もとまち寄席 恋雅亭 | ||
公演記録 | 第431回 | |
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公演日時: 平成26年7月10日(木) 午後6時30分開演 | ||
出演者 演目 桂 二 乗 「あみだ池」 笑福亭 喬 楽 「上燗屋」 桂 文 華 「打飼盗人」 笑福亭 枝 鶴 「遊山船」 中入 露 の 新 治 「源平盛衰記」 桂 米團治 「地獄八景・上」(主任) 打出し 21時15分 お囃子 入谷 和女、勝 正子 お手伝 桂 三ノ助 |
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平成二十六年七月十日は長い恋雅亭の歴史でも、昭和天皇崩御で一回、阪神大震災で四回と計五回しか経験したことのない、休席を決断しなければならない最悪の気象状況。台風八号直撃の予報。 しかし、当日の十日はお客様の普段の心掛けの良さか台風の気まぐれか直撃は免れ、小雨から天候が回復。 しかし、「今日の落語会は有るの?」との電話での問合せはひっきりなしにかかる。 さすがに、お客様の出足も一部の会員様を除いてさすがに低調。 それでもいつも通りに沢山届いたチラシを出演者にも手伝って頂いてスムーズな開場のための準備を進めチラシの挟み込みを実施。 今回も机に並びきれない程のいつも以上のチラシの量、一丸となって人海戦術で手際よくこなして 開場に間に合わしました。 豹変する天候を考慮して、準備が出来て即、六時二十五分に開場。 早くから並ばれたお客様から次々とパンフレットに一杯挟み込まれたチラシを持って景気の良い一番太鼓に迎えられてご入場され、思い思いの席を確保される。 最初はやや鈍い出足でありましたが、席は次々と埋まっていき、着到(二番太鼓)がなる頃には、ほぼ、満席の状態となりました。 定刻の六時半、柝と共に『石段』の出囃子でトップバッターの、桂米二一門の惣領の桂二乗師。 桂米二一門の総領弟子で師匠や米朝一門の教えをキッチリ守っての上方落語は当席でもお馴染み。「えー、三年ぶりに出して頂きまして、ここは暖かい寄席で・・・」から、大阪にも温かい人が多いと、串カツ屋で遭遇したおっさんとの会話で笑いをとって始まった本題は『あみだ池』の一席。 チラシ挟み込みを手伝いながら、「ここは真剣勝負ですわ。事前に演(や)りたい噺を決めて来るんですが、なかなか上手くいきません。今日は『あみだ池』。これは出てると思ったんですが、意外と出てませんし。」横から喬楽師が「そうです、今日は『宗論』、これは珍しい噺やさかい、出てないと思って来たらよう出てるし」。 ちなみに何回空いていないといけないとの規定はないのですが、『宗論』は、423回、407回と出ておりNG。『あみだ池』は396回ですから3年ぶりとなりOKの判断となるようです。 この『あみだ池』という噺は、明治末期から大正初期に、桂文屋師匠の新作落語。 会話の中に「過ぎし日露の戦争で・・・」とあるので明治三十八年以後の作であるのは確実であります。初演で最初の「阿弥陀が行けと言いました。」で、サゲと勘違いした下座さんが受け太鼓を入れたとの逸話があり、初代桂春団治師匠の『阿弥陀ヶ池』というタイトルのSPレコードを聞くと、テンポや間、そしてクスグリと最高でありました。 多くの先人達の工夫で大爆笑噺に仕上がった噺をキッチリと演じられ、ツボツボで大爆笑が起こったのは言うまでもなく、お客様も演者も大満足の十七分の名演でありました。 この噺に登場する和光寺や阿弥陀池や、柔道と間違う十三の焼き餅屋さんも現存していますし、舞台となった和光寺は、元禄十一年(一六九八)開創のお寺。尼寺蓮山和光寺(浄土宗尼寺)の通称で、境内の池より信濃善光寺の本尊が出現したという伝承に因んで建立されたお寺である が、寺号よりも通称(あみだ池)のほうが一般に知られています。 二つ目は故笑福亭松喬一門から笑福亭喬楽師が『大ちゃん数え歌』の景気の良い出囃子で体を揺すって高座へ登場。 この『大ちゃん数え歌』は、昭和四十三年頃から連載、後にアニメ化された青森から上京して来た、大ちゃんこと風大左衛門が一流の柔道家を目指し大活躍する『いなかっぺ大将』のオープニングテーマ曲。 『巨人の星』の川﨑のぼる先生の大ヒットアニメ作品で、主題歌を「吉田よしみ」名義で天童よしみさんが歌っていることでも知られています。 「えー、続いて喬楽のほうで・・・」と、「暑いですね。台風は逸れました。私も汗かきですから羽織を脱がして頂きます。」おねおねが続く。「これをマクラと言いまして、本題に関係することを言うのが本当なのですが、私の場合は関係ありません。私の気持ちが落ち着くまでがマクラです。落ち着かなければずっーとマクラです。」と笑いを誘って、おねおねの自称マクラの後、始まった本題は、師匠直伝の「上燗屋、へいへいへいと逆らわず」の狂歌から始まる『上燗屋』の一席。 師匠譲りの芸風とご自身も大好きなお酒の噺とあって実に楽しそうに、美味しそうに演じられる。その一言、一動作に場内も「そうそう」「美味しそう」「ようそんな」といった感想らしくその都度、爆笑や含み笑いが起こる。タメたり、引っ張ったり、突き放したりとご自身も客席の反応を楽しみながらの二十分の汗ブルブルの熱演でありました。 下りて来られて、「ええ、お客様でした。しかし、師匠の様に間が取れませんねん。教えてもろた通り演(や)ってるつもりなんですが、天国の師匠からは、『まだ、本当に酔ってない。けど、本当に酔ったらあかんねん』と、NGですわ」と謙虚な感想でありました。 三つ目は先代文枝一門からいつまでも若々しい桂文華師匠の登場です。 一門では先代直系二十人中、十六番弟子ですが、お弟子さんもいらっしゃる師匠で、熱心に落語に取組む姿と、ご自身の愛くるしい笑顔と元気一杯の高座は当席でも多くのファンを持っておられます。「おはようございます。『文華師匠はまだか!』とお客様からよく聞きましたよ」と言うと、「何人ですか?」「四、五人」「なんや四、五人かいな(嬉しそうに)」。 『千金丹』の出囃子で高座へ「えー、ありがとうございます。場内、割れんばかりの拍手を頂きまして、続きまして、上方落語界の妖怪人間ベロでお付き合い願っておきます。」と定番のツカミのあいさつから、学校寄席の話題。恋雅亭は大人のお客様やから演(や)り易い。子供は笑う処が違う。恋雅亭はクーラーが効いてる。子供の前で出来る噺が限られている。泥棒の噺は出来ない。泥棒の種類を紹介、ちぼ、焼き抜き、絞り上げ、もんごり、盗賊(戸ゾク)、踊り込み。流れるようなマクラから本題の『打飼盗人』の一席がスタート。 当席のHPの過去のネタを確認しての満を持してのネタ。前回は第396回公演の桂福矢師匠以来の三年ぶりの口演となりました。 この噺、登場人物は盗人と長屋の住人の二人。登場人物も少なく、二人の会話のキャッチボール(間・テンポ)で、笑いをとる力のいる噺と言えます。その噺をキッチリ・カッチリとこなし、ポイントでは爆笑が起こる。練り込まれた噺だとよく判る、ご自身も楽しむように噺は進んでいき、サゲとなった再演を大いに期待される秀作でありました。 『あみだ池』と『打飼盗人』は、昭和二十六年の十一月十三日から始まった朝日放送ラジオの「二代目桂春団治十三夜」の十三夜の口演が有名で、この口演は録音技術の進歩で可能になった録音テープで録音された大阪では最古ライブ録音とされています。 『あみだ池』第一夜。『猫の災難』第二夜。『欠』第三夜。『壷算』第四夜『打飼盗人』第五夜。『祝のし』第六夜。『豆屋』第七夜。『欠』第八夜。『二番煎じ』第九夜。『欠』第十夜。『按摩のこたつ』第十一夜。『青菜』第十二夜。『近日息子』第十三夜。 お亡くなりになられた五郎兵衛師匠に伺ったことがあります。 「あのテープぁ。何本か欠けてるやろ。実はお父っさんの追善公演を戎橋松竹でやった時に会場で流すために、朝日さんから借りたんや。それがどっかへ・・・。残念やけど、もう出てけえへんやろなぁ。」。今回ご出演の露の新治師匠からは「内の師匠の露の五郎兵衛師匠は『うちの親父っさんのトリネタやで』と言ってはりました」とお伺いしました。 中トリは六代目笑福亭枝鶴師匠にとっていただきます。 先代枝鶴師匠のただ一人の弟子として、先代の息を受け継ぎつつ、ご自身のキャラクターを生かしての数多くの上方落語は絶品。今回も楽屋入り後も絶好調。落語が好きで好きで、楽しそうに、元気一杯。 『だんじり』の笑福亭一門の出囃子ともいえる『地車(だんじり)』の出囃子で飛び出すように高座へ登場すると、『待ってました!』と声も掛かる。 「えー、皆さん笑い疲れたでしょう。もう休憩しょうか。」と、ほんわか枝鶴ワールドがスタート。 台風の完全防備が恥ずかしかった。皆様も大変でしたでしょ。電話の問い合わせも多かった。 蒸し暑い。暑い夏の昔の扇風機の話題。ええしの家はリボンが付いていた。昔の夕涼みの風景を紹介して始まった本題は『遊山船』。この噺、昨今、多くの上方落語が東京で演じられるようになったが、最も移植が不可能だと称される、上方風情一杯の夏の大川の夕涼みの噺。 「橋の下も遊行遊山(ゆっこぉゆさん)、三味や太鼓で、その賑ぃ~ぎやかなこと・・・そ~ら、割った割った割った割った、カチワリやカチワリや。冷とぉて、冷やこぉて、甘いで。カチワリやカチワリや、冷とぉて、冷やこぉて、甘いで・・・。新田西瓜はどぉじゃい、新田西瓜。種まで赤いで、烏丸枇杷湯糖(からすまるびわゆとぉ)・・・。玉屋ぁ~ッ、上げてや~、バァ~~ン、バァ~~ン」でグッとムード満点。演者もノリノリで、今日のお囃子陣との息もピッタリで、コテコテの上方情緒満点の噺を登場人物の全員、演者も大活躍の半時間強の笑福亭の『遊山船』でお仲入となりました。 中入後のカブリは、露の五郎兵衛一門から、師匠曰く、「小粋で達者な噺家」露の新治師匠に久々に登場願いしました。 各地に熱狂的ファンを持たれる師匠、『金比羅』の出囃子で高座へ顔を見せると客席から大きな拍手が起こる。満面の笑みの新治師匠はマクラから絶好調。最近の、この頃の、今の、旬の話題を考え貫かれた構成で話が進む。その組み合わせが面白いように決まり客席は大爆笑の連続。 そして、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。げに奢る者久しからず、ただ春の夜の夢の如し、ただ春の夜の夢の如し」、「有名な一説ですね。なぜ、有名かと言うとこの先を誰も知らないから(客席は大爆笑・実に見事)」と、始まった演題は『源平盛衰記』。 保元の乱、平治の乱で生き残った源氏の子供の理由の紹介、講談調でたたみ込むように、「まず一番に兵を挙げましたのが木曽の山中で育ちました暴れ者、幼名駒王丸、武勇絶倫の大将、木曽(源)義仲でございます。寿永の二年に、越中と加賀の国境、倶利伽羅(くりから)峠へ攻め上りました・・・」。 そして、屋島の戦いの那須与一宗高の扇の的、次々に場面が転換し、最後は笛や太鼓で踊りだし、「踊る平家(驕る平家)は久しからず」とサゲになりました。 そして、七月公演のトリは、今や上方落語界の重鎮の風格・五代目桂米團治師匠にとって頂く ことになりました。今回も大変お忙しい中、「恋雅亭なら喜んで」と快諾頂きご出演頂くことになりま した。早くから楽屋入りして準備万全。熱演が続いたため、八時四十五分の上りとなりました。 『鞨鼓』の出囃子で高座へ姿を見せると本日一番の拍手が起こる。「えー、ありがとうございます・・・。恋雅亭のお客様は暖かいです。良いお客様で、良く笑いはる、みんな一生懸命演ったんで私の持ち時間は十分しかありません。(一呼吸あって)、ちょっと遅くなってもいいですか」。この投げかけに客席から承認の大きな拍手が起こる。「それでは、皆様方を地獄へお連れ致します。ちなみに地獄へ行ったことのある方・・・(後方から手が上がり客席大受け)。さすが、恋雅亭のお客様や」と、始まった本題は、米朝師匠が復活された『地獄八景亡者の戯れ』。 前半部分だけと断ってスタート。 地獄への道をトボトボ歩く処からスタート。三途の河で生塚(しょうずか)の婆との駆け引き。 ここでは若旦那と米團治師匠がダブリ大受けでした。河を渡って歓楽街へ到着。黒白歌合戦や芝居の蓮華座では団十郎総出演の忠臣蔵、十二代目の物まねも大受け。上方落語の殿堂の半焼亭(繁昌亭)では、米朝師匠が来ないので枝雀師匠が「すびばせんね」。 さらに、先日お亡くなりになられた実母・中川絹子さんを駒ひかるとして躍らせたり・・・。 大受けの前半でありました。 生塚(しょうずか)の姥:別名を脱衣婆(だつえば)とも言い、三途の河の岸辺で亡者の衣装を剥ぎ取り、衣領樹(えりょうじゅ)という木上にいる懸衣翁(けんえおう)に渡すのが仕事とされています。ここで衣装の重さで地獄か極楽かの別れ道となるそうです。「ショウズカ」とは「生塚」と書きますが「三途河(さんずか)」がなまったものだそうです。 |