もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第449回 もとまち寄席 恋雅亭・新春初席公演 
◆春駒HOME◆恋雅亭TOP◆公演記録目次
 公演日時: 平成28年1月10日(日)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  桂   小 鯛  「いらち車」
  桂   三ノ助  「鯛」
  桂   宗 助  「足上がり」
     梅團治  「井戸の茶碗」
    中入
  笑福亭 仁 福  「粗忽長屋」
  笑福亭 福 笑  「裏切り同窓会」(主任)

   打出し  21時00分
   お囃子  林家和女、勝 正子。 手伝い  桂 三ノ助。
   
 「頃は平成二十七年も、相改まり、明くれば平成二十八年一月十日の儀に候や、神戸凮月堂地下ホールには、トリに笑いの殿堂・笑福亭福笑、中トリに上方落語界の撮り鉄・桂梅團治、中入りカブリには笑福亭仁福、三つ目には桂宗助、その他の出演者には桂三ノ助、桂小鯛、いずれも舌により掛け、受け持ちを間配(まくば)ったりしが、今や遅しと相待ったるところ、当日の天候、日曜日も手伝って本日のお客様、五時半の開場と共に木戸口より客席めがけてご入場されたり、それぞれ気に入られたお席に着席されたり・・・【くっしゃみ講釈でお馴染みの難波戦記より】。」

 昨年末での前売券完売となり、その後も電話の問い合わせが途切れない中、当日を迎えまし
た。多く届いたチラシを開場準備に間に合わそうと一丸となって人海戦術で手際良くこなし、定刻
の五時半に開場。次々ご来場のお客様で席は次々と埋まっていき、着到(二番太鼓)がなる頃には、後方に並べた椅子も一杯になった大入満席の状態となりました。

 一月初席公演のトップは桂塩鯛一門から桂小鯛師。平成十九年六月に、当時の桂都丸師匠に入門し、とま都。平成二十二年師匠の四代目塩鯛襲名を機に小鯛に改名。
昨年お亡くなりになられた桂米朝師匠の曾孫弟子に当る、何時までも若さ一杯の逸材であります。師匠の教育よろしく、真摯に落語に取り組む姿勢、楽屋態度、いつもニコニコ明るい態度は各地の落語会で実証済み。早くから楽屋入りされ楽屋の準備も万全、さらに、チラシの挟み込みまでお手伝頂く。
いつもの『石段』ではなく、新春初席のみに奏でられる、和女・正子嬢の三味線『十日戎』の出囃子に乗って満席の客席の拍手に迎えられてトップバッターとして高座へ登場。
「えー、ありがとうございます。あけましてございます。桂小鯛でございます。トップバッターですので、長い、難しい噺はしません。出来ません。」と、挨拶。交通機関のマクラ、そして、「この噺、ちょっとやかましい噺で・・・」と断って始まった本題は『いらち車』。
 この噺、東京では『反対車』として東西でよく演じられる。
元気のないのんびりとした車屋と、元気な所謂、いらちの車屋に乗って駅を目指すお客様の苦悩を面白おかしく、元気一杯に明治の街中を走り回る大爆笑の一席。
はにかみのような初々しさを感じつつ、行儀の良さも併せ持つ若手の逸材の肩のこらない、それでいて躍動感一杯で、要所に師の工夫が散りばめられた熱演に客席は大爆笑に包まれたお客様も演者も大満足であり爆笑の連続の十五分の高座でありました。

 二つ目は平成七年に現六代桂文枝師匠に入門の地元出身の桂三ノ助師。
二つ目にしてキャリア二十年の登場となりました。当席では「上方落語界で恋雅亭へ自転車で来るのは僕だけ」と豪語。出番がない時でもお手伝いとして活躍して頂いている同人会の一員のような存在の師であります。
『ずぼんぼ』の出囃子で高座へ登場。
ずぼんぼとは、江戸時代の玩具で、半紙に紙を書いて、四隅にシジミの貝殻を先端に付けた足に見立てた紙を付け、輪になった人が、円く輪になった人々が、♪~ずぼんぼや ずぼんぼや、ずぼんぼ腹立ちゃ つら憎や、池のどん亀 なりゃこそ、ささの相手に ヤレコレずぼんぼや、と囃しながら団扇で紙を煽ぎ、張り付いた、負けという遊び。ここでのちょっと意味深な囃しが出囃子『ずぼんぼ』です。
「ありがとうございます。私、桂文枝の弟子で桂三ノ助と申します。私、三年ぶりで、神戸出身で、最高住宅地とされている新開地、恋雅亭までは自転車で来てます。決して、イタズラをしないように」と自己紹介。さらに、神戸での落語会の紹介。
「神戸で一番有名な東西落語名人選を超えました。四天王を、東西落語名人選は文化ホールの中ホールで、こっちは大ホール・・・。もっとも、ロビーで。」と、笑いを誘って、「正月ですので縁起の良い噺、鯛が登場する師匠の創作落語の名作のの『鯛』の一席。
とある居酒屋のいけすにやってきた(?)鯛の新入りをいけすの主が自分の後継者として暖かく教育。その時、板さんの手網が迫っくる大ピンチ。新入りと主ロクは見事に切り抜けることができたのか、運命やいかに。手に汗握るいけすの中のスペクタル巨編。
師匠の原作を土台と三ノ助師の任(にん)がピッタリマッチした二十分の秀作でありました。

 三つ目は故人となられた桂米朝師匠の末弟の桂宗助師。
キャリアも二十七年、当席ならでは出番組。師匠からの薫陶よろしく、礼儀正しく明るく元気一杯の芸風で、ご自身や同期(昭和六十三年入門)での落語会【六十三年入門をもじって六・三から「はやかぶの会」】などを開催されている勉強熱心な師匠。ちなみに六十三年入門組は、笑福亭瓶太、笑福亭銀瓶、桂文華、桂宗助、桂わかばの各師匠で、いずれも当席ではお馴染みのメンバーであります。
楽屋入りして、開場前から、お囃子さんと入念なネタの打ち合わせ。
『月の巻』の出囃子で登場し、「落語と落語の間に挟まりまして、又、落語で御座いますが・・・」。
娯楽の歌舞伎の入場料が高い、落語は安い、その理由から、歌舞伎は乞食の着ている絹物、化粧の仕方と、紹介して、始まったのは、師匠直伝の芝居噺に分類される『足上がり』の一席。
昔の船場の商家の番頭が、売上金をごまかして芝居見物。いっしょに見物し途中で帰った芝居好きな丁稚に芝居を演じて見せる。当然、悪事がばれ、番頭は今で言うクビとなる。
昔の大阪の言葉でクビのことを足が上がると言ったことが、演題にもなっている噺で、ここで演じられる芝居は、『四谷怪談』。
この噺には米朝師匠よりの教えがあるそうで、①芝居に精通していること。②台詞にメリハリををつけること。だそうで、その教えを忠実に守っての高座は悪かろうはずがなく、怪談なのでゾクゾクとさせるクダリもあった二十二分の秀作でありました。

中トリは、春團治一門から、桂梅團治師匠。
ご存知の通り、師匠の三代目桂春團治師匠が一月九日にお亡くなりになりました。
十日の時点では、直弟子の師匠連しかご存じないことで、当然、梅團治師匠も事実を胸の奥にしまっての当席の高座でありました。
三代目春團治師匠は当席にも開席当時から数多くご出演頂きました。
初出演は、昭和五十三年六月・第二回公演。出演者は、
桂春駒(故)/笑福亭福笑/吾妻ひな子(故)/中入/林家小染(故・先代)/桂春團治。演題は『皿屋敷』。最後のご出演は、平成二十五年四月・第四百十六回公演で、『野崎詣り』を演じられました。
さらに、平成九年四月・第二百二十四回「春秋改め四代目桂梅團治襲名記念公演」の口上での笑顔が忘れられません。
当日の出演者は、桂春雨/月亭八方/笑福亭松之助/桂春團治『寄合酒』/中入/襲名口上/海老一鈴子(太神楽)、桂梅團治『竹の水仙』。
その梅團治師匠はいつもの『龍神』の出囃子で高座へ登場。
「えー、早いもので、もう一月も十日で・・・」との挨拶から、NHKの「朝が来た」の話題から、悪人の出てこない、ホンワカとした落語と断って始まった本題は『井戸の茶碗』。
東京では演じ手も多く、別名を『茶碗屋敷』とも呼ばれている噺で講談ネタを落語の人情噺化されたもの。お涙頂戴の噺が多い中、登場人物の全員が実直な善人という、明るい人情噺で、聞き手(お客様)も語り手(演者)からも人気の高い古典落語の代表作の一つであります。この噺を身体全体から善人が溢れ出る梅團治師匠が半時間の口演がサゲとなった時には天井が落ちそうなほどの拍手が巻き起こったことが、見事に大阪へ移植されての好演であった何よりの証明でした。

 中入り後は、「上方落語界一の不思議な世界」を醸し出される笑福亭仁福師匠。
『自転車節』の軽妙な出囃子に乗っていつものようにちょっと恥ずかしそうに高座へ登場。
見台を小拍子で「ポン」と叩くと、客席から実にタイミング良く、「待ってました」と、声が掛かる。
「(少し間があって)ありがとうございます。言われたことないんで・・・、待ってましたなんて、待たんでもよろしいで・・・」から、高齢化社会の話題を母親といっしょに暮らしている中で起こった実話で笑いを誘って、色々な性格の人がいます。と、おっちょこちょい、忘れん坊、親子でたいへん不精な二人主人公の『不精猫(不精の親子)』の小咄から、そそっかしい人間が登場する噺と始まった本題は『粗忽長屋』。
この噺、東京では代々柳家小さん師匠の十八番とされている。
五代目師匠が四代目師匠にこの噺を教わった時、これは粗忽噺の中で一番難しいと三代目師匠から伺ったと、教えられておられる。
登場人物も少なく、ストーリーの奇想天外。その中で間で笑いを爆発させる。場面転換もダイナミック、そして、サゲが又、いい。しかし、演じ方を間違えるとシーンとしてしまう難しい噺。当席のお客様はさすが! キッチリ、ツボ、ツボで大きな笑いがタイミング良く巻き起こる。客席の笑いを充分誘っての仁福師匠の上方移植が大成功の好演でありました。
粗忽という言葉、東京でも死語となりつつあるらしく、当代の桂文楽師匠は、寄席のマクラで、「若い女の子に粗忽て知ってると聞くと、『知ってるわ、肩の骨』と、鎖骨と間違ってる」と笑いをとっておられる。
粗忽とは辞書で調べると、仁福師匠が言われるように、おっちょこちょいと、紹介されている。
上方落語に登場する「いらち」とはちょっと違い、こっちは、「いつもせわしのーて、ほんまにいらちな人やなー」と表現され、いつもせかせかして、落ち着きのない人との意味合いでしょう。

 新春初席のトリは、上方落語界の爆笑王・笑福亭福笑師匠の登場と搭乗となりました。
いつもと同じように『佃くずし』の出囃子で飛び出すように高座へ登場。
いつもながらの大爆笑マクラがスタート。一見、ハチャメヤに聞こえるが、実は計算尽くされた内容で、今回は病院に関する話題。紙面では表現出来ない福笑ワールド全開。
そして、本日の創作落語『裏切り同窓会』がスタート。
同窓会で繰り広げられる二人三脚・・・。紙面がなくなりました。
とにかく、いつもながらの大爆笑の大熱演でありました。