もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第470回 もとまち寄席 恋雅亭  
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 公演日時: 平成29年10月10日(火)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  桂   そうば  「あわての使者」
  桂   三ノ助  「東灘名所巡り(木南喬章 作)」
  笑福亭 銀 瓶  「ちはやふる 」
  桂   小春團治 「コールセンター問答」
    中入
  笑福亭 伯 枝  「木津の勘助」
  桂   南 光  「化物使い」(主任)


   打ち出し 21時00分 
   三味線  入谷和女、勝 正子。  
   鳴り物  桂 紋四郎。
   お手伝  桂 三ノ助、笑福亭呂翔、ささき千華。
 今回は、平成二十九年十月第470回公演を開催させて頂きました。
九月十一日の前売り開始後、約一週間で完売し、ちょっと暑い位の秋晴れの三連休後の火曜日を迎えました。
お客様の出足はいつも以上で、開場前から元ブラを楽しまれている通行人の注目を受けながら列は長くなり、五時を少し回った処で、当日券も完売となりました。
 チラシの数もいつも以上で、五時を待たずに挟み込みをスタート。多くの方に応援を頂き、手際良くこなしましたが、その後も数種類のチラシの追加持ち込みも有り、定刻の五時半ギリギリまで実施し開場となりました。
 いつもながら並んで頂いたお客様が、一番太鼓に迎えられ、「過度な席取り厳禁、館内禁煙」の注意事項にうなずかれながら思い思いの椅子に着席。その後もお客様の出足は途切れず、着到(二番太鼓)の頃には、壁際に立ち見も発生しての大入り満席となりました。

 その公演のトップは、桂ざこば一門の六番弟子の桂そうば師。平成十七年入門のキャリア十二年。福岡県出身(福岡県出身者には団四郎・梅團治・恭瓶・よね吉・風喬・三四郎の師匠連)で、当席とは馴染み深い神戸大学落語研究会出身(出身者には團六・吉弥・竹丸の師匠連)で各地の落語会で腕を磨いている逸材です。
 早くから楽屋入りされ、楽屋整理やチラシの挟み込みをこなして、高座着に着替えられ、二挺の三味線の『石段』の出囃子に乗って元気一杯高座へ登場。あわてものとして、同門の先輩・桂わかば師匠の失敗談のマクラから始まった演題は、当席では初の口演となります、『あわての使者』。東京の『粗忽の使者』をベースに、ご自身の工夫で江戸でも上方でもない世界を見事に演出。前座としてはもったいない上出来の十五分の好演でありました。

原型の『粗忽の使者(そこつのししゃ)』の原話は江戸時代に出来上がり多くの演者の工夫によって爆笑落語として現在も演じられています。一方上方にも同じ原話からの『月並丁稚』があります。

粗忽という言葉は、上方では完全に死語で、東京でも落語の中だけにしか存在しない死語になっています。現九代目桂文楽師匠のマクラでの「若い女の子に『粗忽』って知ってる。」「知ってるわよ。」と、肩の骨を触る。すかさず、「それは鎖骨」という小噺が笑いを誘います。
『粗忽』を辞書で調べると、軽はずみなこと。そそっかしいこと。不注意でのあやまち。そそう。ぶしつけなこと。失礼なこと。などとあります。

二つ目は、六代文枝一門から桂三ノ助師匠。地元出身で当席への出席率はダントツの一番で、人懐っこい性格そのままでの高座はいつも暖かく、師匠譲りのサービス精神一杯の高座をと張り切って、『ずぼんぼ』の出囃子で高座へ。
マクラは、「神戸っ子」のアピール。生まれ育ったのは明舞。よく、「神戸出身と言うけど、神戸市役所と明石市役所とどっちが近いねん。とか、新幹線に乗るのは、新神戸駅か西明石駅か」と、突っ込まれましたとのギャグに大爆笑の客席は地元ならではの好反応。
そして、「神戸の東灘の名所を扱った落語を」と始まった本題は、『東灘名所巡り』の一席。
東灘の民話や名所が三分の落語になっている秀作。
名所を落語に仕立て、三分でサゲまで付く。サゲの都度、ドンドンと太鼓が鳴って終わりかと思うと次の落語が始まる『明石飛脚』風の演出、随所にクスグリを盛り込んだストーリー、三ノ助師匠のホンワカした高座と相まって客席は大爆笑の連続の十八分の高座でありました。

***** 東灘名所巡りについて *****
※この噺は、当席の生みの親・神戸落語界の父・楠本喬章(たかあき)氏の労作(作者名は木南喬章)で、NTTに電話をすると三分間の落語が聞けた企画落語。昭和五十一年に楠本氏が手掛けられ、阪神大震災の前年まで続いた『笑民寄席』の会場だった阪神魚崎にある東灘文化センターの倉庫から偶然に見つかったカセットテープと台本を元に三ノ助師匠が演じられることになったシリーズ落語です。
当時の若手だった、笑福亭福笑、松枝、呂鶴、松葉、仁智、林家市染(故染語楼)の師匠連による全十八席の名演でした。笑福亭福笑演・『桜守公園(現:岡本南公園)』『荒神(こうじん)山と牛供養塚』。笑福亭松枝演・『雀の松原』『石の宝殿』『綱敷天神』『六甲』。笑福亭呂鶴演・『魚屋(ととや)道』『灘の生一本』『魚崎と御影』『灘の一つ火』。笑福亭松葉演・『東灘のなんでも祭り』『踊り松と地蔵さん』。笑福亭仁智演・『岡本の梅林』『清流の道と文豪谷崎』『柿の木地蔵と白鶴美術館』。林家市染演・『浜街道と一里塚』『深江の大日さんと薬王寺(現:正寿寺)』『御影石と石切り場』。

 三つ目は、笑福亭鶴瓶一門の六番弟子の「銀ちゃん」こと、笑福亭銀瓶師匠。昭和63年入門のキャリア29年。国立明石工業高等専門学校卒業の頭脳明晰と師匠譲りの人懐っこい性格で演じられる上方落語は当席でも多くのファンも多く、今回も、軽妙な『拳の三味線』の出囃子に乗っていつも感心させられていますが、今回も着物と羽織の色のコントラストの妙、その粋な着こなしで、高座へ顔を覗かせると客席から「待ってました!」と、声が掛かり、拍手と歓声に包まれました。
第一声で、「あんなん、あり。いつ終わるかわからへん。お茶子さんなんか、ドンドンて太鼓が鳴ったんで階段を急いで下りて来てましたが、怪我でもしたら危ないでっせ」。さらに、「今日は浜村淳さんのラジオのゲスト・・・。独演会の話になりまして・・・。たまたま、前売券を持ってきてます・・・。」
と、独演会の宣伝から、銀瓶(ぎんぺい)と読んでくれない。と、笑いを誘って始まった本題は、平成23年11月10日の第399回以来の再演となります、『ちはやふる』の一席。
銀瓶十八番の噺で全編、基本を忠実に守って、随所に新工夫が満載の噺が進展する。発端からサゲまで珍解釈の一言一言に客席は波を打つように爆笑に包まれ、ありがたいことに当席はホームグランドと思っておられるらしく、リラックスムード。高座を楽しまれるような好演は二十分。お後と交代となりました。
*****    『日本三廓』と『拳の三味線』    *****
 ここでの日本の三廓とは、江戸の吉原(東京都台東区浅草北部)、京の島原(京都市下京区西新屋敷)、大阪の新町(大阪市西区中央部)のことで、神戸の福原は入っていません。
「ちはやぶる、かみよもきかず、たつたがわ、からくれないに、みずくぐるとは。」の詩の意味を要約すると、千早振る(神の枕詞)、神代(神武天皇以前)にも、こんな不思議があったとは聞いていない。竜田川(奈良県の紅葉の名所)の水を、紅の美しい(唐紅)絞り染め(水くぐる)にするなどということは、となります。作者は平安時代の歌人で美男の代表と称された在原業平(ありわらのなりひら)朝臣です。

※銀瓶師匠の出囃子は、鶴瓶師匠も使われていましたし、古くは、上方漫才界の巨人・中田ダイマル・ラケット先生の出囃子でした。
神戸の福原は日本三廓には入っていませんが、その福原の直ぐ西の通りが新開地です。来年には『新開地喜楽館』という落語の寄席が出来ます。その北東に『神戸松竹座』という演芸場がありました。昭和三十四年開館、昭和五十一年閉館と考えると十七年という短い間でした。ダイラケ先生は、吉本興業へ移籍された昭和四十五年まで出演されていました。
小生は家が近かったので、小学生時代によく、祖父に連れて行ってもらいました。その当時は松鶴師匠も春團治師匠もご出演されていましたが記憶はありませんが、ダイラケ先生が、檜舞台の床を靴下でドンドンと踏みならして、この『拳の三味線』に乗って登場され、その漫才でお腹が痛くなる程、笑ったことは妙に覚えています。

中トリは、故桂春團治一門から桂小春團治師匠。
前名の小春から当席でのお披露目を開催したのは十八年前の五月。以来、全世界で切り口鋭い
小春團治落語を演じておられます。『小春團治囃子』の出囃子で高座へ登場し、「話のかみ合わない会話はよくありまして・・・。」と、二人の阪神ファンの会話で笑いを誘って、「これが、さらに電話での話となると・・・。」と、始まった演題は、『コールセンター問答(作・森笠佑馬、脚色・桂小春團治)』。
日常にどこにでもあるような、故障?した電化製品の説明書を元に電話で問合せたコールセンターの会話、たらい回しされキレる主人公、待ち時間の音を三味線で聞かせると、師匠の狙った演出・筋立てが見事に決まって客席は爆笑の連続。爆笑のうちに、「お~仲~入~り」となりました。

 中入り後は、故笑福亭松鶴一門の笑福亭伯枝師匠にご登場頂きます。
いかにも噺家らしい、風貌と体型の師匠。今回も当席常連としていつも期待を裏切らない爆笑高座をお楽しみにと、ご紹介しましたが、『白妙』の出囃子で登場し、「決して、おつとめが始まるのではありません」。この一言で客席は「伯枝ワールド」へ突入。
マクラもそこそこに始まった本題は、『木津の勘助』。
大多数の人が大好きな、弱きを助け、強きをくじき、義のためには命を惜しまない・浪花侠客伝です。元々、講談ネタだったのを口伝されたと推測していますが、筋を聞かす地噺ではお客さんがダレるので、笑いの要素をプラスした秀作です。さらに、多くのお客様の頭の中にある豪快な勘助の風貌が伯枝師匠とオーバーラップし、最後まで「伯枝ワールド」は継続しお後と交代となりました。

主人公の木津勘助(きづのかんすけ)は、実在の人物。最初は豊臣秀吉に仕え、堤防工事や新田開発に尽力し、この噺にも紹介されましたが、寛永十六年の近畿一円の冷害による大飢饉では私財を投げ打っても足らず、ついに「お蔵破り」をし、流罪と死刑の罪となりました。流罪の先は、葦島(現在の大正区)と目と鼻の先。死刑執行は四十年後と人情味溢れるお裁きでした。
また、住まいのあった大阪市浪速区大国近辺【JR環状線今宮駅】は、最近まで木津勘助町と呼ばれていました。

 十月公演のトリは、上方落語界の重鎮の桂南光師匠にお願い致しました。
昭和四十五年に、故桂枝雀師匠に入門。キャリア四十七年。今や米朝事務所の常務取締役の重役ですが、いつまでも入門当初からの愛称「べかちゃん」がピッタリな若々しい、やさしい師匠。
今回も早くから楽屋入りされ、ニコニコムード。『猩々くずし』の出囃子で登場し、NHKの朝ドラの『わろてんか』への噺家としての出演秘話で笑いを誘って、高齢者の自分と一歩手前の奥様との日常会話や京阪電車内での出来事でさらに笑いを拡大させ始まった本題は、十八番の『化物使い』の一席。
江戸落語として、多くの演じ手がいる噺で、人使いの荒い旦那さんとその言いつけを何でもこなす奉公人が主人公。その奉公人は大の怖がりで、化物屋敷と聞いてお暇を頂く。その夜、登場する化物を使いこなす旦那さんだけ、南光師匠は旦那さんを大工さんへ奉公人を奥さんに置き換えて上方風の筋立てとなっています。
難しい噺で、化物とのやり取りがくどいと嫌味になりますし、軽いと薄味になってしまいます。そのあたりのさじ加減が実に見事。マクラからサゲまでの三十五分。笑いが絶えることのなかった秀作でありました。
この噺の当席初演は、平成七年・第203回公演で、演者は笑福亭鶴瓶師匠でありました。