もとまち寄席 恋雅亭 | ||
公演記録 | 第464回 もとまち寄席 恋雅亭 | |
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公演日時: 平成29年4月10日(月) 午後6時30分開演 | ||
出演者 演目 桂 優 々 「平林」 笑福亭 喬 若 「粗忽長屋」 桂 米 左 「禁酒関所」 桂 枝女太 「猿後家」 中入 桂 南 天 「あみだ池」 笑福亭 福 笑 「手切金」(主任) 打ち出し 21時10分 三味線 はやし家律子。 お囃子 月亭 天使。 お手伝 桂 三ノ助。 |
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今回は、平成二十九年四月・第464回公演を開催させて頂きました。 二月十一日の前売り開始後、堅実に売れ続けた前売り券も開催の一週間前に売り切れとなりました。 電話の問い合わせも多い中、桜も満開となり、当日は花冷えで風が冷たい中、出足も心配されましたが、いつも通りのお客様の出足で多くのお客様に並んで頂きました。 チラシの数はいつも通りで、織り込み部隊も、演者さんや、三栄企画の長澤社長らにも応援を頂き、手際良くこなし、定刻の五時半に開場となりました。 いつもながら並んで頂いたお客様が、一番太鼓に迎えられて思い思いの椅子に着席。その後もお客様の出足は途切れず、最後尾に長椅子も並べましたが、着到(二番太鼓)がなる頃には、立ち見も出る大入満席となりました。 もとまち寄席・恋雅亭平成二十七年の四月公演のトップは、桂雀々一門から桂優々師。 師匠に付いて来席の都度、「早く出たい」との希望が叶って、入門八年目(平成二十一年入門)で初出演となり、当日も早くから楽屋入りされ、楽屋の準備を入念にされ、チラシの挟み込みも手伝って頂きました。 落語への取り組みも、ご自身のモットーの「一生懸命全力で、いつも元気で明るい高座で会を盛り上げ、来て頂いたお客様と楽しい空間を作り、又、来たいと思って頂く。」通り、前向き。 三味線・律子嬢、太鼓・天使師、鐘・三之助師、笛・喬若師、の『石段』の出囃子で高座へ飛び出すような元気一杯の登場となりました。 「私が雀々の唯一の弟子で、桂優々。パンダみたいな名前ですが、実は、上に二人、下に二人いました。」と、ゆうゆう、りんりん、そうそう、しょうしょうと一門を紹介すると、早口言葉のようで、客席は大爆笑。小学校での学校寄席での実話の爆笑マクラから始まった本日の演題は、短い中に多くの笑いが散りばめられた、東西で若手を中心に演じられている、『平林(たいらばやし)』の一席。「たいらばやしか、ひらりんか、いちはちじゅうのもくもく、ひとつとやっつでときき」で、お馴染みの短い中に多くの笑いが散りばめられた一席。その噺を、明るく元気に、いかにも楽しそうに演じられた優々師に大きな笑い声と拍手が起こった十三分の恋雅亭初出演の高座でありました。 この噺の原話は『醒睡笑』の一編「推は違うた」。全国各地には、字を間違えるような同趣向の民話が残っているそうです。 二つ目は、当席常連で、来年、上方落語界の名跡笑福亭松喬の七代目を襲名される笑福亭三喬師匠の筆頭弟子・笑福亭喬若師匠。当席の前座・二つ目は激戦。その中で二年ぶりの出演、それも初の二つ目出演(平成十年入門なので、キャリア的には十九年)で大張り切りで、いつもと同じ喬若スマイルで早くから楽屋入り。チラシの挟み込みもお手伝い頂きました。 楽屋では、笛を担当され大活躍。二つ目ですから『石段』ではなく、ご自身の『くいな』の出囃子で満面の笑みで高座へ。 ※当席の出囃子は、トップのみが『石段』、二つ目からはご自身の決められた出囃子を奏でています。なお、一月初席だけは、『石段』ではなく、『十二月』や『十日戎』を奏でています。 携帯電話の注意から始まったマクラは、観光バス車中での落語の仕事の実話談。充分暖まったことを見定め、「あほな人間が活躍する噺」江戸落語からの移植版『粗忽長屋』の一席がスタート。 この噺、筋立ては漫画チックで、「そんなアホなぁ」の連続。演者の口先三寸をお客様の中でどう膨らますのか、客席の笑いのタイミングと次の言葉をどうかぶせるのか、など、難しい要素はありますが、まずはお客様に「そんなアホなぁ」と思ってもらえるかが勝負。 喬若師匠の口演は、最後方からの客席の笑いの波と演者の返し波が見事にマッチ。笑いのビックウエーブが起こり、客席からの大きな拍手で締めくくった喬若師匠の十八分の初二つ目の重責を見事果たした爆笑大当り高座でありました。 演題の『粗忽』と言う言葉、辞書で調べると、「軽はずみなこと。そそっかしいこと。また、そのさま。」とありますが、現代、東京でもあまり使われていません。 この噺を十八番にされておられた、昭和の名人と言われた五代目柳家小さん師匠は、「粗忽ものは健忘症。健忘症、健やかに忘れる病気!」とのフレーズでした。 上方でも、あまり馴染みがありませんし、上方弁では・・・。思いつきません。 五代目小さん師匠はこの噺を四代目小さん師匠から口伝された時に、四代目師匠から「師匠(三代目柳家小さん)から習った噺でこの噺が一番難しい。」と言われたとの芸談があります。 原話は江戸時代からあります。上方には滅んでしまいましたが、同趣向の『いらち長屋』と言う噺がありましたし、三代目小さん師匠は、上方の四代目桂文吾師匠からの『らくだ』を始め多くの上方落語を東京に移植されておられますので、小生の薄学ではルーツは不明です。 さらに東京落語には、永代橋の落橋事故の実話を元にした『永代橋』と言う同趣向の噺がありますが、現代ではあまり演じ手がいない噺となってしまいました。 この永代橋は、忠臣蔵で、赤穂浪士の吉良上野介屋敷(墨田区両国)への討ち入り、上野・泉岳寺へ戻る途中に渡る橋で、映画のラストシーンを思い浮かべて下さい。 三つ目は、米朝一門から、この師匠も当席常連・桂米左師匠の登場です。 『勧進帳寄せの合方』のお馴染みの出囃子で高座へ威厳をもって登場。 ※この囃子は歌舞伎・勧進帳で、北陸から奥州へ落ち延びる義経一行が、安宅の関(石川県小松市)へ差し掛かった時、花道から登場する際に奏でられます。 マクラは、掛け声(出喝采)からスタート。そして、お酒にまつわるマクラとして米朝師匠との自宅や打ち上げ時の話題で笑いを誘った後、酒飲みの登場する『禁酒関所』の一席がスタート。 発端からサゲまで、酒豪の松本の旦さん、禁酒番屋の二人の武士、酒屋の番頭、三人の丁稚が大活躍。サゲ前の演じ方も、笑福亭の直線的な演出ではなく、スマートな演出でしたが、笑いの大きさは遜色のない、「あのここな・・・、上出来(正直)者めがッ(サゲの判らない人には意味不明)」でありました。 ***** 『禁酒関所』について ***** この噺も東西で演じられています。上方落語の『禁酒関所』を、前出の三代目柳家小さん師匠が『禁酒番屋』として東京へ移植され、五代目柳家小さん師匠の十八番でした。 米左師匠はこの噺を六代目笑福亭松喬師匠に付けて頂き、米朝師匠に一部、直して頂き演じておられるそうです。 その松喬師匠は、五代目笑福亭枝鶴師匠から付けて頂き、四代目林家小染師匠の演出も参考にされ、入門四年目の昭和四十八年、神戸柳原の柳笑亭の「三日月会」で初演されました。 ちなみに小生、十九歳で生で拝見しました。以降十八番として演じられ、一門の各師匠連に口伝されています。二つ目の喬若師匠は三喬師匠から口伝だそうです。 余談:一人目の丁稚が持っていくのがカステラ。ここでは、カステーラと発音していますが、このお菓子は室町時代にポルトガルの宣教師から伝えらた、スペインのカステーリャ地方のパンというのが有力な説。 中トリは、五代目桂文枝一門から、「枝女(しめ)やん」こと、桂枝女太師匠。 春らしい薄地の着物に同系の羽織、ちょっと濃い目の羽織の紐、着物とのコントラストもバッチリな角帯、客席からは見えませんが畳表の雪駄と絵になる装いで、『岸の柳』の出囃子で高座へ登場し、風貌を材料に「えー、桂枝女太と申します。決してお寺から来た者ではありません。」とつかみの挨拶。「この仕事をやってて嬉しいのはお客様から褒めてもらうこと・・・。」と、ドンデンの展開がある爆笑マクラから、「おい、時候がえぇなぁ」「そやなぁ・・・人がぞろぞろ這うなぁ・・・。」との語りだしから、始まった本題は、五代目文枝師匠の十八番だった『猿後家』の一席。 猿顔と笑われた大家の後家はん。「さる」という言葉を禁句にしています。お店(たな)をしくじるまいと悪戦苦闘する多弁な主人公、女主人としてのプライド、ひやひやしながら成り行きを見守る奉公人と役者は揃っての大爆笑編。師匠直伝なので、似ない訳がないのだが、似ているようでキッチリ枝女太流の噺となっている処は流石。それでいて、五代目師匠の息を感じさせるクダリもあり、実に聞いていて気持ちが良い出来。要所要所や何でもない処でもキッチリ笑いが起こった半時間の秀作。「よっーシメやん。出来ました!」。 ***** 『猿後家』に登場する美人について ***** ① 「小野小町」詳しい系譜は不明ですが、絶世の美女、七小町などの逸話が残っています。ただ、、絵でも後姿が多く、素顔は不明です。 ② 「照手姫(てるてひめ)」小栗判官(おぐりほうがん)との恋仲で伝承されてきた物語の主人公。苦労の末に結ばれる。 ③ 「衣通姫(そとおりひめ)」その美しさが衣を通して輝くことからこの名が付いたとされる、古代から平安時代の本朝三美人の一人、和歌三神の一人と言われています。 ④ 「楊貴妃(楊玉環)」中国唐時代の玄宗皇帝の寵姫。寵愛しすぎたために安史の乱を引き起こしたため、傾国の美女と呼ばれ、最後は自害に追い込まれる。 ・楊貴妃はさらに、古代中国四大美女(西施・王昭和君・貂蝉)、世界三大美女(クレオパトラ・小野小町) の一人と呼ばれています。 ***** 『猿後家』に登場する詩・歌・唄について ***** 枝女太師匠からお伺い致しました。この落語には、三つの「うた」が登場します。順番を間違ったり、途中で言いよどんだりすると噺が台無しになってしまいます。これが意外と難しいですよ。 1・「夕立や、伊勢の稲木の煙草入れ、古るなり光る強い紙なり」。蜀山人作の狂歌。 2・「普陀落や南の岸に堂建てて、今も栄えん北の藤波」西国三十三か所第九番札所・南円堂のご詠歌。 3・「この度は幣(ぬさ)も取り敢えず手向山、紅葉の錦、神のまにまに」菅原道真作の百人一首。 中入りカブリは、桂南光一門の筆頭弟子・桂南天師匠に二年ぶりにご出演頂きました。 『正月娘』の出囃子で元気一杯の登場。パワフルなマクラがスタート。「落語の中には、1秒で終わる落語。一人の会話で終わる落語。」と、客席を大爆笑や、一瞬ポカッとさせる小咄を紹介して、始まったのは、米朝⇒枝雀⇒南光⇒南天と受け継がれ磨きぬかれた、明治末期から大正初期に出来上がった桂文屋師匠の新作落語、『あみだ池』の一席。 ※尼さんが、「わが夫、山本大尉は、過ぎし日露の戦争で・・・」とあるので、明治三十八年以降の作は間違いありません。初演で、最初の「阿弥陀が行けと言いました。」で、サゲと勘違いした下座さんが受け太鼓を入れたとの逸話があります。 発端からサゲまで、古典の香りと新しい香りをキッチリ組み立てられ、先人師匠連の良さとご自身の工夫、さらに心地よいテンポで演じられる口演に客席も大満足な様子。充分間合いを計ってのサゲも見事に決まって、客席が、ドッカンとなった二十二分の秀作でありました。 この噺は、初代桂春團治師匠の『阿弥陀ヶ池』というタイトルのSPレコードや、二代目春團治師匠の朝日放送での『春團治十三夜』が、最も古いテープ音源(二十五分)として残っています。 舞台となった阿弥陀池は、元禄11年(1698)開創のお寺。尼寺蓮山和光寺(浄土宗尼寺)の通称で、境内の池より善光寺の本尊が出現したという伝承に因んで建立されたお寺ですが、寺号よりも通称(あみだ池)のほうが一般に知られています。 四月公演のトリは、笑福亭福笑師匠にお願い致しました。開演前に楽屋入りされ、本日のネタを検討中なのか、楽屋中にオーラが漂う。 『佃くずし』のお馴染みの出囃子で高座へ登場すると、拍手が鳴り止まない。暫く待って、挨拶から 世相ネタの爆笑福笑ワールドマクラがスタート。「森友学園問題」、「安倍夫人」などが繰り出されると客席の笑いが波を打つ。沸かせて沸かせてそのムードそのままに始まった本題は、昨年の十二月に「できちゃったらくご」でネタ下しされた自作の創作落語『手切金』の一席。 大会社の御曹司との結婚が決まった父、嫁にやりたくない。相談して友人の息子との偽装結婚を画策。しかし、この二人は恋仲。その息子がせしめた手切金を持ってフィリピンへ高跳び。そして、結婚を申し込む。そこへ、御曹司が再び登場。どうなるのか判らない筋立てをサゲで見事に纏め上げられる福笑ワールド全開のストーリー。客席は一つ一つのクスグリを聞き逃さない様に前傾姿勢。サゲと同時に拍手が鳴り止まなかった何時もながらの熱演でありました。 |