もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第451回 もとまち寄席 恋雅亭
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 公演日時: 平成28年3月10日(木)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  桂   二 乗  「天狗さし」
  桂   三 若  「夢の続き」
  笑福亭 生 喬  「しらみ茶屋」
  笑福亭 枝 鶴  「くっしゃみ講釈」
    中入
  桂   春 雨  「高尾」
  桂   雀三郎  「寝床」(主任)

   打出し  20時55分
   お囃子   林家和女、勝 正子。 桂 紋四郎。
   手伝い   桂 三ノ助、佐々木千華。
 当席も先月の開席450回記念公演を開催させて頂き、ひとつの区切りを通過致しました。
今回は第451回公演。2月11日の前売り開始後、順調な売れ行きで3月を前に売り切れ。その後も電話の問い合わせが途切れない中、当日を迎えました。今回も多く届いたチラシを開場準備に間に合わそうと一丸となって人海戦術で手際良くこなし、定刻の五時半に予定通り開場となりました。
 定刻の五時半に開場。次々とご来場されるお客様で客席は見る間に埋まり、着到(二番太鼓)がなる頃には、大入満席となりました。

 公演のトップは、桂米二一門の総領弟子の桂二乗師。平成十五年入門のトップバッターで、師匠の教育よろしく、真摯に落語に取り組む姿勢、楽屋態度、各地の落語会でも実証済み。早くから楽屋入りされ楽屋の準備も万全で、チラシの挟み込みもお手伝いして頂く。
 定刻の六時半、和女・正子嬢の三味線『石段』の出囃子に乗って、満席の客席の拍手に迎えられてトップバッターとして高座へ登場。
「えー、ありがとうございます。久しぶりの出演でございまして・・・。」と挨拶から、精神科のお医者さんからの受け売りとして、「上手い、上手い」「知ってる、知ってる」と、言葉を重ねると、上手い⇒下手、知ってる⇒知らんと、逆の意味になると事例を挙げて紹介。客席の同意の笑いを誘ってから始まった本題は、大師匠(桂米朝師匠)が復活された『天狗さし』の一席。
発端から明るく元気で演じられる。大師匠をベースにご自身の工夫を織り交ぜての一席。
判りにくいサゲも一工夫され、基本に忠実にとの米二師匠の教えを忠実に守られた十五分の高座は、客席も大爆笑の連続でした。

・・・・・天狗尺について・・・・・
米朝師匠の復活されたサゲは、「お前も鞍馬の天狗刺しか?」「いや、わしゃ五条の念仏尺(ざし)じゃ」。なんのことかサッパリ判りません。

天狗(坊さま)を捕まえた主人公が帰る最中、竹竿を持った男とすれ違う。鳥刺し(天狗刺し)と間違え、「鞍馬の天狗刺し」との発言になる。相手は、念仏尺の職人で、天狗刺しと念仏尺の地口オチとなります。
・京の念仏尺(さし)=京都、西本願寺大谷本廟のあたりで採れる竹は毎日、ありがたいお念仏を聞いて大きくなったありがたい竹として「念仏」の名称になったという。精密、精巧であったため重宝がられ、店は京都五条辺りにあったとされている。
・「鳥刺し」=竹竿の先端に鳥黐(とりもち・粘り気の強いよくひっつく)を付けたものを使って、鳥、虫などを捕まえる人のこと。
 これも珍しい噺ですが、鳥刺しが登場する噺がもう一つあります。
『蘭法医者(忍法医者)』という噺で当席でも露の團四郎師匠によって一度だけ演じられた珍品で、
團四郎師匠は工夫されて演じておられました。
原型は、初代春團治師匠⇒三遊亭百生師匠⇒露の五郎師匠と伝わったもので、五郎師匠の演出やサゲは相当に判り難くく、差別的な表現があるので現在では口演は不可能となっています。
 男の腹の中にいる虫を採るために、蘭法医学をマスターした医者が蛙、蛇、雉、そして、鳥刺(さ)しとして腹の中に入り治療するという、摩訶不思議、奇想天外な噺です。
 そして、鳥刺しが雉を取りに腹に入って、雉を取って出てくる。ここでは、「刺した、刺した・・・」をキッカケに、『親子茶屋』の「やっつく、やっつく」でお馴染みの『狐釣り』のはめものが入ります。
 そして、かぶっていた笠と鳥もち竿を忘れてくる。こうなると、外科に行かないとどうにもならない。竿(さお)が笠(かさ)にかかったとサゲとなるのである。
 現在では特効薬が出来て、梅毒(カサ)の末期なると鼻が落ちるという酷い症状になります。「カサが鼻にかかると落ちる」ということが現在では判らなくなってしまったし、差別に当たります。

 二つ目は、平成九年入門の六代桂文枝門下で地元出身の桂三若師。『辰巳の左褄』の出囃子で登場すると、「上方落語界の寝起きのジュリー」、神戸のパルモア病院生まれと自己紹介。
 さっそく始まった本題は、自作の『夢の続き』。
主人公が、夢から覚めるため、幼稚園、小学六年、・・・・、おじいちゃんとしての死ぬまでと物語はトントンと進展する。
随所にご自身の工夫のクスグリ。若干、当席の年齢層と合わず反応が悪いクスグリもあったが、ほとんどが大爆発。
 甘いマスクと甘口な喋りが相まって古典的な感じもする不思議で、良く仕上がった創作落語は二十分の好演でありました。

 三つ目は、故松喬一門の本格派の笑福亭生喬師匠。
平成三年入門で、キャリアも二十五年。若手有望株の生寿師という弟子もいらっしゃる。
楽屋入りされお囃子さんと、キッカケを入念に打ち合わせされ、『さつまさ』の出囃子で高座へ登場。マクラも振らず、さっそく本題が始まる。
 この噺は元来上方落語であったが、戦後は上方では演じ手はなく、東京の八代目雷門助六師匠でしか聞く機会がなかった噺であります。
 その珍しい噺を自分なりに工夫を加え、純上方落語として完全復活。 虱(しらみ)を出会った乞食から瓶一杯調達しお茶屋へ出かける。「首筋占い」と上手に虱を首筋から入れるという、まことに無理のない筋立てと仕上がっている。虱を入れられた幇間持ちがかゆいのを我慢するための踊りも踊りの名手の本領を発揮され実に見事で客席の爆笑を誘う。
各所の工夫が達者な高座(口調、目線、仕草)がさらに盛り上げ、全編、大爆笑噺となった大満足の好演でありました。
この噺の主人公?は、虱(しらみ)。蚤(のみ)と同じように人や牛などの動物に寄生して血を吸い痒みを与える虫で、小生は二十八年生まれなので未経験だが終戦後の衛生状態が良くなかった頃は大量発生し、進駐軍は日本人の誰彼構わずDDTの粉末をぶっ掛けたらしい。
落語の世界では、英語名をホワイト・チーチーと申します。

 中トリは、六代目笑福亭枝鶴師匠。笑福亭伝統の『地車(だんじり)』の出囃子で高座へ登場。
「(勢よいよく、見台をポンと叩いて)よくご辛抱頂きました。私、もう一席で休憩、中入りでございます。」との挨拶。「最近、又、寒くなりまして・・・。」から、「昔の防寒具が出てくるお噺を・・・。」と、始まった本題は、笑福亭のお家芸の『くっしゃみ講釈』の一席。
発端から全力疾走。遺恨の原因の「犬糞との二人ズレ」はカットされておられたが、のぞきカラクリから講釈場へ、そして、「難波戦記」の抜き読み、くっしゃみと全力疾走は続き、大いに盛り上がった半時間弱の熱演でありました。
枝鶴師匠は、難波戦記を、「頃は慶長の十九年十二月十七日に・・・」と演じられました。
小生の聴きなじんだフレーズは、「頃は慶長の十九年も、あい改まり明くれは元和元年五月七日・・・」ではなかったので、長年の疑問点を枝鶴師匠にお伺い致しました。
一つ目は、登場人物から考えると「大坂冬の陣」であるのに、五月七日は翌年の「大坂夏の陣」の日付では?
もう一つ、慶長は二十年まであり、元和元年は慶長二十年の七月十三日から始まり、五月七日は、慶長二十年のはず?
枝鶴師匠からは、「この噺の元は、五代目松鶴師匠からやねんけど、上方はなしの速記が元になってるねん。それが間違ってる」とバッサリ。納得!
さらに、難波戦記での上方四天王の一人は長宗我部宮内少輔秦元親とあるが史実としては長宗我部元親の四男の長宗我部盛親が正しい。

 お仲入り後、祈と共に、芸名と同じの『春雨』の出囃子で、桂春雨師匠の登場となりました。
「えー、私の師匠は三代目桂春團治でして、来月、ここで追善公演の開催を今日、パンフレットで知りました・・・。」とわらいを誘って、「内の師匠の特徴は、『繊細で華麗』。繊細は自信があるのですが・・・。それと、羽織の脱ぎ方。」と華麗(お世辞ではなく上手)に羽織を脱ぐと客席から拍手が起こる。
 そして、「今日は師匠の最も華麗な噺の『高尾』を演(や)るつもりやったんですが、前の『くっしゃみ講釈』と、火鉢に物をくすべる、物を買いに行くと噺が付きます。それでも演(や)ってよろしいか?」と、客席に同意を求め拍手で同意を確認して、お囃子さんに「高尾に決まりました」と報告して、師匠直伝の噺がスタート。
 ※「噺が付く」とは、同じようなクスグリやストーリーで、噺の新鮮さが無くなる為、同一会で演じるのはタブーとされています。
随所にご自身の工夫が入った好演は二十分。大満足な春雨師匠と客席でありました。
『高尾』という噺は、笑話本『軽口蓬莱山』の一編「思いの他の反魂香」に、歌舞伎の「伊達騒動」のパロディが加味され、現在の演じ方が出来上がった。
「反魂香」とは、中国の伝説上の香で、焚くとその煙の中に死者が現れるというもの。
春雨師匠はサゲが判りにくいと変えておられたが、春團治師匠のサゲは、「かんこ臭いのはお宅かえ」は、これには諸説が有り薄学の小生では解説が難しい。

 公演のトリは、桂雀三郎師匠にお願い致しました。
小気味よい出囃子の『じんじろ』の出囃子で元気一杯登場し、さっそく浄瑠璃のマクラがスタート。
太夫さんがより大柄に、三味線方がより小さくと身振り手振りで表現し、客席の笑いを誘う。
 そして、始まった本題は、雀三郎十八番の『寝床(素人浄瑠璃)』の一席。
発端からサゲまで随所に、十八番だった師匠(枝雀師匠)を思わし、随所にご自身の工夫満載でパワーUPされた半時間強の熱演は大爆笑の連続でお開きとなりました。
『寝床』の原話は、江戸中期の安永時代に出版された笑話本「和漢咄会」の『日待』。
元々は『寝床浄瑠璃』という上方落語で明治中期に東京へ移入され、ご自身もこの『寝床』の旦那と同様だったとされる、昭和の名人であった、「黒門町の師匠」こと八代目桂文楽師匠の十八番でありました。
両師匠に匹敵する雀三郎師匠であったと言っても決して褒めすぎではないことは。