もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第492回 もとまち寄席 恋雅亭
 
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 公演日時: 令和元年8月10日(土)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  笑福亭 生 寿  「犬の目」
  桂   吉 坊  「高砂や」
  桂   文 華  「打飼盗人」
  桂   ざこば  「笠碁」
    中入
  桂   あやめ  「コンパ大作戦」
  笑福亭 呂 鶴  「近日息子」(主任)
 
   打ち出し 20時55分 
   三味線  入谷 和女、勝 正子。
   鳴り物  林家 染八。
   お手伝  桂 三ノ助、笑福亭呂好、笑福亭呂翔、桂 おとめ、桂 りょうば。
 記録的な遅さの入梅から一転、記録的な猛暑となりました今年、令和になって四回目の演、令和元年8月10日の土曜日に、第492回公演として開催させて頂きました。当日は、記録的な暑さの続く中、ちょっと風が出ましたが、涼しいとまではいかず、熱中症が発生しそうな気温。今回も熱心な多くのお客様に開場まで並んで頂きました。
チラシも、「新開地喜楽館」、「よせぴー」や本日の出演者の持込などを中心に多数届き、多くの出演者や、三栄企画の長澤社長などの関係者にも手伝って頂き、いつも通り、いつも以上に手際よくこなして、「熱中症」を考慮して定刻より10分早く開場となりました。チラシも益々、立派となり、パンフに挟むと分厚い。いつもながら長らく並んで頂いたお客様が、一番太鼓に迎えられ、思い思いの椅子に着席され、席は次第に前の方から埋まっていき、定刻
の6時半の開演時には、大入り公演となりました。

 8月公演のトップは、笑福亭一門から笑福亭生寿師。六代目松鶴師匠のひ孫弟子に当ります。師匠の笑福亭生喬師匠の教育よろしく、端正な顔立ちと共に大変行儀の良い、口跡もバッチリな高座は定評があり、平成十九年入門のキャリア十二年で、今回二度目の出演の当席の常連として大活躍の逸材です。
 準備万全で『石段』の出囃子で高座へ登場。「えー、一杯のお客様で、恋雅亭開演でございます。まずは笑福亭生寿の方で(名ビラを指差して)、これでせいじゅと読みます」との挨拶から、「切符売れてません。真冬の噺、『池田の猪買い』を演じます。」と、9月11日のご自身の独演会の宣伝。暑いとお世話になるのがお医者さんとお医者の小咄から、始まった本題は、お馴染みの『犬の目』の一席。いつも思うことですが、キャリア12年がトップの贅沢な出番組み。悪かろうはずがない。ツボツボで客席から爆笑が巻き起こった15分の好演でありました。
*** 落語ミニ情報 其の壱 『犬の目』と橘ノ圓都師匠 ***
この噺の原話は今から240年前の江戸の安永時代の小咄集の『眼玉』。前座話の定番のようなお馴染みの噺ですが、上方では桂米朝師匠が、古老の橘ノ圓都師匠の古い型をリメイクされたものが元となっています。橘ノ圓都師匠は、当席の前身の「柳原・柳笑亭」の開席の3ケ月前の昭和47年8月に91歳の高齢でお亡くなりになられましたが、神戸の柳原出身で、あだ名は聚楽館と神戸に大変馴染みのある師匠で、ご存命のお陰で戦後滅びかかった多くの上方落語を後世に引き継いだ功労者であります。現存する音源は、『あくびのけいこ』『運付酒』『鰻谷』『鰻屋』『大安売り』『近江八景』『戒名書き』『加賀の千代』『掛取万歳』『片袖』『かか違い』『雷の弁当』『鬼門風呂』『京の茶漬け』『けつね』『けんげしゃ茶屋』『強情』『三人兄弟』『三枚起請』『尿瓶の花活』『浄瑠璃息子』『ぞろぞろ』『高尾』『たちぎれ線香』『壷算』『てれすこ』『電話』『道灌』『胴乱の幸助』『夏の医者』『西の旅(明石・舞子・須磨)』『猫忠』『軒付け』『八五郎坊主』『日和違い』『丙午』『向う付け』『宿屋仇』の39演題。

 二つ目は、当席、一年半ぶりの出演となります、故桂吉朝一門から桂吉坊師匠。亡き師匠や米朝師匠の躾教育と造詣の深い古典芸能を土台としての上方落語は絶品です。
早くから楽屋入りされ楽しそうに談笑。次の文華師匠から、「何、演(や)んねん?」との問いかけに、ここでは出てません『高砂や』と応えられ、上方唄の『はっはくどき』の出囃子で、満面の笑みで高座へ。「えー、続きまして何か茶汲人形みたいなんが出て参りまして・・・。」の挨拶から始まったマクラは生寿さんより年上でと断ったり、仕事で呼ばれた結婚式の司会は好評で、五年後又呼ばれた?。
そして始まった本題は、予定通り、上方では珍しい噺の『高砂や』の一席。勿論、当席では初演題となります。
落語に良くある、教えてもらったとおりにやろうとして失敗するパターンの噺で、家主の婚礼でかくし芸を披露することになった、主人公。にわか仕立ての「高砂や」を披露する苦心談。お能などの古典芸能に造詣の深い吉坊師匠が楽しみながら演じられた秀作でありました。
能の『高砂』(たかさご)は、夫婦愛と長寿を愛で、人世を言祝ぐ大変めでたい能で謡いの『♪~高砂や、この浦舟に帆を上げて、この浦舟に帆を上げて、~、はや住吉に着きにけり。』は、結婚披露宴の定番の一つでありました。舞台は、地元、兵庫県の高砂市内にある高砂神社で、上方落語の『西の旅・兵庫渡海鱶魅入(ひょうごとかいふかのみいれ』の『播州巡り』では、「播州は松の名所でございまして、尾上の松、高砂の松、石の宝殿、別府(べふ)の手枕松。」と紹介されています。落語は嘘は言いませんね。

 三つ目は、先代桂文枝一門から桂文華師匠に、さらに盛り上げて頂きます。前回のご出演から10回で再演。そのことは師匠もよくご存知で、「おおきに、嬉しいわ。僕の年季やったら三年に一回やもんなぁ
。ネタ帳を捲って、ご自身の出番とネタを確認されネタを決定。調査の結果、当席には、23年間で15回のご出演だそうです。
初出演は、入門8年目の平成8年4月の第212回公演。演題は『二人癖』。ちなみに、平成8年のトップは、遊方、蝶六(花團治)、花丸、文華、小茶久(枝曾丸)、達瓶、純瓶、珍念、出丸、岐代松、八天(文都)、遊方師匠がご出演されています。
元気一杯に、『千金丹』の出囃子で登場され、「ここはいつも一杯ですが、若手の頃、少ないお客様・・・」と、お客様が3名だった落語会の実話談から、盗人の話題へ。「ちぼ、すり、踊り込み。」と盗人の種類の説明のマクラから始まった本題は、文華師匠、十八番の『打飼盗人』の一席。この噺を文華師匠は、「盗人が主人公に同情して、どんどん困っていく所をうまく演じたいと 思っています。」と語っておられましたが、全編、爆笑の連続。客席も演者も大満足な22分の熱演でありました。

*** 落語ミニ情報 其の弐 『打飼盗人』について  ***
この噺、元々は上方噺で、原話は今から240年前の江戸の安永時代。忍び込んだ家の夫婦が余りにも貧しく同情した盗人が金銭を恵むという内容。打飼とは、木綿製で筒状の両端を紐で縛った簡単な形状の腹巻袋のことで、お金や貴重品を入れて身に付けていたものです。演題としては残っていますが、初代、二代目桂春團治師匠や六代目笑福亭松鶴師匠の噺の中では打飼と言う言葉は登場せず、サゲで「空の財布が忘れておました」と財布と言っておられます。古いサゲは「空の打飼」だったのでしょうが、明治の終わりには、「打飼」は、おそらく死語になっていたのでしょう。東京へは大正末期に初代柳家小はん師匠が『夏泥』として移植され、三代目三遊亭金馬、五代目柳家小さん、四代目三遊亭圓遊師匠らが演じられ、現在でも多くの演じ手のいる噺であります。

 中トリは、「なにわの人情派・上方落語界の重鎮」、皆様、よくご存知の桂ざこば師匠。一時、体調を崩されていた師匠に無理をお願いして「喜んで出るで!」と快諾を頂いてのご出演となり、当日はお弟子さんの桂りょうば師(故桂枝雀師匠の実子)を伴われての楽屋入り。
いつもの『御船』で高座へ姿を見せられると、客席からは歓声と共に大きな拍手が巻き起こる。座布団へ座られると即、羽織を「すぐ脱ぐんやったら、別に着て出んでもええねんけど、持ってるとこ見せとかなあかんからね。」とお得意のフレーズから「ここは、四年ぶりですわ。もっと早く出るつもりやったんやけど、二年前に脳梗塞やりまして・・・。」と、ご自身の病気をマクラに客席の大爆笑を誘った後、始まった本題は、『笠碁』の一席。実はこの噺、二ヶ月前に笑福亭生喬師匠が演じられたのだが、ざこば師匠の『笠碁』は全く違う噺と仕上がっています。碁敵のライバル心と意地の張り合い、そして仲の良い二人がものの見事に表現された半時間の秀作でありました。
この『笠碁』という噺は、元々は上方落語で、原話をたどると初代露の五郎兵衛師匠の『軽口露がはなし』の『この碁は手みせ禁』と、ものの本に記載されています。その噺を、夏目漱石に名人と言わせた三代目柳家小さん師匠が東京へ移植され、四代目、五代目と代々の小さん師匠の十八番として今も多くの演じ手のいる噺です。

 中入後は、地元神戸出身で、昭和五十七年に五代目桂文枝師匠に入門し桂花枝。平成六年に三代目桂あやめを襲名。平成十一年からは林家染雀師匠と『姉様キングズ』を結成。当席の常連として、昨年四月の『開席四十周年記念公演』以来のご出演となりました。今回はお弟子さんの桂おとめ嬢を連れての楽屋入り。芸名にちなんだ『菖蒲浴衣』の出囃子に乗って登場。女性目線のいつものマクラから始まった一席は、自作の女性目線の創作落語、『コンパ大作戦』の一席。三十路を迎えた三人の女性が、名前、年齢を偽っての婚活を目的としてのコンパへ参加計画。二人は見事に成果無しだったのだが、残る一人は・・・。爆笑の連続、納得の連続、の22分の名演でありました。

 八月公演のトリは、六代目笑福亭松鶴一門で、上方落語界の重鎮・笑福亭呂鶴師匠にお願い致しました。今回は、お弟子の呂好・呂翔師を引き連れての楽屋入りとなりました。
ネタ帳をご覧になり、残念そうに「あっ、『皿屋敷』出てるなぁ。」とおっしゃりネタを検討。
『小鍛治』の重厚な出囃子で、見台と膝隠しを前に黒の羽織姿でいつも通りゆったり登場。「えー、ある先生に『人間の一ケ所での限界時間は一時間半』と、お伺いしました。私が上がりました時間が開演から二時間経っておりまして、本来であれば今のあやめさんのご陽気なお笑いでお開きとすれば良いのですが、当席は地下でございまして、エレベーターも一台しかございません。お客様が一度に階段へ行かれますと危のうございます・・・。私がしゃべっている間に一人帰り、二人帰りと、お客様の身の安全のために出てきたような訳でございまして・・・。」とのマクラから始まった本題は、師匠の十八番の『近日息子』の一席。
 この噺、二代目春團治師匠らの十八番で、現在でも多くの演者がいる上方落語屈指のパワー溢れる爆笑落語で、ちょっと抜けているようで妙に理屈の通っているおかしな息子とその父親、そして、その父が死んだと勘違いに行くことになる近所の住人が巻き起こす、何のことのない他愛のないストーリーですが、演者のまるで血管が切れそうな熱演が爆笑を誘う噺。呂鶴師匠も発端からパワー全開の熱演ですから面白くないわけがありません。全編、外す処もなく、頭の中に情景が浮かぶ、爆笑の連続で、客席も笑い疲れた半時間の熱演の高座で真夏の八月公演はお開きとなりました。

***** 二代目桂 春團治 十三夜 *****
『近日息子』は、朝日放送ラジオ開局記念として昭和26年の11月13日から始まった、「二代目桂春團治十三夜」の十三演目の口演が有名で、現在、この型が主流となっています。この音源は録音技術の進歩で可能になった7号のオープンリールで録音された日本最古ライブ録音とされ、『近日息子』は、昭和27年2月5日にOAされました。その後、朝日放送に保管されていたのですが、テープの切り貼りがあったらしく、CDをお聴きになると判りますが、出囃子もなく、いきなり始まっています。SPレコードのシャーという雑音もなく今から70年前の音とは思えないレベルです。