もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第441回 
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 公演日時: 平成27年5月10日(日)      午後6時30分開演
   出演者     演目
     ちょうば  「明石飛脚」
  桂    三 扇  「相部屋」
      楽 珍  「島んちゅの唄」
      春之輔  「死ぬなら今」
    中入
  笑福亭  学 光  「西行(和歌三神)」
  桂    きん枝  「お文さん」(主任)

   打出し  21時25分
   お囃子  勝 正子
   お手伝  桂 三ノ助、長谷川(芸名なし)。
 平成二十七年も五回目の公演。過去の大入満席公演を受けて、ちょっと暑い感のある五月十日の日曜日。前売り券も若干枚残して当日を迎えました。
GW疲れの残る日曜日で、お客様の出足はちょっと低調。「今日は暑いから、GW疲れか、メンバーはええのに・・・」と、自問自答をしている暇もなく、いつも以上に持ち込まれたチラシを開場準備に間に合わそうと一丸となって人海戦術で手際良くこなし、定刻の五時半に開場。
早くから並ばれたお客様から次々とパンフレットに挟み込まれた一杯のチラシを持って景気の良い一番太鼓に迎えられてご入場され、思い思いの席を確保されました。
長時間持って頂いたお客様にはいつもながら本当に申し訳ないことであります。
当初の心配をよそにその後も次々ご来場のお客様で席は次々と埋まっていき、着到(二番太鼓)がなる頃には、後列に空席を残してのほぼ満席の状態となりました。

 五月公演のトップは、桂ざこば一門から桂ちょうば師。長身で元気一杯、師匠の教えを忠実に守った高座は各地の落語会でも定評があるキャリアも実力も充分なトップバッタ-です。いつもながら勿体ない当席の出番組。
『石段』の出囃子で長身をやや屈めながら高座へ登場し、軽くあいさつし、「今日は『明石飛脚』と言うお笑いを・・・」。
 大阪~西宮~三宮~兵庫~須磨~舞子~明石と地元を通過する。
「やっ、どっこいさのさ」と、韋駄天の囃子に乗って繰り広げられる繰り返しの妙。一回一回、切れ目に小拍子を打ってキッチリ演じられる。笑いがどんどん大きくなってサゲとなりました。
これで交代かと思わせて、続いて『雪隠飛脚』、さらに、『うわばみ飛脚』と飛脚三代を十六分でまとめてお後と交代となりました。
ここで登場する人丸さん(人丸神社)は、歌人の柿本人麻呂を祭神とする神社で、兵庫県明石市と島根県益田市にある。
雪隠とは便所、うわばみとは蛇の大きいのであります。

 二つ目は、六代桂文枝一門の女流・桂三扇師。92年入門ですからキャリア23年にして、なんと当席初出演となります。一門の弟弟子と積極的に落語に取り組んだり、上方落語協会女性部「上方笑女隊(かみがたしょうじょたい)」のメンバーとしても大活躍の三扇師。早くから到着され、チラシの挟み込みを手伝ってもらっての高座への登場。
出身地の福知山にちなんだ出囃子『福知山音頭』で高座へ登場し、「三(さん)に扇(おうぎ)と書い三扇(さんせん)と読みます。シャーロットと呼んで下さい」から、当席への初出演の感想、大学時代に当席で初めて聴いた落語の感想や、学生時代にかっこ良かった神戸の感想などの世間話から、始まった本題は『相部屋』。
この噺は、三扇師の師匠の六代桂文枝師匠が三枝時代の平成20年8月に初演され、平成22年12月の第304回NHK上方落語の会でもOAされました。
入院した同僚を見舞いに行った男が、その後、怪我して同室に入院することになって巻き起こる爆笑編。時間を軸に現実と回想を上手くあしらって、さらに、幸せと不幸が入れ替わって訪れる面白い演出。その噺を師匠からの教えを忠実に、随所に新たな工夫を織り交ぜての十七分の秀作でありました。

 三つ目は桂文珍一門の総領弟子の桂楽珍師匠。この師匠は当席常連なのでお馴染みで、今回も溢れるようなホンワカムード一杯の爆笑高座をお楽しみにされるお客様の拍手と『ワイド節』の出囃子に乗って高座へ登場。
徳之島出身として入門直後の失敗談からマクラがスタート。話題がスッと変わって、深夜放送を見ていたら、心を打つような夫婦愛のドラマがあった。身体が元気になったのは「青汁」とドラマ仕立てのCMだったとつないで始まった本題は自作(楽珍師匠しか演じることが絶対不可能)の創作落語『島んちゅの唄』。
徳之島の男性と結婚した大阪生まれの女性が徳之島の実家へやってくる。
女性からのリクエストに応じて「島んちゅの唄」と称して、小さい頃覚えた唄を唄う。
そして、昔の想い出を語る内にカッパと相撲を取って勝った話題となり「なんでそんな強い?」それは、・・・。ここで深夜放送につながる。全編、徳之島の方言満載の秀作は二十六分。大爆笑の高座でありました。

 中トリは上方落語協会・副会長で、重鎮の桂春之輔師匠にとって頂きます。
相変わらずのイケメン。それでいてちょっととぼけた感のある師匠。前回は、上方怪談はなしの『もう半分』でしたが、今回は・・・。
『月宮殿鶴亀』の出囃子で登場し、まずは着物の話題。「着物とは便利なもので、これ、女性ものです。仕立て直ししたら、こうして着れまんねん。昔、ミヤコ蝶々先生に『すけ、着物やるから取りにおいで』と言われましてん。背がこんなに違うのにと思って貰うとこれが着れますねん。何が言いたいか判りますか? 着物頂戴。」と、客席の大爆笑を誘う。「えー、今日はトリであの人がタップリ演(や)りますから、えー、先代直伝の『愛宕山』、『たちぎれ線香』、私の方は軽く・・・」と、楽しそうに楽しむようにマクラを語り、「私の方は余り他に演(や)り手の無い噺で、なんでかと言うと面白くない・・・。サゲを先に言うておきます。『死ぬなら今』、これを覚えておいてもらわないと、判らんけったいな噺で・・・」と、始まった本題は『死ぬなら今』。
この噺は、民話から上方落語になったもので、戦前の上方落語界の名人と言われた二代目桂三木助師匠から先代八代目林家正蔵師匠に直伝され、孫弟子の春風亭小朝師匠が演じられておられ、上方では先代三代目桂文我師匠(当席でも昭和48年10月の第67回公演でも演じられておられます)から桂春之輔師匠に伝わって、当席では二度目の口演となる大変、珍しい噺であります。
ベースは昔の型を残して「焼酎。森伊蔵」や、「芸者ワルツ」のお囃子など、随所に師匠の工夫の入った秀作で、芝居に造形の深い師匠ならではの訥々とした独自の口調、特に閻魔大王の台詞芝居心満載。
そして、発端で仕込んでおいた説明でサゲとなり、お中入りとなりました。
「地獄の沙汰も金次第」の言葉通り、金を持って死ぬのだがこの金が偽物。
師匠は死語なので使われなかったが、昔の演出では戎さんの笹に吊す「戎小判」を持って行くことになる。
********* 『戎小判』という小咄があります。 *********
源さんが遊びに来たが、どうしてもかぶり物を取らない。訳を聞くと、戎様に福を授けてくれるように祈ったら、7日目に戎様が現れて両の手に小判を1枚ずつくれた。しかし、「戎小判」という位だから使えないのではないかと疑ったとたんに、罰が当たって、小判が2枚とも額にくっついてしまったのだと言う。
「これは本物の慶長小判。純金だぞ」
「どうにかして取れませんかね」
「2枚は難しいが、1枚なら確実に取れる」
「1枚でも結構です。どうしたら取れます」
「鼻の頭へ桂馬を打て」。
将棋が判らないと意味不明の小咄。

 中入り後は笑福亭鶴光一門から久々の出演となります笑福亭学光師匠。
いつまでも愛くるしい笑顔で大爆笑上方落語を演じてとの期待の拍手と『深川くずし』の出囃子に乗って高座へ登場。
「えー、久しぶりの恋雅亭でございまして、四年半ぶりでございます」と、挨拶からおねおねマクラがスタート。これが実に楽しそうに、話題がポンポン飛んで爆笑が続く。
楽しむようなマクラから始まった本題は『西行・鼓ケ滝・和歌三神』の一席。噺が始まったと思ったら、脱線。又、本題へと実に楽しそうに噺が進む。
この噺は西行法師が出家して、歌人になってからの噺で出家するまでの噺として演じられている『西行』の後日談。
西行法師は平安末期から鎌倉時代に活躍した佐藤義清(のりきよ)と言うもと北面の武士で、舞台は、阪急電鉄宝塚線の川西能勢口からの支線・能勢電鉄妙見線の鼓ケ滝付近。
鼓ケ滝は那智の滝と華厳の滝と合わせて日本三大滝と言われています。
鼓ケ滝で読んだ歌、を「伝え聞く鼓ヶ滝に来て見れば沢辺に咲きしたんぽぽの花」をあわてて飛び込んだ近くの民家に住んでいた翁、婆、娘の3人に手直しを受け元の歌より良くなっているのは認めざるを得ず西行は自分の修行の足りなさを実感する。
歌人として自信満々の西行法師を戒めようと夢の中に登場する和歌三神(住吉明神、人丸明神、玉津島明神)が慢心した西行を戒める地はなし。軽く、楽しく、トントンと演じられた学光師匠でありました。

 そして、五月公演のトリは、今や上方落語界の大御所となられた桂きん枝師匠。今回もホ-ムグラウンドの当席でノリノリの大爆笑落語を、それも初トリとして『相川』の出囃子と万雷の拍手で迎えられて登場。
いつものようにオネオネとのマクラもそこそこにして、トリとしての重責に正面切って対応する姿勢で始まった本題は『お文さん』の一席。
この噺、当席で演じられるのはこれで三度目。過去二度、笑福亭松之助、笑福亭松喬師匠同様に当席のお客様なら聞いてもらえると狙い済ました一席となりました。
大変、珍しい噺で言い尽くされた表現ではありますが、内容が良く分からない。骨が折れる。受けない。そして、現代では問題のある女性蔑視の内容であるので演出が難しい。
その難しい噺を、ご自身の任を生かしてグッと明るい大爆笑噺に舵を切った内容に変化させておられ、発端の捨て子の災難に遭う丁稚さんから大旦那、若旦那、御寮人とお文さん、登場人物が生き生きと描かれた発端からサゲまで手を抜くこともなく、照れることの熱演で、あっと言うまの一時間弱の熱演でありました。