もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第481回 もとまち寄席 恋雅亭
 
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 公演日時: 平成30年9月10日(月)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  桂   二 乗  「写真の仇討ち」
  林 家 卯三郎  「蛇含草」
  桂   米 左  「骨釣り」
  笑福亭 仁 福  「お見立て」
    中入
  林 家 染 二  「八五郎坊主」
  桂   文 太  「死神」(主任)
 
   打ち出し 20時55分 
   三味線  入谷和女、勝 正子。  
   鳴り物  笑福亭 呂好。
   お手伝  桂 三ノ助。
 今回は、平成30年9月10日、月曜日、第481回公演を開催させて頂きました。
8月公演の後、8月23、24日に台風20号、9月4、5日に台風21号と2つの台風の影響が大きく前売り券の状況は最悪。当日も朝から警報が出る最悪の天候。昼過ぎから天気も回復し、天候不順な中、熱心な多くのお客様に開場まで並んで頂きました。
 チラシも、「新開地喜楽館」、「よせぴー」などを中心に届き、いつも通り挟み込みを開始し、噺家さんのお手伝いもあり完了。定刻の5時半に開場となりました。
 いつもながら長らく並んで頂いたお客様が、一番太鼓に迎えられ、思い思いの椅子に着席され、席は次第に前の方から埋まっていきましたが、後方に空席の残ったまま、残念ながら、連続大入りは途切れてしまいました。出演者の師匠連も名古屋の大須演芸場に出演中の林家染二師匠を除いて到着され定刻の6時半に開演となりました。

 その公演のトップは、桂米二門下で当席常連の桂二乗師。三重県四日市市出身で、1年間、師匠のおっかけをした後、平成15年に入門された、キャリア15年のもったいないトップ。平成22年1月初席の第377回公演にキャリア7年で初出演以来、今回で5回目の出演となる当席期待の星であります。
 早くから楽屋入りされ、鳴り物の準備やチラシの挟み込みなどを手伝って頂きました。
開演となり、『石段』の出囃子で高座へ登場し、保育園での落語会の模様を紹介。「うどんを食べる音が大受けで80杯もうどんを食べ胸焼けした」。客席を巻き込んだ、童謡『きゃべつの中から』を披露。この歌は落語の真髄。場面が想像出来て、サゲがある。園児からは、「舞台で使こてもええよ」と言われたと。客席はこの間、爆笑の連続。
 そして、始まった本題は、「女に騙された、あの女を殺してわしも死ぬ~」と、血相を変えて近所のオッサンのとこに飛び込んで来た男を諭す意味で、昔、中国の晋の国で、主人を敵の大名に殺され敵討ちと付け狙う忠義な予譲(よじょう)の逸話を聞かす。納得した男が女の写真を突いて恨みを晴らすことにして実行して、ドンデンのサゲとなる、大変珍しい『写真の仇討ち』の一席。
 この噺を古風に又、所々に工夫を入れて、実に見事にキッチリと演じられ、前座の役目をキッチリ果たされた、再演を大いに期待したい二乗師でありました。

*** 落語ミニ情報 其の壱  『写真の仇討ち』の演者 ***
 この噺は、笑福亭松之助、三代目桂文我、橘家円三の上方の師匠連や、東京で上方落語を演じられた二代目桂小南師匠。二代目三遊亭円歌師匠が、別名を『指切り』とも言い、八代目林家正蔵師匠が演じられていました。
 又、写真が一般的ではなかった古くから有る噺で、写真を突かずに女郎からもらった起請文を突く『一枚起請』が古い型です。当席では昭和56年12月・第45回公演で、初代森乃福郎師匠が演じられています。今から36年前のことです。

 二つ目は林家染丸一門から、林家卯三郎師匠。平成6年酪農学園大学酪農学部獣医学科卒業後、4年間獣医師として勤務するも、平成11年に噺家へ華麗なる転進を果たした、「上方落語界のドリトル先生」。いつもながら師匠の教えを忠実に守って楽屋でも高座でも行儀正しい師匠であります。
『兔々(うさぎ、うさぎ)』の出囃子で高座へ登場され、暑さで寝れない状況の心境を軽く紹介され、さっそく本題の夏の噺、『蛇含草』がスタート。仲の良い二人の男の意地から餅の大食いが始まった。餅の曲食いで客席からは拍手も起こる熱演。餅を食いすぎて家へ帰った男がとった行動は?なんとも粋なサゲとなった、18分の名演。発端からサゲまで、師匠の厳しく基本を叩き込まれた行儀正しい高座でありました。
 この話でも多くの大阪弁が登場します。・ほかす=捨てる。 ・愛想=相手を喜ばせること。 ・のっけ=最初。 ・やつす=めかす。見えをよくすること。 ・ずつない=苦しい。切ない。  ・もみない=まずい。

*** 落語ミニ情報 其の弐  『蛇含草』と『そば清』  『蛇含草』は実在?  ***
 次の米左師匠のマクラにもありましたが、この噺、東京の『そば清』と同種違題。舞台設定や登場人物、経緯に多少の違いがありますが、良く似た噺です。食べるものが東京ではそば、上方では餅となります。上方落語『蛇含草』が古く、三代目桂三木助師匠が、『そば清』として東京へ移植された噺です。
 ここで、登場する「蛇含草」という名の薬草は実在するのか調べてみました。中国の薬物書によりますと、「蛇含草」は存在します。効能は蛇や虫にかまれたときの消炎、解毒薬となっています。
人間は溶けませんが消化促進薬としては「焦三仙(しょうさんせん)」という生薬があります。 山査子(さんざし)、麦芽(ばくが)、神麹(しんきく)の表面を薄く焦がし配合したもので、日本では、漢方茶として晶三仙の名前で販売されています。
又、中国では祝いの行事などで大食する機会に,焦三仙の粉末を蜜で丸めた大山査丸(だいさんざがん)が大変に活躍するそうです。

 三つ目は、桂米朝一門から当席常連・桂米左師匠。早くから楽屋入りされ、『勧進帳寄せの合方』で高座へ。
 マクラは上方落語と江戸落語について、同じ題名の噺として、『百年目』『道具屋』『子ほめ』。名前は違うが良く似た噺として、『時うどん』と『時そば』、『書割盗人』と『だくだく』。東京でしかない噺として、『鰍沢』。上方では『天王寺詣り』、もっとも、『浅草詣り』てな噺が出来るかも。元々、上方噺で東京に移って洗練された噺として『粗忽の使者』、上方では『月並丁稚』。さらに、上方は滅んで東京は洗練された噺として、『野ざらし』。上方では『骨釣り』と紹介して、『骨釣り』がスタート。
 師匠の米朝師匠が復活され直伝とあって、発端からキッチリと演じられる。当席でも『野ざらし』はよく演じられるがこの噺は珍しく、19年ぶりの口演となります。お客様の食い付きも良く大好きなサゲ前の芝居仕立てのクダリではお囃子もタップリ入ったお客様と演者も大満足な熱演でありました。

*** 落語ミニ情報 其の参  『骨釣り』と『野ざらし』と『さいさい節』 ***
 原話は中国の笑話本「笑府」中の「学様」からで、これを元に上方落語の『骨釣り』(一度、忘れ去られていましたが桂米朝師匠が復活されました。)』が出来、江戸末期の僧侶出身の二代目林家正蔵師匠がさらに膨らまし創作。因果応報譚の暗い噺だったので、明治に大活躍されたもので、それを明治期に大活躍された初代三遊亭圓遊師匠が『手向けの酒』と改作され滑稽噺に生まれ変わり、さらに、戦前・戦後に売れまくった三代目春風亭柳好師匠が現代の形にされました。釣りに行って唄うのが『さいさい節』です。
♪~鐘がボンとなァりゃサ。上げ潮ォ 南サ。カラスがパッと出りゃ コラサノサ。骨がある サーイサイ。♪~そのまた骨にサ。酒をば かけりゃサ。骨がべべ着て コラサノサ。礼に来る サーイサイ。そらスチャラカチャン。たらスチャラカチャン。 と名調子です。

 中トリは、上方落語界・あほの会代表・笑福亭仁鶴一門の二番弟子の笑福亭仁福師匠に是非、とお願いしてご快諾を頂きました。
 この師匠も早くから楽屋入りされ談笑。ネタ帳を捲りながら思案。実は、本日のネタを『へっつい幽霊』、『粗忽長屋』を用意されておられたご様子。両演題とも、先月、先々月で口演済。
それならば別のネタと、『自転車節』の出囃子に乗って高座へ。客席からは拍手と共に、「待ってました!」掛け声も。いつものいじられキャラでの爆笑マクラがスタート。師匠と同居されておられる実母がボケて困る。その実母に突っ込まれて困っているとの実話かどうか不明の内容で客席は大爆笑。「それでは、マクラとは一切関係ない噺を」と、廓はなしの『お見立て』がスタート。この噺、元々、東京の噺ですが、仁福師匠は早くから手掛けられ個性溢れる逸品に仕上がっています。今回も全編、ホンワカムードに包まれた高座は、爆笑や肩笑いも有りの25分の中トリでありました。

 中入り後は、林家染丸一門の筆頭、「パワフル染二」こと、林家染二師匠に、さらに盛り上げて頂きました。当日は名古屋の大須演芸場から新幹線で当席入り。
 師匠譲りの『藤娘』の出囃子で高座へ登場。マクラは、同門の卯三郎師匠を「上方落語界でただ一人の獣医師の資格を持っています。」母校(龍谷大学)の入試秘話として、「浄土真宗の学校ですから、入試は親鸞と漢字で書けたら合格。これがよく受けるのでやっていたら、この前、母校から『二年前に止めた』とクレームが・・・。」鉄板のネタで客席を大爆笑に包み込んで本題の『八五郎坊主』がスタート。
 この噺は、故橘ノ円都師匠から口伝された桂枝雀師匠が大爆笑編に仕上げられた一席で、噺を聴いているとパワフル染二師匠のイメージに主人公の八五郎がピッタリ、お寺のご住職も漫画チックに生き生きと描かれていて、乗っている師匠の明るくて、切り口がすっきりとしていて、肩の凝らないアホ気な噺で客席は大爆笑の連続。サゲも古風に、円都師匠と同じく、「のりかす(法春・糊粕)、そうかもわからん、つけ難い言うてはった」でありました。
勿論、パワフル染二ならではの、「坊主抱いて寝りゃかわゆてならぬ、どこが尻やら頭やら、ちょんこちょんこ」の『ちょんこ節』ももちろん登場しました。

 九月公演のトリは上方落語界の大御所・桂文太師匠にご登場願い、締めて頂きます。過去、当席では『寝床・29年7月』『百人坊主・28年7月』『明烏・27年8月』『無妙沢(鰍沢)・25年11月』『南京屋政談・24年5月』など大ネタを披露されておられます。今回も大いにご期待。早くから楽屋入りされた師匠は、いつも通りに笛でお囃子に参加され、『三下がりさわぎ』の出囃子で高座へ登場されるといつものように客席から拍手と共に「待ってました!」「タップリ!」と声が掛かる。
 「えー、ありがとうございます。『待ってました』なんて声が掛かると、うれしいもので、この前、繁昌亭に出てましたら、「おひねり」が飛んできました。あの時は演(や)り難かった。その点、今日はやり易い」と鉄板挨拶から、先ほどの染二師匠の噺は、神仏に失礼とつないで、『貧乏神と福の神』、『風邪の神送り』の小咄を披露し、本題の『死神』がスタート。
 この噺、二つの型があり、三遊亭円朝・作の江戸落語で、東京では故六代目円生師匠の十八番で、今も多くの演じ手が好演されている噺。演出は大きく違いますが、『誉れの幇間』という噺があります。先代三代目三遊亭金馬師匠や、『たいこ医者』として、初代桂春團治師匠のSPレコードに残っています。上方で演じられる『死神』も両方の型がありますが、文太師匠は、円生師匠の流れでした。人の命にかかわる噺で暗くなりがちだが、明るい、明るい筋立てと演出、そして、師匠の口演で爆笑噺に仕上がった秀作となっています。さらに、一工夫されたサゲで大いに盛り上がり大喝采のうちにお開きとなりました。