もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第490回 もとまち寄席 恋雅亭
 
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 公演日時: 令和元年6月10日(月)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  桂   優 々  「普請ほめ」
  桂   福 矢  「野崎詣り」
  笑福亭 生 喬  「笠碁」
  露 の 新 治  「紙入れ」
    中入
  桂   三 風  「ああ、定年」
  桂   塩 鯛  「へっつい幽霊」(主任)
 
   打ち出し 21時17分 
   三味線  入谷 和女。
   鳴り物  桂 小留(ちろる)。  
   お手伝  佐々木千華。
 今回は、令和になって二回目となります、令和元年6月10日の月曜日に、第490回水無月公演として開催させて頂きました。当日は、五月下旬からの暖かいを通り越して暑い気温、前日からの天候不順を引きずって局地的豪雨にもなったけったいな空模様。元町はあまり影響を受けず、今回も熱心な多くのお客様に開場まで並んで頂きました。
チラシも、「新開地喜楽館」、「よせぴー」や本日の出演者の持込などを中心に多数届き、多くの出演者や、三栄企画の長澤社長などの関係者にも手伝って頂き、いつも通り、いつも以上に手際よくこなして、定刻の5時半に開場となりました。
いつもながら長らく並んで頂いたお客様が、一番太鼓に迎えられ、思い思いの椅子に着席され、席は次第に前の方から埋まっていきました。後方に空席が残って、大入りとはならず、定刻の6時半に開演となりました。

 その公演のトップは、桂雀々一門の筆頭・桂優々師。師匠の明るく楽しく元気一杯の芸風を受け継ぎ、各地の落語会で活躍中の逸材で、当日は早くから楽屋入りされ、チラシの挟み込みから手伝って頂き、準備万全で『石段』の出囃子で高座へ登場。
「えー、一杯のお客様で、恋雅亭開演でございます。まずは桂優々(ゆうゆう)の方で・・・」との挨拶から自己紹介。師匠は雀々で、繰り返し記号のような一字もらって優々。辞めた兄弟弟子の芸名を紹介し。「上野か白浜にいそうな」。マクラもそこそこに始まった本題は『普請ほめ』の一席。この噺、誉め言葉が腹に入っていないとトントンと進まない意外と難しい噺。その噺を舌の回転も滑らかにトントンと。自分の工夫を入れたい処ですがお行儀良く型通りに、サゲも決まった17分の秀作でありました。

***  落語ミニ情報 其の壱 『普請ほめ』に出てくる逸品  ***
この噺、『普請ほめ』は、皆様、よくご存知の『池田の牛ほめ』の牛をほめるくだりをカットしたもので、時間の関係で今回の様に演じられることがあります。出来上がった普請は今では幾らかかるか判らない程の豪華絢爛。 口上では、表が総一面の栂造り、庭が縮緬漆喰、上り框が桜の三間半節無しの通り門。
続いて、畳が、備後表のヨリ縁(へり)。この畳は広島産の高級品の備後表を使い、縁(へり)は通常の半分の幅と優雅に仕立てています。
・薩摩杉の鶉杢(うずらもく)=鹿児島県屋久島に自生する天然杉で、杢目も鶉の羽に似た模様と一級品で屋久杉とも呼ばれ.現在では伐採禁止となっています。
・南天の床柱=縁起の良い木とされ、床柱の大きさは超貴重品。京都・金閣寺の床柱は有名。・萩の違い棚=京都・金閣寺の茶室夕佳亭(せっかてい)にある「萩の違い棚」は有名。
黒柿の床框(とこがまち)=柿の製材のうち黒い縞杢目の木材で建築用装飾材として使われ、希少価値が高い。この三つを、「京の金閣寺が裸足で逃げそうな」と誉め言葉が出てきます。落語は嘘を言ってませんねぇ。
ここに掛かっている掛け軸。これがまた逸品。「探幽の富士」に「蜀山人の狂歌」が書かれています。もっともこれは生没年が重ならなりません。現存するとしたら探幽の富士に蜀山人が画賛を書き加えたものでしょうが、これはちょっと無理があります。
  逸品の紹介はこの位にしておきます。

 二つ目は、桂福團治師匠に平成6年入門・キャリア25年の桂福矢師匠。いつまでも若々しい江戸前の小粋な風貌で、当席でもお馴染みの逸材です。ちなみに平成6年組は、かい枝、菊丸、吉弥、春蝶、三金、三若、福矢、文鹿、米紫(五十音順)と逸材揃いです。
『楽隊』の出囃子で小粋に高座へ。マクラもそこそこに始まった本題は、大師匠・三代目桂春團治師匠の十八番の『野崎詣り』の一席。
これが、敬愛する大師匠の粋と、師匠(福團治)の人情味、そこへご自身の任とがミックスされた口演は、全編、昔の上方庶民のほのぼのとしたほんわかする、情景が頭の中に浮かぶ秀作でありました。
 この噺の舞台は、野崎の観音様。最寄り駅はJR野崎駅。神戸からは東西線の開通で、元町⇒尼崎⇒北新地⇒京橋⇒放出(はなてん)⇒野崎と一本で行けます。昔は、元町⇒大阪(環状線乗換)⇒京橋(片町線乗換)⇒野崎と2回乗り換えなければ行けませんでした。随分便利になりました。

 三つ目は、先代笑福亭松喬一門から笑福亭生喬師匠。恰幅のある体型で演じられる上方落語は大御所の雰囲気。今回は早くからの楽屋入りされ、チラシの挟み込みも手伝って頂きました。楽屋で、早くから着換え三つ目の出番に相応しいネタをチョイスされ準備万全。『さつまさ』の出囃子で高座へ。
 高座へおっちんされ、「ここは、私が入門した頃、する前からいっこも変わってません。師匠に怒られた想い出一杯ですので、緊張します。」の挨拶から、「冷房入れて!」とつないで、「碁、将棋に凝ると親の死に目にあえない」と、碁・将棋にまつわる川柳を紹介して、始まった本題は東京落語の名作『笠碁』の一席。
 発端からサゲまで、生喬師匠にはイメージピッタリの噺。動きも言葉数も少なく、目線と顔の表情で演じなければいけない難しい噺を、お客様の頭のスクリーンへ情景を映し出された名演でありました。

***  落語ミニ情報 其の弐 『笠碁』 おねおね  ***
 生喬師匠の出囃子の『さつまさ』は、♪~薩摩さ こりゃさ 薩摩と 急いで押せど、潮がさ こりゃさ 干潮(そこり)で櫓がたたぬ。小唄で、薩摩、今の鹿児島の船を漕ぐ時の干潮で気はあせるが船が進まない。その時の掛け声をそのまま噺詩にしたもので、弾みのある調子は芝居の下座では、『髪結新三』や『弁天小僧』などの威勢のいい男の出に使われています。
 落語の出囃子としても、東京では春風亭一之輔師匠が現在使われています。一之輔師匠の大師匠に当る、いかにも江戸前で威勢の良かった、古今亭志ん朝、三遊亭圓楽、立川談志師匠と共に「江戸若手四天王」のお一人だった五代目春風亭柳朝師匠も使われていました。上方で威勢の良い生喬師匠の出にピッタリな出囃子ですね。
 芸談で、生喬師匠から、「この噺は、東京の柳家小里ん師匠に直稽古で付けて貰いました。小里ん師匠は、名人だった五代目柳家小さん師匠のお弟子さんですから、流れは本流です。けど、東京の噺をこっち(上方)へ持ってくるのは難しい。人間性が微妙に違いますねん。」とお伺いしました。生喬師匠の師匠の六代目笑福亭松喬師匠は、入門が同期の縁で、東西三人会(笑福亭松喬・柳家小里ん・古今亭志ん橋)を開催されていました。
 この『笠碁』という噺は、元々は上方落語で、原話をたどると初代露の五郎兵衛師匠の『軽口露がはなし』の『この碁は手みせ禁』と、ものの本に記載されています。その噺を、夏目漱石に名人と言わせた三代目柳家小さん師匠が大阪から移植された噺です。よって、里帰り噺ですね。

 中トリは、露の五郎兵衛一門から露の新治師匠にお願い致しました。その幅広い演題と、小気味の良い口跡で多くのファンを持たれる師匠、楽屋入りされ、「今日は、長いこと出てへんし、『紙入れ』か『ちりとてちん』でどうでっしゃろ?」。小生が「『紙入れ』は春蝶師匠が演(や)りはって以来、出てません」と言うと、「春蝶君には僕が付けたんや。彼にピッタリやろ」と、応えられ『紙入れ』に決定。『金毘羅船々』のノリノリの出囃子で高座へ登場され、「ここ(恋雅亭)の楽屋には宝物があります。昭和53年からのネタ帳です、四天王の松鶴、米朝、春團治、小文枝、それに内の師匠・五郎兵衛の五郎時代と・・・。四天王も言われなくなりましたが、私、この間、言われました。内の家内から『あんた、何、してんのう。今日は生ゴミの日やで、プラゴミちゃうで!』(客席大爆笑)、えらそうに言いまんねん。内のキムジョンコが。」
マクラは色気の噺、この頃、電車で化粧している人を見かけます。振動で、口紅を鼻に突っ込んだとか、眉毛を書いてて揺れてへんになったとか、新治師匠の噺を聴いていると、ちょっとした間なのだが、これが絶妙。大爆笑マクラが続く。
ちょっと、脱線。 このクダリで「眉毛(まゆげ)」と書きたくて、おもわず、「まひげ」と入力。勿論、方言なので変換されない。すると頭の中に次々出てきた。「目やに」⇒「目ちゃちゃ」、「ふたかわ目」⇒「ふたえまぶた」、「ものもらい」⇒「目ばちこ」と。最近、あまり耳にしませんが。
 そして、色っぽい小咄から本題の『紙入れ』が始まる。十八番なので悪かろう筈がない。特に女将さんの色っぽいこと。こんな迫られ方をされると、男はタジタジ。噺は進んで翌日、見事なサゲでお仲入りとなりました。

*** 落語ミニ情報 其の参 戦時中の禁演落語 ***
 太平洋戦争中の昭和16年10月、時局柄よくないと判断され、自粛対象になって浅草の「はなし塚」に葬られた廓噺や間男の落語が53演目あります。その中に今回、演じられた『紙入れ』も入っています。他に現在、上方で演じられている噺としては、『親子茶屋』『口入屋(引越しの夢)』『子別れ』『三枚起請』『三人兄弟』『疝気の虫』『辻占茶屋(辰巳の辻占)』『棟梁の遊び(突き落し)』『目薬』『不動坊』『淀川(後生鰻)』『悋気の独楽』などがあります。

 中入り後は、六代桂文枝一門から、当席・常連の桂三風師匠。
早くから楽屋入りされ、ピンマイクの有無を確認され、きっかけの打ち合わせ。
楽屋では狙ったクスグリがあるのか、前の演者のマクラに注目。中入後のシャギリの後、師匠の六代文枝師匠譲りの『おそずけ』の出囃子で高座へ登場。「落語会の新しい風になれ」と師匠が命名頂いて35年、風は吹いてません」と、鉄板のクスグリ。
ちなみに、同期は、順不同で、桂文昇、笑福亭晃瓶・純瓶・達瓶・仁昇・鶴笑、林家染二、桂米左、そして、桂三風の師匠連でいずれも、当席の三つ目、カブリの常連の師匠連であります。「その間、落語の世界は、『闇営業』はありました(客席大爆笑)。組関係の仕事も、もっとも、三年何組の学校寄席ですが・・・。」と、偏差値の低い学校と高い学校の実話談。客席は大受け。
 そして、始まった本題は、「客席参加型落語【商標登録認可】」から『ああ定年』の一席。定年を迎え、カルチャースクールのカラオケ教室へ通うことになった主人公が巻き起こす大爆笑編、客席の手拍子や、楽屋のバックコーラスを織り交ぜて、「カラオケスナック・恋雅亭」は、サゲとなりました。

 六月公演のトリは、桂ざこば一門の筆頭で上方落語界の重鎮、四代目桂塩鯛師匠お願い致しました。今回はやや押し気味でトリの塩鯛師匠が、芝居噺の『蛸芝居』で、魚屋が登場する処で、♪~鯛や鯛、大阪、町中売り歩くと奏でられる『鯛や鯛』の浮かれる調子の出囃子で高座へ。「えー、ヘルスセンター状態の落語から本格的な落語へ戻させて頂きます。」と、挨拶から、噺家の人数とヤンバルクイナの数を比べ噺家がいかに貴重かを紹介し、私はまだ上から勘定して中途半端な位置。マクラは続いて、昨年亡くなられた笑福亭松之助師匠の稽古風景を、『桜ノ宮』という話を上げる(口伝者から演じても良いのOKをもらう)のに、一年半かかったと紹介。そして、師匠のざこば師匠が仮免許扱いとしてOkをもらった噺と紹介して、『へっつい幽霊』が始まる。非常に厳しかった松之助師匠にキッチリ教えられたことが随所に感じられる逸品。発端のへっついを買いに来て返品にくるくだり。長屋の立て付けや臭うような公衆便所。脳天の熊五郎、若旦那の作次郎、空っ欠の八蔵らの登場人物が塩鯛師匠の舌に乗って大活躍した40分の熱演でありました。