ではなく立川。初代桂文枝の四天王と呼ばれた後の初代桂文三から二代目桂文枝を襲名される師匠。
二代目は二代目桂南光門弟で、戦前、上方落語の名人として大活躍された師匠。
三代目は、東京の六代目春風亭柳橋師匠の総領弟子だったが、故あって一時、上方で二代目三木助師匠の預かり弟子となられた。本名は小林七郎。写真で観ると二代目三木助師匠と良く似ておられたので、隠し子の説もあったらしい。以後、三木助の名前は小林家縁の名前となります。
四代目は本名、小林盛夫。三代目三木助師匠の実子。三代目三木助師匠と五代目柳家小さん師匠は姓が小林で同じで馬が合い義兄弟。小さん師匠の本名と同姓同名。その小さん師匠に入門し、二つ目の柳家小きん時代からで大いに売れた師匠。残念ながら平成13年に若くしてお亡くなりになられました。
当代の五代目は、三代目の孫で四代目の甥に当り、平成29年に真打襲名を機に五代目桂三木助を襲名されました。
なお、桂米朝師匠の四代目桂三木助襲名の話もありましたが幻に終わりました。