もとまち寄席 恋雅亭 | ||
公演記録 | 第443回 | |
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公演日時: 平成27年7月10日(金) 午後6時30分開演 | ||
出演者 演目 月亭 方 正 「手水廻し」 桂 わかば 「片棒」 笑福亭 岐代松 「親子酒」 森乃 福 郎 「ねずみ」 中入 桂 三 風 「目指せ!ちょっと岳」 桂 米團治 「地獄八景・前半」(主任) 打出し 21時10分 お囃子 勝 正子 お手伝 桂 三ノ助、笑福亭笑利 |
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平成二十七年も七回目の公演。過去の大入満席公演を受けて、夏本番の感のある七月十日の金曜日(いわゆるハナ金・古―――)。 前売り券の売れ行きは絶好調。七月を待たずに完売。その後も電話の問い合わせが途切れない中、当日を迎えました。 お客様の出足も、前売り完売、当日券、若干枚のせいか当日券を求められるお客様は以外と少ないが、会員様を中心に出足は絶好調。 今回はチラシは意外と少なく、開場準備に間に合わそうと一丸となって人海戦術で手際良くこなし、定刻の五時半に開場。 早くから暑い中、並ばれたお客様から次々とパンフレットに挟み込まれた一杯のチラシを持って景気の良い一番太鼓に迎えられてご入場され、思い思いの席を確保されました。 長時間持って頂いたお客様にはいつもながら本当に申し訳ないことであります。 その後も次々ご来場のお客様で席は次々と埋まっていき、着到(二番太鼓)がなる頃には、キッチリ一杯の大入満席の状態となりました。 七月公演のトップはマスコミで大活躍の山崎邦正さん。いや、月亭八方一門から月亭方正師。 落語への傾注は各地の落語会や二人会などで大活躍中。大忙しの中での当席へのご出演となりました。いつもながら勿体ない当席の出番組。 月亭方正師・本名山崎那正氏は、地元・西宮市の出身で40歳を迎えた直後、先輩の東野幸冶氏の勧めで桂枝雀師匠の『高津の富』を聴き開眼。その後、平成二十年、飲み仲間の月亭八光師を通じ月亭八方師匠に入門を許される。以降、各地の落語会で基本に忠実に、ご自身の個性をプラスされ実績を積み重ねられ、平成25年からは芸名も月亭方正に統一されご活躍はご存知の通りで、今回当席初出演となりました。 正子嬢の三味線での『石段』の出囃子に乗って満席の客席の拍手に迎えられてトップバッターとして高座へ登場。「えー、・・・。」と、始まったマクラは見事の一言。なんでもない話題が客席の笑いに変わって、次々に狙い済ましたように爆笑が起こる。 充分暖まった客席を前に始まった本題は『手水廻し』の一席。 昔の日本の方言の話題から、今ではちょっと判り難くくなった「手水を廻す」の意味の説明。これが判ってもらわないとこの噺が判らないという判断なのだが、別の意味からすると、ネタがチョンバレになってしまう危険もある、どこまで説明したら良いか難しい処ではありますが、そこはキッチリと判るように説明してスタート。 発端からサゲまで基本に忠実に演じられ、マクラと合わせて二十分の名高座でありました。 手水と言う言葉は、小生は明治生まれの祖父母が「朝、起きたらすぐ手水使かって」よく使っていたので判りますが、今や死語となりました。ものの本によると、手水とは、①手や顔などを水で洗うこと。②社寺に参拝する前などに、手や口を水で清めること。③清めるために使う水のこと「―を使う」。④用便のあと手を洗うところから、便所へ行くこと。⑤そのものズバリで小便のこと。「―をさせて子供を寝かす」⑥便所のこと。「―に行く」。と、色々な使われ方をしていたようです。音の変化は手水(テミヅ → テウヅ → チョーズ)となったと書いてありました。 二つ目は、ざこば一門から桂わかば師(はやかぶ会63年組)。この師匠も愛くるしい笑顔とちょっと不思議な雰囲気を醸し出してファンも多く、神戸は地元とあって師自身も大張り切りでの出演となりました。客席からの拍手に迎えられ『まかしょ』の出囃子で登場。 「えー、・・・」と、始まったマクラも一種独特。 そして、日本は世界一の長寿国と断って始まった演題は『片棒』。 三人の息子に跡を譲るけちな親父さんが自分の葬式の仕方を訊ねる。その応えが天衣無縫で笑いを誘う。その噺を愛くるしい個性で演じるわかば師。客席からはツボ、ツボで笑いが起こった19分の高座でありました。 この噺の元は江戸時代に発行された「軽口あられ酒」の一遍である『気ままな親仁』だそうで、東京では、古くは自他共に十八番と認める、九代目桂文治(通称留さん)師匠が有名でありました。 ※桂文治は落語の名跡で、七代目は上方の二代目桂文團治、八代目は根岸の文治、九代目が留さん文治、十代目は戦後、伸治で大活躍した文治、十一代目が当代の各師匠連であります。 現在も多くの東京の噺家各師が演じられているし、上方では一門の桂文之助師匠と小佐田定雄先生がタッグを組んで工夫を凝らし十八番として演じられておられ、わかば師も直伝ではないでしょうか。 三つ目は笑福亭一門から笑福亭岐代松師匠。 この師匠も当席常連なのでお馴染み。今回も豪放磊落な上方落語を演じるべく、早くから楽屋入りされ、ネタ帳を熱心にご覧になり、『土手福』の出囃子で高座へ長身をやや前屈みにして登場。 「えー、ありがとうございます・・・。私の場合、ここ(恋雅亭)へは約二年に一度、出して頂いておりまして・・・。」、私が出る時には不思議なことに色々ハプニングが起こると紹介。小拍子が出ていなかったり、湯飲みが見台の上に乗っていたり、最大は、直前の骨折と紹介。 「その時(骨折)に演(や)る予定だったお酒のお噺をと始まった演題は『親子酒』の一席。 発端の親父さんが、うだうだ言うクダリから息子がうどん屋をなぶり、我が家へ、そしてお馴染みのサゲとなる酒の落語の名作。ツボツボで大爆笑が起こった二十二分の秀作でありました。 中トリは上方落語協会・重鎮・二代目森乃福郎師匠。 当席でも襲名記念公演を開催され、福郎の名前もすっかり板に付いた師匠。 今回も師匠直伝の上方落語を演じて頂けることでしょう。 今回ご出演の森乃福郎師匠は二代目。初代は昭和31年に三代目笑福亭福松師匠(前名は二代目文の家かしく・二代目桂文之助師匠の実子)に入門。笑福亭福郎となり、その後、藤山寛美先生の命名で森乃福郎を名乗りお亡くなりになるまでこの名前で通された。競馬好きでも知られ、関西テレビの競馬中継では司会をされマスコミでも活躍された。当席へも数多くご出演され、年末の『大人のための童話集』はレギュラーでありました。ご存知の方も多い師匠であります。 当代は師匠と同じ京都出身で昭和47年に初代に入門され、笑福亭福三。平成12年、当席でも襲名記念公演を開催しましたが、二代目森乃福郎を襲名されました。同期には、笑福亭鶴瓶、桂文福、笑福亭仁福師匠らが活躍されておられる。 「えー、森乃福郎でございまして、・・・。」と自己紹介。まだまだ、先代をご存知のお客様も多く、「顔が違う」とか「先代はお元気」とか言われます。さらに、当席の先代の想い出話、「ここへは襲名して三回目」と、久しぶりさをアピールして始まった本題は『ねずみ』の一席。 この噺、師匠の今年五月の「独演会」のトリネタ。 福郎師匠の風貌と人間が主人公の左甚五郎とオーバラップしてしまうのは、芸の力か。 師匠は笑いの少ない噺と紹介されておられたが、発端の少年(宿屋の息子)に口説かれて汚い「ねずみ屋」なる宿屋に泊まった甚五郎が主人と息子のために一肌脱ぎ、最後はハッピーエンドになる。涙あり、笑いありの日本人の最も好きなパターンのストーリー。 発端からサゲまでなんのなんの笑いあり、涙あり、拍手ありの半時間の好演でありました。 この噺、元々、上方の浪曲師の広沢菊春師匠が十八番として演じられていたものを意気投合した東京の三代目桂三木助師匠が脚色して昭和31年7月に初演され落語化された。 師匠の客席も大満足な半時間の好演でお仲入りとなりました。 中入り後は六代桂文枝一門から桂三風師匠。 この師匠は当席常連。いつも大爆笑高座だが、今年は噺家生活三十年。 三十周年を記念して計画された独演会の記者発表で三風師匠は、「吉本の落語家として、やはり本拠地のなんばグランド花月で落語をするのがひとつの目標であり夢でした。30周年は大々的に、師匠とオール阪神・巨人師匠にゲストに来ていただきます。そして自分が持っている作品の今一番おもしろい二席(そのうちの一席が本日の演題『目指せ! ちょっと岳』)を演じます。」 同席された六代文枝師匠は「彼には落語界に新しい風を吹かせてほしいという思いでこの名前を付けたんですが、どうも今まで風が吹いてるように思えないような高座を続けてきました。そよ風みたいな、生温かい風とか。私としては、もうそろそろ旋風を起こしてほしいと思っています。」さらに、「この間は私がやった『引き出物』という落語をやってくれましたが、これが誠によかった。表現力がよかった。」さらに、「自分で工夫するというか。その前に『ハンカチ』という落語をよくやってくれていたんですが、それは2丁拳銃の小堀が作った作品で。『そろそろ自分の作品も作ったらどうや』と言ったら、こうしていろいろ作品も作ってきたわけです。」そんな師匠に三風は終始感謝しつつ、「師匠の創作落語はすごくクオリティが高いし、なかなか追いつかないんですけど、できるだけ師匠に近づけるようにいい作品を作って、自分の作品をしっかり聞かせられる落語家になりたいと思っています」と語った。 師匠の出囃子でもあった『おそずけ』に乗って高座へ登場すると客席から大きな拍手が、さらに、挨拶すると、師匠の熱演を期待するかのように、さらに大きな拍手が起こる。 爆笑マクラで「三風の世界」を作った後、始まった本題は自作の創作落語、『目指せ!ちょっと岳』。 ご自身が上毛高原で見かけた、登山に向かう大阪のコテコテのおばちゃんたちのエピソードをモチーフにして繰り上げた自作の爆笑創作落語。三風師匠のおばちゃんは実に面白く、客席からは「こんなおばちゃん、おるおる」との共感の大爆笑が、色々と仕掛けられた地雷のようなクスグリにも反応の良い大爆笑が、演者も客席も大満足な名演でありました。 そして、トリは桂米團治師匠。今や上方落語界の重鎮と言え貫禄で、今回も切り口鋭い本格的上方落語を演じるべく、『鞨鼓』の出囃子で高座へ姿を見せると本日一番の拍手が起こる。「えー、ありがとうございます・・・。恋雅亭のお客様は暖かいです。良いお客様で、良く笑いはる・・・」。 桂米朝師匠がお亡くなりになられて百日。いまだに取材が終わらない。父の偉大さが良く判った。小米朝から米團冶へ名前を変えたいきさつ。米朝師匠が米團冶を襲名しなかった理由などを、米朝師匠のものまねを交えての爆笑マクラが続く。客席から似ているので拍手が起こると「やはり、親子」と、やんわり笑いを誘い、始まった本題は『地獄八景・前』。 当初は『百年目』をと準備されて来られのだが、福團冶師匠が今年の三月に演じられたのでカット。考えられた末の演題となりました。昨年の七月公演でも演じられていましたが、 その時は、お母様が亡くなられ、米朝師匠はご存命でした。今回はそのクダリが大きくリメイクされた演出となった爆笑落語に仕上がって、発端から爆笑の連続の半時間の好演でありました。 |