もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第456回 もとまち寄席 恋雅亭 
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 公演日時: 平成28年8月10日(水)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  笑福亭 喬 介  「饅頭怖い」
  桂   歌之助  「道具屋」
  月 亭 遊 方  「憧れの一人暮らし」
  桂   きん枝  「貧乏神 各駅亭 車作」
    中入
  笑福亭 晃 瓶  「手水廻し」
  桂   塩 鯛  「船弁慶」(主任)


   三味線  勝 正子。
   お囃子  桂 紋四郎。
   お手伝  笑福亭遊喬。

 今回は、今年八回目となります、第456回公演を開催させて頂きました。
六月十一日の前売り開始後、順調な売れ行きで、七月を待たずに完売。その後も電話の問い合わせも多い中、当日を迎えました。当日は日曜日で、さらに参議院選挙投票日。天候も良く、いつも以上にお客様のご来場も早く、本通りに溢れそうになったお客様を二度三度と前に詰めて頂きました。いつもながら長時間、並んで頂いたお客様には申し訳ないことです。
 いつも以上に多く届いたチラシを開場準備に間に合わそうと一丸となって、人海戦術で手際良くこなし、定刻の五時半に開場となりました。その後も、ご来場されるお客様は途切れず着到(二番太鼓)がなる頃には大入満席となりました。

定刻の六時半開席となり、『石段』の出囃子に乗って、笑福亭喬介師が登場し、「さあ、只今から開演でございまして、トップバッター笑福亭喬介でございます。楽しく落語を聞いて頂ければありがたいと思います。世の中にはいろんな失敗ごと、失敗しようとしても・・・じゃないわ、何やろ・・・。」と、独特のスタイルでスタート。
自身の落語会での失敗談のマクラで客席の爆笑を誘って始まった本題は『饅頭怖い』とお馴染みの一席。好きなものの訊ねあいから、嫌いなもの怖いものの訊ねあい。
そしてミッちゃんの策略に見事はまってのサゲとなりました。
ますます、何か得体の知れない感じに更に磨きがかかった、これからが楽しみな喬介師でありました。

 二つ目は、三代目桂歌之助師匠。亡き師匠や一門の兄弟子の教えを忠実に守って各地の落語会で大活躍。張り切っての出演となりました。
『雛鶴三番叟』の出囃子でにこやかに高座へ登場。客席全体からの拍手に対して「ありがとうございます。続きまして、歌之助でお付き合い願っておきます・・・。」と、あいさつから、マクラでご自身の小学校での落語教室での実話を紹介し、笑いをとってスッと始まった本題は、『道具屋』の一席。
 古今東西に多くの演じ手のいるポピュラーな噺は、古くからある小咄を集めて、一席の噺に仕立てたオムニバス形式。
多くの演じ手のいるということは、比べられたり、お客様が良くご存知と、難しい噺とも言えます。その噺を基本に忠実にキッチリと演じられる。【落語の口伝は、噺を付ける(教える)ほうが、ご自身が教そわったことをそのまま伝え、次にご自身の演出を口伝されるのであります。この辺りは実にキッチリした口伝の方法であります】
随所に師匠の工夫が散りばめられ、端正な顔立ち同様、端正な落語できっちりとツボツボで客席から狙い済ましたような笑いが来た十五分強の好演。サゲと同時に一段と大きな拍手が起こりました。
 この『道具屋』には多くのサゲが存在している。歌之助師匠のサゲは次の①であった。
サゲだけ書くとなんのこっちゃ判りにくいが、
①「そんな、足元みるな」「いや、手元みております」。
②「この鉄砲の台は?」「樫です」「値は?」「ズドーン」。
③「木刀では抜けない。何か抜けるものは?」「お雛さんの首が抜けます」
④「あー、家、一軒盗まれた」

・・・  『落語よもやまはなし』  歌之助三代  紹介  ・・・
・初代は明治時代に活躍された売れっ子。
・二代目歌之助師匠は、昭和42年に桂米朝師匠に入門し、桂扇朝を名乗る。
落語会開催のたびに不幸な出来事が起こるため、姓名判断に凝っていた香川登志緒先生の勧めもあって、昭和五十年に歌之助を襲名。
古典、創作の両方得意とし、端正な語り口と知的ユーモア、鋭い批評性で人気があった。
当席へも数多く出演頂き、平成十四年にお亡くなりになられました。
・当代(三代目)は、千葉大学工学部卒業後、平成九年に二代目桂歌之助に入門し、歌々志(かかし)と命名される。
歌々志(案山子)の名前の由来は、師匠・歌之助の「歌」に、崇拝する雀々師匠の「々」、大師匠の桂米朝師匠の「子だと弱々しい」と考案された「志」の各字をつなげたものだそうです。
師匠が亡くなられ、平成十九年に天満天神繁昌亭オープン以来、初めての襲名披露公演となる「三代目桂歌之助襲名披露公演」が行われました。
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三つ目は月亭遊方師匠。
当席常連の師匠ですが、久々のご出演。前回が422回公演ですから約3年ぶり。
早くからご自身のチラシ持参でハイテンションな楽屋入り。。
今回のチラシは、『月亭遊方の正々俺舞台 噺家30周年記念独演会その3』。
九月十三日に天満天神繁昌亭で開催される。ゲストには東京から川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)師匠を迎えて開催です。
上方ではあまり馴染みがありませんが、川柳師匠は東京の落語界では知らぬ人なしの有名人。今年八十五歳ですが、連日寄席で自作の『昭和歌謡史(通称:ガーコン)』なる創作歌謡落語で衰えぬ美声で大活躍中の師匠です。
準備も万全で軽快な『岩見』の出囃子で飛び込むように高座へ元気一杯に登場。いつもながら現代性溢れるマクラからスタート。今回は住まいの話題。場所や作りとロケーションとマッチしない住宅名を紹介して野田阪神での悲惨な一人暮らしの実態を紹介。壁が薄いので隣の鼻を咬む音は勿論、ティッシュを取る音まで聞こえる。友人との会話には、「何でやねん」と、つっこみを入れるが、落語の稽古は笑わない。などと大いに笑いをとって、始まった本題は自作の創作落語『憧れの一人暮らし』の一席。
 一人暮らしに憧れた息子が、一人暮らしのための部屋探すため、不動産屋さんを訪れ、あれこれ物色するのだが、なかなか思い通りの部屋が見つからない。この主人公と不動産屋さんとの会話のクダリが実に馬鹿馬鹿しく面白い。ここらが、創作落語作りの達人の遊方師匠と、演じ手として、いつまでも面白ろい兄ちゃんの遊方師匠の相乗効果であろう。
偶然、不動産屋さんで父親と遭遇し、理由を聞くと父は離婚を決意して家探しとのこと。やはり一人暮らしを諦め母親と二人暮らししかないと決意し家に帰った息子に母親が言い放った一言がスコーンとサゲになりました、昨今の家庭事情を題材に、随所にちりばめられたクスグリと、たたみ掛けるような元気一杯の口演が見事にマッチ爆発して大いに盛り上がった二十分強の熱演でありました。

 中トリは、お馴染みの桂きん枝師匠。「愛のキューピット」だった師匠も今や上方落語協会の副会長。
文枝会長の元、五人の副会長の一員として外部公演の責任者で懸案の神戸繁昌亭の設立に尽力されておられます。ちなみに、「繁昌亭全般」を桂春之輔師匠、「広報宣伝」を笑福亭鶴瓶師匠、「企画戦略」を笑福亭仁智師匠、そして、「若手育成」を桂米団治師匠が担当されることなりました。
昨今、落語への情熱が開花し各地で精力的に落語会に出演されておられる師匠。出演依頼に対して、「喜んで出してもらうで」と、快諾頂きました。
 きん枝師匠の楽屋入りが開演を過ぎてもなく、ちょっとやきもきする中、七時過ぎに自家用車で到着される。「悪い、悪い、道に迷よてな」と、着替えを済ませれる。『相川』の出囃子で高座へ登場、袖で一礼されると、待ち兼ねたように本日一番の拍手が起こる。
「久しぶりの恋雅亭でございまして、実は、車で来たのですが迷ってしまいまして・・・」と、実話をさっそくマクラにして笑いを誘う。
そして、「今日は誰も演(や)りません。おそらく、お客様も聞いたことがないと思います。」と、断って始まったのは、各駅亭 車(かくえきていしゃ)作・『貧乏神』の一席。発端からサゲまで、古典の匂いのプンプンする内容。登場人物がきん枝師匠の人の良さとミックスされ大活躍。爆笑、苦笑、大爆笑と大いに盛り上がった半時間でお中入りとなりました。

 中入り後は笑福亭鶴瓶一門の二番弟子でで地元京都のラジオ局でパーソナリティとして活躍中、勿論、落語もバッチリの笑福亭晃瓶師匠。
早くから楽屋入りされ、準備はOK。『太湖船』の出囃子で高座へ登場し、「えー、先程のきん枝師匠は飛び込みの楽屋入りでしたが、私は早くから着いてまして、待ち疲れですわ。なんか、なまあくびが出ますね。こういう時は集中出来ひんから出来が悪い(客席は大爆笑)・・・。」
 マクラはラジオでの失敗談からパートナーの女性の特異な行動を紹介、などなど、次々と爆笑ネタのオンパレード。鶴瓶師匠の会話の息と間を上手く受け継いで客席を大爆笑を誘う。
 のりのりのマクラが続いて、「それでは、落語は『手水廻し』」と、今では、ちょっと判り難くくなった「手水を廻す」の意味の説明をネタがチョンバレになってしまうからか、詳しくせずスタート。
この噺、純上方噺で、通して演じる場合は『貝野村』。
船場の若旦那が丹波の貝野村の庄屋家へ入り婿の式を挙げての、翌朝、景色がエエので、庭を眺めながら庭先・縁先で、手水を使おうと、女中さんを呼びまして、「ここへ手水を廻してくれ」と後半へつながる。ここからが『手水廻し』で『貝野村』の後半部分を独立させた噺。
当席でも口演回数の多いお馴染みの噺だが、マクラの勢いそのままの師匠の好演は、発端からはじけにはじけ、客席は大爆笑の連続。語って見せて笑わして、やや長かった三十五分の熱演でありました。

小生は明治生まれの祖父母が「朝、起きたらすぐ手水使えよ」よく使っていたので判りますが、手
水という言葉は今や死語となりました。ものの本によると、手水とは、①手や顔などを水で洗うこと。②社寺に参拝する前などに、手や口を水で清めること。③清めるために使う水のこと「―を使う」。④用便のあと手を洗うところから、便所へ行くこと。⑤そのものズバリで小便のこと。「―をさせて子供を寝かす」⑥便所のこと。「―に行く」。と、色々な使われ方をしていたようです。
音の変化は手水(テミヅ → テウヅ → チョーズ)となったとあります。

八月公演のトリは、ざこば一門の総領弟子で上方落語界の重鎮・四代目桂塩鯛師匠。
都丸時代の『猫じゃ猫じゃ』と同様の軽快な『鯛や鯛』の出囃子に乗って高座へ登場。
「えー、これでお開きでございまして(この微妙な間に客席、大爆笑)、ちょっと時間が延びたようでございます・・・。毎日、暑い日が続いておりまして、よう、来はりましたなぁ、私は来るのがいややったんですが・・・。」と、「今は、冷房が効いておりますが、昔は外で夕涼みでしたが・・・、上等の遊びは船遊びでございまして、・・・。」
と、天神祭りでの船遊びでのざこば師匠の実話で笑いを充分取って、「一昔前の贅沢な船遊び・・・」と、始まった演題は『船弁慶』。
 この噺、上方落語の中で、夏のネタの代表傑作です。多くの噺が東西で演じられていますが、この噺と『遊山船』は、上方の香りムンムンですので、東京への移植は難しいのでは。聴かせ処の雷のお松っんの独り舞台や、怖い女房を語る喜公のクダリは圧巻で会場からは大きな拍手が起こる。サゲの前の喜六と雷のお松っんとの弁慶と知盛の祈り。
「川の真中へすっくと立って、『そもそも、これわ、桓武天皇九代の後胤、平の知盛亡霊なり』」「その時、喜六は、少しも騒がず、数珠さらさらと押しもんで『東方降三世(こぉざんぜ)夜叉明王、南方軍茶利(ぐんだり)夜叉明王 西方大威徳夜叉明王、北方金剛夜叉明王、中央大日大聖不動明王』」。
はめものもタップリ入って盛り上がり、都丸から塩鯛を襲名後、ますます、充実の師匠。
枝雀+ばこばの両師匠の繊細と粗さがミックスされた魅力的な好演は発端からサゲまでのタップリの半時間超でありました。客席から大満足の拍手で八月公演はお開きとなりました。
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この噺のサゲは、能楽の『船弁慶』(ふなべんけい)で、『平家物語』、『吾妻鏡』などを土台に観世小次郎信光作とされています。弁慶と平知盛の祈りの場面はその後半。
シテ⇒平知盛、ワキ⇒武蔵坊弁慶、源義経と従者三人が登場人物です。
能の主人公は「シテ(為手、仕手)」と呼ばれ、多くの場合、神や亡霊、天狗、鬼など超自然的な存在だそうです。『船弁慶』の場合は平知盛の亡霊。
ワキはシテとともに能に不可欠な登場人物でシテの思いを聞き出す役割を担う僧侶役であることが非常に多い。舞台上で華々しくなく坐っていることが殆どだそうです。
義経一行が乗った船に武庫山(いまの六甲山)から風が吹き降り、だんだん沖合いに流されていく。従者がこの船にはあやかしがついているのではないかと心配する。波も高くなる。海に沈んだ平家一門のたたりと言う中、長刀をかたげた知盛の霊があらわれ、義経を海に沈めんと激しい舞を舞う。義経を守ろうと弁慶は刀ではかなわないと数珠を繰って経文を唱える。弁慶の祈りの力が功を奏し知盛の悪霊は引き潮に引かれて遠ざかっていく。