もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第450回 もとまち寄席 恋雅亭・開席450回記念公演
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 公演日時: 平成28年2月10日(水)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  笑福亭  松 五  「松竹梅」
  桂    しん吉  「茶漬間男」
  桂    文 華  「八五郎坊主」
      雀 々  「手水廻し」
    中入
  林 家  染 二  「幽霊の辻」
  桂    文 珍  「へっつい幽霊」(主任)

   打出し  21時25分
   お囃子   林家和女、勝 正子。 林家 染八。
   手伝い   桂 三ノ助、桂 優々。
 当席も昭和五十三年四月の柿落し公演以来、本日ここに開席450回記念公演を開催させて頂くことになりました。
1月11日の前売り開始、翌12日に完売。その後も電話の問い合わせが途切れない中、当日を迎えました。多く届いたチラシを開場準備に間に合わそうと一丸となって人海戦術で手際良くこなし、 定刻の五時半に開場。開場前には若干枚ご用意した当日券も枚数オーバー。
 今回は記念としてミニゴーフルと桜正宗様の清酒を手渡し致しました。それを嬉しそうに持たれ次々ご来場のお客様で席は次々と埋まっていきました。そして、着到(二番太鼓)の頃には、立ち見も発生する大入満席の状態となりました。

 記念公演のトップは笑福亭松枝一門の総領弟子の笑福亭松五師。平成十五年入門のトップバッターで、師匠の教育よろしく、真摯に落語に取り組む姿勢、楽屋態度、さらに笛の名手として、各地の落語会でも実証済み。早くから楽屋入りされ楽屋の準備も万全。
 定刻の六時半、和女・正子嬢の三味線『石段』の出囃子に乗って、満席の客席の拍手に迎えられてトップバッターとして高座へ登場。
「えー、ありがとうございます。久しぶりの出演でございまして・・・。」と挨拶から芸名について。「私は、松(まつ)に五(ご)で、ショウゴ。師匠は松(まつ)に枝(えだ)で、ショウシ。となると、次はショウロク、チュウイチ、・・・。そうはなりませんでしたが・・・。」と、名前に関係するマクラから始まったのは記念公演に相応しい『松竹梅』の一席。
発端から明るく元気で演じられる。サゲも、婚礼のご祝儀をしくじり取り残された梅さん。「しおれていた梅さんも今頃はお開きとなっている頃」と昔ながらのサゲ。基本に忠実にとの師匠の教えを忠実に守られた十五分の高座は、客席も大爆笑の連続でした。
 この『松竹梅』という噺、上方の初代松富久亭松竹(しょうふくていしょちく)師匠の作とされる元々は上方噺といえる噺です。漢字を見ると違いますが、音で聴くと笑福亭です。
初代の弟子の初代笑福亭吾竹、初代笑福亭松鶴師匠は、笑福亭と名乗っておられるので、二代目からは笑福亭と名乗られています。笑福亭一門の祖です。
上方では母音を省略する読み方をするので、松竹はしょうちくではなくしょちく、松鶴はしょうかくではなくしょかくと読みます。
松竹師匠は、この噺の他に『千両みかん』、『初天神』、『猫の忠信』、『たちぎれ線香』の作者とされています。

二つ目は平成十年に故桂吉朝師匠に入門の桂しん吉師。
師匠がお亡くなりになられたのが、入門七年後の平成十七年十一月八日。その二日後の当席の第327回公演に出演され、師匠の想い出で一瞬絶句、「大丈夫です。今、師匠がちゃんと、下りてきました」、応援の意味の客席の拍手に気を取り直して一席を演じられたのが思い出されます。
 七年の師匠の教えを忠実に守った高座はいつもながら気持ちが良く、小気味の良い『セブンステップ』の出囃子で高座へ登場し、挨拶の後のマクラは趣味の鉄道の話題から。「写真を撮るのが好きで『トリ鉄』、乗るのが好きで『乗り鉄』、私は両方なので『兼ね鉄』。」さらに、高知の市電の話題から、先頃、日本一終電の早いと有名な阪堺電車の上町線の住吉~住吉公園前の間。二百メートルです。続いて、兵庫の和田岬線の話題で笑い誘って、間男の小咄から始まった本題は『茶漬間男(二階借り)』の一席。
内容はちょっと生々しいが演出はコテコテではなく、どちらかというとさらっと演じられる艶噺。
受けに受けた二十二分の好演でありました。

 三つ目は、先代文枝一門から、ツカミでもお馴染みの『上方落語界の妖怪人間ベロ』の桂文華師匠。今回は記念の会とあっていつも以上にヒートアップ。
 『千金丹』の出囃子で高座へ登場され、いつものつかみの挨拶から、当席には、師匠(先代文枝)のカバンを持って楽屋まで来た時の失敗談、「師匠の帯と下帯を忘れたのはあんたや事件」との想い出から、「ここのお茶子さんは神戸大学の落研で・・・、岐阜県で開催された全国の落語研究会の審査員で六十人を審査した時の話題で笑いをとって、始まった本題は、お坊さんの出てくる噺として、枝雀師匠が橘ノ円都師匠からの口伝を大爆笑編に磨き上げられた『八五郎坊主』の一席。
 「つまらん奴は坊主になれ」と聞かされ、下寺町のズク念寺を紹介され、大きな銀杏の木があって、その形状がニワトリの鶏冠(とさか)に似ている処からその名前が付いた鶏頭(ケイトウ)の花が満開の寺内へと季節感一杯の演出。お寺で頭を丸めてもらって、法名も付けてもらい、「坊主、抱いて寝りゃ可愛いてならぬ、どこが尻やら頭やら。【トンコ節】」と上機嫌で友達に法名を紹介。
 噺を聴いていると文華師匠のイメージに主人公の八五郎はピッタリ、乗っている師匠の明るくて、切り口がすっきりとしていて、肩の凝らないアホ気な噺は客席を大爆笑の連続。
サゲも古風に、円都師匠と同じく、「のりかす(法春・糊粕)、そうかもわからん、つけ難い言うてはった」でありました。
これで、この噺は当席では口演順に円三、松枝、小米朝、千朝、仁嬌、一蝶、梅團治、染二、文太、雀々の各師匠についで、十一番目の口演となりました。

 中トリは、東京でも大活躍の「ケイ、ジャンジャン」、桂雀々師匠。以前にも増して寄席派のイメージ。楽屋で「今日は記念会やからいつもより沢山、廻してきます。」と、『鍛冶屋』の出囃子で高座へ登場。
挨拶から当席の想い出噺。実は雀々師匠と当席は同い年の昭和五十三年生まれ。枝雀師匠のカバンを持って当席の楽屋へ行くとそこには、松鶴師匠が居られ大きな声で挨拶しないと怒られたとの想い出。師匠の家での四天王への電話応対を紹介。春團治師匠からの電話でしくじった噺では場内大爆笑。
この噺、純上方噺の『貝野村』の前半部分で、船場の若旦那が丹波の貝野村の庄屋家へ入り婿の式を挙げての、翌朝、景色がエエので、庭を眺めながら庭先・縁先で、手水を使おうと、女中さんを呼びまして、「ここへ手水を廻してくれ」からの部分を『手水廻し』として独立した噺。
 その噺をトントンとテンポよく、誇張、漫画チックに演じ、勿論、外法の市兵衛の長い頭をいつもよけいに廻しられた、マクラ込みで半時間の大熱演でありました。
小生は明治生まれの祖父母が「朝、起きたらすぐ手水使えよ」よく使っていたので判りますが、手水という言葉は今や死語となりました。ものの本によると、手水とは、①手や顔などを水で洗うこと。②社寺に参拝する前などに、手や口を水で清めること。③清めるために使う水のこと「―を使う」。④用便のあと手を洗うところから、便所へ行くこと。⑤そのものズバリで小便のこと。「―をさせて子供を寝かす」⑥便所のこと。「―に行く」。と、色々な使われ方をしていたようです。
音の変化は手水(テミヅ → テウヅ → チョーズ)となったとあります。

 お仲入りの時点で、熱演が続き十五分押し。休憩を最小で切り上げ後半戦が、『藤娘』の出囃子でスタート。登場は勿論、林家一門を代表して林家染二師匠。
いつまでも元気一杯でパワフルな師匠で、記念会には無くてはならない逸材、400回、350回の記念公演にもご出演。「ありがとうございます。林家染二でございましてありがとうございます。今日は記念の会でございまして、大入り満員で・・・」と挨拶。
爆笑小咄で客席を盛り上げ、始まった演題は、『幽霊(ゆうれん)の辻』。
この噺は、落語作家の小佐田定雄先生の処女作で、昭和五十二年の二十五歳の時に桂枝雀師匠のために書き下ろされた創作落語。『堀越村』へ手紙を届ける途中のた主人公が、峠の中腹で暗くなっったので、近くにあった茶店で休息しつつ、出てきたお婆さんに堀越村までの道のりを尋ねる。このお婆さんが語る堀越村の怪談話が恐怖感と共に古典落語のエッセンスがふんだんに盛り込まれ、随所に笑いを誘う秀作となっています。以前に染二師匠は九雀師匠からの口伝とお伺いしました。
怪談噺が師匠の芸風で一段とパワーアップ、笑いもアップ。原作の匂いを残しつつも、しっかり自分流の『幽霊の辻』は、客席を大爆笑に包み込んだ二十四分の好演でありました。

 記念公演のトリは、桂文珍師匠にお願い致しました。
『円馬囃子』の出囃子でユッタリ登場し、当席の想い出噺。当席を始められた楠本喬章(たかあき)氏とは懇意で、家も紹介してもらったとの噺。最近の話題を上手く取り入れた文珍ワールドが全開。客席と師匠との笑いと会話のキャッチボールを楽しみながらマクラが続く。
「皆さんが神戸の街で上手に落語を楽しんでおられることが何より。2千円でこんなに笑える。ほんまに恵まれた人生です」と締めくくって、本題の『へっつい幽霊』が始まる。
弟子との会話に見たたてへっついの説明、「へっつい、おくどさん、かまど、判るか?」「判ります、弁当屋」「ちゅやろ」。大受けの連続の口演はトントンと噺が進んでサゲとなったのですが、あっと驚く四十分の熱演。お開きとなったのは九時を大きくオーバー九時二十五分でした。

当日の模様は翌日の神戸新聞にご紹介頂きました。
神戸・元町の風月堂ホールで毎月10日夜に開かれる「もとまち寄席・恋雅亭・恋雅亭(れんがてい)」が10日、450回の節目を迎えた。記念公演のトリは落語家桂文珍さんが務め、立ち見も出た大入りの会場を沸かせた。(松本寿美子)
 恋雅亭は1978年、演芸プロモーターの楠本喬章(たかあき)さんらが立ち上げた。楠本さんが亡くなった94年からは常連客らが同人会をつくって運営。95年の阪神・淡路大震災の影響で一時中断したが、半年後に再開し、被災地を元気づけた。
 出演者を決める世話人は長年、故・桂春駒さんが務め、現在は桂春蝶さんが引き継ぐ。特定の一門に偏らず、若手から大御所まで幅広く出演。人間国宝だった故・桂米朝さんら上方落語界の四天王も登場した。今年1月に亡くなった桂春団治さんも数年前まで高座に上っていた。
 この日は、桂雀々さんら6人が出演。文珍さんは「へっつい幽霊」を熱演し祝賀ムードに花を添え、「皆さんが神戸の街で上手に落語を楽しんでおられることが何より。2千円でこんなに笑える。ほんまに恵まれた人生です」と笑わせた。