もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第445回 
◆春駒HOME◆恋雅亭TOP◆公演記録目次
 公演日時: 平成27年9月10日(木)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  林家   卯三郎  「延陽伯」
  桂    吉 弥  「軽業」
  笑福亭  銀 瓶  「あみだ池」
      文 喬  「天狗裁き」
    中入
  桂    團 朝  「赤城山」
  笑福亭  松 枝  「鈴振り」(主任)

   打出し  21時00分
   お囃子  勝 正子、佐々木千華、月亭天使
   お手伝  桂 三ノ助、桂 弥っこ、月亭秀都
 平成二十七年も、残り三回となります、九回目の公演。過去の大入満席公演を受けて、ちょっと涼しく、さらに伝統??の台風襲来(当日は前倒しで通過)の九月十日の木曜日。
前売券も完売となり、その後も電話の問い合わせが途切れない中、当日を迎えました。
お客様の出足も絶好調。その後もお客様の列はドンドン長くなってくる。
多く届いたチラシを開場準備に間に合わそうと一丸となって人海戦術(ご出演の銀瓶・卯三郎師匠、飛び入りの梅團治・小梅師匠、お手伝いの三ノ助、天使、秀都師匠、いつもご指導頂いている三栄企画の長沢社長、同人会スタッフ)で手際良くこなし、定刻の五時半に開場。
早くから並ばれたお客様から次々とパンフレットに挟み込まれた一杯のチラシを持って景気の良い一番太鼓に迎えられてご入場され、思い思いの席を確保されました。
長時間、待って頂いたお客様にはいつもながら本当に申し訳ないことであります。
その後も次々ご来場のお客様で席は次々と埋まっていき、着到(二番太鼓)がなる頃には、後方に並べた椅子も一杯になった大入満席の状態となりました。

 九月公演のトップは林家一門から「上方落語界のドリトル先生・獣医の資格」・林家卯三郎師。
師匠の教育よろしく、真摯に落語に取り組む姿勢、楽屋態度も抜群は各地の落語会で実証済み。早くから楽屋入りされ楽屋の準備も万全、さらに、チラシの挟み込みまでお手伝頂く。
正子・千華嬢の三味線での『石段』の出囃子に乗って満席の客席の拍手に迎えられてトップバッターとして高座へ登場。「えー、一杯のお客様でございまして・・・。」と、挨拶。トップの意味合いを意識されマクラもほどほどに始まった本題は、上方落語の定番の『延陽伯』のおなじみの一席。
林家伝統の「ほんわか・もっちゃり」の芸風で演じられるオーソドックス噺は、肩のこらないユッタリした口調で随所に師の工夫が満載でツボツボで客席は大爆笑に包まれた口演は十五分。お客様も演者も大満足でありました。
この噺、東京では『たらちね』としてポピュラーな噺で、嫁入りでの挨拶が笑いを誘います。
「じゅげむ、じゅげむ、ごこうのすりきれず・・・」の『寿限無』、「わては中橋の加賀屋佐吉方から・・・」の『金名竹』と並んで口慣らしの噺とされています。
「自らことの姓名を問いたもうや、父は元京都の産にして、姓は安藤、名は慶三、字を五光と申せしが、わが母三十三歳の折、ある夜丹頂の鶴を夢見て妾(わらわ)を孕(はら)めるが故に、垂乳根の胎内を出でしころは鶴女(つるじょ)、鶴女と申せしが、それは幼名、成長の後これを改め、延陽伯【東京では清女(きよじょ)】と申し侍(はべ)るなり」
それにしてもトップから平成十一年入門のキャリア十五年。そして、二つ目、三つ目と今、バリバリの出演者が続く、いつもながら勿体ない当席の出番組。

 二つ目は、先席と同じく故桂吉朝一門の二番弟子の桂吉弥師匠。
当席でお茶子と番組記載担当の神戸大学落語研究会出身で、マスコミでも、イケメンでありながらその愛くるしい風貌で多くのファンを持っておられ大活躍。勿論、落語の方も大師匠の米朝師匠の元で内弟子修行、吉朝師匠の指導よろしく達者。
お弟子さんの桂弥っこ師を連れての楽屋入り。諸先輩やお囃子さんにあいさつを済ませて落ち着く暇なく客席の様子を袖から見てネタ帳に目を通す。
早めに着替えられ袖でお客様の反応を確かめられ、『真室川音頭』の出囃子で高座へ登場すると、客席からは「待ってました」とばかり拍手が起こる。
マクラは米朝師匠宅に内弟子修業の想い出。
「私の内弟子時代です。人間国宝になりはったのは・・・。」と、数度繰り返して客席の笑いを誘って、さらに、紅白歌合戦の舞台裏での体験談と爆笑マクラが続いて、「今日は『軽業』と言う旅のお噺を・・・。」と、本題の『軽業』が始まる。上方落語の基本とされる「旅ネタ」と「根問物」を師匠と大師匠から叩き込まれた吉弥師匠だけに悪かろうはずが無い。
この噺、お伊勢詣りの途中に遭遇した白髭大明神の屋根換えの正遷宮【改築・修繕が終わり神体を本殿にうつすこと】での高物(たかもん)小屋で、お囃子もタップリに軽業興行を楽しむ噺。
その噺を吉弥師匠は実に楽しそうにお囃子との息もピッタリに演じられる。場内も軽妙な囃子と師匠の仕草に乗り乗り。大爆笑連続の二十二分の好演でありました。
噺の舞台となった白髭大明神は実在する、忍山(おしやま)神社:三重県亀山市野村。須智荒木神社:三重県上野市荒木の別称だそうです。

 三つ目は、鶴瓶一門、「銀ちゃん」こと笑福亭銀瓶師。
切り口の鋭い口演は益々磨きがかかり絶好調で常連の当席での爆笑落語は請け合い。
早くから到着され、チラシの挟み込みを手伝って頂き一時中座。行き先は高座で後ほど明らかになる。
乗りのりの『拳の三味線』の出囃子で、前出の吉弥師匠と遜色の無い万雷の拍手に迎えられ高座へ登場。
「えー、続きまして・・・銀瓶の方でお付き合いを願っておきますが・・・」と、始まったマクラは、一門のけったいな芸名の話題。特に弟弟子の鉄瓶とは字も良く似ているので間違えられると、事実談を紹介。「今日は同級生が南京街で営業している『元祖・ぎょうざ苑』へ行ってきました」と、そこでの出来事の話題とマクラは続く。
※『元祖・ぎょうざ苑』は、南京街でも有名な美味しい餃子専門店です。お奨めは銀瓶師匠も食べられた、元祖味噌タレで食べる餃子とジャジャ麺。
そして、始まった本題は『あみだ池』の一席。銀瓶師匠曰く「この噺、二件目へ行くとちょっと繰り返しになるので、今日は二件目無しバージョンで。受け囃子はこのタイミングで入れて。」と、上がられる前にお囃子方に伝えられておられた。
発端からサゲまで、二十二分の高座は大爆笑の連続で、特にこの噺の最大の山場の盗人に遭遇する情景のクダリは自身の工夫を最大限盛り込んだ大熱演でありました。
 この『あみだ池』という噺は、明治末期から大正初期に桂文屋師匠の新作落語で、会話の中に「過ぎし日露の戦争で・・・」とあるので明治三十八年以後の作で、有名にしたのは初代桂春團治師匠で、『阿弥陀ヶ池』というタイトルでレコードも残っています。さらに、二代目春團治師匠も、おなじみの『春團治十三夜』の中にある口演が、もっとも古いテープ音源として残っていますし、その後も多くの先人・当代の師匠連の工夫で進化を続ける大爆笑噺です。

 中トリは上方落語協会重鎮で、先代桂文枝一門の地元神戸出身の桂文喬師匠。
※神戸市立飛松中学⇒兵庫県立長田高校⇒大阪府立大学経済学部
ゆっくりと『本調子祭』の出囃子に乗って、客席の拍手に迎えられて高座へ登場。
軽い調子のマクラで「文喬ワールド」が続く。お客様もご自身も肩のこらない楽しそうな雰囲気が充満。
そして、始まった本題は、『天狗裁き』の一席。
夫婦、友達、家主、奉行、そして、天狗と多くの登場人物と、長屋、奉行所、そして、鞍馬山と場面転換も多く、非常に難しい噺ですが、そこはベテランの師匠。目の動きや言葉遣いで演じ分けられる。
さらに、夢の話を聞きたがる繰り返しが連続する噺なので、うまく演らないと飽きられるし、しかし、逆に間が合うとツボで面白いように笑いのくる、さらに、サゲのタイミングも難しい実に難しい噺であります。もちろん文喬師匠演の『天狗裁き』は後者であったことは言うまでもなく、サゲも「ちょっとあんた」で、客席から爆笑が起こり、そして、間を計って「どんな夢見たん」で拍手喝采と肩の凝らない軽いトーンの名演でありました。
 この噺に似た落語に東京の談志師匠が演じられおられた『羽団扇(はうちわ)』いう噺があります。正月二日に「一富士、ニ鷹、三なすび」の初夢を見るため宝船を書いた絵を枕の下において寝る夢の中に天狗が出てくるが、煽ぐと体が浮き上がって空を飛ぶことができる天狗の羽団扇をうまく取り上げ天空高く舞い上がると空を走り、調子にのって海に出て空から落ちる。しかし運良く宝船の上に落ち、恵比寿様の鯛を肴に弁天様のお酌で酒を飲んでいるところを女房に起されるスケールの大きな噺でありました。

 中入り後は、『浪花小唄』の出囃子で「上方落語界の応援団長」、桂團朝師匠が登場。お馴染みの当席常連の師匠でありますが、この位置(中入りカブリ)でのご出演は初めてとのこと。
「えー、・・・」と始まったマクラは、『彦八祭り』での事実談。
亡き師匠への大きな愛情とその師匠の扱いへの若干の皮肉の混じったマクラは、大爆笑の連続。
内容はちょっと、問題箇所もありますので、差し控えますが、とにかく大爆笑でした。
これで、下りられるのかなぁと思った瞬間、話題は、国定忠治へ大転換。
ここからは、艶笑小噺。
板割の浅太郎が寂しさに一人、****を始める。それを見て怒った国定忠治が名刀で****をばっさり。中天高く舞い上がった****に、有名な台詞「ああ、雁(かり)が鳴いて、南の空へ、飛んでいかぁ」。
※昔、桃屋のCMにこんなのがありました。三木のり平さんのアニメ・国定忠治の有名なセリフ。
「加賀の住人小松五郎義兼が鍛えし業物、万年溜の雪水に洗い清め、俺には、生涯手前ぇと言う、強い味方があったのだ。」

 本日のトリは笑福亭松枝師匠。ご存知、笑福亭・上方落語界の重鎮であります。早くからお弟子さんの笑福亭縁(ゆかり)嬢を連れての楽屋入り。
『早船』の出囃子でにこやかに高座へ上がって、「この頃、膝が痛くて座る時に顔をしかめます。一席終わって立ち上がるとどうもないのですが、今度はお客様が顔をしかめます。」この会話で客席は大爆笑。一気に松枝ワールドへ突入。
マクラは、ご自身が上方落語界の平均寿命を上回った話題。「米朝師匠は平均寿命を上回られましたが、他の落語家は早死にで・・・」と、春駒師匠、兄弟子の松喬師匠を紹介。松喬師匠のお通夜での簡単な戒名の割りに高い値段の話題へと。「本日は、師匠(六代目松鶴)の処にあって、擦り切れるまで聴いて覚えた志ん生師匠のレコードから。さっきまでそう思ってたんです。團朝のサゲを聞くまでは、カブリます。艶笑噺ですから・・・。けど、それ位のことでへこたれません。」と、始まった本題は、当席では初の口演となります、『鈴振り』の一席。
次の大僧正を決なければならないのだが、候補者が多く絞り難い。
編み出した、決定方法は・・・。サゲを聴くとなるほどと思わせる良く出来た秀作は残念ながら紙面での紹介全面カットです。
短い噺の積み重ねが聴き終わるとひとつの大きな噺になっていた松枝師匠真骨頂の半時間強の
名高座でお開きとなりました。
帰路に着かれるお客様の満足そうな顔で今回も大いに盛り上がった恋雅亭でありました。
 『鈴振り』では、本日は入りませんでしたが、古今亭志ん生師匠演では、「関東十八檀林(だんりん)の言い立て」がありました。
浄土宗(鎮西派)の学問寺のことで、関東に18ヶ所、これを関東十八檀林といわれています。
ここを順番に経験することがお坊さんの出世コースのようなものだそうです。
1.下谷 幡随院(ばんずういん)⇒2.鴻巣 勝願寺⇒3.川越 蓮馨寺(れんけいじ)⇒4.岩槻(柏崎) 浄国寺⇒5.下総小金 東漸寺(とうぜんじ)⇒6.生実(おゆみ、蘇我) 大巌寺(だいがんじ)⇒7.八王子(滝山) 大善寺⇒8.常陸江戸崎 大念寺⇒9.上州館林 善導寺⇒10.本所 霊山寺(りょうぜんじ、現在;れいざんじ)⇒11.結城 弘経寺(ぐぎょうじ)⇒12.下総飯沼 弘経寺(ぐぎょうじ)⇒13.深川 霊巌寺⇒14.上州新田(太田) 大光院⇒15.常陸国瓜連(うりつら) 常福寺⇒16.小石川 伝通院(でんづういん)⇒17.鎌倉 光明寺⇒18.芝 大本山増上寺。