もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第473回 もとまち寄席 恋雅亭  
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 公演日時: 平成30年1月10日(水)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  笑福亭 べ 瓶  「地蔵の散髪」
  桂   三 扇  「じいちゃんホスト」
  笑福亭 鶴 二  「祝のし」
  桂   米 二  「ふぐ鍋」
    中入
  笑福亭 学 光  「荒大名の茶の湯」
  桂   文 珍  「らくだが来た」(主任)


   打ち出し 21時00分 
   三味線  入谷和女、勝 正子。
   鳴り物  林家染八。
   お手伝  桂 三ノ助、桂 三弥、桂 二豆。
 今回は、平成三十年一月第473回新春初席公演を開催させて頂きました。
十二月十一日の前売り開始後、三日で完売の前景気そのままに当日を迎えました。一般のお客様からの当日券の問合せは諦めムードか意外と少なく、新春の三連休後の十日の水曜日を迎えました。
 当日は、寒波襲来で寒く、更に折り悪く雨模様。傘を差して多くのお客様に開場まで並んで頂きました。一部のお客様の要請にて特例で整理券を配らせて頂きました。いつもならが並んで頂くお客様の為になんとか出来ないかと頭を痛め、全席指定・整理券配布・開場時間前倒しなど検討はしているのですが中々、妙案がありません。浮かんでいればもう四十年もやっているのですから実施していますが。「もっと、客のことを考え!」と、お客様から言われると辛いです。
 チラシの数は、過去最高に近い量で挟み手も、出演者の師匠連やチラシ持込の落語会関係者、そして、梅團治、三ノ助ご夫妻にもお手伝い頂き、五時ジャストから挟み込みをスタート。手際良くこなし、定刻の五時半、開場となりました。
 いつもながら並んで頂いたお客様が、一番太鼓に迎えられ、「過度な席取り厳禁、館内禁煙」の注意事項にうなずかれながら思い思いの椅子に着席。その後もお客様の出足は途切れず、着到(二番太鼓)の頃には、後方に長椅子を引いての大入満席となりました。
 初席公演のトップは、笑福亭鶴瓶一門から笑福亭べ瓶師。平成十四年入門のキャリア十五年。数々の受賞歴と三度の破門。楽屋では、「三回! 少ない少ない、内の師匠は*代目から言われたのは二十回越えてるデ・・・。」と、励ましともいたわりともとれる発言。
 初席らしい『十日戎』の出囃子に乗って、華やかな色の袴を付けて高座へ登場。まず、忘れ物の携帯電話の話題。続いて、繁昌亭初席の初日のトップで登場した時の実話で笑いを誘って、東西の気質の違いを電車の中の出来事を紹介して、「えー、今日は東西の噺家千人で演(や)るのは私だけで、『地蔵の散髪』と言うお噺を・・・。」と本題がスタート。
 べ瓶師が言うように、この噺、珍しい噺。お客様も楽屋の文珍、米二の両師匠も「えー、ヘー。」と興味津々。噺はなんともない噺なだけに、それを聴かせ満足させるには相当な力量が必要ですが、全編、内容の奇抜さとご自身のニンとがピッタリマッチした十五分の爆笑高座でありました。
 下りてきた、べ瓶師に、文珍、米二師匠らから、「演題を言わんでも判るで。」「米朝師匠はこんなサゲやったで。」と的確なアドバイス。これには、べ瓶師も「みんな、聴いてくれてたんや。嬉しいわ」と大感激でした。
 この噺は、文紅、仁鶴師匠が演じられていました。べ瓶師は、昭和五十年三月三十一日に開催された、『春の上方落語会』での桂文紅師匠の口演をABCなみはや亭でOAされたものを参考にに組み立てられたそうです。
 当席では、過去、一度口演記録があります。昭和六十一年七月の開席第百回記念公演・夜の部で笑福亭仁鶴師匠が演じられました。
 『祝のし』桂小つぶ(現:枝光)、『三人旅』笑福亭仁智、『もうひとつのニッポン』笑福亭福笑、『親子茶屋』桂春團治(故人)、中入、『悪魔のアイスクリーム』桂文珍、『地蔵の散髪』笑福亭仁鶴、『京の茶漬』桂小文枝(故人:五代目桂文枝)。

 二つ目は、六代桂文枝一門から、当席二度目の出演となります。女流・桂三扇師匠。早くから楽屋入りされチラシの挟み込みも楽しそうにこなされ、出身地にちなんだ『福知山音頭』に乗って高座へ登場。「えー、桂三扇と書いて藤原紀香と読みます。」と、ツカミの挨拶から「色々な処で落語やってます。」と、中華料理の丸テーブルの上で落語を演じたエピソードを紹介。さらに、笑うことは良いことでと続けて、夫婦の会話で客席を温めて始まった本題は、師匠(六代桂文枝)の三枝時代の創作落語『じいちゃんホスト』。ホストクラブへ行く女性と三扇師匠のイメージがオーバーラップし、完全に三扇流になっており違和感なし。ドッカンはないが、客席は不思議な安心感に包まれたように暖かい笑いが連続して起こった二十分の秀作でありました。

 三つ目は、故六代目笑福亭松鶴師匠の最後の直弟子・笑福亭鶴二師匠。末弟でも昭和六十一年入門キャリア三十一年のベテランで笑福亭の豪放磊落にプラス、舞踊の素養を生かした綺麗な高座は当席でもお馴染みで常連です。
 『独楽』の出囃子に乗って登場して、「ようこそお越し下さいまして・・・。」マクラは「落語の年齢層の幅も広がってまいりまして・・・」と、奈良のお寺で一番前に座っていた小学生とのやり取りを紹介。「落語してたら、落語絵本で確認してまんえん。それで、『喋ってる言葉が多かった』と言うから絵本とは違うねん。頭の中で想像してもらわなあかんから言葉が多いねん。と、言うたら、小学生は『無駄が多かった』」と、客席を大爆笑に巻き込む。さらに、通訳付きの落語もダメ。と、紹介して始まった本題は、『祝のし』の一席。
 この噺、三代目桂春團治師匠の十八番だったので、あまり演じ手の多くなかった噺ですが、鶴二師匠の口演は、三代目桂春團治+五代目桂文枝+笑福亭鶴二がミックスされ実に面白く全編、大爆笑の連続。下りて来られた鶴二師匠に袖で聞いておられた文珍師匠が、「懐かしいなぁ。内のおやっさんと三代目が交互に登場やなぁ。」

 中トリは、故桂米朝一門から桂米二師匠。今回も正統派上方古典落語を演じるべく、早くから楽屋入りされ楽しそうに談笑。『五郎』の出囃子で高座へ登場し、「噺家になって四十年(昭和五十一年入門)。落語会の楽しみは後の飲み会。今日も有んやそうで。京都への帰りの時間を考えて・・・。」と、実に楽しそう。さらに、「飲んだり食べたりすることは楽しいことですが、逆に食い物の恨みは恐ろしいもので。」と、毛蟹を北海道で食べた時に「一番美味しい毛蟹の味噌を後輩の文我師匠に取られた。私はサッパリした性格ですから気にしませんが・・・、覚えてます。」の爆笑マクラから、鍋の王者の「てっちり」。「鉄砲」とも言います。意味は弾に当る。たまにあたる。」と、紹介して、「おつですと言うがふぐには手を出さず。」「臆病は葱ばかり食う雪の夜。」「ふぐ食うてまだ生きているお前かな。」と、ふぐの川柳を紹介して始まった本題は『ふぐ鍋』の一席。
 
今日の演題は『ふぐ鍋』の一席。主人公の愛想の良い男の名前が大橋さん(故三代目林家染丸師匠の本名は、大橋駒次郎)なので、林家一門のコッテリ、もっちゃりした上方の匂いがプンプンする演出とも思いましたが、いつもながら引き出しの多さには脱帽で米二師匠の舌にかかるとどちらかと言うと、落ち着いた洒落た演出。さらに随所でクスグリと目線と仕草、そして、間で笑いをとられた爆笑高座は実に結構でお仲入りとなりました。

 そして、中入りカブリは笑福亭学光師匠。いつまでも愛くるしい風貌と高座は、非常に好感の持てるところは当席お馴染み。『深川くずし』の出囃子に乗って、好演を期待しての拍手に迎えられて高座へ。「えー、ありがとうございます・・・。」挨拶から、芸名の読み方の紹介。「私の師匠は、『つるこう』。実は、上方落語協会では正式には、『つるこ』と呼びます。六代目松鶴師匠もそう呼んではりました。で、私は『がっこ』が正式です。」と紹介。さらに、「この頃、主催者さんはネットで調べてはりまして、司会者の方によく訊ねられます。『がっこさん』ですか、『がっこうさん』ですかと、その時はハッキリ言います。(客席から判ったの合図の反応を待つように、一呼吸あって)『どっちでもよろしい』」。やはり当席のお客様は凄い。ここで、間の良い爆笑の反応がある。演者も楽しい瞬間でしょう。そして、「一 十 百 千 萬の健康法」の紹介。「一、一日決まったことをする。十、十人の人と会話する。百、百字書く。千、千字読む。そして、萬、万歩歩く。(一呼吸あって笑顔で)さあ、覚えてますか?」この師匠のゆったりと間を取って、ほんわかした語り口、聴いていて実に心地が良いものです。
そして、「昔の武士は長生きでして・・・。」と、始まった本題は、『荒大名の茶の湯』。この噺、講談から移植したいわゆる釈ネタで、過去当席では、講談として旭堂南鱗師匠が、落語として笑福亭学光師匠が演じられています。その噺を、あるクダリは講談調の重々しさで、あるクダリは落語調で、演じられ客席から大爆笑と、ホンワカムードを引き出して大喝采の中、お後と交代となりました。
この噺、講談の『関ヶ原合戦記』のうちの一段『福島正則の荒茶の湯』を東京で活躍中の笑福亭鶴光師匠が、上方落語に焼き直されたものです。豊臣秀吉亡き後、徳川家康の命を受けた腹心の本多正信(ほんださどのかみまさのぶ)が催す茶の湯の会に豊臣恩顧の七大名を招き徳川方へ味方するよう調略を掛けるお噺で、全編、大爆笑落語に仕上がっています。
 そして、この茶会が功を奏し、この七名全員が、徳川方となって関が原の戦いで大活躍し大大名になっています。その七大名は、①加藤清正(かとうきよまさ)・熊本城主。②福島正則(ふくしままさのり)・安芸城主。③池田輝政(いけだてるまさ)・播磨姫路城主。④浅野幸長(あさのよしなが)・豊臣秀吉に近侍。紀伊和歌山に封ぜられた。⑤黒田長政(くろだながまさ)・黒田孝高(官兵衛)の子。筑前城主。⑥加藤嘉明(かとうよしあきら)・会津城主。⑦細川忠興(ほそかわただおき)・小倉城主。奥方は細川ガラシャ。
豊臣秀吉の出世街道には、幾つかの要所がありますが、織田信長の家臣のライバル柴田勝家との「賤ヶ岳の戦い」が天下人を決めた戦いといえ、そこで功績のあった七名を「賤ヶ岳の七本槍」と言われています。茶会に招かれた加藤清正、福島正則、加藤嘉明の三名が該当します。

 当席・新春初席のトリは大変お忙しい中、桂文珍師匠にお願いし、二つ返事でご出演を頂きました。開演の六時半には既に楽屋入りされ、トップのべ瓶師から高座袖に腰を掛けられ噺を聴かれる。落語が好きで好きで堪らない師匠であります。『円馬囃子』の重厚な出囃子に乗って高座へ。まずは、見台・膝隠しの位置を「かんしょやみでんねん」と言いながら微調整。かんしょやみとは燗症病みと書き神経質、潔癖症などのことだが客席はこの一言で大爆笑に包まれる。さらに、「伸び盛りの方が高座を盛り上げて頂いておりましてありがたい限りで・・・。先ほどの鶴二君には薬をお茶に混ぜて飲ましたんですが返って元気になりまして・・・」と、カヌードーピング事件を取り上げると客席は又もや大爆笑。次々に繰り出せれるマクラに大爆笑の客席。さらに、次の話題・・・。又もや大爆笑。そして始まった本題は、古典落語の名作『らくだ』をモチーフとした創作落語『らくだが来た』。内容は百聞は一見にしかず。今年の初席も大いに盛り上がってお開きとなりました。
正月らしく、『しころ』の送り囃子に乗って、笑顔一杯に満足げに会場を後にされる多くのお客様をお見送り致しました。
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 文珍師匠の出囃子の『円馬囃子』は三代目三遊亭円馬師匠が三味線の素養を生かして天神祭のお囃子を参考に作曲をされたとされています。この師匠は生粋の上方噺家ですが、大阪弁、京都弁、江戸弁を巧みに使い分けることが出来、東西を通して名人と言われた師匠。又、上方落語の多くを東京落語に移植されました。さらに昭和の名人と称された八代目桂文楽、四代目柳家小さん、三代目三遊亭金馬、六代目三遊亭円生といった師匠連にも稽古を付けておられます