もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第440回 
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 公演日時: 平成27年4月10日(金)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  笑福亭  喬 若  「長短 」
  桂    よね吉  「芝居道楽 」
      文 三  「堪忍袋」
  露 の    都  「子はかすがい」
    中入
  桂    勢 朝  「永田町懐メロ歌合戦」
  笑福亭  福 笑  「蓮の池クリニック」(主任)

   打出し  21時5分
   お囃子   勝 正子、佐々木千華
   お手伝  笑福亭たま、桂 三ノ助、露の 棗(なつめ)
 平成二十七年も四回目の公演。過去の大入満席公演を受けて、当日は季節はずれの寒い雨の平成二十七年四月十日。前売り券も若干枚残して当日を迎えました。
週末の金曜日ですが、お客様の出足はちょっと低調。「今日は寒いから・・・。メンバーは暑いのに・・・」と、自問自答をしている暇もなく、いつも以上に持ち込まれたチラシを開場準備に間に合わそうと一丸となって人海戦術で、さらに「チラシ挟み込みの大御所?・笑福亭たま師」の持込の指サックが絶大な威力を発揮し手際良くこなし、定刻の五時半に開場。
 寒さの厳しい雨の中、早くから並ばれたお客様から次々とパンフレットに挟み込まれた一杯のチラシを持って景気の良い一番太鼓に迎えられてご入場され、思い思いの席を確保されました。
寒い中、長時間持って頂いたお客様にはいつもながら本当に申し訳ないことであります。
 当初の心配をよそにその後も次々ご来場のお客様で席は次々と埋まっていき、着到(二番太鼓)がなる頃には、最後列までお客様で埋まった大入満席の状態となりました。

 四月公演のトップは、笑福亭三喬一門から笑福亭喬若師。本日のトリの福笑師匠は、大叔父(おおおじ)さんに当たる関係。
トップとはいえ、平成十年入門なのでキャリアは十七年。なんとも贅沢な出番組。
『石段』の出囃子で高座へ登場すると、「上方落語界の松坂大輔と申します(客席は大爆笑)・・・。それではこれで失礼致します(再び爆笑)。」
 鉄板のツカミも決まって始まったマクラは松坂選手の年俸の話題。自分がこの金額を稼ぐためには、「天満天神繁昌亭」に、二百三十年出ないといけない。と紹介すると客席は再び大爆笑。そして、「世の中には色々な性格の人がいます。」と始まった本題は『長短』の一席。
 意外と難しい噺で気の長い人は、口調は長めに、気の短い人は、口調は短めにと演じがちだが、過ぎると間延びしたり、間が詰まったりしてこの微妙なタイミングで笑いの大きさが変わるとされている。
その噺を筋立ては変えることなく、それでいて随所に喬若師の色が満載で、元気一杯の十七分の好演でありました。
 この噺の原話は、中国の宋時代の小咄だそうで、明時代の笑話集「笑府」でも紹介されています。日本では江戸時代の初期に発行された仮名草子「和漢りくつ物語」巻一の「裳(すそ)の焦げたるを驚かぬこと」で紹介されています(ネットで調べました)。
元々、小咄だった噺を誰が一席の噺に仕立て上げたのかは不明ですが、戦後の東京では、いずれも故人ですが三代目桂三木助師匠の気短、五代目柳家小さん師匠の気長がこの噺の双璧だったと言われています。東京では多くの演じ手のいる噺ですが、上方では珍しい噺の部類で当席で演じられた笑福亭鶴志師匠は、東京の十代目柳家小三治師匠からの直伝とお伺いしましたが、推測ですが、喬若師は鶴志師匠からの直伝されたのではないでしょうか。

 二つ目は、故桂吉朝一門から桂よね吉師。イケメン揃いの一門の中でも自他共に認める端正な顔立ちで女性ファンも多い独身であります。
『熊野』の出囃子でユッタリと高座へ登場し、「ありがとうございます、(座布団の位置を直しながら)根が几帳面なものでセンターがずれてる様で、えー、久しぶりの恋雅亭でございまして、もっとゴーフル臭いかなと思ってたんですが・・・皆様知ってはると思いますが・・・」と、先月、お亡くなりになられた米朝師匠との思い出話。そして、師匠の吉朝師匠の家の物理的な理由で米朝師匠の家で内弟子をした、師匠は大の歌舞伎好きの話題へ、歌舞伎と落語の違いを紹介して笑いを誘って、「その影響で私も大好きで・・・」と、芝居に関するマクラが始まる。落語と歌舞伎の違い、芝居の屋号、掛け声紹介、掛け方、と紹介して始まった演題は十八番の『芝居道楽』。
 この噺、芝居好きの若旦那と丁稚の定吉が繰り広げる爆笑編。二階で騒ぎすぎて定吉が階段から転げ落ちてサゲとなった、落語『七段目』をベースに自身の工夫で仕立て上げた噺らしく、さらによね吉師が平成19年度NHK新人演芸大賞で大賞を受賞する程の十八番の自信一杯の高座であります。随所に会場一杯のお客様の拍手と笑いが象徴するように大満足させた、よね吉師、快心の二十分の名高座でありました。

 三つ目は先代文枝一門から、桂文三師匠。
※初代文三師匠は明治初期の名人・初代桂文枝師匠の四天王と呼ばれ、後に二代目桂文枝を襲名された師匠であります。
つく枝から上方落語界の名跡・五代目桂文三を平成21年五月に襲名。当席では同年九月に襲名記念公演を開催。そのキャラクターと風貌から「踊る肉団子の甘酢あんかけ」の愛称を持っておられる逸材。一時期、体調管理の為に20キロの減量をされたが、現在はリバウンドで元の愛称に相応しい愛くるしい風貌に戻っておられる。個人的な好みだが、私は今の方が好みであります。
 いつものように楽屋でもニコニコと、襲名を契機に変更された『助六囃子』に乗って高座へ登場してもニコニコ。客席のあちこちに「えー文三でございます。文三でございます。」と、愛想と笑いを振りまく。客席は一気に文三ワールドへ突入。
 当席の想い出や、噺家は辛抱が大切、夫婦も辛抱が大切、ちょっとのことで腹が立つ、血液型の相性、とマクラを振って始まった本題は『堪忍袋』の一席。
 発端の「出て行け、出て行ったら」から大声で元気一杯の高座は大受けの連続。この噺は元々、東京の噺であったのですが、上方には笑福亭鶴瓶師匠がサゲなどを改作してよりお笑いの多い噺に仕上られ、多くの演者がいる噺。
文三師匠はその鶴瓶師匠の演出を土台に自身の工夫の演出をプラスしての好演。
仕草、言葉使い、意外性のある愚痴のそれぞれのクスグリに場内は大爆笑に包まれ、大いに盛り上がった二十二分の高座でありました。
※鶴瓶師匠の『堪忍袋』の当席での初演は昭和60年3月の第84回公演。
その公演の出演者は、桂雀司(現:四代目文我)/桂千朝/桂文我(先代・故人)/中入/笑福亭鶴瓶/橘家円三/笑福亭松鶴(六代目・故人)。今から三十年前でした。

 今公演の中トリは上方落語界女流No.1の露の都師匠に取って頂きます。
今やノリノリの高座は大爆笑請け合いです。『都囃子』の出囃子で高座へ。
ある師匠の言葉を借りると「今の都ちゃん。怖い物なしで言いたい放題やなぁ。けど、面白ろいなぁ」。高座へ登場して座布団へおっちん。絶妙な間があって「どうもようこそ、ありがとうございます。私、財団法人上方落語協会理事・露の都でございます(客席から爆笑と拍手が起こる)。・・・ありがとうございます。今日は着物下ろしました。占いでは明日は最悪、今日は金銀が入る・・・。」都ワールドはさらにヒートアップして、化粧、健康食品、お医者さん、老夫婦の会話と、大阪のコテコテのおばちゃんの世間話風に「・・・・・・なぁ」「・・・・・・やろ」と、マクラが続く。
 そして、スッと始まった演題は十八番の『子はかすがい』。
上方ではちょっと珍しい人情噺で、離婚した男が子どもとの偶然の再会をきっかけに妻とよりを戻す、夫婦と親子の情感が見事に描き出されたお涙ものの秀作は半時間。
 場内からの大きな拍手でお中入りとなった。
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落語ミニ情報 落語『子はかすがい』について
 この噺は大きく二つの型がある。東京で演じられているのは、子供と別れて出て行くのが、父親で、一方、上方では、子供を残して出て行くのは父親ではなく、母親となっています。
この噺は、『子別れ』として明治時代に創作されたらしく、上・中・下に分けて演じられることが多い。その下が『子は鎹(かすがい)』として、東京では、故人となられた圓生、志ん生、馬生、小さん、志ん朝、圓楽などの師匠連が演じられておられるし、今も人情噺の大物として多くの演者がおられる、噺家になった限り、『文七元結』、『鰍沢』、などと並んで演じてみたい噺であります。
 一方、上方へは、明治時代の落語の租、三遊亭圓朝師匠が「女の子別れ」と改作されたものが、四代目笑福亭松鶴師匠に、以後、代々の松鶴師匠に口伝されています。
 都師匠が演じられたのは東京の男が出て行く型であることを付け加えておきます。

 中入り、後半戦のスタートを前に福笑師匠が、「今日はお開きが遅くなってもよろしか?」との一言。「勢朝がノリノリやよって、四十分。私も負けられへんので、頑張るよって九時をまわりまっせ」。トップからの熱演がトリまで続くことを予感させるヒートアップ公演であります。
 パンフレットのミスプリントのお詫びの後、柝が入って『野球拳』の景気の良い出囃子で米朝一門の元気印・桂勢朝師匠の登場となりました。「落語界の森田健作」も54歳。キャリアも36年とベテランの域。しかし、いつまでも「森田健作(勿論、昔の)」ばりの元気の良さであります。
「待ってましたの掛け声も無く・・・。異常に笑うお客様・・・、本名を紹介、中島勝、通称、マッサン。」都さんから続くタメ口を詫びて、大阪の繁昌亭へお越しと誘う。楽屋へ来て、楽屋へ来るためのルールを紹介、内の師匠が嫌いなマクラと、爆笑マクラが続き、とどめは「お前は米朝譲りの古典落語を期待されておられますが、そんな噺はしません」と、始まった本題は、自作の登場人物全員が歌い倒す『永田町商店街懐メロ歌合戦』。
「大利根月夜」「お座敷小唄」「洒落男」「悪女」「年下の男の子」「女のみち」「うそ」と話題の政治家の替え歌が続き、トリは勿論、兵庫県議の「城崎音頭」でサゲとなりました。

 四月公演のトリは上方落語界の重鎮・笑福亭福笑師匠。早くから楽屋入りされ客席の反応を確認し、愛弟子のたま師匠と雑談風芸談を展開され出番を待たれ、『佃くずし』の出囃子とメクリが変わると同時に巻き起こった拍手に促されるように、高座へ登場。
「後、もう一席でお開きでございます。今の話じゃないですけど、今、城崎温泉が大賑わいで・・・。」から、「浅草海苔」と「わさび」は国産。新商品のヘルメット。大阪桐蔭、高齢化社会、売れる健康器具、医者の言い方で健康度合いが判る。と、爆笑マクラが続き、本題の『蓮の池クリニック』がスタート。お医者さんを扱った福笑師匠、入魂の一席。いつも思うことですが師匠の高座を文書で表すのは実に難しい。是非、生でお楽しみください。
大爆笑の連続の半時間でお開きなったことは間違いありません。