もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第471回 もとまち寄席 恋雅亭  
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 公演日時: 平成29年11月10日(金)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  林家  染 吉  「時うどん」
  桂   吉 坊  「初音の鼓」
  桂   文 華  「近日息子」
  桂   枝三郎  「擬宝殊」
    中入
  笑福亭 純 瓶  「平の陰」
  桂   きん枝  「一文笛」(主任)


   打ち出し 21時10分 
   三味線  勝 正子。  
   鳴り物  桂 三実。
   お手伝  桂 三ノ助、桂 小きん、桂 枝之進。
 今回は、平成二十九年十一月第471回霜月公演を開催させて頂きました。
十月十一日の前売り開始後、前売り券も着実に売れて、秋晴れの週末の金曜日を迎えました。
お客様の出足はいつも通りで、開場前から元ブラを楽しまれている通行人の注目を受けながら列は長くなっていきました。
 チラシの数もいつも以上で、五時ジャストから挟み込みをスタート。多くの方に応援を頂き、手際良くこなし、定刻の五時半、開場となりました。
 いつもながら並んで頂いたお客様が、一番太鼓に迎えられ、「過度な席取り厳禁、館内禁煙」の注意事項にうなずかれながら思い思いの椅子に着席。その後もお客様の出足は途切れず、着到(二番太鼓)の頃には、後方に若干、空席を残して満席となりました。

 その公演のトップは、林家染丸一門の十二番弟子の林家染吉師。平成十九年入門のキャリア十年で、当席初出演。楽屋入りされてからも緊張の連続で、開演の二番太鼓から『石段』の出囃子で高座へ登場。
あいさつから嬉しさ全開で、身近に起こった爆笑マクラ、「京阪電車社内勘違い」、「チャイムは肘で」。
始まった本題は、前座噺の定番と思われがちだが、意外と演じられていなかった『時うどん』の一席。
発端からサゲまで、基本に忠実にキッチリと演じられた十五分。緊張・興奮・歓喜の感じさせる熱演で、前座からエエムードの十一月公演のスタートとなりました。その染吉師匠の緊張の度合いは後で登場される師匠連によって、美味しいツカミにされていました。

***** 時うどんと時そば、そして、時刻・貨幣価値について *****
 『時うどん』は、享保時代の笑話が原話で、東京へは明治時代に三代目柳家小さん師匠によって移植され、趣向を変えて『時そば』として演じられる有名な噺となっています。大きな違いは、『時そば』が、単独犯の模倣・愉快犯に対して、『時うどん』は、実施者の前日の借りを返すという深い?動機がある処ではないでしょうか。今は、東西の垣根も低くなり演者の工夫で混合型が存在しています。
 どちらにしても、この噺、昔の時刻の数え方の説明が丁寧だとクドいし、簡単だと理解しにくい。
ある程度、理解出来なければ面白くないとの要素が有ります。
現在は一日を二十四等分していますが、昔は、日の出から日の入りまで、日の入りから日の出までをそれぞれ六等分しており、季節によって長さに差が生じています。春秋の彼岸が昼夜の長さが同じとなります。
うどん代の十六文は、江戸時代は一両が四千文でしたので、一両を四万円とすると、百六十円となります。よって、三十円誤魔化したことになります。

 二つ目は、故桂吉朝一門から桂吉坊師匠。暫くご出演がありませんでしたが、吉坊ファンのリクエストにお応えして本年三月の第463回公演についでの出演となりました。
上方唄『はっはくどき』の出囃子で高座へ登場。座布団に座ってお辞儀。実にきれいで、絵になる師匠であります。
マクラは、当席での吉朝師匠の想い出話から鑑定に纏わる話題。そして、始まった本題は、当席では演じられるのが二度目となります、『初音の鼓』。殿様とお付きの三太夫といつも胡散臭いものを売りつける商人の吉兵衛が、「逸品?初音の鼓」をめぐって繰り広げる騙し合い。本物なら「ポン」と調べると傍らにいる者に狐が乗り移って「コン」と鳴くはずと三太夫を袖の下で誘惑して殿様の前に。見事騙したと思ったら今度は殿様が「コン」と鳴く。どちらが騙されたかはサゲが証明することになる江戸落語の秀作。別名を『ぽんこん』。
立川談志師匠からの口伝に忠実に、ご自身の工夫も入れられ、通を唸ならすような、鼓をしらべる時のかけ声も本格的。演じられた熱演は悪かろうはずもなく客席からは勿論、大きな笑いと拍手が巻き起こった二十分でありました。
 『初音の鼓』という演題の落語は二種類あり、今回、吉坊師匠が演じられたのが、通称を『ぽんこん』、もう一つが、今では殆ど演じられなくなった『継信(つぎのぶ)』です。この噺は、義経四天王が判らないとサゲが判り難く演じ手が少なくなってしまったのでしょうか。義経四天王とは、皆様ご存知の武蔵坊弁慶。伊勢義盛、そして、『猫の忠信』に登場する佐藤忠信、佐藤継信兄弟です。

 三つ目は、故五代目桂文枝一門から桂文華師匠に昨年二月の開席450回記念公演【演題は『八五郎坊主』】以来の出演を頂きました。楽屋でもニコニコモード。そのムードそのままに『千金丹』の出囃子に乗って高座へ登場。マクラもそこそこに始まった本題は『近日息子』。
この噺、二代目春団治師匠らの十八番で、現在でも多くの演者がいる上方落語屈指のパワー溢れる爆笑落語で、ちょっと抜けているようで妙に理屈の通っているおかしな息子とその父親、そして、その父が死んだと勘違いに行くことになる近所の住人が巻き起こす、何のことのない他愛のないストーリーですが演者のまるで血管が切れそうな熱演が爆笑を誘う噺。文華師匠も発端からパワー全開で、高座から汗と唾が飛び散るほどの熱演ですから面白くないわけがありません。全編、外す処もなく、頭の中に情景が浮かぶ、笑いが絶えなかった、客席も笑い疲れた二十二分の熱演の高座でお後と交代となりました。

***** 二代目桂 春團治 十三夜 *****
『近日息子』は、朝日放送ラジオ開局記念として昭和二十六年の十一月十三日から始まった、「二代目桂春団治十三夜」の十三夜の口演が有名で、現在、この型が主流となっています。この音源は録音技術の進歩で可能になった録音テープで録音された日本最古ライブ録音とされ、現在、CD・OAで聴く事が出来ます。
 『あみだ池』第一夜。『猫の災難』第二夜。『欠』第三夜。『壷算』第四夜『打飼盗人』第五夜。『祝のし』第六夜。『豆屋』第七夜。『欠』第八夜。『二番煎じ』第九夜。『欠』第十夜。『按摩のこたつ』第十一夜。『青菜』第十二夜。『近日息子』第十三夜。
 残念ながら『いかけ屋』、『黄金の大黒』、『ろくろ首』は、テープが残っていないそうで、以前、その事情をお亡くなりになられた五郎兵衛師匠に伺ったことがあります。
「あのテープぁ。何本か欠けてるやろ。実はお父っさんの追善公演を戎橋松竹でやった時に会場で流すために、朝日さんから借りたんや。それがどっかへ・・・。残念やけど、もう出てけえへんやろなぁ。」実に残念なことであります。

 中トリは、六代桂文枝一門の知恵袋・桂枝三郎師匠に久々ご登場願います。
今回はお弟子さんの桂枝之進師を連れての楽屋入り。いきなり、楽屋は枝三郎ワールドに。
『二上り中の舞』の出囃子で高座へ登場すると、今度は客席が枝三郎ワールドに。なんでもない会話のようで、本題までの流れを計算されたマクラで、客席のムードを変え、変わったのを確認するように始まった本題は、当席では初、上方でも師匠以外に演じ手のない珍品、『擬宝殊(ぎぼし)』がスタート。
 発端は、若旦那が寝込み原因を出入りの熊五郎が聞きだすとのお馴染みのパターン。熊五郎のセリフで、『崇徳院』、『千両みかん』でないことをネタバラシすると客席から大爆笑、さらに、マニア向けに『宇治の柴舟』まで。原因は天王寺五重塔の宝殊を舐めたいと判り、病気は遺伝と両親や親戚まで好き。天王寺へ金銭で掛け合うと「忖度」、さらに、「モリ・カケ」も登場し爆笑の連続。無事、大願成就でサゲ。演じ手の少ない噺は、「判り難い・面白くない・演じて疲れる」との理由で敬遠されぎですが、発端から「判り易い・面白い・演じるのが楽しそう」の好演は、師匠曰く「まだまだ発展途上、益々面白くなるで」とのコメントでありました。

***** 擬宝殊と四天王、そして、緑青 *****
 平成十六年に上方落語『天王寺詣り』でもお馴染みの、大阪四天王寺の五重塔が聖徳太子没後千四百年の事業としての耐震工事が完了しました。
その五重塔の頂上の銅製の装飾物が相輪と呼ばれ、上から宝珠(ほうじゅ)、竜舎(りゅうしゃ)、水煙(すいえん)、九輪(くりん)で構成されています。この噺の若旦那はこの天辺の宝珠をなめたいと病気になります。
擬宝殊は、主要な柱が雨水からの腐食を抑える役目として、柱の上部に取り付けられた物を言い、胴や青銅の金属製である場合が多く存在します。
名前の由来は、お釈迦様の骨壷の形とされる宝珠、これを模倣したの擬宝殊。また、ネギの独特の臭気が魔除けになる為、その形に似せたとされ、擬宝殊は葱帽子、葱坊主の当て字説などがあるそうです。
 この噺は、江戸時代の『かなもの』が原話とされ、明治初期の「寄席の四天王」の一人、初代三遊亭円遊師匠の速記が残っていますが、長らく演じ手が無く埋もれていた噺で、東京の柳家喬太郎師匠が復活口演されています。
※「寄席四天王」とは、明治時代に珍芸で寄席で絶大な人気のあった、ステテコ踊りの初代三遊亭円遊、ラッパの音曲師・四代目橘家円太郎、郭巨(かつきよ)の釜掘り踊りの四代目立川談志、ヘラヘラ踊りの三遊亭万橘の四師匠を指します。
※「四天王」とは仏教を守護する四つの神で、東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天(毘沙門天)のことで、日本でも古くから信仰され、聖徳太子が戦いに際して、この四天王に祈願して勝利を得たことに感謝して建立したのが四天王寺とされています。
 サゲに関係する、緑青(ろくしょう)は、正式名は「塩基性炭酸銅(Ⅱ)」と言い、銅の表面に出来る緑色の錆で、鉄錆とは違い、内部の腐食を防ぐ効果があり、ブロンズ像は、緑青の皮膜で長期間原型を留めることを可能としています。一部には猛毒と言われていましたが、最近の研究ではそうでもないらしく、若旦那が舐めても大丈夫。

 中入り後は、笑福亭鶴瓶一門から「純ちゃん」こと、笑福亭純瓶師匠にご登場頂きます。
今回も昨年五月以来の当席常連として、『梅ケ枝』の出囃子に乗って、いかにも噺家らしい、風貌、体型、そして、満面の笑みで登場。この師匠が高座に上がるとパッと高座が明るくなる。得なタイプ。
この出囃子の『梅ケ枝』は小唄で、♪~梅ヶ枝の手水鉢、叩いてお金が出るならば、もしもチャッコラチャッと出たときは、その時ゃ身請けをそれ頼む。
 マクラは、鶴瓶師匠の話題。大いに笑いを誘って始まった本題は『平の陰』。演題が判り難くく、サゲにつながるので『無筆の手紙』として演じられることが多い。この噺はやはり、笑福亭系の噺で、四代目笑福亭松鶴師匠のレコードが残っていますし、六代目松鶴師匠も当席で、昭和五十五年九月の第三十回公演で演じられています。来席ご出演の笑福亭鶴志師匠も十八番とされていますが、「この噺を演(や)ると、師匠(松鶴)に怒られているように思います。師匠は楽しんで演(や)ってはった」と語られます。
その噺、孫弟子に当たる純瓶師匠、楽しむ様に演じるとの伝統を色濃く残して、ご自身の工夫も満載な二十分の熱演でありました。

 十一月公演のトリは、上方落語協会の重鎮・副会長で、師匠の小文枝の四代目の襲名も決まり落語道を邁進中の桂きん枝師匠にお願い致しました。
『相川』の出囃子で登場し、まずは、「噺家はええ商売・・・。人数が増え過ぎた・・・。繁昌亭だけでは・・・。」と、つないで来年杮落としとなります、『新開地・喜楽館』の話題へ。きん枝師匠は総責任者の重責とあって細かく説明される。そして、噺家と同様に元手要らずの商売?として盗人を紹介し、『一文笛』が始まる。
 この噺、米朝師匠作の噺として有名で、発端から流れるような筋立てで、サゲの見事さと実に良く出来た噺。しかし、筋立てがちょっとお涙頂戴の悲劇の要素があるので、人情噺風に演じるとサゲで笑えない難しい噺。当たり前だが作者の米朝師匠の口演は、落語本来の笑いを根本として演じられておられるので、サゲで大爆笑が巻き起こるのでしょう。
その米朝師匠をベースに、基本に忠実にきん枝師匠の熱演は、モレなく、カブリなく、湿っぽくならずに、サゲで大きな笑いが巻き起こった、マクラ込みで五十分の熱演でありました。
「ギッチョ」とは、サウスポー、左利きのことで、左手を器用に使うので左器用。(ひだりきよう)から(ひだりぎっちょ)。ちなみに不器用は、(ぶきよう)から(ぶきっちょ)。との説が有力ですが、諸説有ります。