もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第436回 
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 公演日時: 平成26年12月10日(水)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  桂   雀五郎  「みかん屋」
  桂   福 矢  「野ざらし」
  笑福亭 瓶 太  「ハンカチ」
  桂   小春團治 「高津の富」
    中入
  桂   坊 枝  「時うどん」
  桂   塩 鯛  「二番煎じ」(主任)

   打出し  21時15分
   お囃子  入谷和女、勝 正子
   お手伝  桂 三ノ助、月亭秀都、桂 梅團治(挟み込みのみお手伝い感謝)
 平成二十六年も師走公演となりました平成二十六年十二月十日の第436回もとまち寄席・恋雅亭・師走公演は、前売り券を若干枚残して当日。ルミナリエ真っ盛りの好天に恵まれましたが、寒さが増してきた感がある一日となりました。
平日なのかルミナリエの人出もまばら。
 当席のお客様の出足は当初はいつもよりちょっと遅め、開場時点ではいつも同様、多くのお客様が列を作られました。
 今回も机に並びきれない程のいつも以上のチラシの量を一丸となって人海戦術(桂梅團治師匠や三栄企画の長澤社長、本当にありがとうございました。)で手際よくこなして開場に間に合わし、開場の定刻の五時半。早くから並ばれたお客様から次々とパンフレットに一杯挟み込まれたチラシを持って景気の良い一番太鼓に迎えられてご入場され、思い思いの席を確保されました。
開場時点で並ばれたお客様のご入場がひと段落した時点では後方に空席もありましたが、その後、切れ目なくご来場されるお客様で、席は次々と埋まっていき、着到(二番太鼓)がなる頃には後方に若干の空席が残りましたが、大入り公演となりました。

そして、開演。柝が入って和女・正子嬢の三味線を中心とした賑やかな『石段』の出囃子に乗ってトップの桂雀三郎一門から桂雀五郎師。師匠の教育よろしく各地の落語会で大活躍中。
高座へ登場すると客席のいたるところから拍手が起こる。
米朝一門の教育よろしく前座として挨拶もそこそこに本題の『みかん屋』がスタート。
発端からサゲまで基本に忠実にキッチリと演じる。ツボツボで笑いもタップリ起こった十八分の爆笑高座でありました。
『みかん屋』の原話は安楽庵策伝作の『醒睡笑』の『人はそだち』。東京へは大正初めに先代(四代目)小さん師匠によって『かぼちゃ屋』として移植されて、東西とも演じ手の多い噺である。
SPレコードの初代桂春團治師匠、二代目桂三木助師匠、口演が現在の元となっているし、三遊亭小円師匠(漫才の小円・栄子としての方が有名である)の口演も聞き比べてみると意外と変わっていない。
二代目桂春團治師匠から六代目笑福亭松鶴、露の五郎の両師匠へ。
桂ざこば師匠は六代目松鶴師匠直伝で、一門を中心に多くの演じ手がおられるのだが、ところが、当席では意外と演じられていない。

 二つ目は、桂福團治一門の七番弟子でキャリア二十年、当席常連の桂福矢師。
師匠の教育が行き届いた行儀の良さにプラスして、師のキャラクターを生かした高座は当席でもファンの多い。
『楽隊』の出囃子で登場して、マクラは二十年以上の付き合いになる笑福亭鶴志師匠の話題。
いじめるは、酒癖は悪いは、時間に無頓着だはと、大変な師匠だが、それでいて大好きさが満ち満ちている爆笑マクラは大受け。頂点となって、スッと始まった演題は『野ざらし』の一席。
この噺、中国の明代の笑話の「笑府」の中にあり、絶世の美女楊貴妃や三国志の張飛も登場する大作が元ネタとされている。それを土台に、元僧侶の二代目林家正蔵師匠が因縁話として作られ、それを初代三遊亭円遊師匠が滑稽な噺に改作され、その後、東京の代表的な噺として多くの演じ手のいる噺であります。上方へは、昭和五十年代に月亭可朝師匠が東京風をそのまま「野ざらし」として演じられたのを切っ掛けに広まり、上方には、ほぼ同じ内容の『骨釣り』としての演じ方もある噺です。
 福矢師の『野ざらし』は、東京風の演じ方。発端から因縁話を聞き、骨を釣りに行って一人大騒ぎするクダリと持ち前の明るい芸風で、いつまでも若々しく、ちょっと江戸前の臭いのする師が演じるのだから大受けです。
「♪鐘がぁ~ ボンとなりゃぁさ、上げ潮ぉ、 南さ。カラスがパッと出りゃ、コラサノサ、骨(こつ)がある、サーイサイ。」「♪そのまた骨にとさ、酒をば、かけりゃさ、骨がべべ(着物)着てコラサノサ、礼に来るサーイサイ。スチャラカチャンたらスチャラカチャン。」と、サイサイ節で大いに盛り上がってお後と交代となりました。

 三つ目は笑福亭鶴瓶一門から一門の元気印・笑福亭瓶太師匠。いつまでも若々しい師匠ですが、キャリアも二十六年。しかしながら「私の噺を聞いて古典落語は凄いと思ってもらうのが目標と謙虚。楽屋入りしても一動作、物腰、しゃべり方も謙虚。
 『暴れ』の出囃子で元気良く高座へ登場すると、若手時代の当席への思い出話。「ここで、鶴瓶一門の、銀瓶、瓶吾、と私、入門三年くらいで、交代でお茶子やってましてん。だから、今のお茶子さんが心配で、私の娘みたいなもんですわ。(後の坊枝師匠が「あれは娘とちゃいます。女を見る眼です。」と、ちゃかす。)
そして、始まった本題は『ハンカチ』。
この噺、漫才コンビ・二丁拳銃の小堀裕之氏が上方落語協会が募集した新作落語、2008年の入選作。 
瓶太師匠からお伺いした。「実はこの噺、笑福亭鶴二兄さんが、演(や)ってはったんです。丁度、師匠(鶴瓶)と私、同じ出演の時やったんで、袖で聴いてはった師匠が『ええ、噺や、おい瓶太、お前教えてもらえ』と、言われて演ってます。」
やや、倦怠期を迎えた夫婦の奥深い愛情を描いた噺、夫婦喧嘩をして家を飛び出した旦那さんがひょんなことから「世界の中心で愛を叫ぶ」ではなく、「野外ステージの上から愛を叫ぶ」コンテストに参加。それをケーブルTVで見ていた奥さんと仲直りする、一等賞の商品は着物、参加賞はハンカチ、奥さんの欲しかったものは・・・。全てのお客様が思わずホロッとした瓶太十八番と言っても過言でない秀作でありました。

 中トリは桂春團治一門から桂小春團治師匠にとって頂きます。この師匠についてはほぼ、毎年一回の間隔でご出演頂いていますので、当席ではお馴染みです。
 『小春團治囃子』で登場し、マクラは宝くじ必勝法。この方法は必ず当たるが、儲かるかは不明な難儀な爆笑必勝法(一等が出る確率は一千万枚に一枚。全部買うと必ず当たる。が、三十億円かかる)を紹介して、昔の宝くじの富くじを題材とした『高津の富』の一席。
 発端からサゲまで、基本に忠実、いつもの口跡の良さでグイグイ客席を笑いの渦に引きずり込んで噺が展開する。「子、ね~、ね~、当たった、あたっ、あたっ。」が大爆発の半時間の熱演で「お仲入~~り」となりました。
・・・・・・落語基礎知識(現在の貨幣価値に置き換えると)・・・・・・
江戸時代のお金の単位は複雑で、金本位の一両=四分=十六朱の単位と、銀本位の一貫=千文となり、千文=一分=四朱=四分の一両となる。
これをベースにして、一両=八万円とすると、一文は二十円となる。『高津の富』千両の一番くじは、八千万円。高額である。しかし、富くじ一枚が一分なのでこちらは二万円。これは文句なく高い。
『時うどん』のうどんは十六文なので、こちらは三百二十円で妥当な価格。
ちなみに、舞台の高津(こうづ)神社は、大阪市中央区高津1丁目。松屋町筋下寺町交差点と谷町筋谷九交差点の間を少し北に入った所に現存。
 【高津さんへはどう行ったらいいですか? こーづーと行きなはれ。】

中入後のカブリは、五代目桂文枝一門から桂坊枝師匠。
キャリア三十年の大ベテラン。平成三年六月の第158回公演の初出演から変わらず、元気で陽気な高座に、ますます磨きが掛かっている今日この頃の師匠です。
本日は名古屋の吉本興業の仕事から急行頂いた。自信満々、「名古屋から元町まで一時間半でっせ」と、元気一杯。
 中入り後、『鯉』の出囃子で元気一杯高座へ登場して爆笑マクラがスタート。
 本日の出演者をネタばらししながら進む。福矢師匠の天敵同様、自分にも天敵がいると、物まね(一門の先輩で、和歌山のおいやんらしい)。瓶太師匠の謙虚さも高座だけで楽屋では違う。
そして、本日ホヤホヤのご自身の楽屋でも「ちょっと、一言多かったシクジリ」を紹介。恋雅亭の四冊目ネタ帳のスタートは三百回記念公演。今回が丁度、最後のページとなった。
ところが、楽屋でそのネタ帳をめくっていた坊枝師匠が1ページ抜けているのを発見。大きな声で
「一枚、抜けてまっせ。間抜けな奴やなぁ。誰やろ」。横に座っておられた塩鯛師匠がy小さな声で「それ、おれや」。あたふたする坊枝師匠でありました。
客席が十二分に暖まった後、さらに暖まる爆笑落語『時うどん』がスタート。
この位置でこの演題。紹介の説明一切なしのご自身、自信の一席。愉快・痛快・爽快の二十五分でありました。
・・・・・・上方古典落語の定番中の定番『時うどん』・・・・・・
この噺、これをお読みの皆様、誰でも知ってる噺。原話は『軽口初笑』(1726年)の中にあり、東京の『時そば』は、明治時代に三代目柳家小さん師匠が東京に移植して有名になった噺で元祖は上方の『時うどん』。江戸噺の『時そば』は、それぞれ単独犯で模倣で動機もただの愉快犯ですが、『時うどん』は、この坊枝師匠には別の深い動機がある。現在では上方の若手の中には『時そば』ヴァージョンで演じられる師もおられます。
補足を一つ。日の出を「明け六つ」日の入りを「暮れ六つ」とし、それぞれの間を六等分していますので、よって、季節により昼夜の長さ、一刻の長さが変化をしています。最も昼間の長い夏至と短い冬至【正確には違いますが】では、約四時間違いますので、一刻は四十分の差があることになります。

 そして、十ニ月公演のトリは、上方落語界の重鎮の桂ざこば一門の筆頭弟子の桂塩鯛師匠にお願い致しました。恋雅亭の師走公演のトリに相応しい上方落語の大物を期待された客席の拍手と芸名に由来した『鯛(たい)や鯛(たい)』の出囃子に乗って登場。
「えー、私もう一席でございました、この後は何もございません」との挨拶から始まったマクラは、米朝一門で行ったハワイでの出来事。ざこば師匠に「マリファナ買うて来い」と言われ買いに行ったのだが逆に売人に間違えられた実話談で笑いをとって、煎じ薬の説明をして始まった本題は極寒の十二月にご近所の有志での夜回りのドタバタの『二番煎じ』の一席。
発端からサゲまで半時間強。夜回りで冬の寒さが伝わって、鍋の温さが引き立ち、根深の熱々を食うとこなどバッチリ。もちろん、宗助さん(米朝一門の宗助師匠はこの登場人物から命名)も大活躍する塩鯛ワールド全開。
 この噺は、東西で多くの演じ手のいる冬の酒の噺で、上方では二代目桂春團治師匠の十八番で朝日放送の「春團治十三夜」でも演じられておられました。
塩鯛師匠も十八番としてCDが発売されています。
その一『桜ノ宮』『替り目』。その二『二番煎じ』『壷算』。その三『らくだ』。その四『天神山』『首提灯』。その五『高津の富』『向う付け』。
原話は元禄時代に江戸で出版された小咄本『鹿の子ばなし』の「花見の薬」。これが同時期に上方で改作され、『軽口はなし』の「煎じやう常の如く」になり、冬の夜回りの話となったとある。
上方落語の演題だったものを大正時代に五代目三遊亭円生師匠が移したとされている。
※昭和の名人とされる円生師匠は六代目。五代目は「デブの円生」と呼ばれた、大正から戦前の名人と言われています。