もとまち寄席 恋雅亭 | ||
公演記録 | 第486回 もとまち寄席 恋雅亭 |
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公演日時: 平成31年2月10日(日) 午後6時30分開演 | ||
出演者 演目 林 家 染 吉 「金明竹」 桂 三ノ助 「アメリカ人が家にやって来た」 桂 文 三 「グッドジョブ」 桂 福 楽 「ふたなり」 中入 笑福亭 恭 瓶 「かんしゃく」 桂 千 朝 「鹿政談」(主任) 打ち出し 20時55分 三味線 勝 正子、千華。 鳴り物 桂 紋四郎。 お手伝 桂 小文三。 |
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今回は、平成31年2月10日の日曜日に、第486回如月公演として開催させて頂きました。当日の元町本通りは、ちょうど、南京街の『春節際』で大賑わい。寒さが続く中、今回も熱心な多くのお客様に開場まで並んで頂きました。 チラシも、「新開地喜楽館」、「よせぴー」などを中心に届き、多くの出演者や関係者にも手伝って頂き、いつも通り、いつも以上に手際よくこなし、混雑と寒さを考慮し、定刻の5時半に開場となりました。 いつもながら長らく並んで頂いたお客様が、一番太鼓に迎えられ、思い思いの椅子に着席され、席は次第に前の方から埋まっていき、次々にご来場頂くお客様で用意した客席も埋まって、4ヶ月連続の大入りで定刻の6時半に開演となりました。 第486回恋雅亭のトップは、四代目林家染丸一門の十二番弟子林家染吉師。平成19年入門で各地の落語会で活躍中の逸材・若手の期待の星です。勿論、早くから楽屋入りされチラシからお手伝い頂きました。 定刻の6時半、トップの出囃子の『石段』で高座へ。「えー、ありがとうございます。当席二回目の出演の林家染吉、よろしくお願い致します。」と、挨拶し、「修行時代の苦心談」、染丸師匠に「出された食事の誉め方を、一口食べて『美味しいですね』。二口目は『作り方は?』、そして、三口目は『隠し味は?』と言うねんと、教わりましてん・・・。この前、師匠宅で永谷園のお茶漬けが出まして、これ使いました。そしたら、師匠から『永谷園に聞け!』ちゅうて怒られました」をマクラに始まった噺は、『金明竹』の一席。 この噺、前半の失敗してアドバイスを受け、又、失敗の繰り返しと後半の「道具七品」の早口言葉の繰り返しと前座噺とされているが難易度の高い噺。さらに、上方では珍しい噺。その噺を持ち時間をキッチリ守ってキッチリと演じられる。見事の一言でした。 二つ目は、六代桂文枝一門・地元神戸出身在住で、当席へはチャリンコで楽屋入り出来る桂三ノ助師匠です。早くから楽屋入りされ、チラシの挟み込みを手伝ってもらい準備万全で、『ずぼんぼ』の出囃子で満面の笑みで高座へ登場。 ずぼんぼとは、江戸時代の玩具で、半紙の四隅にシジミの貝殻を先端に付けた足に見立てた紙を付け、円く輪になった人々が、♪~ずぼんぼや ずぼんぼや、ずぼんぼ腹立ちゃ つら憎や、池のどん亀 なりゃこそ、ささの相手に ヤレコレずぼんぼや、と囃しながら団扇で紙を扇ぎ、半紙が張り付いた人が負けという遊び。この囃しが出囃子『ずぼんぼ』です。 爆笑マクラは、ご自身の知られていないが、割と大物との自己紹介。「新開地喜楽館支配人代理」、「オペラハウスで初めて落語した噺家」等々。 そして、始まった本題は、当席では平成14年12月の第292回公演での桂三象師匠が演じられて以来16年ぶりの口演となる、『アメリカ人が家にやって来た(桂三枝作)』。三ノ助師匠は、「ネタ帳見てたら出てなかったんで演(や)りました」とのこと。 原作の面白さにプラス、師匠のホンワカとしたムードと相まって微笑ましい秀作で、お客様も演者も大満足な18分の好演でありました。 三つ目は、故五代目桂文枝一門から桂文三師匠。平成3年入門でキャリアも27年。平成21年には桂派の名跡の文三の五代目を襲名(当席でも襲名公演を実施)。当席常連でもあります。今回はお弟子の桂小文三師を伴っての楽屋入りされ、小生と談笑。 文三「ありがとうございます。昨年、5月に出してもろたとこやのに、おおきにです。」 小生「あの時は、トップですやん。今日は定位置です(笑)。」 文三「あの時は、トップ以外にどこに出れまんのん(笑)。」 *あの時とは、昨年5月の『七代目笑福亭松喬襲名記念公演』のことで、楽屋では、「五十台の前座」と、突っ込まれていました。出演者は、文三/鶴二/雀々/仁智/中入/口上/梅團治/松喬。 小生「今日は何を?」 文三「小佐田先生の創作を・・・。」 ニコニコの文三師匠に、福楽師匠から突っ込みが入るなごやかな楽屋から『助六あがり』の出囃子で高座へ。満面の笑みのマクラから始まった本題は、『グッドジョブ』。 小佐田先生の創作落語の秀作。古典の香りが色濃く残り、場面転換もバツグン。陰気な福の神と陽気な死神?その理由もなるほどと思わせる。一番良かったのは文三師匠にピッタリなこと。爆笑の連続の20分の高座は、アッと息を吞むサゲとなりました。 中トリは、四代目桂福團治一門の筆頭・桂福楽師匠にお願い致しました。 昭和54年に入門ですから、キャリア40年のベテラン。今回も早くから楽屋入りされ、楽しそうに笑談。黒紋付で、『ずんどこ』の出囃子で高座へやや前かがみに「ニコッ」と笑顔で登場。 満面の笑みのマクラ。「今日の出演者よろしいわ。みんな、和気藹々でねぇ。いつも、こうやとええねんけど、嫌な時もあるしね。」と嬉しそうなマクラから始まった本題は、『ふたなり』の一席。この噺を福楽師匠は笑福亭松枝師匠から付けてもらったそうで、松枝師匠は、桂文紅師匠からの口伝とお伺い致しました。文紅師匠はこの噺を当席で、昭和53年の第6回、平成7年の第205回、平成11年の第245回と3回口演されています。 この噺、じゃまくさい嫌なことを人に押し付ける若い衆や、断りきれない親爺、妊娠した女性、お奉行など、多彩な登場人物や、場面転換、筋立ての面白さ、その底辺には人間の業が描かれている良く出来た噺。サゲと演題にもなっている、ふたなり(半陰陽)が取って付けた様に感じていましたし、昨今、ちょっと煩いテーマなので、首を吊る森の名前をとって『栴檀の森』として演じられる師匠もいらっしゃいます。 その噺を古風なまま演じられ、人物転換グッド、場面転換グッドの狙い通りの大爆笑の半時間弱の熱演でありました。着替えながらの満足げな顔は、その後の打ち上げお開き時まで続いた福楽師匠でありました。 中入り後は、笑福亭鶴瓶師匠の五番弟子、福岡出身の笑福亭恭瓶師匠に盛り上げて頂きます。笑顔の素敵な一門の中でも、なんとも言えない和みのある師匠。早くから楽屋入りされ楽しそうに雑談。そうかと思うと袖でお客様の反応を確認。中入り後のシャギリの後、『いやとび』の小気味の良い出囃子で登場。簡単に自己紹介の後、大師匠に当る六代目笑福亭松鶴師匠の逸話の小咄、『誰や!』を披露。そして、始まった本題は、「この噺は、師匠から頂いた私落語で私の宝物です」と恭瓶師匠が大切にされている、『かんしゃく(癇癪)』の一席。この噺、元々は東京の創作落語で昭和の名人の八代目桂文楽師匠の十八番でした。鶴瓶師匠が、その噺をベースにして、主人公を六代目松鶴師匠に置き換えられて一段とパワーUPされた大爆笑落語です。 「サインするからマジックチンキ(インク)、わしはエネルギー(アレルギー)体質、あいつとはラベル(レベル)が違う、火傷したオロナミン(オロナイン)取れ」などの松鶴カタカナや、「マジックの青は信号の緑」「靴は茶色しかないので、全部並べると、ワシは百足か!」などなど、全編実話の大爆笑編。怒鳴りまわるが人情味溢れる松鶴師匠が噺の世界で大活躍すると、ご存知の方もご存知ない方も大爆笑。そして、ホロリと涙も。笑いが絶えなかった名演熱演でありました。 如月公演のトリは、故桂米朝一門の桂千朝師匠にお願い致しました。米朝師匠の教えをベースに最近は角が取れて、ノリノリの師匠です。開演直後に楽屋入りされ、高座袖で客席の各演者の反応を確かめられ、『本調子鞨鼓』の名調子で高座へ。つかみの一言で『千朝ワールド』へ突入。ご自身も楽しまれるようなマクラから始まった演題はこれも師匠直伝の『鹿政談』。上方では珍しい人情溢れる噺で、威厳・恰幅の必要な奉行が登場し懐の深さが聞かせどころとなる力量のいる噺。上方落語では武士や大名の登場する噺は少ないですが、奉行の登場する噺は多く演じられています。江戸、大坂、京都と各地の名物を紹介して見事に、この噺の舞台の奈良へご案内。千朝師匠は、人の良い老夫婦、老獪な役人。そして、背筋を伸ばし威風堂々とした立ち振る舞いや、「黙れ!」と、一括する威厳など風格ある奉行(奈良町奉行・根岸肥前守)が名裁きを行うクダリも見事。サゲも「そのほう、商売はとうふ屋じゃの?」「はい。」「きらずに、やるぞ」「へえ、まめで帰ります。」と、間もピッタリで、万来の拍手でお開きとなりました。 *** 落語ミニ情報 其の壱 『金明竹』で紹介される道具七品とは *** 1、三作の三所物: 装剣金工の後藤四郎兵衛家の祐乗・光乗・宗乗の三名の名人を称して三作。三名が造った刀剣の付属品の目貫(めぬき)・笄(こうがい)・小柄(こつか)を三所物のことです。同じ意匠の揃いが尊重されていました。 2、備前長船(びぜんおさふね) 則光:岡山県南東部にあった名刀の産地で、名人則光(のりみつ)が作った刀剣。 3、小柄付き脇差:装剣金工家の横谷宗珉(よこやそうみん)作の小柄で、材質は銅3、銀1の割合で作った合金でこれを四分一こしらえと言います。又、刀の柄前(つかまえ)の材質は、マメ科の高木の鉄刀木(たがやさん)が、埋もれ木(地層中で長年の間に炭化し化石のようになり、木目が残ったもの)を使っています。 4、金明竹寸胴切り花活け:全体に黄金色の真竹をまっすぐ横に切って作った花活け。まっすぐ横に切ることを寸胴(ずんどう)切りと言います。 5、のんこの茶碗:楽焼の名人と言われた陶工の道入(どうにゅう)のんこう作の茶碗のこと。 6、風羅坊直筆掛け軸:風羅坊とも名乗られた松尾芭蕉作の掛け軸。直筆(しょうひつ)とは本物のこと。 7、沢庵・隠元・木庵・即非の張り交ぜ小屏風:四名の有名な僧侶の色々な書画を取り混ぜて張った屏風。 この道具七品、「なんでも鑑定団」に出せば幾らの値がつくのでしょう。 *** 落語ミニ情報 其の弐 『文三代々』 *** 初代:本名は渡部儀助。初代桂文枝四天王の一人。文三から師匠の死後、二代目桂文枝を襲名。晩年は弟弟子の初代桂小文枝に三代目文枝を譲り、初代桂文左衛門を名乗る。 *初代文枝四天王とは、上方落語中興の祖の初代桂文枝の高弟のことで、初代桂文三、初代桂文之助、二代目桂文都、初代桂文團治の四師匠。 近年、文三、文之助、文都の三つの名前は復活(当席でも襲名公演を実施)。後一つの文團治の名前は、文紅師匠がお亡くなりになって空いています。その文團治一門からは、春團治一門や米朝一門につながっています。 二代目:初代文三の門下で、若くして亡くなられたので詳細は不明。 三代目:本名、高田留吉。初代文三門下で、「赤俥の文三」と言われていました。初代桂春團治師匠より早く、寄席を赤い人力車で掛け持ちされた師匠だそうです。 四代目:本名。高田卯之助。三代目の実子で、将来を嘱望される有望株。小文吾から小文三、そして、四代目文三を襲名されますが、その半年後、お亡くなりになられました。以後、文三の名跡は90年空席となっていました。 五代目:本名、三宅 胤清(みやけ たねきよ)。平成3年に五代目桂文枝師匠に入門し、桂つく枝。平成21年、文三の名跡の五代目を襲名。 *** 落語ミニ情報 其の参 『三都&奈良の名物』 *** 江戸、「武士、鰹、大名、小路、生鰯、茶店、紫、火消、錦絵」 京都、「水、壬生菜、女、羽二重、御簾屋針(みっしゃばり)、寺に、織屋に、人形、焼物」 大坂、「橋に船、お城、芝居に、米相場、総嫁(そぉか)、揚屋に、石屋、植木屋」 奈良、「大仏に、鹿の巻筆、霰(あられ)酒、春日灯篭、町の早起き」 |