もとまち寄席 恋雅亭 | ||
公演記録 | 第467回 もとまち寄席 恋雅亭 | |
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公演日時: 平成29年7月10日(月) 午後6時30分開演 | ||
出演者 演目 笑福亭 智之介 「看板の一(ピン)」 桂 米 紫 「兵庫船」 桂 坊 枝 「野ざらし」 笑福亭 枝 鶴 「千両みかん」 中入 月亭 遊 方 「奇跡のラッキーカムカム」 桂 文 太 「寝床」(主任) 打ち出し 21時10分 三味線 入谷和女、勝 正子。 お手伝 月亭 遊真、笑福亭鶴太。 |
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今回は、平成二十九年七月・第467回公演を開催させて頂きました。 六月十一日の前売り開始後、堅実に売れ続けた前売り券も開催の一週間前に売り切れとなり、雲行きの怪しい当日を迎えました。平日にも関わらず、いつも通りのお客様の出足で多くのお客様に並んで頂きました。 チラシの数も先席並みに多く、出番の智之介、米紫両師匠やお手伝いの遊真、鶴太師にも応援を頂き、手際良くこなし、定刻の五時半に開場となりました。 いつもながら並んで頂いたお客様が、一番太鼓に迎えられて思い思いの椅子に着席。その後もお客様の出足は途切れず、着到(二番太鼓)がなる頃には、後方にチラチラ空席が有りましたが満席となりました。 もとまち寄席・恋雅亭平成二十九年の七月公演のトップは、地元・神戸出身で笑福亭仁智一門の総領弟子・笑福亭智之介師。神戸を中心として積極的に落語会を開催されておられる努力家です。平成十二年に入門の十七年のキャリア。なんとももったいないトップです。 三味線は、和女・正子嬢の二挺、大太鼓、〆太鼓、鉦は、遊真、鶴太師。そして、笛は文太師匠と超豪華なメンバーによる『石段』の出囃子で高座へ羽織を着て元気一杯の登場となりました。 実は高座袖で、「前座なので、着流しで。」とスタンバイ中の智之介師に、「羽織持ってきてるんやろ。ここ(恋雅亭)は、特別や。キャリアも十七年やし、着、着。」と進められての登場となりました。 挨拶で、名前を言うと客席のご贔屓を中心に大きな拍手が起こる盛り上がりから、「えー落語は笑いますから、健康の元、長寿の秘訣です。」とマクラがスタート。女性は隣の人を叩きながら、男性は肩でと男女の笑い方の違い。「笑うと、免疫力があるナチュラルキラー細胞を増やし、長寿の秘訣です。」と紹介。「ただし、どこででも笑っていると病気にはなりませんが、周りから病気やと思われます。(客席ドッカーン)。」 そして、「今日は博打のお話を」と、始まった本題は、当席では五年ぶりとなります『看板の一(ピン)』の一席がスタート。 発端から、若さ・元気一杯の高座。しかも、キッチリした演出で演じられ客席は爆笑の連続。多くのお客さまが知っているサゲも間がバッチリでドッと受ける。下りて来られた智之介師の、「暑かったけど、ツボで受けたし、サゲであんな良いタイミングの大きな笑いがあって幸せ」とのコメント通り前座としての持分を十分理解された口演と客席を大爆笑に包んだ十五分でありました。 ちなみに、サイコロの考案者はお釈迦様で、説教をする際の、人集めのために賭場を開くことを思いつき、道具として考案したもの。「『一天、地六、東五、西二、南三、北四(いってん、ちろく、とうご、さいに、なんさん、ほくし)、上と下の数(目)を合計すると七、全部足すと二十一、こんなことは学校では絶対教えてくれません」。お釈迦様は、賭博の収益で祇園精舎という寺を建てられました。博打の上がり金(胴元の儲け)を寺銭といい、負ける事を「お釈迦になった」と言います。 『看板の一』の主人公も「お釈迦になったようです。 二つ目は、故桂米朝師匠のひ孫弟子にあたる、当席常連の桂米紫師匠。平成六年に現桂塩鯛師匠の一番弟子として入門され、平成二十二年に桂米紫の四代目を襲名され、当席でも『襲名記念公演』を開催させて頂いた常連です。今回もその愛くるしい笑顔と、師匠の教育に裏付けされた爆笑落語を演じるべくネタ選び。「ここは、事前にネタが出てないから真剣勝負。意外と出てそうで出てないネタがありますねん。」と、当席では六年ぶりの口演となる『兵庫船』とネタが決定。 師匠から譲り受けた『猫じゃ』の出囃子と満面の笑みで高座へ登場し、ご贔屓様から落語の仕事を頼まれた時の衝撃的な一言をマクラにして客席の笑いを誘って始まった一席は、地元落語とも言える『兵庫船』の一席。 米紫師匠は、乗り合いから出船、船中の国所の尋ね合いのお笑いの多い部分に圧縮して演じられる。船中の会話でグッと盛り上がった処で、サゲまで行かずにお後と交代と、舌もなめらかな元気一杯の十八分の高座でありました。 上方落語の一つの柱が、「旅の噺」で、東の旅『伊勢参宮神の賑わい』。南へ向かうと『紀州飛脚』。北の旅『池田の猪買い』、昔は大阪から池田に行くのも旅。天へ昇ると『月宮殿星の都』。海を潜ると『竜宮界龍の都』。外国へは『島巡り大人の屁』。あの世の旅が、『地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)』。そして、西の旅『兵庫渡海(とかい)鱶(ふか)の魅入れ』。 この『兵庫船』は、『桑名船(くわなぶね)』の演題で東京でも演じられています。上方にも『桑名船』の題で知られる演目があり、東京の『岸柳島』と同一のものであるため、混同に注意。ここまでいくとマニアックの世界。 さらに、この前の場面の噺として、喜六、清八が讃岐の国は象頭山金毘羅ハンへ参詣を済ませての戻り道を、『播州巡り』『明石名所』として演じられています。今回は、兵庫は鍛治屋町の浜から船に乗ります。地元の皆様はご存知の通り、鍛冶屋町の浜は、現在の神戸市兵庫区のJR兵庫駅から程近い所にあり、現在も港もありますが、主に物資運搬のための場所となっています。 ちなみに、神戸市電が走っていた時代は、鍛治屋町の停留地から恋雅亭の最寄り駅の栄町三丁目へは、鍛治屋町、西出町、港町一丁目、相生町四丁目、神戸駅前、元町六丁目、栄町五丁目、栄町四丁目、栄町三丁目との停留地を経由して一本で行けました。 さらに神戸在住の方でも五十代以上の方しか判らないと思いますが、系統は3つで、3系統・須磨⇒東尻池⇒松原⇒中之島⇒鍛治屋町⇒神戸駅⇒栄町⇒三宮⇒加納町⇒山手⇒上沢⇒東尻池⇒須磨。 13系統・脇浜町⇒三宮駅⇒栄町⇒新開地⇒湊川トンネル西口⇒上沢⇒長田⇒東尻池⇒和田岬⇒鍛治屋町⇒神戸駅⇒栄町⇒三宮駅⇒脇浜町。 15系統・板宿⇒東尻池⇒松原⇒中之島⇒鍛治屋町⇒神戸駅⇒栄町⇒三宮駅。 と、運行されていました。ここまでくるとさらにマニアック。 三つ目は、故五代目桂文枝一門から、この師匠も当席・常連となる桂坊枝師匠。 本日も『鯉』の出囃子に乗って高座へ登場。爆笑マクラからスタート。 当席で嬉しかったこととして、学生時代から通っていましたが、初めて、出る側として師匠(五代目文枝)の鞄持ちで楽屋入りした時。初めて高座へ上がった時。と、懐かしみ、その当時、先輩のあやめ師匠を帰りに荒田町まで車で送っていき、道を間違え、「裏口なんだよ!このハゲ!荒田町は北から行くんでちゅか・・・。」と、今が旬な豊田議員の物まねに客席は大爆笑。一呼吸あって始まった本題は師匠のキャラクターとピッタリな主人公が大活躍する『野ざらし』の一席。 発端からパワフルに、ノビノビと、そして、柔軟に噺が展開し客席も大盛り上がりの内、お後と交代になりました。 この噺、原話は中国の笑話本「笑府」中の「学様」。これを元に上方落語の『骨釣り(一度、忘れ去られていましたが桂米朝師匠が復活されました。)』が出来、江戸末期の僧侶出身の二代目林家正蔵師匠がさらに膨らまし創作。因果応報譚の暗い噺だったので、明治に大活躍されたもので、それを明治期に大活躍された初代三遊亭圓遊師匠が『手向けの酒』と改作され滑稽噺に生まれ変わり、さらに、戦前・戦後に売れまくった三代目春風亭柳好師匠が現代の形にされました。坊枝師匠も唄っておられましたが、『さいさい節』がこの噺の魅力です。 ♪~鐘がボンとなァりゃサ。上げ潮ォ 南サ。カラスがパッと出りゃ コラサノサ。骨がある サーイサイ。 ♪~そのまた骨にサ。酒をば かけりゃサ。骨がべべ着て コラサノサ。礼に来る サーイサイ。そらスチャラカチャン。たらスチャラカチャン。 と名調子です。 ただ、サゲが判り難いので今回の坊枝師匠同様、サゲまで行かずに下りるケースがほとんどです。 中トリは、笑福亭の重鎮・六代目笑福亭枝鶴師匠にお願い致しました。 枝鶴の名跡は、初代枝鶴⇒四代目松鶴、二代目枝鶴⇒五代目松鶴、四代目枝鶴⇒六代目松鶴と笑福亭では出世名前。当代はいつまでも若々しいですが、キャリアは四十年を超え、還暦を迎えられます。今回も早くからお弟子さんの笑福亭鶴太師を連れての楽屋入り。さっそく楽屋は師匠を囲んでの和気藹々ムード。 ネタも決定して、「鶴太、太鼓よう叩くかなぁ。」と、笑いながら、楽しそうに弟子を見守りながら、四代目、五代目、六代目と歴代の枝鶴の出囃子『地俥(だんじり)』に乗って高座へ登場。 マクラ無しでさっそく本題の夏の噺で、上方落語の中でも大物とされる『千両みかん』がスタート。この噺、当席でも珍しく、発端はお客様も興味津々。 ジリジリとした夏の船場で床に付している病気の若旦那を見舞う番頭。場面転換の妙、息を呑む様な商売人としての言葉使いの変化、真夏の情景もすばらしく、何とも言えないすばらしいサゲにつながった半時間の秀作でお仲入りとなりました。 この噺は、笑福亭の祖とされる源流、笑富久亭松竹(しょうふくていしょちく)師匠の作とされており、笑福亭のお家芸でもあります。松竹師匠は、他に『松竹梅』『初天神』『猫の忠信』『立ち切れ線香』の作者ともされています。この松竹師匠の弟子が初代松鶴師匠です。 なお、みかんを求めて行く天満青物市場は昭和初期まで現存し、多くの青物問屋が立ち並び、『天満の市』という子守り歌にも歌われていました。 ♪~ねんねころいち、天満の市で、大根揃えて、船に積む。船に積んだら、どこまで行きゃる、木津や難波の橋の下。 五木ひろし&中村美津子のデュエット掛け合いの台詞入りの『浪花物語』の三番の歌詞はこのアレンジで、♪~ねんねころいち、天満の市が、水面騒がす、なさけ船。宵にまぎれて、どこまで行きゃる、あんた頼りや、お前が頼り。一度、お聴き下さい、エエ唄です(市電はしませんが、脱線・笑)。 中入り後は、月亭八方一門から月亭遊方師匠にご登場頂きます。ホームグランドと言うべき当席へはいつも通り早くから楽屋入りされ、会話も実に楽しそう。 三つほど用意された鉄板ネタから、ネタ帳を確認され、自作で、平成12年初演、当席では平成13年7月の第275回公演以来の再演となります、『奇跡のラッキー・カムカム』をひっさげ、『岩見』の出囃子で高座へ登場。マクラから遊方節全開で独自の世界に客席を誘導。何でもない世間話なのだが、実にお見事。 紙面に紹介された、身につけているだけで幸せになれる夢のペンダント。紙面を読んで展開する会話は計算しつくされているので、繰り返しの面白さと相まって、会場は理屈なしの爆笑の連続。物語の先が判るようでドンデンがある楽しい噺を遊方師匠の舌で料理されると楽しさ三倍増。 サゲもグッと盛り上がった二十五分の熱演に客席からは大きな拍手が巻き起こりました。 汗ブルブルで下りてこられた遊方師匠、「いつも、ええ、お客様や。客席の前から後ろから笑いの波が起こって気持ちがええわ。ここのお客様は乗せるのが上手や、笑いの反応もええし、ちょっと、噛んだんも、笑いに変わる。ついつい長ごうなってまうわ。」と、大満足の感想でした。 七月公演のトリは、故五代目桂文枝一門・上方落語の重鎮・桂文太師匠にお願い致しました。 昭和四十六年入門(同期は、笑福亭仁智、桂雀三郎、故桂春駒の師匠連)で、今年が入門四十六年となります。当席常連として、いつも幅広い演題の中から満場の拍手喝采をさらっておられる師匠。愛犬と共に楽屋入りされ、今回も笛で大活躍頂きました。 『さわぎ』の出囃子で袖から顔を出されると本日一番の拍手と、客席のあちこちから「待ってました!」「タップリ!」と声が掛かる。暫く鳴り止まない拍手を待って「ありがとうございます。待ってました、なんて嬉しい限りです。繁昌亭では、おひねりが飛んで来まして、あの時はやりにくかった。その点、今日はやり易いな。」と、鉄板の挨拶から、マクラを軽く振られて始まった本題は、『寝床』。他に何の欠点もない主人の下手な浄瑠璃を語って人に聞かせたいという、唯一のわがままと、それに耐えに耐える長屋の住人や番頭さんをはじめとした人々の葛藤の爆笑落語。 この噺、元々は上方噺で、明治中期に東京へ移入され、戦後東京では、八代目桂文楽、五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭圓生、三代目古今亭志ん朝師匠らの名演でお馴染みな噺。 文太流の『寝床』として、上方と東京の良い所を上手くチョイスされサゲもバッチリ。一言一言に客席全体から大爆笑が起った三十五分を超える熱演。惜しみない拍手が鳴り止まない中、お開きとなりました。 |