もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第472回 もとまち寄席 恋雅亭  
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 公演日時: 平成29年12月10日(日)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  桂   三 語  「手水廻し」
  桂   福 矢  「天災」
  桂   宗 助  「釜猫」
  桂   福 楽  「狼講釈」
    中入
  林家  うさぎ  「みかん屋」
  笑福亭 鶴 志  「徳兵衛炬燵」(主任)


   打ち出し 21時00分 
   三味線  勝 正子。  
   鳴り物  桂 紋四郎。
   お手伝  桂 三ノ助。
 今回は、平成二十九年十二月第472回師走公演を開催させて頂きました。
十一月十一日の前売り開始後、前売り券も着実に売れて、師走の十日の日曜日を迎えました。
十二月の神戸ルミナリエ開催中で人通りの多い元町本通り。お客様の出足はいつも通りで、開場前から元ブラを楽しまれている通行人の注目を受けながら列は長くなっていきました。
 チラシの数はいつも通り。今日は挟み手は、出演者の福楽・宗助・三語師匠、手伝いの三ノ助師匠にもお手伝い頂き、五時ジャストから挟み込みをスタート。手際良くこなし、定刻の五時半、開場となりました。
 いつもながら並んで頂いたお客様が、一番太鼓に迎えられ、「過度な席取り厳禁、館内禁煙」の注意事項にうなずかれながら思い思いの椅子に着席。その後もお客様の出足は途切れず、着到(二番太鼓)の頃には、空席も殆どない大入満席となりました。

 その公演のトップは、六代桂文枝一門の十七番弟子の桂三語師。一昨年の『上方落語若手噺家グランプリ』のファイナリスト。平成二十一年入門のキャリア八年で当席初出演となりました。『石段』の出囃子で高座へ登場し、初出演の嬉しさから、ルミナリエなので早く来た時の神戸っ子との実話談をマクラに今では、ちょっと判り難くなった「手水を廻す」の意味の説明をネタがチョンバレになってしまうからか、詳しくせずに始まった本題は『手水廻し』の一席。
当席でも口演回数の多いお馴染みの噺だが、マクラの勢いそのままに若さ一杯で演じられ、
さらに、自身の工夫も相まって客席は大爆笑の連続。前座の持ち時間の十五分で客席を暖めた三語の熱演でありました。

 この噺、純上方噺で、通して演じる場合は『貝野村』。船場の若旦那と相思相愛になったのは、丹波の貝野村の庄屋さんの娘。貝野村で入り婿の式を挙げての、翌朝、景色がエエので、庭を眺めながら庭先で手水を使おうと、女中さんを呼びまして、「ここへ手水を廻してくれ」と後半へつながる。ここからが『手水廻し』で『貝野村』の後半部分を独立させた噺。
 小生は明治生まれの祖父母が「朝、起きたらすぐ手水使えよ」よく使っていたので判りますが、手水という言葉は今や死語となりました。ものの本によると、手水とは、①手や顔などを水で洗うこと。②社寺に参拝する前などに、手や口を水で清めること。③清めるために使う水のこと「―を使う」。④用便のあと手を洗うところから、便所へ行くこと。⑤そのものズバリで小便のこと。「―をさせて子供を寝かす」⑥便所のこと。「―に行く」。と、色々な使われ方をしていたようです。
 音の変化は手水(テミヅ → テウヅ → チョーズ)となったそうです。

 二つ目は、桂福團治一門から桂福矢師匠。当席常連の平成六年入門【桂米紫、桂三若、桂春蝶、桂文鹿、桂かい枝、桂三金、林家菊丸、桂吉弥】九人衆の一人で、ちょっと江戸の匂いのする小粋な噺家さんです。
『楽隊』の出囃子で登場してのマクラは東西での食文化の違い。天ぷらそばは、関東では天ぷらのしゃきしゃき感を味わうため、天ぷらは別の皿で出てくる。関西は天ぷらに出汁を吸わすだけ吸わして食べると紹介して、始まった本題は、『天災』の一席。この噺、上方では桂ざこば師匠から多くの若手に伝わっています。飛び込む隠居の名前が中川さん(米朝師匠の本名)であれば間違い有りません。発端から、江戸前を思わせる小気味の良い会話で噺がスタート。サゲまでペースダウンすることなくハイテンションのまま、サゲとなった秀作でありました。
 ここでは心学の先生が登場します。心学とは江戸の享保年間の儒教・仏教・神道の三教を融合させた庶民教育思想だそうです。

 三つ目は、故桂米朝師匠の最後の直弟子・桂宗助師匠。末弟でも、昭和六十三年入門キャリア二十九年のベテランで、準備も万全で『月の巻』の出囃子で、米朝師匠とそっくりに高座へ。
拍手が鳴り止むのを待って、「ただ今、拍手を頂いたお客様に限り厚く御礼申し上げます。落語と落語に挟まれまして、(一呼吸あって)落語でございまして・・・。」との挨拶から、マクラは花柳界・色街の話題。若い頃、米朝師匠に連れていってもらった時の、呼んだ芸者さんの三名の年齢が二百を超えていたなどなど。「色街の噺には道楽者の若旦那が登場いたします・・・。」と、始まった本題は、上方落語の珍品・当席でも初の口演となります『釜猫』の一席。
発端から前半の舞台は商家。目線で間取りなどが頭の中に浮かぶ見事な高座。若旦那と床屋の磯七の便所でのやり取りから妙案が浮かんだのだが、見事に親旦那にチョンバレでシッペ返しを食らう羽目に。そして、後半の華やかなお茶屋へと、場面転換も見事。すっかり宗助流の噺に仕上がった秀作。面白い筋立てに客席の反応も最高で、サゲを迎えた二十分の熱演でありました。

お茶屋の二階に釜を持ち込む時のお囃子は『桑名の殿様』。
ヤッ、ヤットコセェのキッカケに、♪エェ~エ、ヨォ~イトナァ~、桑名の殿様、時雨(しぐれ・時雨蛤)で茶茶(ちゃちゃ)漬け、ヨォ~イ~トナァ、アーレワ アリャリャンリャン ヨイトコ ヨイトコナー。と、実に軽快な囃子で、『小倉船』や:::のハメモノや、東京の九代目桂文楽師匠の出囃子となっています。
サゲの猫糞(ねこばば)とは、拾得物を密かに自分の物にしてしまうことですが、猫が糞をしたあと砂で隠すことが語源だそうです。

 中トリは、桂福團治一門の総領弟子・桂福楽師匠に十年ぶりのご出演を頂きました。昭和五十四年に四代目桂福團治師匠に入門、桂小福。平成十六年に桂福楽を襲名され、当席でも、四月に記念公演を開催致しました。早くから楽屋入りされ、楽しく談笑。『ずんどこ』の出囃子で高座へ登場され、「千三屋(せんみつや)」は、嘘を付く人、千のうち三つしか本当のことを言わない。鉄砲とも言った。昔の鉄砲は性能が悪く当たらなかったから、と本日の演題のサゲに影響するキーをマクラにして、始まった本題は、『狼講釈』の一席。
この噺、非常に珍しい噺で当席では、現森乃福郎、露の新治の両師匠と、これで三度目の口演となります。福楽師匠は新治師匠からの直伝だそうです。大阪を不義理で飛び出し、講釈師だと嘘を言ってご馳走になり逃げ出した男が、山で狼の群れに囲まれ、講釈をやるなら命を助けると言われ『難波戦記』の抜き読みを始めたが、途中からむちゃくちゃになる。気が付くと、狼は一匹もいなくなり、噺家は無事に山を越える。狼たちは悔しがって「偽講釈師をなぜ食わへん」「あれは猟師や仰山鉄砲を放しよった」とサゲになります。
発端からサゲまで、師匠もノリノリで爆笑の連続で、途中、ご陽気に『韋駄天』の出囃子が入ったり、サゲ前の講釈の部分で、『くっしゃみ講釈』でも登場する『難波戦記』から、「石松・三十石船」「父は元京都ぉの産にして・・」と、落語『延陽伯』、会津小鉄(あいづのこてつ)、紀伊国屋文左衛門、・・・水戸黄門と続々と飛び出す熱演に客席から拍手も起こった半時間の好演でありました。
 『難波戦記』では、武士の出で立ち(身なり)の紹介があります。
縅(おどし)=鎧(よろい)の札(さね)を革や糸でつづり合わせたもの。籠手(こて)=肩先から腕を防御するもの。臑当て(すねあて)=鉄か皮で出来た臑に当てるもの。前立物=兜(かぶと)の立物(たてもの)のうち前面に付けられたもので、個性豊かな鍬形(くわがた)などを指します。錣(しころ)=兜・頭巾の左右・後方に下げて首筋をおおう部分。金覆輪(きんぷくりん)=刀や鞍などの縁飾りの覆輪に金または金色の金属を用いたもの。鉄撮棒(かなさいぼう)=六角・八角などに削った棒に鉄の鋲(びよう)を打ち、鉄輪(かなわ)をはめ、上下に石突きを入れた敵を打ち倒す武器。

 中入り後は、林家染丸一門から林家うさぎ師匠にご登場頂きました。芸名にちなんだ『うさぎのダンス』の出囃子で高座へ登場し、自らのちょっと洋的な顔立ちと国際結婚していることをネタに大爆笑のマクラがスタート。そして、始まった本題は、『みかん屋』の一席。
『釜猫』、『狼講釈』と珍しい噺が続いた後なので、楽屋では酒の噺でもと思っておられた様子だったが、トリの鶴志師匠は笑福亭のお家芸の酒の噺と判断されたのか、中入り後に相応しい噺となりました。うさぎ師匠の出番に合わせたネタのチョイスと、幅広いネタ数と、登場人物全てが師匠と同じく良い人、林家伝統のもっちゃりを残しながら力を抜いて聴ける高座にはいつも感心させられます。本題も発端からサゲまで実に見事で、基本に忠実に抜くクダリも、はしょるクダリもなく、それでいてダラダラ感も感じさせない。主人公を元気良くアホ丸出しで、それを温かく見守る多くの登場人物を個性豊に演じられた二十分の秀作でありました。

 この『みかん屋』は、大正初年に四代目柳家小さん師匠が東京に移植され、後に売り物を唐茄子に変え演じられていました。その後、江戸の人情噺に『唐茄子屋政談』があったので、紛らわしいので、『かぼちゃ屋』として演じられています。

 十二月師走公演のトリは、笑福亭松鶴一門で上方落語界の重鎮・笑福亭鶴志師匠にお願い致しました。鶴志師匠、昭和四十九年に入門でキャリア四十三年。上方落語界の武闘派を思わせる巨漢と風貌ですが、笑顔が可愛いくて優しい師匠で、楽屋入りしてからもニコニコモード。うさぎ師匠が高座へ登場されると巨体を揺すって着替えスタート、白い衿の赤の長襦袢に重ね衿、黒紋付に大きな赤の羽織の紐と高座栄えする衣装で準備OK。『鞍馬』の出囃子に乗って豪快に高座へ。小拍子をピシッと叩いて、「私、もう一席でお開きでございまして・・・。」との挨拶から、「時間が経つのが早い。」「来年は師匠(六代目松鶴)の三十三回忌。」から、入門当時の思い出話から、当時の上方落語界の酒癖の悪い師匠として、先代文我、先代春蝶、先代小染の三師匠のエピソードを紹介して始まった本題は、『徳兵衛炬燵』の一席。
 前半は、主人公の徳兵衛と番頭さんとの会話。徐々に酔ってくる徳兵衛を目線と仕草、そして、言葉で見事に表現され、やや地味な噺をダレなく見事に演じられる。サゲ前はトントンと進め、半時間の好演に客席からは本日一番の拍手が巻き起こりました。
 この噺、現在の朝ドラの「わろてんか」の月の井団吾師匠のモデルの初代桂春團治師匠のSPにも、『按摩炬燵』として残っています。元々は主人公は、盲人の按摩でしたが、二代目桂春團治師匠は、「ABC春團治十三夜」の中では眼の見える徳さんとして演じられています。鶴志師匠はこの演出が土台になっているそうです。徳さんに「旦那はんと碁を二番打って・・・」と語らせる演出となっています。
 この噺に登場する炬燵は、今でもある畳床に置いた枠組みの中の熱源を外側の布団で覆って局所的に暖かくなる暖房器具。熱源は、現在の電気ではなく、木炭、豆炭、練炭。小生の小さい頃は寒いと、婆ちゃんが、湯湯婆(ゆたんぽ)を布団に入れてくれました。あれは最初は熱いですが、すぐに冷たくなりました。でも、その頃はそれで充分でした。今は随分贅沢になりました。
 余談ですが、今日は感じませんでしたがよく考えると、『天災』を除いて、「上方落語伝統?」の小便・大便・便所が、ちょっとずつ登場しましたね。