もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第466回 もとまち寄席 恋雅亭  
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 公演日時: 平成29年6月10日(土)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  桂   咲之輔  「動物園」
  林家  菊 丸  「湯屋番」
  笑福亭 瓶 吾  「皿屋敷」
  桂   福團治  「悋気の独楽」
    中入
  桂   三 風  「憧れの町家暮らし」
  桂   雀三郎  「帰り俥」(主任)


   打ち出し 20時50分 
   三味線  勝 正子。  
   お囃子  桂 三実。
   お手伝  桂 梅團治。
 今回は、平成二十九年六月・第466回公演を開催させて頂きました。
五月十一日の前売り開始後、堅実に売れ続けた前売り券も開催の一週間前に売り切れとなりました。電話の問い合わせも多い中、当日。土曜日とあっていつも以上の出足。
いつも通りのお客様の出足で多くのお客様に並んで頂きました。
 チラシの数も先席並みに多く、出番の無い桂梅團治師匠や演者さんに応援を頂き、手際良くこなし、定刻の五時半に開場となりました。
 いつもながら並んで頂いたお客様が、一番太鼓に迎えられて思い思いの椅子に着席。その後もお客様の出足は途切れず、最後尾に長椅子も並べましたが、着到(二番太鼓)がなる頃には、立ち見も出る大入満席となりました。

 もとまち寄席・恋雅亭平成二十九年の六月公演のトップは、地元神戸出身で立命館大学から、
来春四代目桂春團治を襲名される桂春之輔師匠の二番弟子として入門された桂咲之輔師。
平成十九年に入門ですから、キャリア十年で当席初出演となります。入門のキッカケは「天満天神繁昌亭」で師匠の落語に感銘を受けたと、当席もいよいよ繁昌亭世代の登場となりました。
 三味線・正子嬢、太鼓・三実師らの『石段』の出囃子で高座へ飛び出すような元気一杯の登場となりました。「えー、桂に花が咲くの咲くと輔と書いて咲之輔と読みます。どうそ、お気軽に『さきちゃん』とお呼び下さい。」と自己紹介から始まったマクラは、地元、六甲道での爆破事件を題材に、青春落語道場大倉亭へと続く。
トップとしてはちょっと長めのマクラから、時間調整もあってか、やや発端をカットして始まった演題は、当席でもトップが多く演じられている『動物園』の一席。
随所に「さきちゃん」の工夫満載の口演は、主人公とのイメージがピッタリ一致した十七分の爆笑の連続でありました。
*******   動物園について  *******
・落語の世界にはよく噺家さんの本名の人物が登場します。竹内さん⇒松鶴師匠、中川さん⇒米朝師匠、河合さん⇒春團治師匠、前田さん⇒枝雀師匠、浜田さん⇒春蝶師匠などなど。そういえば聞いたことのある名前ですね。ちなみに咲之輔師の移動動物園園長の名前は長谷川さんで、先代五代目桂文枝師匠の本名でした。文枝師匠の口演が元になっているのではないでしょうか?
ちなみに、五代目文枝師匠は、『動物園』のような軽いネタも数多く演じられておられました。音源としては、昭和44年の第57回NHK上方落語の会の音源のビクターから発売された赤いジャケットのCDがあります。
・原話はイギリスで、世界共通で理解され易い内容と笑いですので、桂枝雀師匠が『ホワイトライオン』として英語に、笑福亭銀瓶師匠が韓国語に、桂歌之助師匠がイタリア語に訳し演じられています。

 二つ目は、林家染丸一門の六番弟子の林家菊丸師匠。キャリア二十一年。平成二十六年には、染弥から名跡・菊丸の三代目を襲名。当席でも翌年記念公演を、桂福團治・林家染丸・笑福亭三喬・桂春蝶・林家愛染の各師匠連で開催させて頂きました。ノリノリの師匠です。二つ目はもったいない限りです。楽屋入りされネタ帳をめくって、「今日は、『湯屋番』を。意外と長いこと出てませんので・・・。」とネタが決定。師匠の言われる通り五年半ぶりの口演となります。
菊丸襲名に新しくなった、「乱菊」の紋付で『本調子鎧付け』の出囃子で高座へ登場。
「えー、ありがとうございます・・・。私の方は『きくちゃん』と呼んで下さい。」と、自分の世界へ一気に変更。実に手馴れたもので、「鳥取の公民館で落語を演(や)りましたが、高座がないので、目線が合う。何かないかと探したら碁盤があったので座って語ってましたら、愛好家に怒られました。すぐ謝りました、「囲碁(いご)気を付けます。(客席ドッカーン)」。「これだけが言いたかった。」と、「今日は居候が出てくる噺・・・」と始まった演題は、『湯屋番』の一席。
『湯屋番』とは、お風呂屋の番台という意味で、江戸時代から演じられている道楽者の若旦那が大活躍する江戸落語で、三代目柳家小さん師匠の型がオーソドックスで、弟子の四代目小さん師匠は創作にも造詣が深かったため『帝国浴場』として演じられています。五代目小さん師匠も十八番でしたし、現在でも柳家一門を中心に幅広く演じられています。
上方では、笑福亭仁鶴師匠が移植されたのではないでしょうか。
この噺の舞台の湯屋は、柳家では『奴湯』、三遊亭では『桜湯』、林家菊丸師匠は『桜湯』でした。

 三つ目は、笑福亭鶴瓶一門の七番弟子・キャリア二十九年の笑福亭瓶吾師匠。五十を超えての万年青年、いつも笑顔で、ホンワカと肩に全く力の入らないやすらぎを感じる師匠です。
『ぎっちょ』の出囃子で座布団にオッチン。客席に笑顔を振りまくと客席からは「クスクス」と、笑い声が起こる。「何か大丈夫かな、しっかり落語出来るのかなぁ。と、思ってはると思いますが、大丈夫です。ちゃんとやれますよ。」との、ホンワカマクラから本題がスタート。演題は、この後、ご出演の桂福團治師匠の三代目桂春團治師匠の十八番『皿屋敷』の一席。
スタートはちょっとイヤミな物知りを訪ねて行くクダリから、皿屋敷の由来を聞きに行っての怪談噺。さらに車屋敷(姫路ではそう呼ばれていた)までの滑稽な道中、お菊さんの登場、一転して見世物気分での幽霊見物、そして、サゲ、と続く実によどみのない高座は、マクラでの謙遜ではない、本物。二十二分の熱演に客席の拍手が鳴り止まなかった秀演でありました。
三代目春團治師匠の色気のある別嬪で凄みのあるお菊さんではなく、愛嬌一杯のお菊さんでした。
この噺の骨組みとなっている「皿屋敷」は、主家の家宝の皿を割って成敗され、井戸に投げ込まれたお菊が幽霊となって夜毎現れて、皿の数を読むという伝説を元に、浄瑠璃「播州皿屋敷」、歌舞伎「新皿屋敷月雨暈(つきのあまがさ)」、さらに岡本綺堂作「番町皿屋敷」などとして演じられています。
日本各地に類話がありますが、特に有名なのが、播州姫路が舞台の『播州皿屋敷』(ばんしゅう-)、江戸番町が舞台の『番町皿屋敷』(ばんちょう-、ばんまち-)です。
現在上方で演じられている『皿屋敷』は米朝師匠によりますと、二代目桂三木助師匠→橘ノ円都師匠→四代目桂米團治師匠→桂米朝師匠。
米朝師匠から三代目桂春團治師匠に口伝され、さらに多くの演者に継承されたそうであります。
ちなみに、春團治師匠は当席で、『皿屋敷』を、昭和53年5月・第2回、昭和58年6月・第63回、昭和62年9月・第114回、平成7年7月・第203回、と、四度演じておられます。

 中トリは、上方落語界の長老・四代目桂福團治師匠にお願い致しました。今年で、キャリア五十七年、御歳七十七歳(十月で)。いつまでもお元気な師匠で、当席でも多くのファンをお持ちの師匠で今回も早くから楽屋入りされました。
「今日は、人情噺でなく、他の噺を。」と、おっしゃって、下りて来られた瓶吾師匠に、「師匠(三代目春團治)を想い出したわ。よかったで。」と、やさしく労われて、名調子の『梅は咲いたか』に乗って
高座へ登場。待ちかねたように客席から万来の拍手と声が掛かる。
ツカミは、「歳とりまして、髪もこんなんですわ。これが髪型落語。歯も抜けてきたしね、これが歯無し家や。肉も飲め込めません、この前、TVに前の韓国大統領が映りましたら、パクと飲め込めた。・・・(絶妙の間があって)古いなぁ。」と、この師匠の口から出ると思わず噴出してしまう。ここらが芸の力でしょうね。
客席も何を今日はと、いつも同様に声を張らない押せ押せでは無く、引く感じの口演に前のめりになって聞き入っておられる。
「落語にも色々種類がありまして、・・・今日は不謹慎な噺を。と、始まった演題は『悋気の独楽』の一席。
丁稚の定吉は元気一杯に、大旦那は威厳を持って、お手掛けさんは色気タップリに、御寮人さんは上品に、店の男性は個性豊かに、そして、女子衆(おなごし)のお竹は存在感一杯に見事に描き分けられた秀作はタップリ・ユッタリ半時間。大きな拍手の中、お仲入りとなりました。

・女子衆のお竹を、「酢でも蒟蒻(こんにゃく)が芋蛸南瓜がどじょう汁でもあかん」と紹介しています。これは、体を柔らかくする酢と女性の好物の「蒟蒻、芋、蛸、南瓜、どじょう汁」でも、懐柔出来ない堅物の女性、どうにも手に負えない女性だということです。
・定吉が食べた上用の饅頭に入っていた熊野の牛黄散(ごおうさん)は、人参と調合された薬効のある薬で、虚弱体質、肉体疲労、病中病後、胃腸虚弱、食欲不振、血色不良、冷え症などに効能が有り、決して嘘をついても血を吐いて死ぬことはありません。
悋気(りんき)は、やきもち、嫉妬のことで、英語ではジェラシー。この落語がなければ、小生は悋気も独楽も漢字では書けませんでした。
ジェラシーには、プラスとマイナスが存在するそうで、御寮人が大旦那をもっと、自分に引き寄せようとし、ダイエットや、化粧、優しく接するのはプラスで、大旦那が自分より容姿や性格に勝るお手掛けさんに好意を寄せるのを力で抑え込むのはマイナスのジェラシー。もっともこの御寮人は「ええしの出」ですから押さえ込もうとはしていませんが、皆様はどうでしょうか?

 中入り後は、創作落語の二強にご出演頂きます。まずカブリは、六代桂文枝一門の五番弟子・キャリア三十三年で当席・常連の桂三風師匠。今回も早くから楽屋入りされ、いつもながらのニコニコムード。中入り後、師匠(六代桂文枝)から譲られた『おそずけ』の出囃子で満面の笑みで高座へ登場。「えー、ありがとうございます。・・・神戸はええです。お客様が、特にここは。」
客席からのゴマスリポーズに、「どこでも言うてんねやろて、言(ゆ)うてます(客席・ドッカーン)」。
マクラは図々しい大阪の話題。「ハワイでの大阪弁英語での値切り」「飛行機内乱気流事案」「ヒョウ柄ファッション」などの爆笑マクラから、舞台は京都に移って、自作の『憧れの町家暮らし』がスタート。この師匠の噺の流れは、計算されていないようで緻密な計算がされていて、それが見えない。実に見事といつも感心させられる。
今回の噺も『京の茶漬』と同様、京都人をあまりよく言っていないのだが、そう感じさせないどんでん返しの会話で噺は進み、次は?と思った時、絶妙のタイミングと思わず噴出してしまうサゲとなりました。

 六月公演のトリは、二強の一人、故桂枝雀一門から桂雀三郎師匠の登場となりました。
昭和四十六年入門(同期は、笑福亭仁智、桂文太、故桂春駒の師匠連)で、今年が入門四十六年となります。当席常連としての口跡さわやかで落語を演じられておられる師匠。お馴染みの『じんじろ』の出囃子で登場すると、「えーありがとうございます。もう一席、聞いていただきましておしまいということで、この後は椅子の片付けと掃除だけでなんやったら手伝って頂いても」と、さらに、「私もこう見えましても本職は歌手で・・・。」と、自作で十五万枚のヒット曲『ヨーデル食べ放題』を披露。「落語のCDも出してますが、こっちは売れてません。落語はアルバイト。この前も演じ終わったら『やっぱりアルバイトや』」と、笑いを誘って、JR鶴橋駅の発車音楽に『ヨーデル食べ放題』が、なった。さらに、リニアモーターカーの原理を師匠譲りの全身で説明する雀さんワールド全開。
 そして、始まった演題は『帰り俥』。この噺、雀三郎師匠を知り尽くした落語作家の小佐田定雄先生の原作に師匠の工夫がプラスされ十八番となっている秀作。仕事にあぶれ帰路についた俥夫さんにお客が付く。そこから、次々にお客の無理難題が発生。そして、要求もエスカレート、目的地も近畿全域に。その都度、乗り越えるのだが、段々と過酷になって、最後はアッと驚く見事なサゲとなる噺で、舞台となるのは、上町⇒北浜⇒44㌔⇒伏見⇒36㌔⇒園部⇒45㌔⇒舞鶴。
テレガラスの寅さんは、実に125㌔を走破したことになりますね(笑)。
 当席では、昭和六十年、六十二年、平成八年、十二年、二十年についで今回が六回目となりますが、初演から変わらず、何らの衰えも無い、脂が乗っての熱演は、今回も大爆笑の連続の二十五分の口演でありました。