もとまち寄席 恋雅亭 | ||
公演記録 | 第488回 もとまち寄席 恋雅亭 | |
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公演日時: 平成31年4月10日(水) 午後6時30分開演 | ||
出演者 演目 桂 小 鯛 「看板のピン」 笑福亭 由 瓶 「癪の合薬」 月 亭 文 都 「茶屋迎い」 笑福亭 仁 扇 「看護婦中川さん」 中入 明石家 のんき 「桜の宮」 桂 雀 々 「くっしゃみ講釈」(主任) 打ち出し 21時10分 三味線 勝 正子、千華。 鳴り物 月亭 秀都。 お手伝 桂 三ノ助。 |
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今回は、平成31年4月10日の水曜日に、第488回卯月公演として開催させて頂きました。今年は、7日の日曜日が絶好の花見日和。当日は、前日の雨が残る花冷えとなりましたが、今回も熱心な多くのお客様に開場まで並んで頂きました。 チラシも、「新開地喜楽館」、「よせぴー」や本日の出演者の持込などを中心に届き、多くの出演者や関係者にも手伝って頂き、いつも通り、いつも以上に手際よくこなし、定刻の5時半に開場となりました。 いつもながら長らく並んで頂いたお客様は風月堂さんのご協力も得て出来るだけ館内でお待ち頂き、定刻に開場。一番太鼓に迎えられ、思い思いの椅子に着席され、席は次第に前の方から埋まっていきましたが、天候や花見疲れの影響か、後方に空席が残り、5ケ月続いた大入りも途切れ定刻の6時半に開演となりました。 その公演のトップは、四代目桂塩鯛一門から桂小鯛師。平成19年に当時の桂都丸師匠に入門され桂とま都。平成22年師匠の塩鯛襲名を機に桂小鯛へ改名。当席でも師弟同時襲名公演を実施した期待の若手の星です。 当日は早くから楽屋入りされ、チラシの挟み込みから手伝って頂き、準備万全で『石段』の出囃子で高座へ登場し、「干支」を知らない兄弟子の話題。干支の子(ね)を猫と答えおかしいと感じて、「ね、うし、とら、う、たつ、みー。猫はみーや」で客席の笑いを誘って、「トップですから短いお噺、長い噺はしません。いや出来ません。ご安心を・・・」と、始まった本題は、『看板のピン』の一席。上方の若い衆を相手に江戸の老人が胴を取って賽を振る設定。筋やサゲはお馴染みなのですが、愛くるしい笑顔と活舌の良さで客席を大いに沸かせた15分の秀作でありました。 二つ目は、笑福亭鶴瓶師匠に平成7年入門の十二番弟子・笑福亭由瓶師匠。誰からも愛される落語家を目指して日々奮闘中で、その愛くるしい笑顔は当席でもお馴染み。今回は、チラシの挟み込み時間ギリギリの到着。汗をブルブルかきながら大声での言い訳にチラシ挟み込みスタッフにも大受け。早くも由瓶パワー炸裂。 楽屋で着替えを終えられ 『ダンス』という師匠のイメージにピッタリ?な出囃子で高座へ登場し、ご自身のイケメンぶりをアピールして笑いを誘って、「今年、年男の48歳。眼も良く見えます。鼻も嗅ぎ分けます。普通の人は、電車に551の豚饅を持って入るとどの人が持ってるか判る人は沢山います。私は、さらに、何個かも嗅ぎ分けます。」と、絶好調。そして、スッと本題の『癪(しゃく)の合薬(あいぐすり)』が始まる。「癪とは女の人に多い、神経性胃腸炎、合薬とはその人にとっての妙薬」と説明される。 いかにも落語らしい落語を落語家の典型のような由瓶師匠が演じるのだから面白くない訳がない。大爆笑の客席に汗ブルブルの熱演で応えられた18分の熱演でありました。 *** 落語ミニ情報 其の壱 『癪(しゃく)と疝気(せんき) *** 癪(しゃく):胸部や上半身の内臓の痛みの総称で、心筋梗塞、腹膜炎、胃癌、胆石、生理痛などで、女性に多い病気とされていました。 疝気(せんき):腹部や下半身の内臓の痛みの総称で、胃炎、腸炎、盲腸、生殖器の病気などで、寄生虫病なども疝気とされており、大便に混じっている寄生虫を疝気の虫と呼んだそうです。「悋気は女の慎む処、疝気は男の苦しむ処」と、言われていましたので、男性に多い病気です。 三つ目は、月亭八方一門から月亭文都師匠。昭和61年入門でキャリア33年。平成25年には月亭の名跡・文都の七代目を襲名され、当席でも記念公演を開催致しました。今回は、鳴り物としてお弟子さんの月亭秀都師を伴われての到着となりました。 この秀都師は平成26年4月入門ですが、その前月の3月10日、当席で開催されました、「八天改め七代目月亭文都襲名記念公演」の出待ちをして弟子入りを懇願されたのをよく記憶しています。 「ここはちょうど、2年に1回で出させてもろてますねん。もっと出たいけど」と、楽屋で談笑し、お囃子さんとの打ち合わせも綿密に、名前から何とも可愛らしい『おかめ』の出囃子で高座へ登場。世間話のマクラがスタート。全編を聞き終わった時に判るのだが、世間話に聞こえるが、本題の伏線がちりばめられた絶品マクラ。「昔は男の道楽を・・・」。色街をあしらった川柳から本題の、『茶屋迎い』がスタート。 全編、昔の色街の雰囲気を漂わせた秀作。三味線との息もピッタリで最後に絶妙のサゲとなります。22分の好演でありました。 *** 落語ミニ情報 其の弐 『癪の合薬』と『茶屋迎い』 *** 『癪の合薬』は、上方落語で『茶瓶ねずり』と言われていました。ねずるは、関西の方言で 今は使う人はいないのではないでしょうか。ねずる、ねぶる、なめる、しゃぶる、ここまでくると判りますね。東京では『やかんなめ』として演じられています。どちらも、サゲが連想出来そうなので、『癪の合薬』、『梅見のやかん』とも呼ばれています。 『茶屋迎い』は上方噺です。東京へは、昭和の名人・六代目三遊亭圓生師匠が移植され『不幸者』の演題として残っています。東京には、同種の噺で『ミイラ取り』という噺があり、こちらのほうがポピュラーです。大きく違うのは、旦那が迎えに行くか、飯炊きの権助が迎えに行くかで、サゲにも影響しています。ミイラ取りがミイラになる。つまり、人を探しに行った人が帰ってこなくなる。この落語の根幹です。 中トリは、笑福亭仁鶴一門から笑福亭仁扇師匠にお願い致しました。 昭和48年に入門ですからキャリア46年の大ベテラン。当席のネタ帳を調べてみると、今回で3回目。13年ごとのご出演となります。 年配のお客様なら耳に残っている『まっくろけ』の出囃子で高座へ登場され、手馴れた様子のオネオネマクラがスタート。 『まっくろけ節』(まっくろけぶし)は、大正時代に生まれたとされる流行歌で、三菱のボールペンのCMソングの、♪~ボールペン 三菱マークのボールペン 軽く書いてもまっくろけのけ これで30円まっくろけのけ あーあ まっくろけのけ。はご記憶の方も多いのでは。もっとも、ボールペンが一本30円の時代ですが。原曲は、♪~箱根山 昔ゃ背で越す 駕籠で越す 今じゃ寝ていて 汽車で越す トンネルくぐれば まっくろけのけ オヤオヤまっくろけのけ。 「私は幻の噺家と呼ばれておりまして、滅多にTVも出ません。」からオネオネマクラ。いつの間に始まったのか『看護婦中川さん』。サゲ前は又、オネオネに変わる自作の実話創作落語は、狙い済ましたような笑いを誘って25分でお仲入りとなりました。 中入り後は、惜しくもお亡くなりになられました笑福亭松之助師匠の弟子で実子の明石家のんき師匠に盛り上げて頂きます。八歳の昭和50年に入門され、松之助師匠の崇拝される五代目笑福亭松鶴師匠の本名の梅之助に由来する笑福亭梅之助。平成2年の明石家のんきに改名され、ロック歌手としても活躍中で、当席には、3年4ケ月ぶりの登場となります。早くから楽屋入りされ、葬儀のお礼から談笑。着替えを済まされ袖に来られると長身に盛り上げヘアーでさらに長身。出囃子はロック歌手らしく『ロックアラウンドザロック』。昭和29年発売のアメリカのポピュラーソングです。 自己紹介も、そこそこに、始まった本題は五代目松鶴師匠より口伝された松之助師匠直伝の『桜の宮』。この噺、東京では『花見の仇討ち』として演じられています。基本に忠実にキッチリと演じられ、ツボツボで爆笑が巻き起こった秀作でありました。 *** 落語ミニ情報 其の参 巡礼 敵討ち そして、六部 *** この落語の花見の趣向は、浪人に巡礼兄弟の敵討ち(かたきうち)を挑む。それを通りかかった六部が仲裁し、四人で桜宴を催すもの。 巡礼とは、生活空間を離れて、宗教上の聖地や聖域に参拝し、神聖なものにより近づこうとする宗教的行動のこと。 敵討(かたきうち)、または仇討ち(あだうち)は、直接の尊属を殺害した者に対して私刑として復讐を行う中世日本の制度。 六部とは、巡礼姿で法華経を六十六部書き写し、全国六十六か国の国々の霊場に一部ずつ奉納してまわった行脚僧のこと。 四月公演のトリは、故桂枝雀一門から「ケイジャンジャン」こと桂雀々師匠にお願い致しました。師匠同様、それ以上の熱演高座は皆様よくご存知。東西で大活躍のお忙しい中、ご出演の快諾を頂きました。いつも通り満面スマイルで楽屋入りされ、談笑の後、『鍛冶屋』のノリノリの出囃子で高座へ登場すると客席から万雷の拍手。 マクラから全力投入。当席の思い出や入門当時の失敗談などから始まった本題は、枝雀師匠も十八番だった『くっしゃみ講釈』の一席。この噺、大師匠の米朝師匠や、枝雀師匠も演(や)られますが、土台は、五代目笑福亭松鶴師匠で、弟子の松之助師匠から四代目桂福團治、笑福亭仁鶴師匠を初め、多くの師匠連に伝わっています。 雀々師匠は勿論、枝雀師匠直伝。随所に師匠を彷彿とさせ、随所に独自色の一杯入った、出番前に、「今日はトントンと行くで。」の言葉とは裏腹な40分のフルバージョンで見台も、汗と唾とくっしゃみでズルズルな超熱演でお開きとなりました。 *** 落語ミニ情報 其の四 くっしゃみ講釈と講談部分について *** 雀々師匠はインタビューで次ぎのように応えておられます。 「講釈師がぶっさいくな顔してくしゃみを連発するところなんかは見せ場ですね。あの偉そうな上から目線のキャラクターをどう立たせることができるのかを考えています」 「お客さんの方でもいつしかこのアホな男を応援してしまうというようなことになるんですね。ようやく『胡椒』という言葉を思い出せた時には、ほんま良かったね~となってしまう(笑)」 「お客さんが登場人物に親近感を持つことで思わず笑いが溢れてしまう、そんな雰囲気が上方落語の醍醐味といえます」 『くっしゃみ講釈』で語られるのは『難波戦記』の内、大坂夏の陣のくだり。 頃は慶長も相改まり、明くれば元和元年五月七日の儀に候や。大坂城中、千畳敷おん御上段の間には内大臣秀頼公、おん左側には御母公淀君、介添えとして大野道犬、主馬修理亮数馬(しゅめしゅりのすけかずま)。軍師には真田左衛門尉海野(さえもんのじょ~うんの)幸村、四天王の面々には後藤又兵衛(またびょ~え)基次、長曽我部宮内少輔(くないのしょ~ゆぅ)秦元親、木村長門守重成。七手組の面々いずれもいずれもと控えたるところ、・・・。 |