もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第463回 もとまち寄席 恋雅亭  
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 公演日時: 平成29年3月10日(金)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  笑福亭 鉄 瓶  「明石飛脚」
  桂   吉 坊  「七段目」
  笑福亭 岐代松  「運廻し」
  桂   春 若  「禍は下」
    中入
  桂   楽 珍  「半分垢」
  桂   文之助  「替り目」(主任)


   打ち出し 21時05分 
   三味線  勝 正子。
   お囃子  林家 染八。
   お手伝  桂 梅團治、桂 三ノ助。

 今回は、平成二十九年三月・弥生・第462回公演を開催させて頂きました。
二月十一日の前売り開始後、堅実に売れ続けた前売り券も二月末には売り切れとなりました。
電話の問い合わせも多い中、当日を迎えました。当日は週末の金曜日。三月とはいえ、彼岸前のまだまだ寒さが残る中、出足も心配されましたが、いつも通りのお客様の出足。寒い中、多くのお客様に並んで頂きました。
 チラシの数はいつも通りで、織り込み部隊も、梅團治師匠や、三栄企画の長澤社長らにも応援を頂き、手際良くこなし、定刻の五時半に開場となりました。寒い中を並んで頂いたお客様は、一番太鼓に迎えられて思い思いの椅子に着席されました。開場後、ちょっと、中だるみはありましたが、着到(二番太鼓)がなる頃には丁度の大入満席となりました。
 もとまち寄席・恋雅亭平成二十七年の弥生公演のトップは、笑福亭鶴瓶一門から笑福亭鉄瓶師。師匠の教えを忠実に守って落語への前向きな取り組みは各地の落語会でも評判で、早くから楽屋入りされ、チラシの挟み込みを手伝って頂きました。
『石段』の出囃子で元気良く高座へ登場し、「てっぺいでございまして、よく、てつびんと言われます。」芸名で笑いをとって、始まった本題は、『明石飛脚』の一席。この噺、一度、聞くと面白くて印象に残り、よく演じられるように思われがちですが、意外と珍しい噺で、当席でも数度しか演じられていません。当席にとっては、大阪~西宮~三宮~兵庫~須磨~舞子~明石と地元を通過するご当地落語で、大阪から明石まで手紙を届ける噺でお囃子もふんだんに入ってノリノリの噺。
サゲを言って、『まだ、あります!』。これには客席は大爆笑。続いて、『雪隠(せっちん)飛脚』、そして、『うわばみ飛脚』、客席も演者も軽快な『韋駄天』のお囃子でノリノリ。次を期待されるお客様をすかすような言葉と客席からの大きな拍手で締めくくった鉄瓶師の十五分のトップの重責を見事果たした爆笑大当り高座でありました。
ここで登場する人丸さん(人丸神社)は、歌人の柿本人麻呂を祭神とする神社で、兵庫県明石市と島根県益田市にあるそうです。雪隠(せっちん)とは便所、うわばみとは蛇の大きいのであります。

 二つ目は、当席久々の出演となります故桂吉朝一門から桂吉坊師匠。亡き師匠や米朝師匠の躾教育と造詣の深い古典芸能を土台としての上方落語には定評があります。
 楽屋入りし、チラシの挟み込みも手伝って頂き、『はっはくどき(京の風物を織り込んだ洒落た俗曲)』の出囃子で高座へ登場すると客席から大きな拍手。そして、形の決まったお辞儀。これだけで絵になっていました。
 「久しぶりの恋雅亭でございまして、三年ぶりでございまして、その前も三年ぶり・・・。十八年のキャリアで、初めての二つ目・・・。」と、笑いを誘って、歌舞伎の襲名の話題から、始まった演題は、亡き吉朝師匠も十八番だった芝居噺の『七段目』。
 芝居好きの若旦那、困り果てた大旦那に二階へ上げられ監禁状態。こりずに芝居セリフを大声で・・・。困り果てた大旦那は丁稚の定吉に「静かにせえ」と言いにやらせるが、この定吉も大の芝居好き。若旦那と二人で『仮名手本忠臣蔵』の七段目「祇園一力茶屋の場」の真似を始めたから、さあ大変。・・・・という噺。
 その噺を歌舞伎に造詣の深い師匠が演じるのだから悪かろう筈が無い。仕草もキッチリ決まって、様々な歌舞伎の所作と台詞が入ってその都度、拍手が起こった、演者も客席も大満足の十八分の秀作でありました。
 原話は、初代林屋正蔵師匠が文政二年(明治末期)に出版した笑話本『たいこのはやし』の一遍である「芝居好」。芝居噺に分類される上方噺で、東京でも上演回数は多い噺であります。
サゲにも二種類あり、「てっぺんから落ちたか?」「いえ、七段目」と「七段目で落ちたか」「いえ、てっぺんから」。
 さて、この噺の演題を皆様はどう発音しますか?。 「しちだんめ」ですか、「ひちだんめ」ですか。前者は東京ですが、上方方言では「しち」を「ひち」と言いいますね。ただし、条件があって「し」の後に「ち・つ」場合で、「しち→ヒチ」「しつこい→ヒツコイ」「しつれい→ヒツレイ」など。落語の演題でも、この『七段目』や『七度狐』、『質屋芝居』などは「し」ではなく「ひ」と発しているのではないでしょうか。

 三つ目は、故六代目笑福亭松鶴一門から笑福亭岐代松師匠。長身でいつまでも若々しい師匠、今回も大張り切りで、『どて福』の出囃子で高座へ。マクラは、鹿児島で仕事に行った時の実話談。時間があったので観光地「仙巌園・集成館」に行き、開園以来二百五十万人目の来場客となり、最初は「ドッキリ」かと思ったが、実は本当の話で記念品までもらうのだが、見事なドンデンで笑いを誘って始まった本題は、『運廻し』の一席。
※仙巌園(せんがんえん)は、錦江湾や桜島を庭園の景色に取り入れた雄大な敷地を有する薩摩島津家の別邸。幕末は薩摩藩の迎賓館のような存在だったそうです。
 この噺、兄貴にお酒をご馳走になるためのクダリの前半があるのだが、その部分をカットしていきなり、味噌田楽を食べるために「ん」の付く言葉の言いあいからスタート。
トントンと「ん」が並び、誰の作かは不明だが、各師匠によって、工夫満載の「ん」が並ぶクダリが聴かせ処。
岐代松師匠は、「かあさんお肩を叩きましょ。タントンタントンタントントン。」「新幹線、今晩、突然、停電、全線、動かん、原因、判らん、運転、困難、十七本。」と演じられた。
他には、「嫁はん、逃げてん、どこ行ってん、知らん、判らん、たまらん、帰ってけえへん、キャサリン。」、「テンシンハン、ワンタンメン、ラーメン、レーメン、チャーシューメン、ニクマン、アンマン、ブタマンと、これだけ食べたら腹パンパン」。
・「新幹線、今晩、突然、停電、全線、動かん、原因、わからん、運転、困難、十七本」
サゲまで演じず、「先年、神前苑の・・・」で盛り上げて二十二分の熱演はお後と交代となりました。
ちなみに、「ん」の数は、ご自分でお確かめを。「せんねん、しんぜんえんのもんぜんのやくてん。げんかんばんにんげんはんめんはん。しんきんかっぱんきんかんばんぎんかんばん、きんかんばんこんぼんまんきんたん、ぎんかんばんこんじんはんごんたん。ひょうたんかんばんきゅうてん」

 中トリは、故三代目桂春團治一門から、桂春若師匠。どこかいなせで小粋な師匠で、四代目が決定した一門のまとめ役として、今や上方落語界の重鎮で、今回も『供奴』を一杯、間を取って高座へ登場。マクラはお馴染みの『ジョーク』。これが実に面白い。紙面で紹介するには、間と言葉の妙が表現出来ず割愛。
 本日の演題は、先月号で、桂米朝師匠が演じられておられた『禍は下』という珍しい噺。師匠もマクラで紹介されておられたが、現在演じ手は上方落語界で三名。当席でも過去、平成十六年と二十二年に桂宗助師匠が演じられただけの珍品。
 落語の中には東西で同じ様な志向の噺がありますが、この噺もそれで、東京では『権助魚』という演題で、寄席では割にポピュラーな噺。登場人物は多くないのだが、昔はよくあった光景(旦那・御寮人・お妾・丁稚)の登場人物が織り成すなんとも面白い噺であります。途中にお囃子も入ってムードもタップリで天満橋の網打ちには行かずお妾宅へ、言い訳を授けられて魚屋へ寄って帰路に着く。そこには嫉妬に燃えた御寮人の魔の手が・・・。
 この噺を春若師匠は、演じられない理由を、「1・面白くない。 2・時代に合わず判らない。 3・演じるのが難しい。」と紹介されたが、なんのなんの噺が進んでいく程に客席は大爆笑に包まれ、あっという間の半時間の口演はお中入りとなりました。
※「禍は下から」とは、故事俗信ことわざ大辞典によると、わざわいは、とかく身分の低い者の無思慮な言動によって起こる。身分の低い者の扱いに注意すべきであるということ。とあります。
身分などの考え方は、やはり現在とはマッチしていませんね。

 中入りカブリは、桂文珍一門の筆頭弟子・桂楽珍師匠。なんとも温かみのある風貌と体型で演じられる高座は当席でもお馴染み。
今回も爆笑を期待されるファンの大きな拍手と、出身地にちなんだ『ワイド節』の出囃子で高座へ登場し、座布団へオッチン。そして、にっこりされると、客席はホンワカムード。
マクラは、今、旬な話題の吉本の仕事で池田に行った帰り、阪急電車の窓越しに豊中付近で土地掘削の現場を見た東京出身のマネージャーが、「あれ、森友学園ですか?」。
大受けのマクラは相撲の話題へ。
史上最も弱い力士として、服部桜関を紹介。「まだ、力士生活で一勝しかしていない。負けは五十近い。本年一月場所も0勝七敗、三月の大阪場所も連敗が続くでしょう。」と、ネットで噂なのでと紹介されておられた。小生もネットで見ましたが、とにかく弱い。無気力と言うか笑ってしまいました。興味のある方はご覧あれ。
さらに、息子が力士だったことを紹介し、受けに受けたマクラから始まった演題は力士の登場する『半分垢』。体型も、風貌もご自身のニンもピッタリな噺だけにマクラから続く爆笑の渦はさらに増幅されての二十二分。大爆笑高座でありました。

 三月弥生公演のトリは桂文之助師匠にお願い致しました。地元の兵庫高校を卒業して、昭和五十年に憧れの桂枝雀師匠に入門して雀松。平成二十五年には八十三年ぶりの復活となる上方落語の名跡・桂文之助の三代目を襲名。平成二十八年度第七十一回文化庁芸術祭賞の大衆演芸部門大賞を受賞されるなど大活躍の師匠であります。
 重厚であり、それでいて調子の良い出囃子の『連獅子』に乗って大きな頭(失礼)に満面の笑みで高座へ登場し、『えー、私、もう一席でお開きで・・・。』と、トリしか言えない挨拶を当席・初トリを楽しむように挨拶。
 文之助ワールドの世間話のマクラで爆笑を誘って始まった本題は、米朝師匠、枝雀師匠も十八番の『替り目』の一席で、もちろん、文之助師匠も十八番。師匠が演じられる主人公は何とも可愛い。随所に、「食てしもた。お母さんでも、役所に行けば・・・。」「お母さんが注ぐと盛りが悪いねん。」「頂きました、・・・おいしかったわ。」ファンタジーな表現が盛り込まれる。
 嫁さんに偉そうに言うのであるが実は甘えている。感謝しているのだが面と向かって表現できない。いなくなるとつい本音が出て、それを嫁さんに聞かれ照れくさそうに又、突っ張る。言葉は出ないが嬉しそうな嫁さんの顔が浮かぶような好演。
 その好演に客席の笑いは前のほうから波打つように後方まで、後方の笑いは又、波を打って前の方へと、さらに全体に渦巻くように客席全体が大爆笑に包まれる。再演を大いに期待したいマクラ、発端からサゲまでの完全版・『替り目』、四十分。サゲとなった時には天井が落ちそうなほどの拍手が巻き起こったことが、満足・納得のお客様のサインの何よりの証明。弥生公演はお開きとなりました。