もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第460回 もとまち寄席 恋雅亭 師走公演  
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 公演日時: 平成28年12月10日(土)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  桂   雀五郎  「厄払い」
  林家  染 雀  「べかこ」
  桂   わかば  「かけとり」
  笑福亭 三 喬  「転宅」
    中入
  桂   福 車  「無いもの買い」
  桂   文 枝  「芸者ちどり24才 (桂 文枝 作)」(主任)


   打ち出し 21時10分 
   三味線  入谷和女、勝 正子。  
   お囃子  桂 紋四郎。
   お手伝  桂 三歩、桂 三ノ助、桂 三弥、桂 文路郎。

 今回は、今年納となります、第460回師走公演を開催させて頂きました。
十一月十一日の前売り開始後、わずか4時間で売り切れとなりました。
電話の問い合わせも多い中、当日を迎えました。当日は師走の土曜日、さらに神戸ルミナリエも開催されており、師走の寒い中、いつも以上にお客様の出足も早く、多くのお客様に並んで頂きました。元町本通りを通られる多くの人が、何事かと足を止め、看板をご覧になっておられました。
いつもながら長時間、並んで頂いたお客様には申し訳ないことです。
 チラシもいつも以上に多く届き、開場準備に間に合わそうと一丸となって、人海戦術で手際良くこなし、定刻の五時半に開場となりました。並んで頂いたお客様がご来場され見る間に満席。当日券のお客様にも立ち見覚悟でご入場頂き、着到(二番太鼓)がなる頃には後方に立ち見もある大入満席となりました。

 十二月・師走公演トップは、桂雀三郎一門から桂雀五郎師。先席の桂ひろば師と同期となる平成十二年入門ですから、キャリア十四年。もったいないトップバッター。
 一門の伝統のキッチリした基本をベースにパワー溢れ、師匠譲りの爆笑上方落語を演じるべく定刻の六時半開席、祈が入って、『石段』の出囃子に乗って登場となりました。
挨拶からマクラはなしで、本題の『厄払い』がスタート。
東京でも演じられる噺ですが、雀五郎師の演出は純上方風。それも、口伝された通りの古風な演出。トップとして聞いていて実に気持ちが良い、マクラを合わせて十五分の好演でありました。

ちょっとややこしいですが、この噺に登場する厄払いの風習について説明します。
今は2月3日の節分の日に厄払いとして豆まきが行われます。
旧暦では立春正月として、正月と節分は日が近かったため、大晦日から正月にかけて節分の行事の厄払いを行っていました。
旧暦の明治5年12月3日を、グレゴリオ暦・新暦に改暦され、その日を明治6年1月1日としたため、その時から正月からは1か月遅れの2月3日が節分となり厄払いもその日に行われるようになりました。この落語が出来た時代は旧暦ですので大晦日に節分の厄払いを行っていました。ややこしい。
この噺の出来た江戸時代の年越し(節分)は麦飯と赤イワシを食べるのが慣例で、そのイワシの頭をヒイラギの葉に刺して軒に出し厄除けとしました。
主人公が昨年の年越しに売り歩いて、大儲けした「よばし麦」は、麦を一晩水に漬けたもので、各家庭ではこれを買ってご飯にまぜて炊いて麦飯としていました。
厄払いの口上は、「あぁ~ら目出度や、目出度やな、目出度いことで払おなら。鶴は千年、亀は万年、浦島太郎は三千歳、東方朔(とぉぼぉさく)は九千歳(くせんざい)、三浦の大介(おぉすけ)百六つ。かかる目出度き折からに、如何なる悪魔が来よぉとも、この厄払いが引っ掴み、西の海へさらり、厄(やっく)払いまひょ」で、ここでは、長命の人が出てきます。
① 浦島太郎は三千歳(一説には、八千歳、九千歳、七百歳)。『海の声』(うみのこえ)を歌っている桐谷健太さんは違いますが。
② 東方朔(とうぼうさく)は九千歳。中国、前漢の文人で、孫悟空も食べたとされる西王母(せいおうぼ)の桃の実を盗んで食べ長寿となった。
③ 三浦大介(みうらおおすけ)、百六歳。源頼朝に加勢した豪族。享年は八十九歳だが、十七回忌に源頼朝が「私の中に生きている」と言ったため、八十九プラス十七で百六歳。

 二つ目は林家染丸一門から、林家染雀師匠。大阪大学卒業し平成四年入門でキャリア二十二年。理知的、勉強熱心、師匠の指導もバッチリ、「姉様キングス」としてのお茶目な一面もある、マクラで本人は謙遜されておられたが、上方落語界の有望株。
早くから楽屋入りし、ネタ帳をチェック。お囃子の和女嬢を中心としてキッカケの打ち合わせも終わり、『どうぞ叶えて』の出囃子で高座へ登場。
マクラは、前出の雀五郎師が、「ルミナリエを知らなかった」で笑いを誘って、「ここ(恋雅亭)は長いですから色々な噺が出ております。私の方は『べかこ』と言うお噺を・・・」と紹介してスタート。
この噺が演じられなくなった理由を、①面白くない。②噺家がご難に合う噺で縁起が悪い。こんな噺を演じる噺家は出世しない。と分析。
舞台は上方ではなく、肥前武雄温泉(現在の佐賀県武雄市)。発端から師匠直伝を思わせるキッチリとメリハリのきいた展開で噺が進む。主人公の噺家(泥丹坊堅丸:どろたんぼうかたまる)、世話好きな旅館亭主・大黒屋市兵衛、家老・菅沼軍十郎、城中の腰元など全員が、染雀師匠の舌に乗り大活躍。
染雀師匠は随所に工夫を盛り込まれています。城内の各間を案内されるくだりでは、古い型の、松の間、桜の間、桐の間の三光の間(花札の役)を変化させ、白鹿の間、黄桜の間、瀧の鯉(当席広告掲載)の間と日本酒つながりや、朝日(アサヒ)の間、麒麟(キリン)の間、三鳥居(サントリー)の間とビールつながりなどの工夫満載。
日本三鳥居とは、大和吉野にあるのが唐金(からかね)の鳥居、安芸の宮島にあるのが楠(くすのき)の鳥居、天王寺は石の鳥居のこと。
調子に乗って窮地に陥った噺家に絵から飛び出した鶏が・・・。上方落語エッセンスをふんだんに盛り込んだ、二十分の秀作でありました。
演題の『べかこ』は、下まぶたの裏の赤い部分を見せて、軽蔑・拒否の意を示す「あかんベ~」「べっかんこ」のことで、昔の大阪では「べかこ」と言っていました。
来年は酉年ですが、鶏の出て来る落語はあまりありません。この『べかこ』と『鳥屋坊主(東京では万金丹)』、先席、ひろば師が演じられた『法華坊主』。小咄で『鍬烏』くらいでしょうか。

 三つ目は、桂ざこば一門から桂わかば師匠。
昭和六十四年一月一日入門、キャリア二十六年。『まかしょ』の出囃子で、客席の一部の熱狂的ファンの大喝采に応え、満面の笑みで高座へ登場。
マクラは、妙なところで掛け声を掛けられた落語会での失敗談。
本題は、「今日は、大みそかのお話を・・・」と、今は昔となりました師走の風物詩。初代林家蘭玉作とされる『かけとり』の一席がスタート。大晦日の長屋を舞台に、掛け金(ツケ)の回収=掛け取りにやって来る業者に対して、相手の性格に合わせた形で撃退しようとする主人公とのナンセンスなやりとりが展開される噺であります。
**ずくしやパロディを多く用いた、小咄の積み重ねのような構造ですので、演者の力量や工夫が大きな要素となる噺です。
わかば師匠は、ちょっと時代が違いますが、「ラーメン」の言い立てで大いに受けた後、締めはキッチリと芝居好きな掛取りに対しての芝居仕立て、芝居の役者もお見事そのもの。「よっ、わかば師匠!」。二十分の爆笑高座はお後と交代となりました。

 中トリは、来年、師匠の名跡・松喬の七代目を襲名される笑福亭三喬師匠にお願い致しました。
おそらく、三喬としての当席出演は最後となる出演、さらに、初の中トリとあっていつも以上に大張り切りで、いかにも米を洗っていることを連想してしまう『米洗い』の出囃子で万雷の拍手に迎えられ高座へ登場。
見事なつかみから、本題につながる、長屋、お手掛けさん、芸事、地名を紹介。松喬師匠もマクラは見事でしたが、三喬師匠も同じく。お客様の頭に舞台背景が映ったのを見定め、十八番の間抜けで、愛嬌のある憎めない盗人が主人公の『転宅』がスタート。
「盗人三喬」の異名を持つ師匠、上方の盗人噺をほぼ制覇され、この『転宅』のように東京の盗人噺にも取り組まれています。主人公の盗人の容貌はこの噺の中で、翌日の煙草屋の証言として「角刈りで、眉毛が太く」と自画像に見立てて紹介しておられます。見た目の印象で、お客様の頭の中の映像もピッタリです。
この『転宅』という噺、原話は今から三百年以上も前の天明時代に出版された「はつわらい」の一編である「かたり」だそうです。多くの先人たちの工夫にプラス、発端から随所に三喬師匠の工夫がプラスされ抱腹絶倒、爆笑の連続の半時間の名演でお仲入となりました。

 中入りカブリは、桂福團治一門から、当席常連の桂福車師匠。
いつまでも、若々しく、明るく、元気いっぱいの師匠。今回も大張り切りで『草競馬(フォスター作曲)』の軽快な出囃子に高座へ登場し、ご自身の出囃子と大阪のプラゴミ回収車と同じでと爆笑マクラがスタート。大いに休憩ムードから本番ムードへ客席のムードへ変化させて、始まった本題は、初代春團治師匠の十八番で、爆笑上方落語の『無いもの買い』。
二人が商店に無いものを注文し、困らせたり逆にやり込められたりするお馴染みの噺。福車師匠の、とぼけた主人公とダブルようなニンが随所で爆笑を誘う。従来の今ではちょっと判りにくなったサゲも見事に現代でも通じるものに変わった秀作でトリへの交代となりました。
 十二月師走公演のトリは、上方落語協会会長の六代桂文枝師匠に、翌日の高松での小朝師匠との二人会で当日中に高松入りされる大変お忙しい中、御願い致し、「喜んで出してもらうで」と、快諾を頂きました。
当日は早くから楽屋入りされ、過去のネタ帳を懐かしそうにご覧になり、『本調子・中の舞』の重厚な出囃子で、大喝采の客席に向かって一礼、笑顔で手を振られて座布団へ。
出演が五年前の十二月十日の土曜日、その時の中トリがお亡くなりになられた松喬師匠、今日の中トリの三喬さんが来年、松喬の名跡の七代目を襲名。と挨拶。さらに、春團治師匠の死去に伴って、四天王が全て旅立たれ、「今後は我々、若い者が・・・(場内大爆笑)」と、健康管理が大切と病院へ行った時の事実談、やはり、業界は若い人が必要、芸者さんの世界も高齢化と見事につないで、本題の自作の創作落語の傑作『芸者ちどり・24才』がスタート。
発端から大爆笑の連続で紙面ではとても書ききれない絶品。
マクラからサゲまで、笑いが絶えなかった四十分。サゲの後、座布団を外され満席の客席へのお礼で一年を締めくくって頂きました。
・この噺は、過去、二回、YTV平成紅梅亭・平成23年9月11日OA。第348回NHK上方落語の会・平成27年1月15日開催。オンエアーされています。