もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第480回 もとまち寄席 恋雅亭
     三喬 改め 七代目笑福亭松喬 襲名記念公演
◆春駒HOME◆恋雅亭TOP◆公演記録目次
 公演日時: 平成30年8月10日(火)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  桂   文 三  「もぎどり」
  笑福亭 鶴 二  「米揚げ笊」
  桂   雀 々  「疝気の虫」
  笑福亭 仁 智  「源太と山根会長」
    中入
  襲名記念口上 松喬・仁智・雀々・梅團治・鶴二・文三(司会)
  桂   梅團治  「いかけ屋」
  笑福亭 松 喬  「へっつい幽霊」(主任)
 
   打ち出し 21時00分 
   三味線  入谷和女、勝 正子。  
   鳴り物  林家染八。
   お手伝  桂 三ノ助、桂 優々。
 今回は、猛暑真っ只中平成30年8月10日、第480回公演として、「三喬改め七代目笑福亭松喬襲名記念公演」を開催させて頂きました。
7月11日の前売り開始。7月下旬に前売券も完売し、ちょっと、ましとはなりましたが、「熱中症警報」の晴天で暑い、お盆を控えた三連休前の金曜日の開催となりました。暑い中、多くのお客様にご来場頂きました。今回は特別に「熱中症対策整理券」を作成し、4時半から配布することに致しました。並ばれるお客様に出来るだけ負荷がかからず、平等にご満足頂けるかが全席自由席の当席の永遠の課題であります。整理券を配り出して即、当日券完売となりました。

 チラシの数も多くあり、特別に新松喬師匠のご好意により「襲名披露公演」の立派なパンフレットもご用意頂きましたし、新開地喜楽館関係は一まとめにして頂きましたので、大いに助かりました。いつも通りの人海戦術で、5時前からスタートし、手際よくこなし、定刻の五時半に開場となりました。
 今回は、整理券順にご入場頂きましたので、スムーズで、木戸口の混乱もなく、一番太鼓に迎えられ、思い思いの椅子に着席され、席は次第に埋まっていき、定刻の六時半、大入り満席での開演となりました。

 今公演のトップは、平成3年、五代目桂文枝師匠に入門し、つく枝。平成11年に、桂文三の桂派の名跡の五代目を襲名され、当席でも襲名公演を開かせて頂きました桂文三師匠。『石段』ではなくご自身の出囃子の『助六上がり』で、満面の笑みで高座へ。「久しぶりにトップに上がりまして、・・・」と、キャリア27年の堂々たるトップをアピールすべき処、初々しさが無いトップと自己紹介し、「ここ(恋雅亭)では、私も襲名披露をして頂いた高座」、襲名の際に師匠から「トップは、あんまり余計なことを言わず、目立たず、適度に受けさせ! 行け!」と、難しいことを言われたと、嬉しさを笑顔一杯で表し、「ご陽気な旅のお噺を・・・」と、始まった本題はお囃子もタップリ入った『東の旅は伊勢参宮神の賑わいからもぎどり』の一席。なんとも長い名前のこの噺、喜六清八のお馴染みの二人の男が伊勢参宮の途中の所の氏神さんの白髭大明神の六十一年目の屋根替えの正遷宮(しょ~せんぐぅ)に出くわし、怪しげな見世物小屋を見て廻り騙される。『軽業』や『軽業講釈』に続く噺の発端の部分を師匠からの口伝をキッチリとトップの若々しさをプラスして演じられた十二分の高座でありました。

***  落語ミニ情報  其の壱 『見世物見物はおいくら』  ***
 見世物見物は、「お一人様、八文」と落語の中では登場します。江戸時代のお金は金銀胴の貨幣から構成される三貨制で、「大判」「小判」や「一分金」といった金貨や、「丁銀」「豆板銀」と呼ばれる銀貨、そして、「一文銭」などの銅貨に分かれていました。単位は、金貨は一両=四分=十六朱となり、銅貨の単位は文(もん)で、千文=一分が基本ですので、一両は四千文となります。
今の価値との単純比較は難しいですが、『時うどん』のうどん一杯が十六文。現在はうどんの値段は、色々ですが、三百二十円とすると一文は二十円。一両は八万円となります。この計算でいくと、見世物小屋入場料は百六十円となります。
ちなみに、『高津の富』千両の一番くじは、八千万円。高額になりますが、富くじ一枚が一分なのでこちらは二万円で、文句なく高いですね。しかし、当選確率は四千分の一と高確率です。

 二つ目は、六代目笑福亭松鶴師匠の末弟・笑福亭鶴二師匠。昭和61年に18歳で入門し鶴児。平成10年に児を二と改字。今年、50歳のキャリア32年の二つ目です。早くから楽屋入りされ、楽屋で嬉しそうに談笑。『独楽』の出囃子で高座へ登場し、「ただ今は、キャリア27年の50歳の若さの無い前座さんでございまして・・・。あんな、『もぎどり』てな、お囃子の音に負けんように大声出さなあかん噺ね、・・・。」「今日もメンバーは十四年前に漫才の『MZ研進会』から『RG研進会』と言うのを作ってました。完全なパクリです。そのメンバーでやらして頂きます。なにしろ、今日はトリで松喬さんにタップリと、あいさつもありますし、『二人で30分で下りて来い。』と言う指示もありますので、私の方は手短におめでたい処を・・・。」と、始まった本題は『米揚げ笊』の一席。発端をコンパクトに、笊を売りに行くお笑いの多そうな所をピックアップし、サゲも、「この男が二代目いかけ屋十兵衛を襲名致します。」と、変えておめでたく演じられた
登場人物全員が鶴二師匠同様に明るくて元気一杯。テンポもグー。サゲもグー。口演時間もグー。満足感グー。と、グーでなくパーでの拍手が客席中に鳴り響いた秀作でありました。

*** 落語ミニ情報  其の弐  『米揚げ笊』について  ***
 この噺は、古典の匂いがプンプンしていますが、明治初年に、初代桂文枝四天王の一人と言われた初代桂文團治(あだ名:塩鯛)師匠の創作落語とされています。この噺に出てくる大間目(おおまめ)、中間目、小間目に米を揚げる米揚げ笊の間目(まめ)は、笊の目の粗さのことです。字に書けば判りますね。
笊(いかき)とは、笊(ざる)の上方での呼び名で、同じように今では落語にしか登場しない天秤棒のことを朸(おおこ)、たわしを切藁(きりわら)と呼んでいましたが、今では通じない言葉になっています。私も小さい時に祖父から「起きたら手水使いや。」とは言われた記憶はありますが、「いかき」「おうこ」「きりわら」の言葉は聴いたことがありません。
今回は演じられませんでしたが、大阪の丼池から天満までの道中の言い立てでは中之島と中央区北浜を結ぶ栴檀(せんだん)の木橋、北区西天満と中央区北浜を結ぶ難波(なにわ)橋が登場し、今の北区西天満付近の天満の源蔵町にいかき屋さんのお店があります。

 三つ目は、桂枝雀一門から、ケイジャンジャンこと桂雀々師匠。今回はお弟子さんの桂優々師を従えての楽屋入りとなりました。この師匠も楽屋でもノリノリで楽しそう。
元気一杯、高座へ登場し、亡くなられた枝雀師匠のSR(ショート落語)の名作の、『定期券』、『犬』『インク』を紹介して、大爆笑を誘う。
 そして、始まった演題は『疝気の虫』。発端からその奇想天外な噺を更に誇張した雀々師匠の熱演が客席の大いに笑いを誘う。サゲも二ひねりされていて、ここでも大爆笑。汗ブルブルでサゲを言いながら楽屋へ引っ込まれた雀々師匠でありました。

*** 落語ミニ情報 其の参 『疝気の虫』について ***
 せん気とは疝気と書き、中年過ぎの男性に起こる、冷えからくるお腹や腰が痛くなる病気の総称で、現代医学の病名では、脱腸を始め、尿道炎、胆石、膀胱炎、胃下垂、胃拡張、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、胃酸過多、神経性胃炎、すい臓炎。さらに、椎間板ヘルニア、ぎっくり腰まで含まれていたようです。なお、女性が同様の病気の際は、「癪(しゃく)」と呼ばれていました。冷えが悪いとされていましたので、お腹を冷やす蕎麦は、疝気の虫の大好物と言われていました。江戸時代は、お腹の中に大便のとき出てくる白い細長い疝気の虫が居て、その虫が原因とされていました。今で言う回虫、ギョウ虫などの寄生虫のことです。

 中トリはこの度、上方落語協会第七代会長となられた、「創作落語の鉄人」笑福亭仁智師匠。
雀々師匠の大爆笑サゲの笑いと拍手が静かになり、お馴染みの『オクラホマミキサー』の出囃子が聞こえてくるが、仁智師匠の出が遅い。間があって師匠が登場され、羽織の紐を解きながら、羽織の紐を結ぶのに手間取りまして、こんな早く脱ぐなら着てこんでもええのに・・・。」とツカミ。「前に出して頂きましたのが4月で、その時はまだ会長やなかった。」「(客席が余り反応が無かったので)今日はおめでたい松喬さんの襲名でございますが、私の会長就任はあんまり、めでたくない」と、会長選挙の裏話を披露。私の他に副会長が五人いるんですが、鶴瓶さんは忙しい。きん枝さんは前に選挙に落ちてる。米團治さんは一門で人気がない。春團治さんは人望がない」と、色々な理由で私になったと暴露。
 そして、話題は大好きな野球の話へ。解説者の好き嫌いを、掛布、川藤、福本の各氏の珍解説を話題に語ると客席はドッカン、ドッカンと大受け。そして、「今日は今や斜陽産業、やっちゃんの兄貴と弟分の噺でお付き合い願います。」と前置きすると、客席から拍手が起こる。さらに、「今日は、いつもの『源太と兄貴』を一工夫して『源太と山根会長』」と、紹介すると天井が抜けるほどの笑いが起こる。会長と弟分(源太)とが繰る広げるギャグの連発噺で、高利貸しでは儲からなくなったので、何かで儲けようとするのだが、これが全て失敗。その度に客席全体が大きく揺れる。まず、スタートは便所から。「ちり紙」と「明治のチェルシー」の間違い。しのぎの方法を考えた二人は「小銭を溜めた年寄夫婦をかつあげ」。「金出せ!」で出てきたのは老婆の山田カネ。紙面ではその面白さが表現出来ないのが残念ですが、こんなパターンが連続し、師匠のたたみかけるような高座と、かんでもそれをギャグに変えてしまう話術と間の妙。その都度客席が大きく揺れる。弟分「兄貴、『豊臣の埋蔵金』ちゅうのんどうですか? 秘密の地図手に入れましてん。」兄貴「それ、ええやないか。掘りに行こか。」弟分「兄貴、壷みたいなん出てきましたでぇ。」兄貴「ぼろぼろの布が出てきたで、なんか書いてあるわ。・・・こらっ『豊臣のマイゾウキン』やないか。」競馬を出目で買っても失敗。ラジオのクイズ番組に出ても珍回答。「甲子園球場での売り子」として「アイスクリーム」を売ることになり、一番最初に振った「高利貸し(コウリガシ)」と「アイスクリーム(氷菓子)」を掛けたシャレでサゲとなった二十五分の熱演爆笑高座でお仲入りとなりました。

 中入り後は、六師匠がズラリ並んでの記念口上となります。格式高い口上とすべく幕が開くのを待つ面々は緊張ではなく和気藹々。「とざい~、東西」で幕が開くと上手(客席から見て右)から桂梅團治、笑福亭仁智、笑福亭松喬、桂雀々、笑福亭鶴二、桂文三(司会)の師匠連が黒紋付袴姿で勢揃い。客席からは大きな拍手が巻き起こります。
 口上は暖かい内容で終始しました。各師匠の要点だけをご紹介致します。
桂文三師匠:大好きなお兄さんの披露で嬉しい。司会はあまり喋れないので残念。
桂雀々師匠:RG研進会のメンバーが揃って嬉しい。私は名前を継いでいないので祝儀が出る一方。枝雀を継ぐ。仁智兄さんは仁鶴襲名を。
桂梅團治師匠:やさしい方です。みんな嫌がる私のスマホの鉄道の写真を楽屋で見てくれる。彦八祭りの実行委員長を無難にこなされましたが、趣味がありませんね。何か持って下さい。
笑福亭鶴二師匠:同じ笑福亭一門でも修行時代、私はプロレスごっこ。松喬さんは締め太鼓の締め方をミッチリ勉強されていました。あの頃から差がありました。
笑福亭仁智師匠:一言だけ、「おめでとう」。松喬と言う名前は松鶴、染丸への出世名前だから目指して欲しい。
口上は仁智師匠の音頭で「大阪締め」、「打ちましょ、チョン、チョン。もう一つせ、チョン、チョン。祝うて三度、チョチョンがチョン」と見事に揃って幕となりました。

 モタレは、キャリア38年。昭和55年に三代目桂春團冶師匠に入門され春秋、平成9年には当席でも披露公演開催させて頂いた四代目桂梅團冶師匠。『竜神』の出囃子で高座へ登場し、「私は、岡山の出身で・・・。」と母校の倉敷市立福田第四小学校の校歌を客席の手拍子と共に披露。この前、弟子で息子の小梅師が学校寄席で行った時、校長先生から「内の小学校の出身者で有名人は、プロ野球の星野仙一さん。」「他には?」と訊ねると、「いません」。その頃、カミキリムシを友達と採りに行って友達が野壷(のつぼ野良にある肥だめ)はまった実話から、「子供のお噂を」と、師匠の十八番の直伝のご存知、『いかけ屋』がスタート。
 全編、その愛くるしい笑顔で演じられる秀作に客席からは大爆笑が巻き起こる。師匠はうなぎ屋のクダリは演じられなかったが苦痛の表情のうなぎ屋の主人で笑いを更に誘ってのサゲとなりました。
この噺に登場するいかけ屋とは、漢字で書くと、鋳掛屋で、鋳造された鍋、釜などの鋳物製品の修理・修繕を行う職業のことです。江戸時代から昭和期にかけての鍋や釜は鋳鉄製が多く、技術が未熟だった為、ひび割れ等により穴が開くことがありました。しかし、金属類は貴重品だったため、すぐ捨てたり買い換えたりせず、完全に使い物にならなくなるまで補修を繰り返しながら使っていたため、修理を請け負う修理業がありました。

 そして、出囃子が『お兼ねざらし』に変わって、お待ちかねトリは本日の主役・七代目笑福亭松喬師匠の登場となります。この出囃子は、東京では柳家花緑師匠が現在でも使われており、上方では桂文紅師匠の出囃子でした。今回、襲名にあたり松喬師匠自ら選ばれたとお伺いしました。
先代師匠と神戸との繋がり、その神戸での披露の会の感謝の言葉から、今は無くなった台所用品として「へっつい」を紹介。東京ではかまど、京都ではおくどはん、大阪ではへっついさん。食べ物を煮たり焚いたりするものと軽く紹介して始まった本題は、先代師匠直伝の『へっつい幽霊』の一席。発端からサゲまで、場面転換や人物も入れ替わり立ち替わり登場する難しくて骨の折れる噺。その噺をハショルことなく克明に演じられ要所要所では必ず狙い済ましたような大爆笑が起こった襲名記念公演に相応しい半時間強の大熱演の高座でありました。サゲの後、暫く鳴り止まない拍手に嬉しそうに高座を下りられた新松喬師匠でありました。