もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第487回 もとまち寄席 恋雅亭
   春之輔改め 四代目  桂 春團治襲名記念公演
 
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 公演日時: 平成31年3月10日(日)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  桂   咲之輔  「いらち車 」
  林 家 菊 丸  「湯屋番」
  桂   梅團治  「エスエル」
  桂   春 若  「井戸の茶碗」
    中入
  襲名記念口上
  桂   勢 朝  「南京玉すだれ」
  春之輔改め 四代目
  桂   春團治
  「子はかすがい」(主任)
 
   打ち出し 21時15分 
   三味線  入谷和女、勝 正子。
   鳴り物  月亭 天 使。 
   お手伝  桂 小 梅。
 今回は、平成31年3月10日の日曜日に、第487回公演として、「春之輔 改め 四代目 桂 春團治襲名記念公演」を開催させて頂きました。当日の神戸の空模様は雨。元町本通りは、三寒四温が続く中、今回も熱心な多くのお客様に開場まで並んで頂きました。
チラシも、「新開地喜楽館」、「よせぴー」などを中心に届き、多くの出演者や関係者にも手伝って頂き、いつも通り、いつも以上に手際よくこなし、雨と風を考慮し、定刻の5分前の5時25分に開場となりました。
いつもながら長らく並んで頂いたお客様が、一番太鼓に迎えられ、思い思いの椅子に着席され、席は次第に前の方から埋まっていき、次々にご来場頂くお客様で用意した客席も埋まって、5ヶ月連続の大入りで定刻の6時半に開演となりました。

 その公演のトップは四代目桂春團治一門から桂咲之輔師。平成19年入門で、当席へは二回目のご出演となる若手の期待の星です。今回は敬愛する師匠の襲名公演。おお張り切りです。『石段』の出囃子で登場。ここで、ハプニング発生。お茶子さんが新人だったため、メクリが変わっていない、見台を仕舞っていない。気分を変えるため、出囃子から再度、やり直し。あいさつは、「今日は師匠のサキちゃん、恋雅亭に笑いの花が咲之輔(拍手がちょっと少なかったので)まだ、三分咲き。」とつなぐ。この当りはさすがの返し。そして、「地元神戸出身で、美野丘小学校、長嶺中学校、育英高校です。」と、自己紹介から、始まった本題は『いらち車』。体全体を使った汗ブルブル、若さ一杯の熱演に客席は大きな笑いに包まれる。工夫されたサゲもズバリ決まって、熱演を表すように足を引きずってのお後と交代になりました。

*** 落語ミニ情報 其の壱 桂文屋師匠 ***
この噺、東京では『反対車』として演じられ、東西共にお馴染みの噺で、明治時代の新作落語で、上方の噺家で、『あみだ池』、『宇治の柴船』などの作者でもある桂文屋師匠の作とされています。本名は、陀羅助(だらすけ)。何とも可笑しな名前です。
命名は吉野大峰山名産の苦い胃腸薬「陀羅尼助(だらにすけ)丸」からだそうです。
この薬は、ミカン科の落葉高木のオウバク(黄柏)のエキスから作られ、昔、陀羅尼経(だらにきょう)を唱えながら煮詰めて作ったのでこの名前が付いたとされています。
小生も幼少の頃、「お腹が痛い」と言うと、祖父から「ダラスケか正露丸、吞んどき、治るから」と言われたのを覚えています。

 二つ目は、四代目林家染丸一門から林家菊丸師匠。平成6年入門し林家染弥。平成27年に林家の名跡、林家菊丸の三代目を115年ぶりに襲名(当席でも襲名公演を実施)され、今、絶好調の師匠であります。当日も早くから楽屋入りされ、準備も万全。
『鎧付け』の出囃子で高座へ。まずは、鉄板のつかみ。「公民館」「囲碁の盤の上で一席」「囲碁クラブからのクレーム」、それに対するお詫びの言葉がサゲ。サゲをお考え下さい。
始まった本題は、『湯屋番』の一席。
 この噺、東京では古くからお馴染みの噺で、明治の初代三遊亭圓遊師匠が、『野ざらし』や、『船徳』などと共に、ギャグ満載の爆笑噺に改造されました。この圓遊師匠は、鼻が大きかったから「鼻の円遊」、寄席でステテコ踊りで売れた為、「ステテコの圓遊」と呼ばれた売れっ子でした。さらに、三、四、五代目柳家小さん師匠が現行の型を作り上げられました。
 上方でも演者の多い、お目出度い会には相応しい演目。林家の伝統の「はんなり、もっちゃり」をベースに随所にお江戸の粋を感じさせ、それでいて誇張される部分もあって、手馴れた一席。大いに笑いを取られ、それでいてトリに迷惑を掛けない菊丸師匠の名高座でありました。

 三つ目は、一門の弟弟子の桂梅團治師匠。昭和55年に三代目桂春團治師匠に入門され春秋。平成9年に一門の名跡、桂梅團治の四代目を襲名(当席でも襲名公演を実施)され、自他共に認める「撮り鉄」。もちろん、落語での活躍は皆様、よくご存知の通りであります。今回は、お弟子さんで実子の桂小梅師を連れての着到(ちゃくとう)となりました。楽屋でも満面の笑みで談笑され、『龍神』の出囃子で高座へ登場されました。
マクラは、東京での鉄道オタク四人(上方は梅團治・しん吉の両猛者)の落語会の打ち上げで行った鉄道仲間が寄る居酒屋、その名も「キハ(地下鉄人形町駅下車五分)」。つり革を持ちながら酒を飲む立ち飲み居酒屋の話題。そして、始まった本題は、ご自身の独演会のアンケートに「二度と演(や)らないで」と、酷評された鉄道創作落語『エスエル』の一席。随所に古典の臭いのする古典落語の『根問物』のような師匠の任にもピッタリな噺。ツボツボで大受けの創作落語。この師匠も自分の出番と披露目の会を良く考えられた再演を熱望する名高座でありました。

 中トリは、一門ではすぐ下の弟弟子に当る、「若師匠」こと桂春若師匠にお願い致しました。昭和46年に入門ですから、キャリア48年のベテラン。いつまでも小粋な師匠。
代表的な長唄の『供奴』の出囃子で高座へ。「えー、私の方は、噺に入ります前に誰も演(や)りませんジョークと言うのをやってます。」と、爆笑ジョークを二つ演じられる。これが大爆笑の絶品。紙面で紹介したのですが、差し控えます。そして、始まった本題は、上方でもすっかり定着した感のある人情噺、『井戸の茶碗』の一席。人情噺と言えば、お涙頂戴がつき物で、この噺もお涙頂戴です。しかし、この噺は他の人情噺とはちょっと違い、「良かった、良かった」のハッピーエンドの日本人が最も好きなパターンの涙。原因は、登場人物全員が良い人ばかりだからでしょう。発端からサゲまで、舞台は大阪ですが、江戸前の粋と登場人物の心意気が一杯の半時間の高座で、良い雰囲気のまま、お仲入りとなりました。

 中入り後は、襲名公演の花・本日の出演者の春團治、春若、勢朝、梅團治、菊丸の師匠連がズラリ並んでの「記念口上」となりました。
祈、シャギリ、「東西~東西」の声、客席からの大きな拍手と共に手動の幕が開くと、上手から、菊丸、勢朝、春團治、梅團治、春若の師匠連が頭を下げてのスタートとなりました。
司会の春若師匠の「三代目春團治師匠の家に最も近かくにお住みで、神戸喜楽館番組編成委員」との紹介で、桂梅團治師匠の爆笑口上からスタート。「春團治と言う名前は落語をご存じなくても知っておられる大きな名前、初代、二代目、三代目とそれぞれ芸風が違います。その歴代の師匠に『勝らずとも、遠く及ばない』(当代は苦笑、客席は大爆笑)」と、紹介。続いては菊丸師匠。「本来なら、同期の師匠の染丸が挨拶する処ですが、脳梗塞のリハビリ中で、代わって私がこんな晴れがましい席へ並ばせて頂き感激でございます。春團治師匠には大変大きな恩があります。」と、娘さんの結婚式の司会をした時に娘さんの手紙に書いてあった「芸人とはこうあるべき」のお陰で、私の門限が解除されたと紹介。
続いて、春若師匠の「続きまして米朝一門を代表致しまして、米朝師匠に最も嫌われていた男、桂勢朝よりご挨拶」と、紹介され、「四代目の持ち歌は、『浪花しぐれ(初代春團治師匠の逸話の歌)』ではなく、藤田まことの『十三の夜』、バーブ佐竹の『さだめ川』を廻りに喜んでもらおうと、わざと音を外して唄いはります。」と、紹介して、四代目の師匠からは多くの仕事を頂き感謝との歯の浮くようなヨイショで締めくくられました。
 手締めは勢朝師匠の発声の「大阪締め」で、爆笑口上は幕となりました。

トリの前のモタレとして、桂勢朝師匠に色物として『南京玉すだれ』。『野球拳』の出囃子で口座へ、立ち高座。さっそく、南京玉すだれが始まるのかと思いのほか、花粉症のマクラ。「花粉症でくしゃみが止まらない。悲惨(飛散)」「ドラッグストアの薬は効かない。買ったのは『スギ薬局』」と、ホームランギャグ。「思ってますやろ、はよ、始めて、春團治師匠が着物を着換えられるまで、『15分持たせてくれ。』と、言われてまんねん。始まったら3分で終りやもん。」と、旬のカルロス・ゴーンさんの替え歌を昭和33年の若原一郎さんの『おーい中村君』を2バージョン披露。これが、絶品で、歌詞を紹介出来ないのが残念。
 そして、「♪~ アさて、アさて、さては南京玉すだれ~」と、自慢の喉で南京玉すだれがスタート。これが、またまた、絶品。「鉄棒」「炭焼き小屋」「日米国旗」「阿弥陀如来」「しだれ柳」「東京タワー」「スカイツリー」「通天閣」。中でも絶品は「山の吊り橋」。これが、上手く出来ないと引っ張る、引っ張る。最後はキッチリ決められ、「それでは、お待たせ致しました。四代目桂春團治師匠の登場です。」と、まとめられ、途中、客席のご贔屓からのご祝儀は間髪いれず、懐に仕舞われた勢朝師匠の大爆笑、南京玉すだれでありました。

 出囃子は、三代目師匠も使われておられた『野崎』で、『襲名記念公演』のトリの四代目桂春團治師匠の登場となりました。
四代目が高座へ姿を見せると客席から拍手と共に、「待ってました! 四代目」との掛け声が掛かる。マクラで記念公演が遅れたことを心配していたと述べられ、「ここでの披露目が千秋楽でございまして、嬉しい限りでございます。恋雅亭は日本一ええお客さんで、やり易いとこで。一つだけ疑問がございまして、入場制限がありますのんか?三十歳以下はダメとか・・・。」大いに笑いをとって、まず、鎹(かすがい)を紹介。当席を見渡し、「ここは詳しく説明せんでもお解かり頂けますが、これが解らないとサゲがなんのこっちゃ解らない陰気な噺。かくばかり偽り多き世の中に、子の可愛さは真なりけり」と、本題の『子はかすがい』がスタート。鎹(かすがい)とは、材木と材木とをつなぎとめるために打ち込む、両端の曲がった大釘のことです。この噺は、初代、二代目、三代目も演じなかった噺で、新春團治に相応しい噺と言えます。型は母親が息子を連れて出て行く型。発端からサゲまで、笑いの部分は爆笑を、お涙頂戴の部分はしっとりと、全編、よどみなく、場面転換もテンポ良く演じられ、聴いているお客様の脳のスクリーンに鮮やかに情景が映し出されたであろう、半時間超の秀作でありました。大いに盛り上がった、[春之輔 改め 四代目 桂 春團治襲名記念公演]でありました。

*** 落語ミニ情報 其の弐 『子はかすがい』について ***
 この噺は、幕末に初代春風亭柳枝師匠の作で、『子別れ』の上・中・下の下とされており、東京では『子別れ』として演じられることが多く、亭主に愛想をつかした女房が息子を連れて家を出て、その息子のお陰で又、同じ屋根の下で暮すようになる大ネタです。
楽屋で当代からは、「この噺なぁ。母親が子供を置いて家を出て行ったら、酷い母親となるやろ。だから、子供と一緒に出て行く型にしたんや。」とお伺いしましたが、東京はこの型で、上方の桂ざこば師匠もこの型です。
 この噺、明治の落語界・中興の祖とされています、初代三遊亭圓朝師匠が、柳枝師匠の原作を脚色し、母親が出て行き、父親が子供と暮らすという『女の子別れ』という型がありました。玄翁(げんのう)で脅すなら母親より父親が自然だし、明治時代では夫婦別れの場合「男の子は父親につく」という慣習や、亭主の方が家を出るのは不自然だったのでと言われています。この型は、明治に上方に伝わり、六代目笑福亭松鶴師匠の『子はかすがい』は、この型でした。

*** 落語ミニ情報 其の参 出囃子の『野崎』について ***
『野崎』は、人形浄瑠璃や歌舞伎の『新版歌祭文・野崎村の段』の大詰め幕切れ直前、お染が舟に、久松が籠に乗り、野崎村を去る場面の三味線二重奏(連れ弾き)が出囃子となっています。さらに、昭和9年発売の東海林太郎先生の歌謡曲『野崎小唄』でも有名なメロディであります。「♪~野崎参りは、屋形船でまいろ、どこを向いても菜の花ざかり、粋な日傘にゃ、蝶々もとまる、呼んで見ようか、土手の人」。続いて二番、「もうええ!」。
 この『野崎』を出囃子として定着されたのは、二代目春團治師匠。三代目、四代目も使用されておられます。
東京の「黒門町の師匠」、八代目桂文楽師匠も、この『野崎』が気に入り、二代目春團治師匠に懇願し、「来阪の際は使用しない」との取り決めがあったそうです。文楽師匠と春團治師匠は兄弟分として付き合われ、文楽師匠は三代目春團治師匠のことを「ぼん」と呼ばれて可愛がっておられました。

*** 落語ミニ情報 其の四 ***
 この噺の作者は、初代春風亭柳枝(しゅんぷうていりゅうし)師匠です。
春風亭、はるのかぜと実にすがすがしい亭号です。
東京で、現在、春風亭を名乗っておられる噺家さんは大勢おられますが、有名な師匠と言えば、小朝、昇太、一之輔の三師匠ではないでしょうか?
春風亭一之輔師匠の師匠は、春風亭一朝師匠で五代目春風亭柳朝師匠の筆頭弟子です。柳朝師匠は、圓楽・談志・志ん朝と共に東京の四天王と呼ばれていました。柳朝師匠がお亡くなりになってからは月の家圓鏡師匠、後の八代目橘家圓蔵師匠と変わりました。
春風亭小朝師匠は、その柳朝師匠の二番弟子で、一之輔師匠から見ると小朝師匠は叔父さんに当ります。柳朝師匠は、先代・八代目林家正蔵師匠でここで、春風亭柳枝師匠との師弟関係は途切れます。
一方、春風亭昇太師匠の師匠は春風亭柳昇師匠。柳昇師匠の師匠は、六代目春風亭柳橋師匠。その師匠は四代目春風亭柳枝。そして、その大師匠が初代柳枝師匠と師弟関係は続きます。昇太師匠の五代上の師匠が初代春風亭柳枝師匠となります。ややこしい。