もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第494回 もとまち寄席 恋雅亭
 
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 公演日時: 令和元年10月10日(木)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  桂   團治郎  「狸の賽」
  桂   阿か枝  「祝のし」
  林 家 染 雀  「化物使い&後ろ面」
  笑福亭 銀 瓶  「寝床」
    中入
  桂   南 天  「動物園」
  桂   南 光  「抜け雀」(主任)
 
   打ち出し 21時10分 
   三味線  入谷 和女、勝 正子。
   鳴り物  月亭 天使。
   お手伝  笑福亭呂翔、桂 天吾。
 10月になってもまだまだ暑さが衰えない今年。今回は前売り券も好調に売れ、10月6日に予定枚数を完売と、前景気も絶好調の令和になって六回目の公演、令和元年10月10日の木曜日に、第494回公演として開催させて頂きました。当日は、まだまだ続く暑さの中、又、2日後には今世紀最大とも言われている台風19号も近づく中、今回も熱心な多くのお客様に開場まで並んで頂きました。
チラシも、「新開地喜楽館」、「よせぴー」や本日の出演者の持込などを中心に多数届き、多くの出演者や、関係者にも手伝って頂き、いつも通り、いつも以上に手際よくこなして、定刻の5時半に開場となりました。チラシも益々、立派となり、パンフに挟むと分厚い。いつもながら永らく並んで頂いたお客様が、一番太鼓に迎えられ、思い思いの椅子に着席され、場内一杯に並べた席は次第に前の方から埋まっていき、何とか立ち見を防ごうと最後方に長椅子も引いて対応し定刻の6時半の開演時には、3名立ち見の大入満席公演となりました。

 トップは、桂米團治一門の総領弟子で故桂米朝師匠の孫弟子に当る桂團治郎師。平成21年入門のキャリア10年で、当席、二度目のご出演となる逸材。
 トップとしての重責を担って『石段』の出囃子で高座へ登場。挨拶の後、「実は私の芸名が二つ有りまして・・・」と、当方のミスプリをネタに、「治か次かどっちでもええんですけど」笑いを誘われる。※チラシ、メクリ、提灯には、團治郎となっていましたが、パンフには團次郎と誤表記。團治郎師には非常に失礼な間違いをお詫び致しました。
 「男の道楽を飲む打つ買う、中でも面白いのが、博打・・・。」と、博打の小咄を二つ。さらに、狐と狸が博打場へとお馴染みのマクラから、始まった本題は『狸の賽』の一席。
この噺、桂米朝、桂米團治、そして、團治郎師へと伝わった噺。骨格がしっかりしているし、良く受けるので、アドリブを入れたくなるのだが、変に入れると滑ってしまい、逆に相当の力量がないと演じられない難しい噺。その噺を随所に米朝・米團治師匠の教えがよく行き届いたキッチリした、可愛い子狸が躍動する好演でありました。お見事。

*** 落語ミニ情報 其の壱 『狸と天神さん』 ***
 この噺は、二つサゲがあります。
一つは目の数を「五」と言えず、梅鉢の紋、天神様の紋と言う【五⇒五枚⇒梅の花⇒梅紋⇒菅原道真⇒天神さん】。それで、壷を開けた時の狸の様子を口で説明する型。もう一つは、壷を開けた時、扇子を半開きにして、目を丸く、頬っぺたを膨らませて見せる、いわゆる「見立て落ち」であります。
イケメンの團治郎師匠は前者でしたが、先代の五代目柳家小さん師匠の様に風貌に自信?のある師匠は後者が爆笑を誘います。
 サゲの天神さんは、平安前期の学者で全てに秀でた菅原道真公のことで、天皇に重用されていましたが、権力争いで、九州の大宰府へ左遷され現地で亡くなられ、死後、天変地異が多発したので恐れられ、天満天神として信仰の対象となり、現在は学問の神として人々に崇拝されています。ご紋どころは『梅鉢・梅紋』で、落語には、この『狸の賽』や、『初天神』、『天神山』、『質屋蔵』などで扱われています。

*** 落語ミニ情報 其の弐 『平成27年・イケメン上方落語家カレンダー』 ***
上方落語界のイケメンを集めたカレンダーの登場師匠は、1月から、笑福亭たま、林家愛染、桂慶治朗、桂弥太郎、桂紋四郎、桂團治郎、笑福亭喬介、桂三語、桂三四郎、桂三幸、桂吉坊、桂あおば師の十二師でした。

 二つ目は、当席常連の、地元明石出身の、五代目桂文枝師匠の末弟・桂阿か枝師匠。平成8年入門でキャリア23年の二つ目。もったいない。
 『早禅』の出囃子で高座へ登場。落語会の出番割は難しい。個人的に好き嫌いが有る。今日は最高のメンバー。楽屋では劇辛カレーを目に擦り付けあっている。と、笑いを誘っての本題は、師匠直伝の『祝のし』の一席。発端から、師匠譲りの良く通る声と口跡の良さと明るい高座。頼りないがどこか憎めない主人公やしっかり者の女房や旦那、友達が大活躍。阿か枝師匠の『祝のし』は、二代目・三代目春團治師匠は演じられなかった熨斗の説明の部分のある五代目文枝師匠の型。随所に師匠を髣髴とさせる上出来。サゲは今では判り難いのでカットされ、寸法もピッチリ18分の秀作でありました。
*** 落語ミニ情報 其の参 『五代目文枝師匠の軽い噺』 ***
 五代目文枝師匠は、四天王として落語会などはトリなどの奥の出番が多かったので、いわゆる軽い噺を演じる機会が少なかった師匠ですが、楽しんで演じられておられた噺は絶品でした。晩年、当席にご出演された時、小生に、「この頃、しんどうてなぁ。楽しんで出来る軽い噺を演(や)りたいんや。忘れてるとこがあるよって、音源用意してくれへんか?」と、言われ、お渡しして喜んで頂いたのが、懐かしい思い出です。この、『祝のし』の他、『浮世根問』『かか違い』『けんか長屋』『孝行糖』『米揚げ笊』『十徳』『正月丁稚』『鶴』『動物園』『時うどん』『煮売屋』『花色木綿』『四人癖』『ろくろ首』など。

 三つ目は、四代目林家染丸一門から林家染雀師匠。桂あやめ師匠のコンビでの『姉様キングズ』でも有名ですが、今回は腕もピカ一な落語でお目通りとなります。楽屋入りされ楽しそうに、「今日の出番組みで私は三つ目。役割は色変わりですよ。用意してきましたよ。」と、『どうぞかなえて』の出囃子で高座へ登場し、軽いマクラの後、「今日の私の出し物は『化物使い』と言うお噺を・・・。」とスタート。
江戸落語として、多くの演じ手がいる噺で、人使いの荒い旦那さんとその言いつけを何でもこなす奉公人が主人公。その奉公人は大の怖がりで、化物屋敷と聞いてお暇を頂く。その夜、登場する化物を使いこなす旦那さんという筋立てを、上方へ移植するに当って落語作家の小佐田先生の脚色で、旦那さんを大工さんへ奉公人を奥さんに置き換えて上方風の筋立てとなっています。さらに、サゲで登場するのは狸ではなく、一反木綿、砂かけ婆、子泣き爺、ぬらりひょんと、ゲゲゲの鬼太郎ファミリーが登場。これは、染雀師匠に口伝された笑福亭鶴瓶師匠の工夫。トントンとサゲになって、お後と交代となる処を、「ではここで踊りを・・・」と、始まったのは寄席の踊りの『後ろ面』。百聞は一見にしかず、柔軟な身体を生かして見事。満員の客席から大きな拍手が巻き起こりました。
*小生が、この踊りを初めて観たのは、昭和49年から51年までOAされた『ABC和朗亭』と言う番組で、米朝師匠が席亭をされて、もう現役を引退され隠居生活をされておられた芸人さんの至芸を見せて頂いた。残念ながら、VTRが普及する1年前に番組は終わってしまったので、手元には映像は残っていません。その中で、『後ろ面』・小松まこと師匠の至芸がOAされました。その後、平成4年正月の『MBS米朝一門顔見世興行』にも三代目桂春團治師匠の『五段返し』と共に74歳でご出演され演じられました。

 中トリは、上方落語界の若きエースの一人、笑福亭鶴瓶一門から笑福亭銀瓶師匠。あこがれの当席で初の中トリとあって、大張り切りの師匠、お気に入りで粋な師匠にピッタリな着物・帯・羽織をお召しになり、師匠から譲られた『拳』の出囃子で高座へ登場。
最近のノーベル化学賞の吉野彰先生の師弟関係の話題。「落語の世界で言うと、桂米朝師匠が人間国宝をお取りになられた。その孫弟子の南光師匠も必ず、人間国宝に・・・。」と、ヨイショ。「人間、好きなものには心を奪われる。」とつないで、始まった演題は『寝床』。
普段は人の良い大店の旦那さんの唯一の趣味が浄瑠璃で、聞くに堪えない。何とか理由を付けて一旦は断ったのだが・・・。再度、お呼び出しがかかり、それに耐えに耐える長屋の住人やお店の奉公人の抱腹絶倒の苦労のさまを、貫禄充分に演じられる。狙い済ましたクスグリで随所に大爆笑が巻き起こった、中トリに相応しい重厚な、もう「銀ちゃん」とは呼べない半時間の熱演でありました。「よっ、銀瓶師匠。大当たり!」
*この噺、原話は江戸時代の笑話本の一遍で、上方落語の『寝床浄瑠璃』という演目でした。明治中期に東京に移植され、戦後昭和の名人と言われた八代目桂文楽、五代目古今亭圓生、三代目古今亭志ん朝師匠らの名演が残っています。

中入後は、南光・南天の師弟の登場となります。
 カブリは桂南天師匠。平成3年に桂南光師匠に入門し、桂こごろう。平成24年、名跡・南天を二代目として襲名。明るいキャラクターと研究熱心で工夫に富んだ高座は皆様、良くご存知の通り。今回は師弟競演とあっておおハリキリで、『復興節』の出囃子で高座へ登場。
携帯電話の注意から、盛り上がったロック会場の様子と当席を比べ笑いに。次々と繰り出される速射砲のマクラに客席は大爆笑の連続。これでもかのマクラの後、始まった本題は、ご自身の工夫満載で十八番の『動物園』の一席。誰でも知っているポピュラーな落語だがこの師匠の手に掛かると何が飛び出すか判らないスリリングな落語に変貌。虎の動きのクダリもでは、客席からは笑いと共に大きな拍手が起こり、前足の幅の違いを、「猫、虎、犬、カバ、ワニ。」とパワーUP。サゲもズバリ決まったエンジン全開の25分の高座でありました。
*この噺は、元々はイギリスで、二代目桂文之助師匠が落語に仕立てられたとされています。この師匠は、京都高台寺で甘酒屋(文之助茶屋)を営みながら、『電話の散在』や『象の足跡』などを創作されています。

 十月公演のトリは、上方落語界の重鎮・桂南光師匠に大変お忙しい中、お願い致しました。楽屋も和気藹々の中、『猩々』の出囃子で高座へ登場。「えー、ただ今の南天さんの『動物園』、見事でしたね。・・・あれ、私が教えました。・・・嘘でっせ。あれ、米朝師匠のを参考にしてますねん。」「この頃の若い連中は、先輩を先輩とも思ってへん。昔、私ら若い頃、ここ(恋雅亭)にトップで出してもろた時なんか楽屋はピリピリしてました。何が私が人間国宝や。いりません。」「昔、中田ボタン師匠が『あれ、大変やで、日本の宝やから、外国行く時は届けなあかん。まるで、前科者や』と、言うてはりました。」
 *ちなみに南光師匠の当席の初出演は、昭和53年9月の第6回公演で、出演者は、桂べかこ/笑福亭松枝/桂文紅/中入/晴野ダイナ(紙切り)/桂米朝の師匠連でありました。
 そして、マクラは、骨董の話題へ。浮世絵の葛飾北斎の「富嶽三十六景」と歌川広重の「東海道五十三次」を紹介し、「私も五十三次、実際は五十五枚の浮世絵は全部、所有しております(客席は崇拝)。永谷園のお茶漬けのオマケ(客席は爆笑)。けど、大変でっせ。全部、集めるの。どれだけお茶漬け食べたか(客席は拍手)。大盛り上がりのマクラで始まった本題は、『抜け雀』の一席。
 噺の舞台は東海道・相州・小田原の宿屋。善人ばかりが登場する噺で、すがすがしさを感じる噺で従来のサゲは、判りにくいので、絵の中の雀が羽を休める枝を鞍馬の大杉と複線を張っての逸品で、南光師匠も楽しそうに演じられた秀作でありました。
 この噺、上方に古くからある噺で、明治後期に三代目桂文枝師匠が演じられた記録があります。三代目から四代目桂文枝師匠へ、そして、桂米朝師匠から、南光師匠に口伝された噺です。東京でも、多くの演じ手のいる有名な噺ですが、おそらく上方から伝わったものではないでしょうか。
トップからトリまで、ほんわかムードの真剣勝負の公演は無事、お開きとなりました。