もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第468回 もとまち寄席 恋雅亭  
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 公演日時: 平成29年8月10日(木)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  桂   鯛 蔵  「強情灸」
  桂   壱之輔  「青い瞳をした会長さん」
  笑福亭 生 喬  「須磨の浦風&寄席の踊り(奴さん)」
  桂   米團治  「胴乱の幸助」
    中入
  林家  小 染  「応挙の幽霊」
  笑福亭 仁 智  「出前持ち」(主任)


   打ち出し 21時00分 
   三味線  勝 正子。  
   鳴り物  桂 紋四郎。 
   お手伝  桂 三ノ助、笑福亭大智。
 今回は、平成二十九年八月・真夏の第468回公演を開催させて頂きました。
七月十一日の前売り開始後、二週間で前売り券も売り切れとなり、大入り確定を予感させる前景気。にわか雨も予想された、暑くて雲行きの怪しい当日を迎えました。平日にも関わらず、いつも以上のお客様の出足で多くのお客様に並んで頂きました。
 チラシの数も先席並みに多く、多くの方に応援を頂き、手際良くこなし、定刻の五時半に開場となりました。
 いつもながら並んで頂いたお客様が、一番太鼓に迎えられて思い思いの椅子に着席。その後もお客様の出足は途切れず、着到(二番太鼓)がなる頃には、予想通りの満席となりました。

 八月公演のトップは、米朝師匠のひ孫弟子に当たる、桂塩鯛一門の桂鯛蔵師。【出身地は広島、大学は東京、そして、上方落語と三つの都と、師匠の前名・都丸から桂さん都。師匠の襲名を機に桂鯛蔵。】
『石段』の出囃子で高座へ。マクラは『彦八祭り』で、芸名にちなんだ屋台の「鯛焼き屋」の紹介。
始まった本題は、『強情灸』の一席。
この噺、東京ではよく演じられる噺で、関口の隠居に勧められてお灸をすえに行き熱かった話をする男にもう一人が意気込んで火を付けるのだが、やせ我慢も限界にきて、灸の熱さを堪え、もがき苦しむ爆笑落語。自身の工夫と師匠譲りの明るい芸風、さらに、関口(ざこば師匠の本名)の隠居が登場するので、ざこば一門のお家芸とあってその練れた演出も相まって十五分の高座は爆笑の連続でありました。

元々は上方落語の『やいと丁稚』の演目でしたが、東京へ移植され、八代目三笑亭可楽、五代目古今亭志ん生、古今亭志ん朝父子、五代目柳家小さんらの師匠連に洗練され、上方へ里帰りし、最近演じられる回数が増え、当席でも6回目の口演となります。

サゲで登場する石川五右衛門は、安土桃山時代の伝説的な盗賊で、子供と共に釜茹の刑に処せられた。又、歌舞伎でも多くの作品に登場し、特に「絶景かな、絶景かな~」の『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』は、十五分ほどと短いですが、歌舞伎の要素満載の名作とされています。
この作品は、今から二百四十年前に大坂(阪)、角の芝居(現在の道頓堀角座)で初演されました。

 二つ目は、来年、四代目桂春團治を襲名される、桂春之輔一門の筆頭弟子で、キャリア二十一年の桂壱之輔師匠。この師匠も勉強熱心で各落語会で活躍中。今回も師匠譲りで目標の「華のある高座」をお楽しみに。
『砧(きぬた)』の出囃子で登場してのマクラは、外国人の前で落語した実話で笑いを誘って、うどん屋で欧米化で、カタカナが多過ぎるとボヤク処からスタートの『青い目をした町内会長さん(桂三枝作)』。
ここのうどん屋さんは外人さん用にメニューも、「ダイナマイトうどん⇒かやくうどん」「アップ・ニューハーフうどん⇒釜揚げうどん」等々とメニューも英語。
家に帰ると、近所に引っ越してきたフランス人の訪問。数々のクスグリで笑いを誘って、サゲとなりました。マクラからサゲまで、困り・ボヤク主人公が壱之輔師匠とオーバーラップする十七分の爆笑高座でありました。
この噺はこの後、青い瞳に会長さんが登場するのだが、時間の関係で今席はここまでですが、
最後まで聴きたい方は、「桂三枝大全集~創作落語125撰~第5集」。

 三つ目は、故六代目笑福亭松喬一門から笑福亭生喬師匠。
亡き師匠の指導を土台に多くの落語を演じられ持ちネタも多岐に渡り、同期の桂南天、桂文三、林家花丸の各師匠連と開催されておられる「出没!ラクゴリラ」は、昨年二十周年、百回を超える名物落語会です。さらに、日本舞踊や宝塚鑑賞・実演?など芸事の幅も広い師匠ですので、期待大。『さつまさ』の出囃子で登場し、「私、蝉が嫌いなんです」とのマクラから始まった本題は上方落語の王道? 『須磨の浦風』の一席。
この噺、難しいとあってあまり演じられない。当席では平成2年の第142回公演で笑福亭松之助師匠が演じられて以来、27年ぶりの口演となります。
五代目・六代目笑福亭松鶴、笑福亭松之助、笑福亭仁鶴の各師匠連が演じておられますので、笑福亭のお家芸といったところでしょうか。
登場人物が、紀州の殿様と豪商・鴻池善右衛門と大物が登場する噺ですが、生喬師匠は、軽く軽く、テンポもトントンと演じられ、客席は爆笑に包まれる。サゲの後、「今日は、寄席の踊りを・・・。」と、立ち上がって、『奴さん』を披露された二十分の好演でありました。

 鴻池善右衛門=鴻池家当主の世襲名。鴻池家は酒造・海運を廃して両替商専門となり、家業をさらに発展させた。また、河内に鴻池新田を開発も手がけられ、明治からは銀行業を明治十年に、十代目善右衛門が、第十三国立銀行を開業。明治三十年に鴻池銀行。昭和八年に三十四銀行・山口銀行・鴻池銀行が合併し三和銀行へ。三和の三は三十四の三、和の扁である禾は鴻池新田の稲を意味し、和の旁の口は山口の口からとったという説が有力です。
そして、平成十四年に東海銀行と合併し、UFJ銀行になり、平成十八年に東京三菱銀行と合併し三菱東京UFJ銀行と目まぐるしく変化しています。

 中トリは、桂米團治師匠。現在、トリの笑福亭仁智師匠と同様の上方落語協会の副会長。
現在、副会長は五名で、両師匠と桂春之輔、桂きん枝、笑福亭鶴瓶のいずれも当席常連の各師匠であります。
早くから楽屋入りしてニコニコムード楽屋で談笑。
師匠であり実父でもあった桂米朝師匠の『鞨鼓』の出囃子で登場して、一杯のお客様へのお礼の挨拶。四天王の思い出噺のマクラが始まる。「それぞれ息子さんは一旦、噺家になったが、辞めたり跳んだり。生き残りは私だけ。」「米團治襲名の時、米團治を襲名させて頂きますと言わなければいけないのに間違って『この度、春團治を襲名させて頂きます。』といって、次の出番の春團治師匠に『じゃあ、僕は何になれば良いんだ!』と突っ込まれた。」「襲名挨拶の時、春團治師匠の家の前に携帯を忘れ、・・・」爆笑を誘って始まった本題は、『胴乱の幸助』の一席。
働くことしかせず、趣味も喧嘩の仲裁しかなかった幸助さんが巻き起こす大爆笑落語。場面も登場人物もドンドン変わり飽きることのない筋書き随所に散りばめられたクスグリと、それを爆笑に変える一秒の何分の一の微妙な間。爆笑を待っておられるお客様と楽しまれるように演じられる師匠が見事に融合し発端からサゲまで、キッチリと演じられ惜しみない拍手も巻き起こった半時間超の好演でありました。

 この噺にも難しい言葉が登場します。
まず、胴乱(どうらん)とは、筒状の収納カバンで一昔前のバスの車掌さんの鞄をイメージして下さい。この噺に登場する胴乱は革で作った方形の財布で、はんこや薬を入れ腰にさげたものです。
割木(わりき)屋は、幸助さんの家業で燃料にする薪(まき)の販売業です。
帯屋、通称お半長は、人形浄瑠璃の「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」の「帯屋の段」のことで、場所は、柳馬場押小路で、京都の地名で、南北の柳馬場通は河原町と烏丸のほぼ中間、東西は、「丸竹夷二押御池姉三六角蛸錦」の押小路通は御池の一本北の道で、その交わる場所を指します。最後は桂川で心中したことを昔の人は皆様、ご存知でサゲとして採用されたのでしょう。
サゲで言えばもう一つ、鉄道は大阪~神戸間は明治七年、大阪~京都間は明治十年ですからこの噺の時代は明治十年以降となります。
よって、幸助さんの頭にはちょんまげは乗っていません。落語はええ加減なようで辻褄は合っていますね。


 中入り後のカブリは、五代目林家小染師匠。
「♪~チャカチャンリンチャンリン・・・」のお馴染みの『たぬき』の出囃子と満面の笑みで高座へ登場。コテコテの「ありがとうございます。一杯のお客様でありがたいこってございます。」との挨拶から、「彦八祭り」でのご自身の雨男の実話を紹介。実は当日はそのジンクスが当たり、小染師匠の口演が始まると大雨、高座から下りる頃には止む空模様。
「何でも鑑定団」の話題から骨董品の値打ちは判らないとのマクラから始まった本題は、林家のお家芸の『応挙の幽霊』の一席。掛け軸に描かれた幽霊(もちろん女性)が、高値で売れたので祝杯を挙げた主人の手向けのおかげで蘇り酒宴に参加。三味線を弾き都々逸を・・・。
あまり笑いのない噺なので演じ手の工夫と演じ方で大きく違う噺。その噺を持ち前の明るさとモッチャリと愛くるしい笑顔で演じられる。本来なら怖いはずの幽霊も可愛い幽霊と演じられる。
小染師匠の工夫の幽霊のあのポーズでの杯の返杯や、三味線を弾くシグサには大きな笑いと共に拍手も巻き起こり、酔いつぶれた幽霊を見てのサゲも一工夫ありました。

 この噺は、上方の明治から大正にかけての創作落語で、作者は二代目林家染丸師匠。
この師匠は、三代目笑福亭松鶴門下で笑福亭梅喬。五代目松喬から二代目林家染丸を襲名。夫人は、「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」のこの人がいなかったら、今の上方落語の寄席囃子が残っていなかったであろう林家とみ師匠。
五代目小染師匠は、二代目染丸⇒三代目染丸⇒四代目小染と系図では直系と言えます。
この噺の一方の主人公の円山応挙(圓山應擧・まるやまおうきょ)は、江戸時代中期に活躍された絵師で現代まで続く円山派の祖とされ、写生を重視した親しみやすい画風で人気を博した。今では当たり前な、足のない幽霊を描き始めた画家とも言われています。
「何でも鑑定団」のデータ・過去10年で丸山応挙作とされる掛け軸は17回出品され、平均鑑定額は、期待とは裏腹な三万七千円。いかに、本物はめったにないものですね。この噺の掛け軸の、買値は百円(仕入れは一円)。さて、いくらの値打ちがあるのでしょうか。

 八月公演のトリは、上方落語界の創作の鉄人・笑福亭仁智師匠。
当席には年に一度のペースで御出演頂いています常連であります。
今回も早くから楽屋入りされ準備万全。
『オクラホマミキサー』の出囃子で、万来の拍手で迎えられて高座へ登場しての第一声。「ありがとうございます。皆様方に嬉しいお知らせがあります。私・・・、短いです。」この一言で一気に仁智ワールドへ突入。
かぶして、「噺家は座って出来る・・・。早く着きましたんで、三宮まで行ってまして、ハッと気が付いて、ダーーッと商店街走って、階段転げるように下りて、『出番でっせ』、と、上がってきて、今、休んでるとこです。」さらにドッカーンと客席は大爆笑。
さらに、ガッツ石松さんの伝説的な笑いを、「アップダウンクイズ(ロート製薬提供)」、「三分手を上げる番組」などを紹介して、そして、始まった本題は、師匠のHPでは、創作落語百席の百本目の作品となる『出前持ち』の一席。
そばの出前を注文しかけた男。電話もしていないのにそばを持って出前持ちがやって来る。場面は変わって上司と酒の肴の会話をし盛り上がる。「親の顔が見たい」となり、どうもその上司の息子が出前持ち?「君に遭わせる」と言う上司にあわてるのだが、別人でホッ。「次はこう。次はこう・・・」なると、読める展開に客席も大爆笑が続く。しかし、師匠の方が一枚上手で、ドッカーンと
大爆笑の笑いが起こったドンデンのサゲが用意されていました。会場を後にされる満面の笑みのお客様をお見送りし、大成功の八月公演はお開きとなりました。

仁智師匠は、平成27年度「文化庁芸術祭賞」大衆芸能部門芸術祭優秀賞を、「笑いのタニマチ
20周年記念『仁智の新作ひとり旅』」の公演で受賞されました。この公演での自作の創作落語を『老女A』、『兄貴の頭』、『多事争論』、『出前持ち』を時代順に、当時の自身の舞台姿に世相などを交えた映像でつないで前座も助演も入れず、更に時の経過とともにすぐに古びる感のある創作落語を常に新鮮に演じられたことが評価され受賞となったそうです。※その一席が、『出前持ち』で、この四席は、当席では全て演じられました。