もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第482回 もとまち寄席 恋雅亭
 
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 公演日時: 平成30年10月10日(水)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  森 乃 石 松  「寄合酒」
  桂   しん吉  「地下鉄」
  笑福亭 銀 瓶  「短命」
  桂  小春團治  「花筏」
    中入
  桂   文 華  「天狗さし」
  笑福亭 鶴 志  「代書屋」(主任)
 
   打ち出し 20時55分 
   三味線  入谷和女、勝 正子。  
   鳴り物  月亭 天使。
   お手伝  笑福亭 遊喬、桂 三ノ助、笑福亭 呂翔。
 今回は、平成30年10月10日、水曜日、第482回公演を開催させて頂きました。
 8月公演の後、台風20号(シマロン)、21号(チェービー)、24号(チャーミー)、そして、25号(コンレイ)と連発する台風の影響が大きく前売り券の状況は芳しくありませんでした。また当日も昼から雨との最悪の天候不順な中、熱心な多くのお客様に開場まで並んで頂きました。
 チラシも、「新開地喜楽館」、「よせぴー」などを中心に届き、桂小春團治、桂梅團治、桂文華、笑福亭遊喬、桂三ノ助、笑福亭呂翔の師匠連にも手伝って頂き、いつも通り挟み込みを開始し定刻の5時半に開場となりました。
 いつもながら長らく並んで頂いたお客様が、一番太鼓に迎えられ、思い思いの椅子に着席され、席は次第に前の方から詰まっていきましたが、後方に空席の残ったまま、残念ながら、2ケ月連続で大入りは途切れてしまい、定刻の6時半に開演となりました。

 その公演のトップは、二代目森乃福郎門下の名前もシャレた芸名の森乃石松師。キャリア15年のもったいないトップであります。
 楽屋では55キロの体重のリバウンドの話で盛り上がり、その盛り上がりそのままに、開演となり、『石段』の出囃子で、恰幅が良いので、茶系の着物に同系統の羽織に羽織の紐を七宝結びに粋に結んで、ユッタリと高座へ登場される。いつもながらの人懐っつこい笑顔と口跡の良さでのマクラがスタート。少人数を前にした落語会の実話で、客席を充分暖めて始まった本題は、当席でもお馴染みの『寄合酒』。この噺を古風に又、所々に演じ手の工夫満載で、持ち前の明るさと口跡の良さ、さらによく通る声で演じられる。客席をツボツボで爆笑の渦に巻き込んだ客席も演者も大満足で、前座の役目をキッチリ果たされた、再演を大いに期待したい石松師でありました。

 二つ目は、イケメン揃いの桂吉朝一門のピカイチ、桂しん吉師匠。平成10年入門でキャリア20年。今回で9回目の出演となります当席の常連。2度目の出演となられた平成17年11月の第327回公演。前々日に師匠の吉朝師匠がお亡くなりになり、高座で、「今、師匠が降りて来られました。」と、絶句されたのを今も鮮明に覚えています。早くから楽屋入りされ、ネタ選び。「ここは神戸、大阪の駅名の出てくる落語はお気に召すかなぁ。」と、思案され、亡き師匠の教えを忠実に守っての今回も行儀正しい名演を期待される多くのファンの拍手に迎えられて、『吉兆廻し』で高座へ登場。さっそくマクラとして鉄道の話題。ファンには色々な種類があるそうで、兎に角、鉄道に乗るのが好きな「乗り鉄」。写真を撮るのが好きな「撮り鉄」。両方こなす「かねてつ」(ここで、大爆笑が起こりツカミ成功)。そして、大阪の地下鉄の歴史を紹介して、当席では初登場となりました、地下鉄の駅名を縦糸に、男女の出会いを横糸に織り上げた三代目林家染語楼師匠の創作落語『地下鉄』が出発進行。飛び道具のつり革を取り出し客席の大爆笑を誘ってのスタートダッシュかた、トントンと噺は進んで行き当時終点だった「梅田駅」をもじってのサゲとなりました。

*** 落語ミニ情報  其の壱   『林家染語楼』 代々 ***
初代林家染五郎⇒(初代だけ字が違う)。二代目林家染丸門下で染五郎と名乗る。
二代目林家染語楼⇒素人落語から二代目林家染丸門下となり、柳家金語楼師匠にあやかり染語楼。本名は、落語『ふぐ鍋』で登場する大橋駒次郎の三代目林家染丸師匠。初代上方落語協会会長で、毎日放送の「素人名人会」の初代落語の審査員でもありました。ちなみに、二代目審査委員は桂米朝、三代目は桂小文枝(後の五代目文枝)、四代目は月亭八方の師匠連でした。
三代目林家染語楼⇒二代目林家染丸門下で、三代目林家小染から漫談の一・一(かず・はじめ)を経て、三代目染語楼を襲名。この『地下鉄』を初め、『青空散髪』、『食堂野球』、『市民税』などの多くの新作落語を自作自演されました。ちなみに小生は、「柳笑亭」で生で拝見しました。
四代目林家染語楼⇒三代目染語楼師匠の実子で林家市染。愛称は、「市ちゃん」。当席常連で、皆様良くご存知の通り。平成17年に54歳の若さでお亡くなりになられました。実子は、林家市楼師匠。

 三つ目は、笑福亭鶴瓶一門の六番弟子・今年で芸暦30年の笑福亭銀瓶師匠。ますます、ノリノリ師匠ですが「銀ちゃん」の愛称通り、若々しく人懐っこい師匠であります。地元神戸出身で高偏差値の国立明石高専卒業の頭脳明晰と師匠譲りの明るい高座は当席でも多くのファンがいる逸材で、今回は仕事を片付けられ駆けつけて頂きました。
師匠譲りの『拳の三味線』の出囃子で高座へ登場し、当席への思い出を愛情タップリに語られ、鶴瓶師匠の大河ドラマでの感想、「うさんくさそうな岩倉具視」。ご自身も「NHKあさドラ」や映画での、「徳川十代将軍・家治公」の死ぬ直前役での出演秘話で笑いをとって、「江戸時代の平均寿命は短かった。」から、本日の演題、『短命』の一席がスタート。
 養子さんのおくやみにまた行くことになった男に、「出養生、毒も一緒に連れて行き」の川柳で亡くなった原因を説明するやり取りに、客席は、「なぜ気が付かないの」とのクスクス笑いが、そして、だんだんと気が付いてくる様子に爆笑が随所に起こる。分類としてはいわゆる「艶笑落語(バレ噺)」なのですが、直接的な描写が一切ない噺なので、演者の力を必要とする落語。その噺をキッチリ、そして、ちょっとHに演じられた銀瓶師匠でありました。
 この噺、原型は、銀瓶師匠が演じられた十代将軍のお爺さんに当る二代前の徳川八代将軍の吉宗公の時代に発行された『軽口はなしどり』の中の一編、「元腹の噂」。別名を『長命』、『丙午』とも言う東西で多くの演じ手の多い噺であります。

 中トリは、桂春團治一門から、桂小春團治師匠に是非、とお願いしてご快諾を頂きました。早くから楽屋入りされ、前の三席とお客様の反応を確認され、『小春團治囃子』の名調子に乗って高座へ登場。「相撲界が貴乃花問題で揺れておりますが、・・・」から、落語界と相撲界の類似点は、師匠の処へ入門して芸名(四股名)を貰うこと。しかし、けったいな四股名もありましてと「い(仮名頭・かながしら)」、「自転車早吉」、「猪しし鍋吉」と紹介して、「昔は大関が最高位で・・・。」のマクラから、始まった本題は、二刀流の師匠、古典落語の『花筏』の一席。「前がガンガン受けていたので筋立てがキッチリした噺をと思って演(や)りました。」の師匠のコメント通りに発端から、グイグイと噺が進み、提灯屋の徳さんが、夜這いに行ったことがバレた時のうれし、はずかしの表情。土俵へ上がらなければならなくなった時の困った表情。などなど『小春團治ワールド』全開の展開。そして、この噺のサゲは良く出来ているので、変える必要もないポピュラーなサゲでありました。 
 この落語に登場する「大関・花筏」は実在したかどうか調べてみました。四股名での花筏は、宝暦時代(今から250年前)に、二場所だけですが存在していました。番付は大関ではなく、下から二番目の序二段でした。
永らく、番付上最高位は「大関」でした、「横綱」はその大関で、綱を付けて土俵入りを許された免許のことを言っていました。歴代横綱は、初代明石志賀之助から72代の稀勢の里寛ですが、番付に「横綱」が登場したのは意外と新しく、明治42年のことでした。さらに、江戸時代から大正時代までは東京と大阪に相撲が存在し、「花筏」は大阪相撲大関。勿論、番付は最高位の位置づけでした。

*** 落語ミニ情報  其の弐   『桂小春團治』 代々 ***
 ちなみに、当代は三代目。初代は初代桂春團治門弟で大活躍。後に舞踊家に転身され、ご年配の方はご存知でしょうが「素人名人会」の舞踊の初代審査員の花柳芳兵衛師匠。未亡人は今もご存命と当代からお伺いしました。二代目は当席でもお馴染みの露の五郎兵衛師匠。二代目桂春團治師匠に入門され、桂春坊から露の五郎を襲名されるまで名乗っておられました。
 当代は、昭和52年に三代目桂春團治師匠に入門され春幸。さらに師匠も名乗られた、小春から平成11年4月に三代目を襲名されました。ちなみに、当席でも同年5月に襲名記念公演が開催されました。

 中入り後は、先代桂文枝一門から桂文華師匠に、さらに盛り上げて頂きます。当席常連で、今回も早くから楽屋入りされニコニコムード。『千金丹』の軽やかな出囃子で高座へ登場。三つ目の銀瓶師匠と同期でキャリア30年と自己紹介。「私の入門した頃は落語を演(や)る場所が少なくて、『京都市民寄席』と『恋雅亭』がステータスでした。今は落語会も増えて、ネットで調べれば一日に20くらい開催されてます。そこに出番が無いとショックですが・・・。」と、笑いを取って始まった本題は、事前にネットで過去の演題を調べられて、狙い済ました一席、『天狗さし』。
 この噺、今では多くの演じ手がいる噺ですが、一度滅んでしまって、桂米朝師匠が復活された噺です。小生が始めてこの噺を聴いたのが、昭和46年11月11日に開催された伝説の『ABC1080分落語会』。高校生だったので、会場へは行けず、生放送としてOAされた『ABCミッドナイト寄席』でした。今から47年前となる思い出の噺です。
 その噺を基本に忠実に随所に師匠の工夫が入って、ノリノリで演じられるので、面白くない訳がない。大爆笑の連続で、噺の発端で仕込があって、それがサゲとなる考え抜かれた面白いサゲとなりました。

*** 落語ミニ情報 其の参 「天狗尺」と「鳥刺し」  ***

この『天狗さし』の桂米朝師匠の復活されたサゲは、「お前も鞍馬の天狗刺しか?」「いや、わしゃ五条の念仏尺(ざし)じゃ」。なんのことかサッパリ判りません。
天狗(坊さま)を捕まえた主人公が帰る最中、尺(さし)を作る材料となる竹竿を持った男とすれ違う。鳥刺し(天狗刺し)と間違え、「鞍馬の天狗刺し」との発言になる。相手は、念仏尺の職人で、天狗刺しと念仏尺の地口オチとなります。
・京の念仏尺(さし)=京都、西本願寺大谷本廟のあたりで採れる竹は毎日、ありがたいお念仏を聞いて大きくなったありがたい竹として「念仏」の名称になったとされています。精密、精巧であったため重宝がられ、店は京都五条辺りにあったとされています。
・「鳥刺し」=竹竿の先端に鳥黐(とりもち・粘り気の強いよくひっつく)を付けたものを使って、鳥、虫などを捕まえる人のことです。
 鳥刺しが登場する噺がもう一つあります。『蘭法医者』という噺で、初代桂春團治師匠⇒三遊亭百生師匠⇒露の五郎兵衛師匠と伝わった噺で、五郎兵衛師匠の演出やサゲは相当に判り難くく、差別的な表現があるので現在では口演は不可能となって、珍品となっています。
 男の腹の中にいる虫を採るために、蘭法医学をマスターした医者が蛙、蛇、雉、そして、鳥刺(さ)しとして腹の中に入り治療するという、摩訶不思議、奇想天外な噺です。
 そして、鳥刺しが雉を取りに腹に入って、雉を取って出てくる。ここでは、「刺した、刺した・・・」をキッカケに、『親子茶屋』の「やっつく、やっつく」でお馴染みの『狐釣り』のはめものが入ります。
 そして、かぶっていた笠と鳥もち竿を忘れてくる。こうなると、外科に行かないとどうにもならない。竿(さお)が笠(かさ)にかかったとサゲとなるのである。
 現在では特効薬が出来て、梅毒(カサ)の末期なると鼻が落ちるという酷い症状になります。「カサが鼻にかかると落ちる」ということが現在では判らなくなってしまいました。

 十月公演のトリは上方落語界の大御所・笑福亭鶴志師匠に締めて頂きました。昨年の師走公演以来の出演ですが、その間、「肝臓癌」「心筋梗塞」の病に打ち勝ってのご出演となりました。膝腰の調子が悪い為、椅子に座っての口演。出囃子に乗ってユッタリと高座へ登場されスタート。
 鶴志師匠の出囃子の『鞍馬』は、長唄「鞍馬山」の一節で、義経がまだ〈牛若丸〉と呼ばれ、鞍馬山に稚児として預けられていた少年時代、平家打倒を心に誓い、夜な夜なひそかに鞍馬山に棲む大天狗の僧正坊と、その手下の木の葉天狗相手に剣術修行に励む、闇夜に木太刀の音がこだまする名曲とされています。十代目金原亭馬生、四代目林家染語楼師匠などが使われておられました。前に向って突き進む勇壮で華麗な、小生も好きな名調子です。

 マクラはご自身の現状の体調。そして、「酒は注意しなはれ」から、酒癖が悪く、わがままだったが、大好きだった師匠の六代目笑福亭松鶴師匠の実話談? を紹介して、大いに笑いをとって始まった本題は、三代目桂春團治師匠直伝の『代書屋』の一席。師匠からは、「この噺、上岡龍太郎さんと並んで稽古してもろた。」と、お伺いしました。
この噺、先代(四代目)米團治師匠が創作された噺で、米朝師匠から三代目桂春團治師匠と二代目桂枝雀師匠に口伝され、現在では上方の新作落語でも古典に近く、今や東西で広く演じられている名作です。
 発端からサゲまで、基本に忠実にかつ、師匠の個性満載のマクラを入れての半時間強の熱演に客席は大爆笑に包まれました。
  この噺、昭和十年代に出来た噺ですが、それでも判らない言葉が色々出てきます。
(1) どんならん=仕方がない。どうにもならない。しょうがない。という意味。
(2) 御大典=天皇即位式を祝う行事で、昭和の御大典は昭和3年11月10日、大正の御大典は大正4年11月10日、平成の御大典は平成2年11月12日に実施されました。
(3) 瘰癧(るいれき)=結核性の頸部(けいぶ)リンパ節炎のことで、昔は若者中心に患者は多かったらしいです。