もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第437回 
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 公演日時: 平成27年1月10日(土)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  森乃  石 松  「播州巡り」
  林家  そめすけ 「通天閣に灯がともる」
  桂   米 左  「ふぐ鍋」
  桂   枝 光  「芝浜」
    中入
  桂   米 輔  「正月丁稚」
  月亭  八 方  「~こてこて劇場~ 男の花道 桂三枝作」(主任)

   打出し  21時20分
   お囃子  勝 正子
   お手伝  桂 三ノ助、月亭八織、月亭方気
 平成二十七年の新春を飾る「もとまち寄席・恋雅亭・新春初席」は、平成二十七年一月十日の三連休初日に前売り券完売で当日を迎えました。
 好天に恵まれましたが、逆に寒さが増してきた感がある一日となりました。その影響か土曜日にしてはお客様の出足は当初はいつもよりちょっと遅めでしたが、開場時点ではいつも同様、多くのお客様が列を作られました。
 今回は、いつもとちょっと違ってチラシの量は少なく、一丸となって人海戦術で手際よくこなして開場には充分間に合いました。開場は定刻の五時半。早くから並ばれたお客様から次々とパンフレットに挟み込まれたチラシを持って景気の良い一番太鼓に迎えられてご入場され、思い思いの席を確保されました。
開場時点で並ばれたお客様のご入場がひと段落した時点では後方に空席もありましたが、その後、切れ目なくご来場されるお客様で、席は次々と埋まっていき、着到(二番太鼓)がなる頃には客席一杯の大入満席の状態となりました。

 初席トップは、二代目森乃福郎一門の総領弟子・森乃石松師。当席初出演で大張り切りで楽屋の準備やチラシの挟み込み。楽屋でネタ帳を見ながら「何をしようか?」と思案中。
 石松師は、師匠の福郎師匠は勿論、入門時は既に大師匠(初代森乃福郎)はお亡くなりになられていたが、笑福亭の大御所の笑福亭松之助師匠の教育宜しく笑福亭の昔の味を現代に蘇らせたテンポも口跡もバツグンな高座です。
トップは十五分なので、松之助師匠直伝の『播州巡り』か『軽業』と迷われた中、初席のみで奏でられる『十日戎』の出囃子に乗って満面の笑みで高座へ登場すると客席のいたるところから拍手が起こる。
「あけましておめでとうございます。・・・森乃石松と申します・・・。」との自己紹介。
年末年始の仕事での噺のマクラから始まったのは、上方落語の西の旅から『播州巡り』の一席。
松之助師匠から習った通りキッチリと、随所に「あっ、ここ、松之助師匠の息」を思わせる箇所が、聴いていて実に心地よい流れ。松之助師匠もキッチリと演じておられたので昔の型を、前座の持ち時間をキッチリ守った名演でありました。
五代目笑福亭松鶴師匠編の「上方はなし」による播州名所は、四国のお大師さん→象頭山金比羅大権現→弥谷寺→善通寺→屏風ヶ浦→八栗→八嶋→壇の浦→吉備津さん→西大寺→高砂の松→尾上の松→石の宝殿→別府手枕の松→法華寺→書写山→清水寺→尾上の鐘→曽根の天神→明石→王子川→本町→明石のお城→人丸さん→明石の浦→亀齢水→離別坂→月照寺→千体の地蔵→八つ房の梅→船町→船形八房の梅→盲杖桜→お筆柿→火除の塚→芭蕉の塚→大倉谷→舞子→淡路島→淡路の岩屋の端先→紀州の加太の突端→泉州岸和田の突端→堺大浜の突端→大阪天保山の突端→尼ヶ崎大物の突端→西の宮の突端→住吉大石の端→神戸は和田の端→明石の端→須磨→三の谷→二の谷→一の谷→敦盛さんの五輪→須磨の関→平家福原の都→上野福祥寺→源平咲分躑躅→弁慶若木の桜→神功皇后釣竿の竹→敦盛首洗池→首塚→義経腰掛松→弁慶軍用鐘→松風村雨庵→多井の畑→片枝の松→行平月見の松→前田さんの杜若→兵庫の長田神社→柳原→兵庫の鍛冶屋町の浜だそうです。

 二つ目は、林家染丸一門から林家そめすけ師。一門のモッチャリ有りの現代感覚有りの当席の推奨株の師です。今回も師のキャラクターを十二分に発揮すべく早くから楽屋入りして準備万全。
『外法』の出囃子で高座へ登場すると昔の寄席の香りが残る師匠だけに客席が何か明るくなる。
 頭のてっぺんから「えー・・・」と、元気一杯始まったマクラは、ご自身のお住まいの西成区の特徴を誇張して笑いを誘って、自宅から見える通天閣を二代目と紹介して二代目が出来上がった当時の庶民の会話を土台にした自作の創作落語『通天閣に灯がともる』がスタート。
 そめすけ師匠がHPで
僕は今、『大阪24区人情落語』と題して、いろんな作家さんに協力してもらいながら、大阪24区それぞれを舞台にした創作落語を創ってるんです。
染丸師匠の人情噺や他の師匠方の人情噺や諸先人の方々の素晴らしい人情噺、江戸落語のような情緒漂うような人情噺じゃない、「そめすけの人情噺」ができたらと思っています。
僕の地元は大阪市西成区。その地元が凄く好き。悪いところも良いところも含めて全部。未だに僕はそこの小さな長屋に住んでるんですけど、近所には、僕だけでなく、僕の親父の子供のときも知っているくらい長生きのおばあちゃんが、今でも近所の子供のお節介を焼いていたりしてる。そんなおもろくて人情のある街を、もっとみんなに知ってもらいたい!街をわかってもらう、おもろい落語ができないかなっていうのが始まりで、24区すべての街や、大阪の様々な建造物や土地を舞台にした噺を創ってる最中なのです。  と、あります。
高座から下りてきたそめすけ師、「前回は中ばでしたが、今日は全編演じさせて頂きました。ええお客様で良く受けました。」との感想でした。

 三つ目は桂米朝一門から当席常連の桂米左師匠にご登場願います。いつまでも若々しい師匠で今回も『勧進帳寄せの合方』の名調子で高座へ登場。実に楽しそうに冬の定番の鍋の鍋奉行、その上の鍋将軍、灰汁取り専門の悪代官などとマクラに振った後、始まった本題は冬の噺の定番『ふぐ鍋』の一席。
 基本に忠実に、随所にご自身の工夫が入った二十五分の好演でありました。
本来はここで口演について書く処ですが、米左師匠がHPに載せられた当席の話題をご紹介致します。
神戸元町の毎月10日開催の恋雅(れんが)亭初席に出して頂いた。初席の出番を頂くのは嬉しいものだ。殊にこの恋雅亭には強烈な思い出があるので尚更嬉しい。
米左がまだ紅顔の美少年だった頃…紅顔の美少年やったんです…紅顔の…すみません、ウソついてました…。落語好きの高校生であちこちの寄席通いをしていて、こちらの恋雅亭にも通っていた。昭和57年9月10日、先代林家小染師匠が本来は中トリの出番だが仕事の都合で入る時間が遅くなり、トリの笑福亭松鶴師匠が中トリに出られた。これが凄かった!
ネタは「商売根問」。爆笑につぐ爆笑。高校生やった米左も笑った笑った。笑い過ぎて腹が痛いどころやない、涙流しながら腹筋千切れるかくらい笑った。客席が笑いで渦を巻いていた。未だかつて落語であれだけ笑ったのは後にも先にもあの松鶴師匠の「商売根問」以外にない。それくらい笑った。
トリに出られた小染師匠が「凄い商売根問でしたな。松鶴十八番の一つに入れときましょか」と仰ったのを覚えている。
お世話をしてらっしゃる方とも話をしたら「あれは凄かった!」と「もう伝説の舞台やね」と仰っていた。その通りだと思う。その伝説の舞台、その時に遭遇できたのは幸せな事だ。
その恋雅亭でも一つお宝がある。
恋雅亭のネタ帳。普通は世話人や前座の者が書くのだが、三百回記念公演で新しいネタ帳になったのでウチの師匠米朝に書いてもらったみたい。国宝筆のネタ帳表書き。
だがここで大きな失敗が…。縦書きなので国語の教科書のように右開きにしなければいけないのに、写真のように書かれてしまって左開きの縦書きという、実に使い難いネタ帳になってしまった。
他の者が書けば「アホ!バカ!まぬけ!なに考えとんねん!」罵詈雑言の嵐だが書いたのは桂米朝、上方落語四天王の一人。紫綬褒章、人間国宝、後の文化功労者、文化勲章。誰も文句は言えない。そのまま使う事に。その使い難いネタ帳も昨年12月で遂に使命を終えて初席から新しいネタ帳に。
新しいネタ帳の1ページ目に書かれるのはまたこれも嬉しい。
けど下手な字なんであんまり嬉しくない。
この舞台で伝説となる高座があった。その舞台を踏ませてもらった。人の思い出に残るような舞台…できるかなぁ…。

 中トリは五代目桂文枝一門から桂枝光師匠。楽屋入りしてもいつもながらの童顔でニコニコ。
楽屋ではめもののキッカケの打合せ。
米左師匠のサゲを受けて、『猩々』の出囃子で高座へ登場。
「えー、出てまいりました私が芸名、桂枝光。本名をえなりかずきと申します。」の一言で枝光ワールドの世界へお客様を誘い込む。
「前世はピーマン。次に生まれ変わっても園芸(演芸)や」と軽く笑いを誘って始まった本題は、江戸の人情噺の大物、『芝浜(夢の革財布)』。
全国各地の落語会で積極的に落語に取組んでおられる師匠だけに悪かろうはずがない、発端からサゲまでグイグイと噺の世界に引きずり込まれた半時間強の大熱演でお仲入となりました。
枝光師匠にお伺いしました。「この噺、東京の柳家権太楼師匠に付けて頂きました。古今亭の『芝浜』だそうで、習ったのは前日から始まるんですよ。けど、僕がその通り演(や)ったら、なんか、逆に変えたみたいに思われると思って、早朝からスタートしています。サゲに至る夫婦の会話もものすごく人間くさくて大好きですねん。けど、難しい噺ですわ。今日もいつもと一緒でここ(恋雅亭)のお客様の聞き上手に助けられました」。
ちなみに、権太楼師匠は十代目金原亭馬生師匠(父は五代目古今亭志ん生師匠、弟は古今亭志ん朝師匠)からの直伝ですから、古今亭系の『芝浜』ということになります。

 中入後のカブリは、桂米朝一門からポンちゃんこと桂米輔師匠。
この師匠も童顔でいつまでも若々しい師匠ですが、キャリア四十年超の大ベテラン。米朝師匠直伝の行儀の良い、お手本のような本格的な上方落語を期待されるお客様の拍手と『獅子舞』の出囃子で登場し、年始のあいさつから、げんを担ぐための言葉の紹介。同業者が結婚式で『桃太郎』を演じて、犬(居ぬ)と猿(去る)が言えずワンワンとキャキャ。とのマクラから昔の正月の商家の噺、『正月丁稚』が始まる。昔の正月の情景が目に浮かぶような名演で、げんを気にし、困惑気味の旦那と大人勝りで早口舌足らずの丁稚が師匠の仁にピッタリとしたホンワカした好演は十八分。
トリへバトンタッチも見事な良いつなぎでありました。

 そして、初席公演のトリは、上方落語界の重鎮・月亭八方師匠にお願い致しました。この師匠はもう説明の必要もありませんが、今回は久々の恋雅亭の初席公演のトリ。
忙しい八方師匠は当日、吉本のナンバグランド花月で三回の高座を済ませられ当席へ。先にお弟子さんの月亭八織(はおり)が当席へ到着されCDのはめものの打ち合わせ。
八方師匠の当席への愛着は実にありがたいことであります。
『夫婦萬歳』の出囃子で高座へ登場するとさっそく「八方楽屋ニュース」とでも言うような爆笑マクラがスタート。「ありがとうございます。新年でございまして・・・。私ら新年と言っても最近、あまり喜びはありません。新年は死ぬねん。もう六十七になります。(客席から「若かあ」)この間、十六や思てましたけど、もう、四十六年も落語やってまして・・・。高倉健、青春でした。可愛い女性は得や。「スタップ細胞は有ります」は、顔で得してる。健さんはカッコええ。綺麗。歌舞伎役者も顔がええ。顔は大事。落語の世界は例外だが、役者の世界はそこが大切。と、マクラが続き、大衆演劇の話題へ。役者が若い。踊りもうまい。前でお金を持っておばちゃんが待ってる。ガサガサ音のする方へ行くとまた金。落語会でもええのに皆さんが噺の邪魔したらあかんと思いはる。邪魔ちゃいまっせ。と、始まった本題は、『~コテコテ劇場~ 男の花道』。
現六代桂文枝師匠作で温泉地の大衆演劇の一座が、宿の閉鎖によって解散するはめになった。と言うところから話が始まる大衆演劇の劇団解散を描いた作で、新しい芝居噺チックな噺。
ちりぢりになった劇団員が一般の男性の伴侶におさまる人、老人ホームに御世話になる人と、解散後の落ち着き先はそれぞれだが、皆大衆演劇の中で長く暮らしてきたので身振り手振りが普通でない。中でも知り合いのイタリアンレストランでウェイターとして働くことになった座長は大活躍で大入り満員。CDの音楽もタイムリーに決まって客席は爆笑の連続でマクラも含めて四十分弱の大熱演。サゲの後のシコロ囃子でお見送りする八方師匠と会場を後にされるお客様の満足げな顔が表す大満足な好演でありました。