もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第434回 
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 公演日時: 平成26年10月10日(金)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  林 家 市 楼  「道具屋」
  笑福亭 右 喬  「平の陰」   
  桂   福 車  「饅頭怖い」
  桂   雀 々  「代書屋」
    中入
  露 の 團 六  「つ  る」
  桂   文 喬  「悋気の独楽」(主任)

   打出し  21時00分
   お囃子  勝 正子
   お手伝  桂 三ノ助、笑福亭 智六
平成二十六年十月十日、「三度有ることは四度有る」のことわざはないが、今回も台風出現。
ただし、今回は一週間遅れ。日本列島を縦断して大きな被害となりました。
前売り券を若干枚残して当日。当日は好天に恵まれましたが、まだまだ、暑さの残る一日となりました。
お客様の出足はいつも通りで、開場時点ではいつも同様、多くのお客様が列を作られました。
今回も机に並びきれない程のいつも以上のチラシの量を一丸となって人海戦術で手際よくこなして開場に間に合わしました。
開場は定刻の五時半。早くから並ばれたお客様から次々とパンフレットに一杯挟み込まれたチラシを持って景気の良い一番太鼓に迎えられてご入場され、思い思いの席を確保されました。
最初はやや鈍い出足でありましたが、席は次々と埋まっていき、着到(二番太鼓)がなる頃には客席一杯の大入満席の状態となりました。

トップは当席常連だった「市ちゃん」こと故四代目林家染語楼の実子で総領弟子の林家市楼師。お祖父さんが三代目染語楼、父親が四代目染語楼と三代続く噺家一族。
その遺伝子を受け継いでの各地での落語会での大活躍は当席のお客様もよくご存知らしく、『石段』の出囃子で高座へ登場すると客席のいたるところから拍手が起こる。
マクラはご自身や師匠の落語がラジオで流れることをご存知かどうかで、反応を楽しむように、すっと本題の『道具屋』が始まる。
この噺、ポピュラーな噺で、東西の多くの噺家諸師が演じられている。多くの演じ手があらゆる工夫で演じておられる難しい噺と言える。師匠や一門の先輩の教えを守って、基本に忠実にキッチリと演じられる。【落語の口伝の基本は自分が教えてもらったことをそのまま教えることである。まずは基本を、次にご自身の演出を口伝する。これの繰り返しがキッチリした口伝の方法と言われています】市楼師もその基本をキッチリ守って、随所に自身の工夫を散りばめた、二十分の好演。場内は爆笑の連続。サゲと同時に大きな拍手が起こったことは言うまでもありません。
 この『道具屋』には多くのサゲが存在している。市楼師のサゲは次の①でありました。
サゲだけ書くとなんのこっちゃ判りにくいが、
①「そんな、足元みるな」「いや、手元みております」。
②「この鉄砲の台は?」「樫です」「値は?」「ズドーン」。
③「木刀では抜けない。何か抜けるものは?」「お雛さんの首が抜けます」
④「あー、家、一軒盗まれた」

二つ目は、故松喬一門から、天然の芸風でお馴染みの笑福亭右喬師。文句なく笑える右喬師の天然は楽屋でも、『おっかけ』の出囃子で高座に登場されても全開。
「えー、盛大な拍手、ありがとうございます。毎回、舞台で言うてることですけど、この拍手には応えられません」と、ツカミの挨拶から右喬ワールドがスタート。
噺家の収入だけでは暮らしていけないとアルバイトの実話談。ステーキハウスのアルバイトではカツゼツの悪さを逆手に取ったり、死んだことになっている実家でのアルバイトのトンチンカンな会話など、まさしく天然。
そして、「よく言われるんです『お前はマクラだけや』と、たぶん、今日の僕の舞台は今がピークです。もうこれ以上のものは出てきません」から無筆の手紙の小咄。
始まった本題は、字が読めないのに、読めると知ったかぶりをする噺、『平の陰』。この噺、東京では『手紙無筆』と呼ばれ、上演時間が十分前後と、寄席向きな噺で特に時間のない時はピッタリな噺。 しかも、登場人物も、二人だけで、そんなに難しい噺ではないと思われれちですが、ここが落語の難しい処で、なかなか呼吸が難しく、テンポ良く演じるのではなく、字の読めない人が、これまた字の読めない人に、手紙を読んでるふりをするのですから、間延びしないように間合いを十分とらないと受けない難しい噺です。
松鶴、松喬の両師匠も十八番の噺を右喬師は自身のキャラクターを十二分に生かして間合いもバッチリ。会場からはクスクスと狙い通りの笑いが連続して起こる。ますます面白くなりそうな天然・右喬師を予感させる、爆笑マクラ六分、爆笑本題十一分、計十七分の好演でありました。
 この噺に登場する手紙の書き出しは、「拝啓(結びは敬具、拝具)」、「謹啓(結びは謹言、謹白、頓首、敬白)」、「前略(結びは草々、不一、不尽)」、「前文御免下されたく候(結びはかしこ)」と、いかにも読めるように登場します。

三つ目は福團治一門から、一門の秘密兵器(秘密平気)こと桂福車師匠。
当席常連の師匠、今回はどんな高座で笑わせて頂けるか期待の中、『草競馬』の軽快な出囃子に乗って高座へ登場。
「(ポン)次から次へと・・・。こちらもとまち寄席は四百三十四回、気の遠くなる回数ですが・・・、ア凬月堂と言えばゴーフルやケーキで有名ですが元々は和菓子屋さん・・・。
糖尿病にはあんこが良い・・・。」さらに、凬月堂さんの「ふう」の字の意味や歴史を紹介して、そこからすぐ本題の『饅頭恐い』の一席がスタートする。まず、好きな物の尋ね合いから、嫌いなもの、そして、怖いもの。狐に騙されるくだりから、光ちゃんの登場。
「饅頭」が怖いと言い出す。饅頭を買ってくるクダリでは当然のように凬月堂さんの栗饅頭やゴーフルが実名で登場。これには客席は大爆笑。
基本を筋立てとクスグリに、ご自身の工夫が随所に入った爆笑噺に仕上がって、トントンと聴いていても実に心地よい二十五分の秀作でありました。

中トリは上方だけでなく東京でも全国で大活躍な、「けいじゃんじゃん」こと、桂雀々師匠。今回も最終の新幹線で東京へ異動の関係で、文喬師匠にお願いしての出番交代となりました。
出囃子はこれも軽快な『ひるまま』。師匠に当たる桂枝雀師匠の出囃子であります。
実は雀々師匠とカブリの團六師匠は同じ『かじや』。独演会で使われておられる『ひるまま』での登場となりました。
袖から顔をみせると客席から万雷の拍手。絶好のタイミングで「待ってました!」と声も掛かる。それに応えてマクラから全開。「今、上方の噺家が二百五十人。私らの頃は百人。私が九十九番。よく、松鶴師匠が「(物真似)上方落語もまもなく、ひゃ、ひゃ、百人や。うれしい限り。じゃぶじゃぶ(雀々)が九十九番目や」。「人数が多過ぎる。顔と名前が全国で一致するのは、『笑点のメンバー』、『ためしてガッテン』、『新婚さんいらっしゃい』、『家族に乾杯』これで充分なんです。」と、爆笑を誘って、多くの人がわいわいと実施する落語会と一人でもくもくとする仕事の代表として「司法書士」を紹介。
「司法書士、昔は代書屋さん」とつないで『代書屋』がスタート。
全編、師匠のキャラクターが前面に出た明るくて愉快な登場人物が繰り広げる、紙面ではとても紹介不可能な師匠がハジケにハジケた半時間の大爆笑高座でありました。
「代書屋」とは、今の司法書士の役割を持つもので、履歴書などの書類も代筆してくれたそうで、文字が書けない人が多い時代にあった職業で、米朝師匠の師匠の四代目桂米團治師匠の作品。その後、米朝師匠から三代目桂春團治師匠へと譲られました。桂枝雀師匠も十八番の一つでした。
ちなみに、主人公の名前は演者によって異なり、米團治師匠が太田藤助、米朝師匠が田中彦次郎、春團治師匠は河合浅次郎、枝雀師匠そして雀々師匠は松本留五郎。春團治師匠の河合浅次郎は、実父である二代目桂春團治師匠の本名で、枝雀師匠の松本留五郎の松本姓は枝雀師匠の祖父の旧姓なのは有名なはなしであります。
 本来のサゲは「自署不能につき代書」という、代書が書くべきものを代わりに客が書いてしまったというものであったそうですが、現在は最後まで演じることはなくなったようです。春團治師匠のサゲは町内の大食い競争での表彰の部分で終わり、雀々師匠のサゲは、枝雀師匠同様の職業が「ポン」という完全にオリジナルな、顔・仕草・声を使った漫画チックなものでした。

中入りカブリは、久々、この師匠も地元・神戸出身の露の團六師匠。
県立夢野台高校から国立神戸大学へ進み、当席で露の五郎(当時)師匠の『夢八』に遭遇して、落語家の道へ。東灘区在住で「板宿寄席」の主催者と神戸三昧な師匠です。
『かじや』の出囃子で長身をやや前屈みに高座へ登場。
「ありがとうございます。ネタ帳を見てますと、面白いですね。ここへ持って出ようかと思ったんですが、やめときと言われて・・・」。短気な師匠、変わり身の師匠の亡き五郎師匠の思い出から、「行きまっせ、(ポン)」と本題の『つる』が始まる。
この噺、元々は『絵根問』という噺の最後の部分を四代目桂米團治師匠が独立させてまとめられたとされています。團六師匠は「前座噺の名手」と言われた露の五郎(五郎兵衛)師匠直伝。
師匠からの口伝を土台に、ご自身の工夫も随所に取り入れ噺は進展する。
発端からサゲまで師匠も客席もノリノリの二十分強の秀作でありました。

トリは五代目桂文枝一門の知恵袋・桂文喬師匠。県立長田高校から大阪府立大学へ進み、落語研究会で活躍の後、五代目桂文枝師匠に入門と地元にゆかりの師匠。一時、体調不良だったがすっかり全快。絶好調で早くから楽屋入り。楽屋でも絶好調で楽屋話に花が咲く。
『本調子まつり』の出囃子で黒紋付に袴姿で登場し、「ちょっと、座り難いです。」と、肛門の入り口が痛いと、爆笑マクラが始まる。
「病院に行ったら、疣痔(いぼじ)やそうで、この頃は個人のプライバシーで名前を呼ばないそうで、薬を渡す時に『中村さん(文喬師匠の本名)』、数人が『ハイ』。そしたら、看護婦さんが『いぼじの中村さん』、こっちこそ、個人情報違反や(客席・大爆笑)」。
医者からは、「君なあ、肛門の入口ちゅうてるけど、出口やで。入るんは浣腸や(大爆笑)」。
近所のおばちゃんに見つかって、今日も家から出てきたら「『あっ、いぼじが出てきた。』、いぼじは出るもんや!」。
続いて、話題はご自身のお父さんの話題。とんちんかんの言い間違いの実話。これも、爆笑の連続。散髪屋へ行って、「前髪、サッパリ切っといて」、「耳は痛いからやめといて」。「落語家になるのはわしの眼の白いうちはゆるさん。」「わしも飲む打つ買うやってるで、薬飲む、点滴打つ、おむつ買う。」
極め付きは、「頭を指で押したら痛いんや、胸を押したら痛い、腹を押しても痛いねん。どこを押しても痛いんで病院に行ったら指が折れててん(客席は大爆笑)」。
そして、始まった本題は、五代目文枝師匠の十八番の『悋気の独楽』。
はんなりとしたお色気噺では第一人者でありました先代文枝師匠直伝なのは言うまでもありません。その教えを忠実に守ってのトリに相応しいどっしりとした秀作となりました。再演を大いに期待されたお客様の拍手喝采で十月公演はお開きとなりました。

・・・・・・五代目文枝師匠が当席で演じられた『悋気の独楽』について・・・・・・
師匠の十八番でしたので、『船弁慶』、『天王寺詣り』、『猿後家』などと並んで演じられた回数の多い秀作で、①第8回公演・昭和53年11月、②第132回公演・平成1年3月、③第166回公演・平成4年1月、④第263回公演・平成12年7月の計四回演じられました。

・・・・・この噺に登場するものについての説明・・・・・・
熊野の牛王(ごお)さん⇒熊野三山で授与する特別の神札で、次に説明します牛黄(ごおう)を混ぜた墨で書かれているという。この噺では、嘘を付くと血を吐いて死ぬとされています。
牛黄(ごおう)⇒漢方に使用される生薬で原料は牛の胆石。末梢の赤血球数を著しく増加させる効果がある。
熊野誓紙⇒牛王宝印(ごおうほういん))寺社が頒布する護符のことで、その裏に起請文を書く誓紙として広く使われていました。落語『三枚起請』では、その誓いを破れば、熊野で烏が三羽死ぬの言い伝えがサゲにつながっています。