もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第478回 もとまち寄席 恋雅亭
     
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 公演日時: 平成30年6月10日(日)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  桂   雀 太  「商売根問」
  桂   三 弥  「僕達ヒーローキッズ」
  桂   出 丸  「持参金」
  笑福亭 呂 鶴  「仏師屋盗人」
    中入
  桂   坊 枝  「火焔太鼓」
  桂   千 朝  「弱法師」(主任)
 
   打ち出し 21時05分 
   三味線  入谷和女、勝 正子。  
   鳴り物  桂 三実。
   お手伝  桂 三ノ助、笑福亭呂翔、桂 源太。
 今回は、平成30年6月第478回公演を開催させて頂きました。
GW明けの5月11日の前売り開始。久しぶりに前売券は完売せず、天候不順な中の日曜日の開催となりました。当日の天気予報では雨模様で湿度も高い梅雨の到来。その中を多くのお客様に開場まで並んで頂きました。
 チラシはいつもより若干少なめ。今回は新開地・喜楽館の杮落としのチラシも有り。いつものように出演者・関係者にも挟み手のお手伝い頂き、5時ジャストからスタート。その後も持ち込まれたチラシを手際よくこなしつつ、定刻の5時半に開場となりました。
 いつもながら長らく並んで頂いたお客様が、一番太鼓に迎えられ、思い思いの椅子に着席。雨の日曜日のせいかお客様の出足は今一歩で、定刻の6時半に開演となりました。

 その公演のトップは、桂雀三郎門下の逸材・昨年は咲くやこの花賞、一昨年はNHK新人落語大賞と大きな賞を受賞されている桂雀太師匠。キャリアは16年でもったいないトップ。当日は新たに入門され初弟子なる桂源太師を連れての楽屋入り。楽屋当番をこなされ、「短く演(や)ります。羽織の丈がちょっと長い。」と気にされながら『石段』の出囃子で高座へ。「第478回のもとまち寄席恋雅亭でございまして・・・。」の挨拶からマクラを振らずに本題の師匠(雀三郎)も大師匠(枝雀)も十八番だった『商売根問』がスタート。雀取り、鶯取り、そして、鶯取りで痛めたあばら骨の痛みを押して我太郎(がたろう・河童)取りにと続く爆笑編。最初からトップギアでの熱演はあっと言う間の13分。勿体なさすぎる前座でありました。

*** 根問物と本町の曲がり ***
 この噺、元々、上方落語の前座がまず習う、『旅ネタ』と並ぶ『根問物(色事根問・絵根問・浮世根問)』」というジャンル。入門直後に、間、テンポ、掛け合いなどをマスターし、さらに、「こんにちは」「お、お前かいな。まあこっち上がり」のやりとりと目の動きで、二人の位置や、家の間取りの大きさなどをお客様に想像させる。そして、全編は長い噺なのでどの部分をチョイスするかで時間配分を工夫することが出来る教科書的な噺です。随所に先人達の工夫が入っていますので、噺に力があり、盛り上がり箇所も随所にありますが、一方、二人の会話で物語が進行するため、一本調子になってしまうと全く受けない力の要る噺であります。
 「我太郎」は本町の曲がりに捕まえに行くのですが、ここは東横堀川の本町橋と農人橋の間のSの字に曲がったところで、昔は大阪でも人通りの少ない怖い場所だったらしいです。現在では、上を阪神高速道路が同じようにS字型に曲がっている賑やかな所となっています。


 二つ目は桂三弥師匠。三重県名張市の高校から神戸学院大学に入学され、落語研究会部長から平成9年に六代桂文枝師匠の三枝時代に11番弟子として入門されキャリア21年。
当席へは2度目のご出演となりました。
雀太師匠の熱演の余韻が残る高座へ『お若いの』の出囃子で登場され、「今の雀太さん、もう弟子がおります。私はいまだに弟子気分・・・。」繁昌亭朝席での実話談などで笑いを誘って、客席を「三弥ワールド」に。そして始まった本題は、六代文枝師匠の創作落語『僕たちヒーローキッズ』の一席。
「子供は学校から帰ってきたら遊びなさい、それが子供の仕事だ」と母親に言われるが、友達は、皆塾。公園に行っても誰もいない。偶然、疲れた顔をして歩いている友達と会うが、子供らしくない。そこへ、やたら元気な友達が登場し、気分転換にカラオケでも行くが、家では行方不明と騒ぎになって、そこへ帰ってくる。ほっとした母親の考え方がガラリ変わってサゲとなる大爆笑落語。
 三弥師匠の任(ニン)にピッタリな子供達が大暴れした全編、ほのぼのとした笑いに包まれた秀作でありました。
・この噺、「桂三枝大全集~創作落語125撰」の第12集でCD化されています。
・当席では今から17年前の平成13年3月10日・第271回公演で桂枝三郎師匠によって一度だけ口演されています。

 三つ目は、桂ざこば一門から桂出丸師匠。入門は師匠が朝丸時代の昭和60年。キャリア33年の当席常連のいつまでも若々しい師匠で、今回も元気一杯の楽屋入り。「2年に1度のペースですね。激戦ですね。」と、出演を嬉しそうに語られ、物の本によると江戸時代に出来た目出度い俗謡の軽妙な『せつほんかいな』の出囃子で高座へ登場。
 「えー、続きまして出丸の方で、軽くお付き合い願います・・・。二年に一度出て参ります。デマルでございまして、決してシュツガンとは読まないで・・・。」のあいさつから、イメージチェンジの為、髪形を変えた時の嫁のキツイ一言。「イメージチェンジ言うても、元々、イメージ無かったやん。」夫婦の話題のマクラでタップリ客席を暖めて始まった本題は、一門の十八番とも言える『持参金』の一席。
 この噺、場面と主人公は変わらず、登場人物の一方がクルクル変わる。ばらばらなストーリーがやがて一本の糸に集約されてサゲとなる実に面白い噺。しかし、段取りを間違えると一瞬でパーになる難しい噺。その噺を基本に忠実に間もキッチリとって噺は進み、「そんなあほな」の題材をほのぼのとした雰囲気で客席全体を笑いに誘って「待ってました!」とのサゲにつながった名演でありました。
 また、この噺、昭和47年にお亡くなりになられた古老の桂南天師匠から伝授された上方落語の『逆さの葬礼』の前半部分を故桂米朝師匠が『持参金』としてまとめられ十八番とされていました。東京でも演じられますし、』『不思議なご縁』、『金は天下の回り物』などの演題で演じられることがあります。この噺はこの後、『捨米』と続くらしいのですが余り気持ちの良い噺ではないので、ここで切る改良はさすが米朝師匠であります。

 中トリは、上方落語界の大御所・笑福亭一門の笑福亭呂鶴師匠。「宝塚のぼんぼん・呂やん」の愛称がいつまでも通用する若々しい師匠ですが、風格もタップリ。今回はお弟子さんの呂翔師をお供に楽屋入り。
 『小鍛治』の出囃子で、見台と膝隠しを前に黒の羽織姿でいつも通りゆったり登場。
「私の方は、後の師匠の準備が出来ますまでほんの僅か時間にいたしまして、八時間半ほど・・・。」客席大爆笑。「これはうちの師匠、六代目松鶴の十八番でございまして、いつもこれでした。何で八時間半か判りません、六時間半でも七時間半でもダメで八時間半やったんです。」
そして、今では判り難くなった言葉として、「へっついさん、かまど、おくどさん」、 「かんてき」、「カテキン」ではありません。七輪とかんてきの違い、続いて、「仁鶴(にかく)」「ニカウ」ではない、「膠(にかわ)」の説明。
 そして、「どうしてくりょう(九両)三分二朱」と、十両盗むと首が飛ぶとサゲの仕込みもして、本題の『仏師屋盗人』がスタート。
「ベリバリボリ」の擬音で盗人が入ってくるのだが、ここの主人は一向に驚く様子もなく逆に盗人の印伝(なめしがわに漆で模様を現した染め革で作った袋物)の煙草入れの煙草も借りる落ち着きよう。表へ出るつもりが奥の襖を開けるとそこには賓頭盧(びんずる)さんが・・。首をはねてしまって、形勢は一気に逆転。仏師屋に使われ、首を膠(にかわ)で修繕する手伝いをさせられる羽目になる。意外に簡単な作業で修理出来て高額な報酬に盗人は金を残して、膠鍋を持って逃げ出します。気が付いた仏師屋と盗人の押し問答でサゲとなる、最近はあまり演じられることのない師匠譲り噺をキッチリとまた、楽しそうに演じられた呂鶴師匠でありました。

*** 判り難い言葉 ***
・賓頭盧(びんずる)=釈迦の命により、この世に長く民衆を導く16人の大阿羅漢。その筆頭が、賓度羅跋羅堕闍(ひんどらばらだじゃ。日本ではおびんずるさまと呼ばれ、丸い頭を撫でると除病の功徳があるとされ、なでぼとけとして祭られています。
・殻消(からけし)=木っ端を燃やし、火のついたまま火消し壷の中に入れると、ちょうど柔らかい炭のようなものができる。新たに火をいこす(起こす)時、これをつかうと早くいこせる。
・膠(にかわ)=獣・魚類の骨・皮などを石灰水に浸してから煮て濃縮、冷やして固めた粗製のゼラチン。接着剤として使用されています。

 中入り後は、故五代目桂文枝一門の元気印・桂坊枝師匠。この師匠も当席常連で、二つ目の三弥師匠と同じ大学の14年先輩。いつまでも若々しく、愛くるしいですがキャリアも35年。
 今回も風貌・体型同様のホンワカムードをかもしながら、『鯉』の出囃子に乗って満面の笑みで高座へ。マクラは、先日、発生した新幹線内での刃物による殺傷事件。「実は同門の『姪っ子弟子(こんな言葉があるのかは不明)』のぽんぽ娘(こ)ちゃんが、同じ列車に乗ってまして、・・・。」とタイムリーな話題からスタート。さらに、本題に関係する物の値打ちは判らないと、師匠(故五代目桂文枝)と一緒に訪れた展示会の実話談を師匠の物まね入りで紹介し爆笑を誘って、ご自身と嫁さんと同じような力関係のちょっと頼りない古道具屋の主人が巻き起こす爆笑噺の『火焔太鼓』の一席がスタート。師匠とダブルような主人公を全編、汗ブルブルで大活躍させる大熱演。さらに、ご自身の工夫されたクスグリも随所に入ってこれが、タイムリーに大爆発。マクラ共で半時間の熱演。拍手に送られやりきった感一杯の坊枝師匠でありました。いつもながらお疲れ様でした。また、頼んます。

*** 古今亭志ん生師匠の『火焔太鼓』について ***
 皆様もよくご存知のように、落語には「誰々の何々」というような十八番物があります。演題が事前に決まっていなかった昔の寄席では演者が登場すると客席から「***」と、演題のリクエストがあったそうです。
 その代表格が故八代目桂文楽師匠の『明烏』や故三代目春風亭柳好師匠の『野ざらし』。そして、『火焔太鼓』といえば、故五代目古今亭志ん生師匠でありました。
 その様な噺は、その演者の印象が強くて、他の演者が、その噺を避ける場合が多く、そういう意味もあって、この噺は現在、東京でもあまり演じ手が少ない噺です。
 志ん生といえば『火焔太鼓』。『火焔太鼓』といえば志ん生。と言われた程の十八番中の十八番でしたので、多くの好演が残っています。解説や思い出は諸先輩にお任せするとして、現在発売されていたり、過去、発売されたレコードやテープは、概ね次の10の音源を使用しています。もし皆様がお持ちのテープやCDがあれば、聞き比べて下されば、どの音源が分かるはずです。
放送年月 放送局・等
① 52年 4月 ラジオ東京。 エエ、志ん生でございまして、今晩は「火焔太鼓」・・・
② 54年 1月 ラジオ東京。 エエ、おめでたいこってございまして、本年も相変・・・
③ 56年 8月 中部日本放送。 エエ、落語は数がずいぶんあるんで・・・
④ 56年 9月 ニッポン放送。 エエ、落語というものは、しゃれが固まったような・・・
⑤ 58年11月 NHKラジオ。 エエ、何しろこの、大変陽気がよくなって・・・
⑥ 59年 5月 NHKラジオ。 エエ、昔はこの、何月になると何屋が物を売りに来る・・・
⑦ 61年11月 NHK第29回東京落語会。 エエ、何でもこの、商売となると、やさしいものは・・・
この音源はカットを加え多く発売されています。原本はこの始まりで半時間以上あります。
⑧ 63年 5月 志ん生宅。 エエ、商売というものは、何になっても難しいもんで・・・
⑨ 不明 不明 NO.1。 エエ、大変今年は風邪がどうも多いそうで、このごろ・・・
⑩ 不明 不明 NO.2。 エエ、昔は道具屋さんというものが、ずいぶん軒を・・・
*ラジオ東京は現在のTBSのことです。もっと詳しいことをお知りになりたい方は、志ん生ファンがよってたかって作った、CD「ザ・ベリー・ベスト・オブ志ん生」の冊子の、データブック(日本音楽教育センター発行)を御参考下さい。完璧です。

 六月公演のトリは上方落語界の大御所・桂千朝師匠にお願い致しました。過去、当席では数々の大ネタを披露頂いている師匠。今回も早くから楽屋入りされ、キッカケを念入りに和女嬢と打ち合わせ。
 坊枝師匠の熱演の後を受けて、『本調子鞨鼓』の出囃子で高座へ登場。「えー、私、もう一席でお開きでございまして・・・。昔の上方弁、色々有りまして、「おいど」「さいげん」「ざんない」、落語世界では『けんげしゃ』なんていうのね、ゲンを気にする人のことですが、死語です。けど、何時、流行るか判らへんしね。ローソンにたむろってるヤンキーの兄ちゃんが『お前、ごっつう、けんげしゃやなあ』なんか言うてね。」と、独特の口調での千朝ワールドへ突入。
 さらに、「菜刀(ながたん)、菜を切る包丁ですが・・・。」と、紹介して、スッーと本題の『弱法師(よろぼうし・菜刀息子)』がスタート。
 舞台は船場の商家、息子への愛情から厳しくしつける父親とそれに応えられずにいる息子、それをとりなそうとする母親。突然、いなくなる息子。その一年後、天王寺さんで再会。そして、サゲ。と、上方では珍しい人情噺。千朝師匠の何とも風情のある、独特の口調が冴え渡り、人間の情に訴える。客席からはすすり泣きが聞こえる。勿論、笑うところはないが、演者の熱の入れ方に客席は静まりかえって、聞きいっておられる。サゲが一服の清涼剤となった名演でありました。
 一年の時間の経過を、「京の四季」のお囃子に乗って売り声や会話で表現される演出が実に見事。「閉めときなはれ」「火の用ぉ~心 火の用ぉ~心」「カァ~ッ カァ~ッ」「お父っつぁん、夜が明けましたで」「豆腐ぃ~ッ 鍋べ焼き~うど~ん」「遅おます、おやすみ。」「カァ~ッ カァ~ッ」「お父っつぁん、だいぶ温(ぬく)なってきましたなぁ」「竹けの子 蕗や、竹けの子」「葦しやスダレは要りまへんか」「さや豆ぇ~ 鉄砲豆」「蜜柑どうじゃ、甘い蜜柑」「おしめ縄 飾り縄」「七草 七草」「よばし麦 よばし麦」。

*** 落語『弱法師』と能『弱法師』について ***
終演後、千朝師匠にお伺いしました。
小 生「珍しい噺、ありがとうございました。」
千朝師「おおきに、何処でも出来る噺ちゃうしなぁ。ここのお客さんやったら聞いてくれはると思てな。五年位前から手がけてるねん。滅多に演(や)られへんわ」
小 生「東京の小南師匠は『菜刀息子』として演(や)ってはりましたね。」
千朝師「あれ、内のおやっさん(米朝師匠)ともに米團治師匠(先代)の作りはった台本があってな。仕草なんかも書いてあって。それを元に演(や)ってはんてん。」
 その後、打ち上げで、呂鶴師匠と対面に座られ実に嬉しそうに大声で話をされ、出丸師匠を従えて、お住まいのビバリーヒルズにお帰りになられました。

 能の『弱法師』は、息子、俊徳丸を追放してしまった高安の通俊(みちとし)は,春の彼岸に天王寺で盲目になって弱法師と呼ばれていた息子の俊徳丸と再会。勧めに応じて日想観を唱えると昔の景色が浮かび喜んで舞うと参詣人に突き当たり、盲目のままとさとる。その夜、通俊から親子の名のりを受けて、連れだって高安に戻る。というストーリー。
息子の追放、乞食になった息子、春の天王寺、親子の再会といった部分が『菜刀息子』と共通。