もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第461回 もとまち寄席 恋雅亭 新春初席公演  
◆春駒HOME◆恋雅亭TOP◆公演記録目次
 公演日時: 平成29年1月10日(火)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  森乃  石 松  「鉄砲勇助」
  桂   春 蝶  「紙入れ」
  笑福亭 遊 喬  「首提灯」
  桂   千 朝  「肝つぶし」
    中入
  笑福亭 鶴 笑  「餅屋問答」
  桂   文 珍  「くっしゃみ講釈」(主任)


   打ち出し 21時10分 
   三味線  入谷和女、勝 正子。  
   お囃子  桂 紋四郎。
   お手伝  桂 楽珍、桂 三ノ助。

 今回は、平成二十九年の初公演・第461回新春初席公演を開催させて頂きました。
十二月十一日の前売り開始後、わずか一週間で売り切れとなりました。
電話の問い合わせも多い中、当日を迎えました。当日は、正月明けで、三連休の成人の日翌日の火曜日でしたが、三時には、つ離れのお客様が並ばれるという、いつも以上にお客様の出足も早く、多くのお客様に並んで頂きました。元町本通りを通られる多くの人が、何事かと足を止め、看板をご覧になっておられました。いつもながら長時間、並んで頂いたお客様には申し訳ないことです。
※つ離れとは、ひとつ、ふたつ、みっつ、・・・やっつ、ここのつ、とお、じゅういち、・・・、と二桁になれば、「つ」がなくなる。「つ」が離れると、つ離れと言います。
 チラシもいつもより若干少なく届き、開場準備に間に合わそうと一丸となって、人海戦術で手際良くこなし、定刻の五時半に開場となりました。並んで頂いたお客様は、高座の左右の障子に初席らしく凧ともち花の飾りつけられた高座を見ながら、思い思いの椅子に着席され見る間に満席。当日券のお客様にも立ち見覚悟でご入場頂き、着到(二番太鼓)がなる頃には後方に長椅子を引いて丁度の大入満席となりました。
 一月・新春初席公演トップは、森乃福郎一門の筆頭弟子、平成十五年入門・キャリアつ離れ・十一年の森乃石松師。
 早くから楽屋入りして、上方落語界の最長老・笑福亭松之助師匠の教えを忠実に守って、古い上方落語の型に、自身の工夫と愛くるしい風貌をプラスして演じるべく定刻の六時半開席、祈が入って、初席公演のトップに相応しい『十日戎』の出囃子に乗って登場となりました。
 マクラは、「多くの人の前で落語を演じたが、誰も聞いてくれなかった花火大会の余興。」「たった一人のお客様の前で演じたが、受けなかった観光船の案内係。」と、つないで始まった本題は、初席トップに相応しい? 「嘘つき」の噺、『鉄砲勇助』。
高座に上がる前、「初席トップなので、『商売根問』と思っていたんですけど、この間、『金釣り』が出てたんで、『鉄砲勇助』を、牛の処まで」と、大受け必至の「便所」のくだりを時間の関係でカットする構成と石松師からお伺い致しました。
発端からもっちゃりとした雰囲気と口調がミックスされ、客席はゆったりムード。随所に松之助師匠を彷彿とさせる処もあり、自身の工夫も有りと、トップの重責を充分果たされた十六分の秀作でありました。
この『鉄砲勇助』という題の「鉄砲」とは、昔の上方の言葉で「嘘」のことからきています。
「鉄砲を言う」は、「嘘をつく」ことで、『月並丁稚』のサゲの、「うちの旦さん言うたんは、鉄砲かしらん。」の「鉄砲」も、嘘のことです。このサゲも今は解りにくくなりました。
「河豚」の別名を「鉄砲」と言います。「てっちり」「てっさ」などですが、これは、「弾(たま)に当たる」「たまに当たる。」を掛けたシャレからきています。
 又、この噺は東京では、前半部分を『弥次郎(嘘つき弥次郎)』、後半部分を『嘘つき村』です。
 二つ目は桂春團治一門で、当恋雅亭の噺家側の窓口、マスコミで大活躍中の三代目桂春蝶師匠。早くから楽屋入りされ、楽屋のムードのルンルン。トリの文珍師匠も加わり最高潮。
ここで、春蝶師匠から問題提起。「私は、桂です。林ではありません」。実は、パンフにミスプリントがあったのです。「美味しいですから、ネタにさせて貰います」と、言われておられましたが、申し訳ない大チョンボです。
『新鍛治屋』の出囃子でニコニコ登場して、「えー、報告があります。」と、パンフを見せながら笑いを誘う。「この間も、笑福亭銀瓶兄さんが、桂銀瓶となってまして、誰の弟子?。ケイウンスクさんの弟子」。
そして、マクラは、ネットで評判な「世界で最も有名な三代目は誰」。
師匠の桂春團治、山口組の田岡組長、三代目ジェーソールブラザーズ、堂々の一位は北朝鮮のキムジョンウン。と、客席を大爆笑に包み込んで始まった本題は、十八番の『紙入れ』の一席。落語にも流行(はやり)や廃りがあるようで、この噺は前者に属して当席でも良く演じられる様になった噺。主人が可愛がっている弟分の貸し本屋の新さんをその奥さんも可愛がるパターンの噺で、「町内で知らぬは亭主ばかりなり」の間男噺。
 この噺の舞台の江戸時代の「密通」と、現在の「不倫」が根本的に異なるのは、当時の法律では、掴まれば二人とも死罪、さらに「密通の男女共にその夫が殺し候はば、紛れも無きにおいては、おとがめ無し」。つまり密通の現場を夫が押さえれば、二人を束にして斬り殺しても構わないと、定められているほどの重罪。密通した相手の男のことが、俗に「間男」(まおとこ)という。現実には「その罪を許して亭主五両とり」、と示談金で済ませるということが行われていたらしい。さらに、「据えられて七両二分の膳を食い」と、据え膳に応じたら、なんと夫婦共謀で示談金を巻き上げる「つつもたせ」の手法もあったらしい。余談だが、この「つつもたせ」は漢字で書くと「美人局」と書き、昔は入社試験問題にも出たことがあるらしい。
 このロケーションなので、命を落すかも判らない間男のビクビク度合いは大変なもので、その噺を実に見事に演じる春蝶師匠の口演は、場内は「クスクス」と漏れるような拍手が起こった。出だしは、体を斜にして色っぽく「新さーーん」。場内は「クスクス」。照れくさそうに演じると客席はドッカーンと大爆笑。
 全編、主人公のなよなよした色男、思わずゾクッと誘惑する艶妻、陽気で気楽な旦那。心の動きや意味深な会話、見事に演じ分けた、春蝶師匠の二十二分の好演であった。
 三つ目は、六代目笑福亭松喬一門の二番弟子・笑福亭遊喬師匠。
『琉球節』の出囃子で、長身をやや前屈みにして高座へ。「えー・・・」と、始まったマクラは、今宮えびすで、兄弟子の三喬師匠が、「宝恵(ほえ)駕篭」に乗った実話から、酒の話題へ移って、そして、「上燗屋、へいへいへいと逆らわず」との川柳を紹介。
始まった本題は、松喬師匠の十八番だった、『首提灯』の一席。随所に師匠の息を感じさせる秀作は、上燗屋から首提灯へ展開。全編、大爆笑の二十二分でお後と交代になりました。
この川柳の作者は、西田當百(にしだとうひゃく)。小浜今宮で生まれ、大阪毎日新聞社に入社し、勤務のかたわら川柳を始められたそうです。道頓堀の法善寺横丁にあります、「正弁丹吾亭(しょうべんたんごてい)」の入り口に、この川柳の石碑があります。ちなみに、法善寺横丁の東西の入り口には、松竹新喜劇の藤山寛美先生と上方落語四天王の三代目桂春團治師匠の筆による「法善寺横丁」の看板がかかっています。
 中トリは、米朝一門から、桂千朝師匠。『本調子鞨鼓』の出囃子でゆっくり登場し、マクラもゆったり始まる。キャバクラへ行っても話しが合わないと、紹介して、昔は「好き」と言えなくて、恋煩いとの病気があったと紹介して、マクラから千朝節炸裂で始まった本題は、『肝つぶし』の一席。この噺、師匠直伝の本格的な上方落語。今では判らないことや理解に悩む部分もあって上方落語の中でも力が必要で難しい演題と言われています。筋立ても「夢であった女性に恋煩い」した男の「大恩ある父親への義理」のため病気を治すために「年月揃った妹の生肝を薬」にするため殺す、という内容。陰気な噺なのですが、千朝師匠の語り口にかかるとユッタリとした内容に聞こえたのは小生だけでしょうか?。二十二分の秀作でありました。
 この噺、珍しい噺で、当席では、桂米朝、桂文紅師匠、そして、桂千朝の三師匠が口演されています。今回で四回目、十年に一度の口演となっています。桂文紅師匠が口演された第315回公演時にお伺いした内容をご紹介致します。「(中略)最近、みんな変えてるけど、師匠に教えてもろた通りに残しておこうと思ってなぁ。わしの『牛ほめ』は、途中ではめものが入るし。」「(文團治師匠から)『高尾』『いかけや』『宇柴』『らくだ』『初天神』『質屋蔵』『鬼あざみ』『島巡り』。『古手買い』は残念ながら付けてもろてへんねん、これが残念でならんねん。若い時は、難しい噺を覚えるのが大変で、後に後になってしもて」「(肝つぶし口演後)『肝つぶし』も師匠に習ったんや。15分位と意外と短いで」と、お伺いした。発端の、病気の原因を聞き出すクダリは夢での出来事を意識させず、後半は芝居がかった人情話風の口演もキッチリと、の芸談でありました。
 中入りカブリは、故六代目笑福亭松鶴一門から、当席常連の笑福亭鶴笑師匠。
いつまでも、若々しく、明るく、元気いっぱいの師匠。
いつもの、人形が登場するパペット落語ではなく、袴をキッチリ付けて、本格的な上方落語を演じるべく、今回も大張り切りで『ハリスの旋風(かぜ)』の軽快な出囃子に高座へ登場。
♪ドンガン、ドンがらがった。国松様のお通りだ・・・。ちばてつや先生のTVアニメの主題歌。
出だしから元気一杯で、「えー、一杯のお客様で・・・、文珍師匠の着替えが出来るまで、八時間半ほどしゃべります・・・、高齢化社会で、ボケも四人に一人で、(客席のお客様を)いち、にい、さん、ボケ、いち、にい、さん、ボケ。」
客席は一言一言に大爆笑。直球、直球のマクラから始まった直球の本題は『餅屋問答』。
 この噺、東京では『こんにゃく問答』としてお馴染みの噺。上方へは月亭可朝師匠が仕事で一緒になった立川談志師匠と列車の中で「お互いのネタを交換しよう」と、『こんにゃく問答』と『算段の平兵衛』を互いにけいこして、さらにこんにゃくを餅に変えて広まったようです。その噺を土台をキッチリと餅屋の親っさんはご自身のキャラを生かして愛嬌タップリに、大いに弾けて、禅問答のクダリは威厳の中に笑いを交えて演じられた二十二分の秀作でありました。
 『こんにゃく問答』は、『野ざらし』と同様に二代目林家正蔵師匠の作とされています。二代目は元僧侶であったため「沢善正蔵」とも呼ばれていますし、経験を生かしてこの様な噺を創作されたものと思われます。ちなみに、現代の上方の林家を遡っていくと、この二代目正蔵師匠の弟弟子の初代林家正三師匠にたどり着きます。
初席のトリは、ご存知・桂文珍師匠。早くから楽屋入りされ、石松「ええ味やなぁ」、春蝶「色気あるなぁ」、遊喬「お師匠はんのええとこ取ってんな」、千朝「米之助師匠と文我師匠や」、鶴笑「袴付けて、力入れて、待ってましたで」と、上機嫌で談笑。
『円馬囃子』でユッタリと高座へ登場。お茶子さんが、小拍子を忘れるというハプニング発生。「こんなことは時々あります」と、始まったマクラは、『私は誰でしょう』。「この噺、ダイラケ先生の漫才やねん。面白い噺やで、埋もれてしまうのもったいないで。」と、師匠からお伺いました。
「再婚した女性の連れ子と自分のお父さんが結婚して子供が出来た」。大爆笑のマクラが十五分続いて、始まった本題は『くっしゃみ講釈』。この噺を文珍師匠は、若い時分、五代目文枝師匠から口伝されたそうであります。
発端からサゲまで、二十五分。大爆笑の連続であったことは言うまでもありません。
四十分のサゲの後、多くのお客様を、「シコロ囃子」でお見送り致しました。