もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第459回 もとまち寄席 恋雅亭 
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 公演日時: 平成28年11月10日(木)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  桂   ひろば  「法華坊主」
  桂   三 弥  「くもんもん式学習塾」
  笑福亭 鶴 二  「お神酒徳利」
  桂   文 也  「出来心」
    中入
  月 亭 文 都  「鬼の面」
  桂   春之輔  「まめだ」(主任)


   三味線  勝 正子、佐々木千華。  
   お囃子  月亭 天使。
   お手伝  桂 三ノ助、桂 弥っこ、月亭秀都、月亭都来。

 今回は、今年十一回目となります、第459回公演を開催させて頂きました。
十月十一日の前売り開始後、じわじわ売れ続け前日には売り切れとなりました。
電話の問い合わせも多い中、当日を迎えました。当日は前日から冬本番を思わせる気温。天候も良く、いつもと同じようなお客様の出足で、多くのお客様に並んで頂きました。いつもながら長時間、並んで頂いたお客様には申し訳ないことです。
 いつも以上に多く届いたチラシを開場準備に間に合わそうと一丸となって、人海戦術で手際良くこなし、定刻の五時半に開場となりました。並んで頂いたお客様がご来場され一服。その後も、ご来場されるお客様は途切れず着到(二番太鼓)がなる頃には大入満席となりました。

 十一月・霜月公演トップは、当席・常連、桂ざこば一門の元気印・桂ひろば師。平成十二年入門ですから、キャリア十四年。もったいないトップバッター。
 一門の伝統のキッチリした基本をベースにパワー溢れ、師匠譲りの爆笑上方落語を演じるべく定刻の六時半開席、祈が入って、『石段』の出囃子に乗って登場となりました。
マクラは、自己紹介を兼ねて芸名の由来。師匠が朝丸時代の入門者は「丸」が付き、ざこば襲名後の入門者は「ば」が付くと紹介。芸名の候補は「ひろば」「なんば(大阪の難波出身だから」・・・「はかば」と紹介して笑いを誘い、アルバイトの「落語家と行くなにわ探検クルーズ」の実話を紹介し、これまた客席は大爆笑。
「ここで、出ていないネタと思って『米朝全集』を見ておりましたらありました」と、にわとりの小咄を二つ紹介して始まった本題は、『法華坊主』の一席。勿論、当席初口演です。
若い和尚が亡き主人の供養を続けるうちにそこの後家さんと、良い仲になってしまう。二人で寝ていると早朝、にわとりの鳴き声が「ホッケボーズ(法華坊主)」と聞こえる。「祖師の戒めの言葉だ」と解釈した和尚は姿を消してしまう。逆恨みの後家さんが逆恨みとにわとりをいじめる。いじめられたにわとりは、おもわず、「ゴケコワァ(後家怖ぁ)」。
大師匠の桂米朝師匠しか演じられなかった珍品中の珍品は、マクラを合わせて十五分は勿体無い。

 二つ目は桂文枝一門から、地元在住の桂三弥師。出身地の三重県名張市の観光大使でもあります。『お若いの』の出囃子で笑顔一杯で登場し、「私のほうは、六代桂文枝の十一番目の弟子で、上から順番に言いましょか・・・。」と、笑いを誘う。
そして、「生活できませんので私も『なにわ探検クルーズ』をやってまして、先ほどのひろば君は米朝事務所でして、一万円のギャラでしたら七千円は貰えますが、私は吉本興業でして、やさしいので私は千円です。ですから、会社には内緒です。」と、嘘か真か判らないマクラで笑いを誘い、さらに「探検クルーズ」の実話で笑いを拡大し、副業も色々有りましてと師匠の自作の創作落語『くもんもん式学習塾』の一席がスタート。
組を運用していく為にシノギが暴対法の影響で厳しくなった為、野球トバクで取り上げた駅前の学習塾を使って塾の営業に乗り出す。
教えるのは勿論、チャカ(拳銃)の握り方、因縁のつけ方ではなく、高校進学。
ただ、その筋の先生だけにその教え方は、任侠道に基づく、ちょっと行き過ぎた礼儀正しさ。
進路指導で「どこに入ったら?」の質問に「府中、網走・・・」と監獄の名前を挙げるトンチンカンもあるが、学習態度の悪かった生徒達の態度も一変し、出席率も、学力もグングンアップし、親は手放しで大喜び。
 そして、ついに参観日前日となる。塾長「おい、明日はいよいよ父兄参観日じゃ、えらいこっちゃ」先生「まかしといておくれやす。父兄参観日は、わしがきっちりし、きめまっさかいに」塾長「あんまり、はりきりなや、父兄、言うても大阪府警や」デンデン。
キャリア十七年の二つ目も大いに弾けた十七分でありました。

 三つ目は、故六代目松鶴一門の末弟笑福亭鶴二師匠。
末弟と言っても昭和六十一年ですからキャリア三十年。
事前に師匠から電話で問い合わせで三つ目のネタの打ち合わせを実施しての当日。
『独楽』の出囃子で、満面の笑みで高座へ登場。「いつもながらの一杯のお客さまでありがとうございます・・・。この時期になりますと、お客様からお酒を誘われることが多くなります・・・。」と、宴席での実話で笑いを誘って、「今日はお酒のお噂を・・・。」と、さっそく本題の『お神酒徳利』の一席がスタート。
 大切な御神酒徳利がなくなった。自分が原因なのだが言い出し難く、苦し紛れに占いで探し当てるのだが、占いの大先生と誤解されて物語は思わぬ方向へ発展し、舞台は大阪から、広島へ向かう途中の尾道へと展開する。その間、賑やかにお囃子もタップリ入って上方風に脚色。おしまいは・・・と、「あっ」と驚くサゲ。
上方で現在演じられている噺は、長らく演じ手のなかった噺を円生師匠の型を上方バリにちょっとコッテリ風に文珍師匠が本家帰りされたものが土台となっています。
鶴二師匠は、先人の型を土台に、舞台や設定を代え、実に軽くてええ加減な主人公がツキだけで物語の中で大活躍。ここらが、鶴二師匠のニンとマッチして実に面白く、一瞬の間と目線で客席の笑いを誘う。キャリア三十年超で独演会やトリで大ネタを演じられておられる抜群の安定感。
物語りも広島へ到着せず、尾道でサゲとなり、この先の展開に余韻を残す秀作。
なんとものどかで、ほんわかとさせる二十二分の大爆笑編でお後と交代となりました。

二つの『御神酒徳利』について
この噺、二つの流れがありますが元々は上方噺です。
一つは古くからある上方落語『占い八百屋』を、明治の文豪夏目漱石氏が名人と称した三代目柳家小さん師匠が東京へ移植され、人間国宝の五代目柳家小さん師匠の『占い八百屋』。
 もう一つは六代目三遊亭円生師匠が公演後のインタビューで「この噺は、金原亭馬生師匠(五代目・帰京し赤馬生と呼ばれた)が、大阪時代に覚えたものを口伝された」と答えられておられた『お神酒徳利』。
さらに、この噺を円生師匠は昭和48年明年皇后陛下の古希の御祝いで、宮中の御前口演されたことは有名な話であります。
この五代目馬生師匠が東京へ帰京された時には東京には既に六代目馬生が存在したので、六代目を黒馬生、五代目を赤馬生と称したとの記録があります。なお、七代目馬生は五代目古今亭志ん生師匠、十代目は古今亭志ん朝師匠の実兄、当代は十一代目です。

 中トリは、先代文枝一門の纏め役でもありました桂文也師匠にお願い致しました。
当席では中トリとして、五代目師匠の落語は「パーア、サー、ザー、チャーとやんねん」の教えをベースに京都生まれのはんなりとした心地よい上方落語演じて頂いています。
早くから楽屋入りされた師匠と談笑。
「うちの師匠、晩年、『若い時に演(や)ってはった軽い噺をやりたいねん。』と言うてはってん。そんな特集も企画して、良かったで。何時になったらあんな風に出来るんかなぁと思って楽しんでん。今の『時うどん』なんか、ほとんど内の師匠のクスグリやで。今日は、師匠もやってはった『花色木綿』をするわ。中トリやから『出来心』として、前半を充実させてな。」と、演題が決定。
『五條橋』の出囃子で高座へ登場して、マクラはアメリカ大統領選。「何で、みんな拍手して出てくるんかなぁ。若手の漫才師みたいに。キム・ジョンウンみたいに。それに、指、指しますやろ。私らおかあちゃんに怒られました。指、指したらあかん。」
落語会の客層を色で「茶」。三十年後が心配。しかし、若い人も多く、落語はなくならない。との爆笑マクラの後、始まったの本題は『出来心』の一席。
これが実に結構で、師匠の人間性そのままの愛嬌溢れる憎めない間抜けな盗人が主人公。
前半は盗人の親分に呼び出された主人公、自分の失敗談を報告するとこれでもかと客席からは笑いが起こる。親分から見つかった時の言い訳を教えてもらって空き巣へ出発。
 そして、後半はお馴染みの『花色木綿』。空き巣に入るが何も無い。そこへ住人が帰って来る。
入られたことをいいことに盗まれてもいないものを並び立てる。遂に怒り心頭の盗人が登場。
逆に追い詰められ、親分から教わった言い訳を・・・。発端からサゲまで、随所に憧れの先代文枝師匠の息を感じさせる爆笑の連続の二十五分の名演でお仲入となりました。
演題になっている花色木綿の色は、花の色のことではなく、薄い藍色です。
詳しく説明すると判り難くなりますが、藍色よりも薄く、浅葱色(あさぎいろ)より濃い色で、
浅葱色とは、平安時代からある色で、薄い葱(ねぎ)の葉にちなんだ色だそうです。
日本には多くの色が存在していますねぇ。日本文化の奥深さを感じます。

 中入りカブリは、月亭八方一門から、勉強家で努力家、各地の落語会を積極的に取り組まれておられる月亭文都師匠。本日は、文都一門が勢ぞろいとなりました。
今回も愛嬌タップリでホンワカムード、プラス、粋な師匠、『おかめ』の出囃子で登場。「えー、
なごやかで、おだやかな休憩も終わりまして、後半戦のスタートで・・・。」
この一言で、文都ワールドへ突入。
マクラは、阪神大震災直後に生まれ、雪のちらちら降る寒い日だったので、「こゆき」と命名した長女の命名秘話を紹介し、今年、その娘に子供が出来、ジージーになったとつなげて、昔は女の子は守奉公したと、つないで始まった本題は『鬼の面』。十八番である。
 この噺、全編、何か昔話を聞くようなホンワカとした秀作で、大阪船場と池田と今なら電車で半時間も掛らない距離だが昔は歩いての旅と大きな舞台設定。師匠のムードとピッタリで、この噺を演じると、奉公先の主人を筆頭に隠れて博打をしている人も登場人物全員が善人に。ここらが落語の面白い処で、二十分の熱演高座に会場は拍手が溢れてトリと交代になりました。

 十一月公演のトリは、上方落語界の大御所で上方落語協会副会長の桂春之輔師匠に御願い
致しました。今回も故春團治師匠の教えを忠実に守って、ご自身の工夫に満ちた上方落語をお楽しみにと紹介しました。勿論、出演交渉にも「喜んで出してもらうで」と快諾頂きました。
『月宮殿鶴亀』の出囃子で高座へ登場し、マクラは、四代目春團治は誰?。文枝師匠の女性関係のその後は?。と、今の関心事。
 そして、始まった本題は『まめだ(三田純一作)』の一席。
笑いの少ない噺ではありますが、師匠のイメージとピッタリなホンワカした中にホロッとする筋立てで、落語では珍しい秋の噺。米朝師匠をお手本にして、ご自身の工夫をちりばめた、絵を見るようなすばらしい構成。
風に散った銀杏の葉がまめだに舞い散る文学的な表現で余韻の残った名画を見るような見事なサゲ。跳ね時間が何時もより二十分早かった。何か付け足すかと思いましたが、この雰囲気の噺には無理。噺の力で満足感が有り納得してしまったトリの名演でありました。
前にちょっと、軽めの噺を演じられ、『まめだ』でお開きとなれば、最高だったのですが、ちょっと、残念。
当席でこの噺が演じられるのは、これで三度目。
①昭和五十九年十一月・第80回公演。桂米朝演。②平成二十四年十月・第410回公演。笑福亭竹林演。