もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第453回 もとまち寄席 恋雅亭 
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 公演日時: 平成28年5月10日(水)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  笑福亭 呂 竹  「桃太郎」
  桂   阿か枝  「おごろもち盗人」
  林 家 うさぎ  「餅屋問答」
  桂   米 二  「はてなの茶碗」
    中入
  笑福亭 純 瓶  「相撲場風景」
  月 亭 八 方  「胴乱の幸助」(主任)

   打出し  21時00分
   お囃子  林家和女、勝 正子。 桂 紋四郎。
   手伝い  桂 三ノ助、桂 あおば。
   
 今回は、2月の開席450回記念公演から数えて三回目となります、第453回皐月公演を開催させて頂きました。
4月11日の前売り開始後、前売券も順調な売れ行き。その後も電話の問い合わせも多い中、当日を迎えました。当日は平日の火曜日、しかも、天候も下り坂。ついに、「おてんとぼんもししたれ」を始めた最悪のコンディション。しかし、お客様の出足はいつも通り、出来るだけ雨の掛らないようにと、二度三度と前に詰めてもらいました。いつもながら長時間、並んで頂いたお客様には申し訳ないことです。
 今回も多く届いたチラシを開場準備に間に合わそうと一丸となって、桂梅團治、小梅の両師匠や三栄企画の長澤社長にも手伝って頂き、人海戦術で手際良くこなし、定刻の五時半前に開場となり、次々とお客様にご来場頂きました。意外と早く、お客様の列は消滅。「ああ、今日は雨も降っているから満席にはならないかなぁ」と、思っていましたが、その後も、来場されるお客様は途切れず、着到(二番太鼓)がなる頃には、立ち見も出る大入満席となりました。

 公演のトップは、笑福亭呂鶴一門の総領弟の尼崎出身の笑福亭呂竹師。
笑福亭には吾竹(ごちく)と言う今は空いていますが大名跡があります。その一つ上の呂竹(ろちく)ですから良い名前ですね。
厳しい師匠の教えを忠実に守った高座や楽屋での態度は清清しさを感じます。
本日も早くから楽屋入りされ準備も万全で、チラシの挟み込みもお手伝いして頂く。
 定刻の六時半、和女・正子嬢の三味線『石段』の出囃子に乗って、満席の客席の拍手に迎えられてトップバッターとして高座へ登場。
「えー、ありがとうございます。ただ今より開演でございまして・・・、どうぞよ、ろちく(呂竹)御願い致します」との挨拶から、自分の落語を聴いた子供のユニークな感想で笑いをさそって、始まった本題は、子供のお噂として『桃太郎』の一席。
発端からサゲまで、基本に忠実にキッチリと演じられる。途中に大胆なカットもありましたが、それを感じさせない見事な出来、「公演の成否は前座の出来が大きな要素」とされていますが、大成功を予想させる十五分の高座でありました。
 桃太郎伝説は全国にありますが、最も有名なのは岡山。名物の黍(きび)団子は甘くて美味しいですが、桃太郎の噺で登場する黍は五穀の中でも最も美味しくなかったとせれています。
※五穀とは、穀物類の総称で米・麦・粟(あわ)・黍(きび)または稗(ひえ)・豆をいうそうです。
黍(きび)は、イネ科の一年草で弥生時代に中国から伝来した穀物です。

 二つ目は、先代桂文枝師匠の末弟、芸名の由来にもなっている地元明石出身で当席常連の桂阿か枝師。今回も師匠に最も似ている口跡と、よく勉強された口演を期待されるお客様の拍手と『早禅』の出囃子に乗って高座へ登場。
挨拶の後のマクラは、阿か枝夫婦の元町豚饅頭談義。老祥記か四興楼かの言い争うは勝負無しの引き分け。
同じような夫婦の言い争いからこの噺は始まりますと、始まった本題は『おごろもち盗人』の一席。
貧乏長屋の夫婦が間抜けな盗人をひょんなことから捕まえ、一騒動が巻き起こる。何とか逃げようと盗人が次々に言い訳を繰り出すが、主人に見事に返される。その都度、会場は大爆笑。夫婦が寝てしまうと通りがかった男に助けを請う盗人だが、逆に・・・・・。
 全編、爆笑の連続で、随所に自分流に演出されている秀作は、二十分。大爆笑の内にお後と交代となりました。
ここでクイズ。「土竜」と書いてどう読みますか?答えは「もぐら」です。
土をまるで竜のように持ち上げて進むので、「壌(うくろ)もち」が平安時代の呼び名でそこから、ものの本によると、ウクロモチ→オクロモチ→オゴロモチ→モゴロモチ→モグラモチ→モグラとなっています。
全国には、「おんごろもち」「もぐらもち」「もぐろ」「むぐろ」「おぐらもち」などの呼び名があるそうですが、今は「もぐら」が標準語ですね。

 三つ目は、昭和六十年に林家染丸師匠に入門され、キャリアも三十年、一門の二番弟子として、一門の大番頭的存在の林家うさぎ師匠。
芸名にちなんだ『うさぎのダンス』の出囃子で高座へ登場。
いつもながら、この師匠の高座は、ほんわか・もっちゃりで力の入らない、肩の力を抜いて聴ける高座。
今回のマクラは、ご自身の趣味の船と文珍師匠の趣味の飛行機を題材に、私は船長(千朝)、文珍師匠は機長(吉朝)とシャレられる。
爆笑マクラが続いて始まった本題は、『餅屋問答』の一席。
キッチリした土台に餅屋の親っさんはご自身のキャラを生かして愛嬌タップリに、ややはじけ気味に、禅問答のクダリは威厳の中に笑いを交えて演じられた二十分の秀作でありました。
『こんにゃく問答』は、『野ざらし』と同様に二代目林家正蔵師匠の作とされています。二代目は元僧侶であったため「沢善正蔵」とも呼ばれていますし、経験を生かしてこの様な噺を創作されたものと思われます。ちなみに、現代の上方の林家を遡っていくと、この二代目正蔵師匠の弟弟子の初代林家正三師匠にたどり着きます。
東京ではお馴染みのこの噺は、上方へは月亭可朝師匠が仕事で一緒になった立川談志師匠と列車の中で「お互いのネタを交換しよう」と、『こんにゃく問答』と『算段の平兵衛』を互いにけいこして、更にこんにゃくを餅に変えて広まったようです。 

 中トリは、米朝一門から、師匠直伝のキッチリとした本格的な上方落語の第一人者、上方落語界の大御所的な落ち着いた高座の桂米二師匠に御願い致しました。
早くから楽屋入りされ、トップからの高座の様子を確認され、『五郎時政』の出囃子に乗って高座へ顔を見せると客席から万雷の拍手が巻き起こる。
地元京都のマクラからスタート。人力車、舞妓さんで爆笑を誘って、骨董品の値打ちは判らない小咄から始まった本題は師匠の地元・京都の噺で、上方落語の大ネタの『はてなの茶碗』。その噺を、二代目桂三木助師匠の口演を元に復活された米朝師匠の教えをキッチリ守り、地元の出身の土地勘を生かして、噺の舞台の場所が的確に表現される。
さらに、主人公の油屋さんや茶店の親父は庶民らしく、茶金さんや鴻池さんは大店の主の威厳を漂わせて、さらに、関白や帝は高貴にと登場人物が生き生きと活躍する秀作。サゲまで爆笑の連続で、間も登場人物の風格も充分に演じられる師匠も大物の風格でありました。
大盛り上がりのうちにサゲとなった半時間の熱演でお仲入りとなりました。
この噺にも多くの言葉が登場します。「気術無い(きずつない)」=切ない、苦しい、気が滅入る。「しょうことない」=どうしようもない。「冥利」=ある立場・状態にあることによって受ける恩恵・しあわせ。「まどう」=つぐなう、弁償する。「精進潔斎」=おこないを慎むことによって心身を清浄な状態におくこと。「口銭」=仲介手数料。サゲの十万八千両は、百八つの除夜の鐘と同じ数、煩悩の数と同じ数であります。
茶金さんの着ている着物は結城紬で、茨城県結城市原産の絹織物で、鹿児島県奄美大島の大島紬と双璧です。
大島紬の模様は縦横十字で織り上げますが、結城紬は、亀甲の中に十字とやや複雑ですし、蚕から手で紡いで糸にする技術が難しいとされています。
しかし、幾ら高くても、紬は普段着ですので、正式な場所には着ていけません。茶金さんもお天子様の前へは紋付袴です。

 中入りカブリは、笑福亭鶴瓶一門から、「純ちゃん」こと、笑福亭純瓶師匠に御願い致しました。
今や愛称で呼ぶのは失礼な位の位置、鶴瓶一門では、笑瓶、晃瓶に次ぐ三番弟子です。何時までも明るく人懐っこい態度そのままに、お仲入り後の祈と共に始まった後半戦に、『梅ケ枝』の出囃子で登場すると、待ちかねたように客席から拍手が巻き起こる。
マクラは、当席の開演までの過ごし方、米朝師匠のお葬式でお会いした人間国宝、そこで考えた鶴瓶師匠のお葬式の参列者、次々と爆笑マクラが機関銃のように打ち出され大爆笑を誘う。
 そして、始まった演題は『相撲場風景』。
ご存知の通り、大師匠に当たる六代目笑福亭松鶴師匠の十八番で、この噺は、松鶴師匠を外しては語れない。道頓堀の角座や神戸新開地の松竹座で最も多く演じられた噺である。前後を漫才や音楽ショーに囲まれ、千人近くのお客様を前に受ける噺となると、この噺となったのであろう。もっとも、この噺ばかりだけではなく色々な噺を演じられたが、あまりにも印象が強烈でありました。
 その噺を大師匠と同様に豪快に演じられる。ノリノリの相撲風景は次第にヒートアップ。勿論、サゲは「ジョンジョロリン」で押し出しの二十五分の横綱高座でありました。
 この噺のマクラでも紹介されていましたが、「一年を二十日で暮らすよい男」と言われるように昔は、大阪相撲(阿弥陀池)と江戸相撲に分かれ、それぞれ春場所、夏場所の二回、晴天十日、合計二十日間だけの本場所だったそうです。
さらに、晴天十日で雨が降れば興行を中止し天候が回復すれば触太鼓をまわして再開するという興行形態だったそうです。

 「皐月公演」のトリは、非常にお忙しい中、月亭八方師匠に御願いし、「喜んで出してもらうで」と快諾頂きました。
落語への真面目な取り組み同様、今回も早くから楽屋入りされ、過去のネタ帳と、本日の演題をチェックされ、『夫婦萬歳』の出囃子に乗って高座へ登場。
つかみは、「えー、場内、大入り満員でございまして、これも、甲子園の阪神巨人戦が雨で流れた影響でございます」。この一言で客席は八方ワールドへ。
マクラもそこそこに始まった本題は、『胴乱の幸助』の一席。
働くことしかせず、趣味も喧嘩の仲裁しかなかった幸助さんが巻き起こす大爆笑落語。
場面も登場人物もドンドン変わり飽きることのない筋書き随所に散りばめられたクスグリと、
それを楽しまれるように演じられる師匠が見事に融合し発端からサゲまで、キッチリと演じられる。本寸法の浄瑠璃には惜しみない拍手も巻き起こった半時間超の好演に大満足なお客様でありました。
 この噺にも難しい言葉が登場します。
まず、胴乱(どうらん)とは、筒状の収納カバンで一昔前のバスの車掌さんの鞄をイメージして下さい。この噺に登場する胴乱は革で作った方形の財布で、はんこや薬を入れ腰にさげたものです。
割木(わりき)屋は、幸助さんの家業で燃料にする薪(まき)の販売業です。
天保銭三枚は、三百文で現在の価値にすると約三千~五千円で、これを元手に幸助さんは巨万の富?を築きました。仕事一図で、浄瑠璃も判らなかったのでしょう。
帯屋、通称お半長は、人形浄瑠璃の「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」の「帯屋の段」のクダリのことです。最後は桂川で心中したことを昔の人は皆様、ご存知でサゲとして採用されたのでしょう。
サゲで言えばもう一つ、鉄道は大阪~神戸間は明治七年、大阪~京都間は明治十年ですからこの噺の時代は明治十年以降となります。
よって、幸助さんの頭にはちょんまげは乗っていません。落語はええ、加減なようで辻褄は合っていますね。