もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第454回 もとまち寄席 恋雅亭 
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 公演日時: 平成28年6月10日(金)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  桂   吉の丞  「天災」
  笑福亭 右 喬  「犬の目」
  桂   出 丸  「寄合酒」
  笑福亭 呂 鶴  「皿屋敷」
    中入
  桂   文 昇  「嬶違い」
  桂   南 光  「佐野山」(主任)


   三味線  勝 正子。
   お囃子  桂 紋四郎。

 今回は、今年六回目となります、第454回水無月公演を開催させて頂きました。
5月11日の前売り開始後、順調な売れ行きで、僅か十日で完売。その後も電話の問い合わせも多い中、当日を迎えました。当日は週末の金曜日で天候も良く、いつも以上にお客様のご来場も早く、本通りに溢れそうになったお客様を二度三度と前に詰めて頂きました。いつもながら長時間、並んで頂いたお客様には申し訳ないことです。
 今回もいつも以上に多く届いたチラシを開場準備に間に合わそうと一丸となって、人海戦術で手際良くこなす。今回はやや、人手不足。定刻の五時半に開場となり、次々とお客様にご入場頂きました。
その後も、ご来場されるお客様は途切れず着到(二番太鼓)がなる頃には立ち見も出る大入満席となりました。

 六月公演トップは、故桂吉朝一門の末弟・桂吉の丞師。厳しかった師匠の教えを忠実に守って、キッチリした高座や楽屋での立ち振る舞いは各地の落語会でも定評があります。
トップとして重責を果たして爆笑公演とすべく早くから楽屋入りし、準備に余念無く『石段』の出囃子で高座へ登場。
マクラもそこそこに始まった本題は、一門に多くの演じ手のおられる『天災』の一席。
心学の教えをトンチンカンに混ぜこぜに使って大爆笑を誘う一席は、発端からサゲまで、前座の持ち時間の十五分を忠実に守って、どこをはしょったか判らないほど仕上がっていた好演した。
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心学とは、江戸時代の享保年間に興った庶民教育思想で、儒教、仏教、神道の三教の教えを、判り易く道徳の実践を説いたもので、この噺で登場する、「気に入らぬ風もあろぉに柳かな。ムッとして帰れば角の柳かな。」は、気に入らないことがあっても柳のように風の方向、強弱によらず自在になびき受け流すように振舞いなさい。という教えだそうです。
 この噺に登場する、中川のご隠居は、本名を中川清。先年亡くなられたは米朝師匠の本名であります。
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 中入り後に演じられる、『嬶(かか)違い』、この噺での嬶(かか)は、元は幼児語の父(とと)、母(かか)でしたが、自分の妻または他家の主婦を親しんで呼ぶ、「かかあ~」となったものです。
現在、NHKの朝の連ドラの『とと姉ちゃん』でもご存知の通りです。

 二つ目は、故笑福亭松喬一門から個性派・笑福亭右喬師。
本人はいたって真面目に演じられるのですが、各地の落語会での爆笑落語は皆様ご存じの処で、今回も客席全体から巻き起こるような大爆笑請け合いと、『おっかけ』の出囃子に乗って高座へ登場。
「えー・・・」の一言で客席の雰囲気は「右喬ワールド」となり、爆笑マクラがスタート。
内容は何でもない世間話のご自身の入院実話。一言一言に客席からは大爆笑が巻き起こる。
そして、始まった本題は、前座噺の定番の『犬の目』の一席。よく演じられる噺ですが、マクラの余韻そのままに大爆笑の連続の十八分の熱演でありました。
 この原話の原話は江戸中期の安永時代に出版された笑話本『聞上手』の一編「眼玉」という噺で、東京では、先程、人気番組『笑点』のレギュラーになられた、二代目林家三平師匠の実父で先代の昭和の爆笑王・初代林家三平師匠の十八番でした。
上方では、橘ノ円都師匠から桂米朝師匠に伝わり、仕立て直され多くの演じ手が演じられている噺です。ちなみにこの犬は雄です。

 三つ目は、ざこば一門から桂出丸師匠。
芸名からもお分かりの通り、ざこば師匠が朝丸時代の入門でキャリア三十年の逸材です。
なお、芸名は本名の真田庸夫から大阪ゆかりの武将・真田幸村の出丸に由来しているようです。
今年のNHK大河ドラマは『真田丸』。まさしく当たり年です。
ちなみに真田一族の末裔か否かは不明です。
 その出丸師匠、当席でも師匠譲りの元気一杯の、一門伝統の基本に裏打ちされた高座でファンも多く、正子のお師匠はんの奏でる『せつほんかいな』のうきうきする様な出囃子に乗って高座へ登場。
マクラはで笑いをとって、始まった本題は酒噺の定番の『寄合酒』。
出丸師匠にとっては、第411回公演以来の再演となる十八番の一席です。
この噺は色々な部分を足したり引いたりすることが可能な噺ですが、一つ間違うと間延びしたり物足りなかったりする難しい噺とされています。
その噺の色々な登場人物が出丸師匠の味のある好演で実に生き生きと活躍して客席の大爆笑を誘った二十分強の好演でありました。
 この噺でも、「アホらしもない」「シミッタレ」「ぎょ~さん」「えらい」「何じゃかんじゃ」「なぶる」「ドタマ」「あんじょう」「ほかす」「いわす」などなど、数多くの大阪弁が登場します。

 中トリは、笑福亭一門・上方落語界の大御所、笑福亭呂鶴師匠にお願い致しました。
今回も早くから楽屋入りされ、準備OK。お茶子さんに「見台の右横に湯飲みを置いて。」と指定され、ドッシリとし落ち着いた出囃子の『小鍛冶』の出囃子に乗ってユッタリと高座へ登場。
マクラもそこそこに始まったのは『皿屋敷』の一席。
数多い呂鶴師匠の演題の中でも、当席では初演となり、小生も初めて聴く噺であります。
「ほたら何ですか?」と、皿屋敷の由来を聞きに行っての怪談噺のクダリ。
さらに車屋敷(姫路ではそう呼ばれていた)までの滑稽な道中、お菊さんの登場に一瞬恐怖が走る一行だったが「明日の晩も行こ」。翌日からはお祭り騒ぎで幽霊見物。
お菊さんも豹変。そして、サゲ、と続く実によどみのない高座は、二十分。
熱演。客席の拍手が暫く鳴り止まずお中入りとなりました。なかった秀演でありました。
現在上方で演じられている『皿屋敷』は米朝師匠によりますと、二代目桂三木助師匠→橘ノ円都師匠→四代目桂米團治師匠→桂米朝師匠。
米朝師匠から三代目桂春團治師匠に口伝され、さらに多くの演者に継承されたそうであります。
この噺の骨組みとなっている「皿屋敷」は、主家の家宝の皿を割って成敗され、井戸に投げ込まれたお菊が幽霊となって夜毎現れて、皿の数を読むという伝説を元に、浄瑠璃「播州皿屋敷」、歌舞伎「新皿屋敷月雨暈(つきのあまがさ)」、さらに岡本綺堂作「番町皿屋敷」などとして演じられています。 
日本各地にその類話がみられ、出雲国松江、土佐国幡多郡、さらに尼崎を舞台とした(皿ではなく針にまつわる)異聞がありますが、特に有名なのが、播州姫路が舞台の『播州皿屋敷』(ばんしゅう-)、江戸番町が舞台の『番町皿屋敷』(ばんちょう-、ばんまち-)です。
 それともう一つ、この噺でもお菊さんの生まれ変わりと紹介されています、お菊虫は、ジャコウアゲハのサナギではないかと考えられていますが、これも諸説あるようです。

 中入りカブリは、先代桂文枝一門から桂文昇師匠。容姿を「シューッ」か「ペチャ」かに大別すると、「シューッ」に属する文昇師匠。
昭和五十九年に先代桂文枝師匠に入門し、本名の上国料 浩(かみこくりょう ひろし)から、桂小國(こくに)と命名され、平成十年に名跡・四代目桂文昇を襲名された。
 当席へも小國時代から数多く出演頂き、「シューッ」の芸で客席全体を爆笑に包み込んで頂いております。
今回もと、『越後獅子』の名調子に乗って高座へ登場。
 マクラは、娘さんの結婚の話題。この娘さんが天然。TVで、露天風呂でレポーターの「百八十度の絶景です。」に対して「熱くて入られへん。」と、突っ込む。
 そして、始まった本日の演題は高座へ上がる前から狙っておられた五代目文枝師匠直伝の『嬶(かか)違い』の一席。
「この噺、今は演(や)り手も少ないですわ。私、この噺、好きなんです。余り演(や)る機会がのうて、ここ(恋雅亭)のお客様やったらキッチリ聴いてもらえると思います。さっきもネタ帳見たら出てませんね。」と、高座前のご指摘の通りこの噺、当席では今まで一度も演じられたことの無い噺です。
 この噺、筋立ては簡単なのですが、簡単なだけでお客様に次の展開が読め、先に笑いが起こりがちです。
それをグッと引っ張って、ドッと笑いを誘うかが演者の腕の見せ処です。
 その簡単なようで実は技量がいる噺を見事に大爆笑の連続で演じられ、サゲにもご自身の工夫をされ下りて来られ、「ええ、お客さんや。お客さんに助けられて気持ち良く演じられました。これで、現代風の粋なサゲを考えられたら・・・」との感想の文昇師匠でありました。

 さて、大入りの水無月公演のトリは非常にお忙しい中、桂南光師匠に御願い致しました。
早くから楽屋入りされニコニコと談笑され、袖から高座と客席の様子をご覧になり、ネタも決定。
『猩々』の出囃子で、満面の笑みで高座へ登場されると客席からは本日一番の拍手が巻き起こる。
 マクラは「南光時事放談」と言った処で、東京都の舛添要一知事の話題は客席は大爆笑。
 マクラはスポーツ、相撲と移り、始まった本題は『佐野山』の一席。
元々、この噺、『寛政力士伝(かんせいりきしでん)・谷風情け相撲 佐野山』という講談を落語へ仕立て直しした噺で、十代目金原亭馬生師匠が演じられていました。
南光師匠は、谷風ではなく、大津出身の小野川喜三郎に置き換え、舞台も大阪福島羅漢前や泉佐野と工夫され演じられておられます。
病気の母親を抱え自分の食べ物を削って親に食べさせ、自分は力の入らず相撲も取れない状況の十両の佐野山。親孝行に免じて自分との相撲を組み、贔屓筋の付けた懸賞をわざと負ける八百長を企てる。
佐野山が勝つのだが客席は全てを飲み込み大喝采を受ける。
ここらが、セコイと言われている某知事との人格性の違いでしょうか。
ウイットなサゲもキッチリ決まって、大爆笑の連続で思わず、ホンワカする人情噺はサゲとなりました。
※ かんせいりきしでん【寛政力士伝】は、四代横綱谷風と弟子の雷電、小野川の三名の力士を中心に、その活躍を描く講談で、『佐野山』を初め『稲川の義?』『谷風の七善根』『雷電の封じ手』『小野川雷電遺恨相撲』『雷電と八角』『小田原の仇討相撲』などが演じられ、浪曲や落語にも移植されています。
・谷風梶之助(二代目)=陸奥の出身で、第四代横綱。
通算成績は、四十九場所二百五十八勝十四敗。勝率は九割四分九厘。優勝二十一回。
出身地である宮城県仙台市では、昔から俚謡で「わしが国さで見せたいものは、むかしゃ谷風、いま伊達模様」と謡われ、現在でも伝わっているほどの有名人。
・小野川喜三郎=近江大津出身で、第五代横綱。
通算成績は、二十三場所百四十四勝十三敗。勝率九割一分七厘。優勝七回。
・雷電爲右エ門=長野出身の巨漢力士で、史上最強と言われている。横綱の称号はなく大関。
通算成績は、三十五場所二百五十四勝十敗勝率は九割六分二厘。優勝二十八回
三力士とも凄まじい勝率、更に優勝回数です。
更に当時は「一年を二十日で暮らすよい男」と言われるように春場所、夏場所の二回、晴天十日、合計二十日間だけの本場所で、今とは比較になりません。