もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第475回 もとまち寄席 恋雅亭  
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 公演日時: 平成30年3月10日(土)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  笑福亭 呂 竹  「江戸荒物」
  笑福亭 た ま  「源平盛衰記」
  笑福亭 達 瓶  「茶目八」
  笑福亭 仁 嬌  「壷算」
    中入
  桂   三 歩  「相部屋」桂三枝作
  月亭  八 方  「百一文」(主任)
 
   打ち出し 20時50分 
   三味線  入谷和女、勝 正子。  
   鳴り物  月亭 天使。
   お手伝  桂 三ノ助、月亭 八織。
 今回は、平成三十年三月第475回弥生公演を開催させて頂きました。
二月十一日の前売り開始後、順調な売れ行きを示して三月になって完売で、当日を迎えました。天気予報では雨が残るとのことでしたが、雨は早く上がりましたが、春本番とはならず、寒さの残る当日となりました。やはり、「暑さ寒さも彼岸まで」と、落語は嘘を言っていません。
 その中を多くのお客様に開場まで並んで頂きました。
 チラシはいつもより若干少なめで、いつものように出演者・関係者にも挟み手のお手伝い頂き、五時ジャストからスタート。手際良くこなし、定刻の五時半、開場となりました。特に笑福亭たま師匠が大活躍でした。
 いつもながら長らく並んで頂いたお客様が、一番太鼓に迎えられ、思い思いの椅子に着席。週末の土曜日のせいかお客様の出足は今一歩。しかし、その後もお客様の出足は途切れず、着到(二番太鼓)の頃には、後方に長椅子も並べての大入満席となりました。

 その公演のトップは、笑福亭呂鶴一門の筆頭、鳥取大学工学部卒業の秀才・笑福亭呂竹師。平成十四年に笑福亭呂鶴師匠の筆頭弟子として入門。師匠の厳しい指導と持ち前の感の良さを生かして各地の落語会で大活躍中です。今回も早くからの楽屋入りで、楽屋当番、チラシの挟み込みの手伝いの後、満を持して『石段』の出囃子で登場。
 「えーありがとうございます。まずは笑福亭呂竹(ろちく)の方で、どうぞ、よろちく(呂竹)お願い致します。」と、鉄板のツカミ。
 マクラは、「落語家と行く なにわ探検クルーズ」での事実談。お客様が二人。何を言っても反応が無いので、聞いてみると外国の方で日本語が判らない。スマホの翻訳アプリを見せられ思わずガックリ。客席の爆笑を誘って、「言葉が通じないと困ったもので・・・」と、始まった本題は、『江戸荒物』の一席。
 この噺、「今は東京はやり」と江戸弁で応対すると物が良く見えると慣れないチンプンカンプンの江戸弁を使おうとするのだがうまくいかない。今でもそうだが、江戸と上方では「し」と「ひ」や、アクセントが違う。呼び名も今では江戸に統一されたが、この噺の頃は「ざる=いかき」「天秤棒=朸(おぉこ)」「たわし=切り藁」と呼び名が違います。そこを上手く演じての爆笑の連続となりました。サゲでは更に田舎から出てきたばかりのおなごしさんが登場して、言葉が通じず大騒動が起こり、又、爆笑。客席も演者も大満足。演者としては色々、工夫したい処でしょうが、この噺は逆効果。そこを良く理解されての師匠の教え通りキッチリと古風なまま、元気一杯、終始、笑顔一杯で演じられた秀作でありました。

 二つ目は、笑福亭福笑一門の筆頭、京都大学経済学部卒業の秀才・笑福亭たま師匠。平成十年入門ですからキャリア二十年。早くから楽屋入りされ、チラシの挟み込みのお手伝い。自分関係のチラシは既にまとめられたり、キャリア(チラシの挟み込み)を生かしてのお手伝いで、いつもより早く終了。
 そして、入谷和女嬢の唄も入る楽しさ満載の『長崎さわぎ』の出囃子で袴姿で元気一杯に高座へ登場。客席から大きな拍手が起こる。マクラは、亡き桂福車師匠の人柄を唐揚のレモンのかけ方を例に紹介し、そして、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。げに奢る者久しからず、ただ春の夜の夢の如し、ただ春の夜の夢の如し」でお馴染みの『源平盛衰記』の一席。
 発端から「たま流」全開で、琵琶(楽器)で「ベン、ベン、祇園精舎のようでも、祇園精舎でない、ベンベン、それは何かと訊ねたら・・・。」「これで笑える人、五十以上。」「あっ、言っときます。今日はずっとこのパターンで、これを地噺と言いまして・・・。文福師匠の相撲のネタ、相撲甚句と一緒。」木曽(源)義仲の富山と加賀の国境、倶利伽羅(くりから)峠、屋島の戦いの那須与一宗高の扇の的、次々に場面が転換し、最後は笛や太鼓で踊りだし、「踊る平家(驕る平家)は久しからず」とサゲ。全編、『たま流・源平盛衰記』、全開となり、大爆笑の連続で大いに盛り上がった十八分でした。

 三つ目は、笑福亭鶴瓶一門の四番弟子・昭和五十九年入門でキャリア三十五年の笑福亭達瓶師匠。師匠の教えを忠実に各地の落語会でイケメンと楽しい落語で大活躍中。
 『米洗い』の出囃子で元気一杯に高座へ登場して、「えーありがとうございます。続きまして、達瓶の方でお付き合いを願いまして・・・」との挨拶。マクラは車内でうたたねをして横の自分にもたれてくる女性と男性への対応の仕方の違いで笑いを誘って、男で男の機嫌を取り持つ難しさから始まった演題は、師匠の十八番『茶目八』の一席。
 ええ加減な幇間をこらしめてやろうと、最初は乗せて、駆け落ちを持ちかけその気にさせて、これもあれもと荷物を持たす無理難題を持ちかけるおめかけさん。それに苦悩する幇間をいかにも軽く、師匠自身の持ち味を最大限生かし、「ああ、こんな幇間持ちいそう」と思わせ、「そんな、アホな」と滑稽に演じられた二十分の秀作でありました。
 この噺、上方では三代目林家染丸、二代目桂枝雀の両師匠をはじめ多くの噺家諸師が口演されていますし、東京では『王子の幇間』として『昭和の名人』八代目桂文楽師匠の十八番でした。
 原作は、『王子の幇間』が明治初期、東京で大活躍した初代三遊亭円遊師匠作、『茶目八』が二代目林家染丸師匠作と言われています。良く似た噺なのでどちらが元になっているのか、それともルーツとなるような噺があるのかは、詳しくは判りません。

 中トリは、笑福亭仁鶴一門で、いつまでも若々しく愛くるしい笑福亭仁嬌師匠。早くから楽屋入りされネタ帳を熱心に捲って、「これにしよう」と一言。イメージピッタリな『ぼんちかわいや』の出囃子に乗って登場。「えーここまで、笑福亭が続きまして、よく考えてみると、全員、六代目松鶴の孫弟子に当ります。孫と言っても若くはありません」と、呂竹(呂鶴門下・41歳)、たま(福笑門下・43歳)、達瓶(鶴瓶門下・53歳)、仁嬌(仁鶴門下・60歳)と紹介。私も還暦、決して若くない。昔やったらお爺ちゃんと、「お爺ちゃんの昔噺にお付き合い願います」と始まった本題は、仁鶴師匠直伝の『壷算』の一席。仁嬌師匠の狙いはドンピシャ。『壷算』は当席では、平成24年4月【第404回公演】笑福亭呂鶴演。平成20年4月【第356回公演】笑福亭松喬演。平成17年6月【第322回公演】笑福亭仁鶴演。とあまり演じられていません。
 噺自体は多くの噺家さんの工夫で非常に面白く出来上がっていて笑いの多い噺で、師匠の仁鶴師匠の十八番でした。仁嬌師匠は、師匠の口伝に忠実。随所に仁鶴師匠を彷彿とさせ、そこにご自身の工夫も織り込まれ、さらに一昔前のほのぼのとした人間の様子を感じさせ、聞いているだけで何かホンワカ、登場人物が全員可愛い秀作。随所に盛り込まれたクスグリが狙い済ましたように笑いを誘って極め付きはサゲ前の困り果てた番頭と「上手くいった。もう一押し」とほくそえむ友人、そして、笑いを押し殺して悶絶する主人公、やけになった番頭が言う言葉と返答がサゲとなる半時間弱の秀作でありました。
 この噺の原話は、徳川第八代吉宗公の時代の笑話本「軽口瓢金苗」の一遍「算用合て銭たらず」。さらに人形浄瑠璃の「菅原伝授手習鑑」や「義経千本桜」の初演もこの頃だそうです。昔のサゲは意味が通じなくなったので、今のサゲに米朝師匠が作り変えられたそうでして、元々は、「これがほんまの壷算用や」で、坪算用、大工が坪数を見積もり損なうことから、上方では勘違いの意味だそうですが、今となっては「さっぱり判らん猫の糞」ですね。一荷とは「天秤棒(上方では朸(おぉこ))の両端につけて、ひとりの肩に担える分量(『三省堂大辞林』)」で、それだけの水が入る壷のことです。諸説有りますが、安く買おうとした二荷入りの壷には1.8㍑のペットボトルが25~40本の水が入ります。

 中入り後は、六代桂文枝一門の三番弟子・桂三歩師匠。この師匠、いつも通り満面の笑みで楽屋入り。この笑みは高座でも打ち上げでも、帰りの電車の中でも同じでした。
『三百六十五歩のマーチ』の出囃子で座布団へ座ってニッコリ。それだけで客席からは笑いが起こる。「仁嬌さんが言ってましたが、前半は笑福亭ばっかりで、その点、私は桂!。由緒正しいこの紋、人間国宝の米朝師匠と同じ紋で・・・。」ここで、シールになっている紋を外す。客席は拍手喝采。「今の朝ドラの『笑ろてんか』、実は私の所属しております吉本興業がモデルでして、多くの噺家が出演しています。遅ればせながらついに私もあの番組・・・。(出演かと思わせて)見ることにしました。」再び拍手喝采。「額に傷がありますねん(爆笑)。酔ってこけましてん(爆笑)。お医者さんへ行ったら、即、レントゲン録ります。色んな所がら録るので緊張してたら息は止めなくていいですよ胸と違います(爆笑)。先生が写真を見ながら『えらいことになってます。』と言いましてん。『歯、ほとんどおまへんで』(爆笑)。『手術怖い』と先生に言いましたら、先生が『歯を食いしばって』、歯無いちゅうねん(爆笑)。『縫って、一週間後に抜糸(抜歯)』と言われたんで『抜く歯おまへんで(爆笑)。』」と狙い済ましたような爆笑の連続。おそらく、師匠も大満足の客席の反応だったでしょう。
 「歳がいくと身体の調子が悪くなるようで・・・」と始まった本題は、師匠に当る六代桂文枝師匠の三枝時代の創作落語の『相部屋』の一席。入院した同僚を見舞いに行った男が、その後、怪我して同室に入院することになって巻き起こる爆笑編。時間を軸に現実と回想を上手くタイムスリップ、さらに、幸せと不幸が入れ替わって訪れる面白い演出。その噺を師匠からの教えを忠実に、マクラの盛り上がりから更にヒートアップした二十分の名高座でありました。兎に角、顔を見てるだけでホンワカする得な師匠です。
 なお、この噺は、六代桂文枝師匠が三枝時代の平成20年8月に初演され、平成22年12月の第304回NHK上方落語の会でもOAされました。

 如月公演のトリは上方落語界の大御所・月亭八方師匠にお忙しい中、お願いし、「恋雅亭ならよろこんで」と快諾頂きました。早くに楽屋入りされ、お弟子さんの八織(はおり)嬢を連れて元ブラ。『夫婦萬歳』の出囃子で高座へ。本日一番の拍手が起こる。「言い訳」と称して、声が出難くなっているのでお聞き苦しい。原因を、花粉症ではなく、七十の古希になったからと説明。
 お得意の世間話から、昔の金貸しの説明のマクラ。江戸時代は、百一文と言って朝、百文借りたら、当日一文の金利を付けて返す金貸し業があった。年に換算すると365%と高利。その当時はアデイーレが無かったので成り立った。つまり、十一(といち)。言っても十一の奈良漬ではありません。客席の反応を見て「これ、ここでも(恋雅亭の客層)、約半数のお客様しか判りません。神戸が本社ですよ。十一は。」十一とは十日で一割の金利、いわゆる百一文のこと。
 そして、始まった本題は『百一文』。高利貸しの因業なお爺さんが、借金の形に取り質屋に入れた大黒さんの神通力で真人間に立ち返る古典的な匂いの創作落語。噺の所々は、地に帰ってのシャレ満載、思わず身につまされるクダリや大爆笑と起伏に飛んだ面白い筋立てと師匠の話術が相まって噺が進みシャレたサゲとなりました秀作でありました。
 終演後、八方師匠から「この噺、これで二回目やねん。まだまだ、面白くなるで。ここ(恋雅亭)のお客様の反応がもの凄く参考になんねん。あんまりお涙頂戴でもダメやし、押さえるとこは押さえんと噺が薄っぺらくなるしなぁ。」と、お伺い致しました。
 この噺は、第1回岩井コスモ証券・上方落語台本大賞の優秀賞に輝いた広島哲也氏作の創作落語。

*** 「十一の奈良漬 と 神戸の一~八宮神社」 ***
 灘五郷の酒粕で作る奈良漬で有名な「十一(といち)の奈良漬」は、大正二年創業の黒田食品の看板商品で、「♪~シュッポ、シュッポ、といちの奈良漬。(駅名アナウンス風に)といち、といち、といちのならづけ」で、一時はテレビCMで有名でした。本社は七宮町に有ります。
 神戸市街地の生田神社の氏子地に「一」から「八」までの番号のついた神社があり、生田神社の裔社と呼ばれ、三柱の女神と五柱の男神が祭られており、それぞれ一宮は北野村、二宮は生田村ときに葺屋荘全体、三宮は神戸村、四宮は花隈村、五宮は奥平野村、六宮は坂本村、七宮は兵庫津北浜、八宮は坂本村で鎮守として信仰されています。場所は、一宮神社:JR三宮駅から北へ徒歩十分。加納町の交差点北西、北へ行くと異人館。二宮神社:JR三宮駅から北東へ徒歩十分。近くに二宮市場、予約が必要な「居酒屋・藤原」。三宮神社:JR・阪神元町駅から南に徒歩五分。神戸大丸の北で、西に元町通商店街。四宮神社:地下鉄県庁前から北西に徒歩三分。南が県庁、ロイヤルホスト、北が相楽園。五宮神社:市バス⑦・五宮停留所から北へ徒歩五分。西に平野祇園さん。八宮神社:地下鉄大倉山駅東南出口直ぐ東。西に神戸文化ホール、北にもっこすラーメン総本店。六宮神社:八宮神社へ合祀され、同じ所です。そして、七宮神社:JR神戸駅から南西へ徒歩十分。市バス3、10、81、82すぐ。「十一の奈良漬」の本社が有ります。