もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第430回 
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 公演日時: 平成26年6月10日(火)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  林 家 染 太  「手水廻し」
  桂   歌之助  「片棒」   
  笑福亭 純 瓶  「目薬」
  桂   枝女太  「京の茶漬」
    中入
  笑福亭 三 喬  「子盗人(穴泥) 」
  桂   ざこば  「子はかすがい 」(主任)

   打出し  21時10分
   お囃子  勝 正子
   お手伝  桂 三ノ助、桂 三弥、桂 あおば、桂 紋四郎
平成二十六年六月。むしむしするシーズンとなってまいりました。今年は、やはり異常気象。
春、梅雨を通り越して一気に夏の様相。
その不快感を笑いで吹っ飛ばすように前売券は絶好調。五月の二十日過ぎに完売となりまし
た。その後も、問合せの電話がひっきりなしにかかり、第四百三十回・六月公演の開催日を迎え
ました。当日は暑さもちょっとまし(平年に戻った)になりました。が、早くから並んで頂くことは申し
訳ないことです。
当日は平日にもかかわらず、お客様の出足は休日並みかそれ以上で、遂に風月堂さんの通用
門を通り越して列が出来ました。
出演者にも手伝って頂いてスムーズな開場のための準備を進め、チラシの挟み込みを実施。
今回も机に並びきれない程のいつも以上のチラシの量、一丸となって人海戦術で手際よくこなして
開場に間に合わしました。
定刻の五時半に開場となり、早くから並ばれたお客様が次々とパンフレットに一杯挟み込まれた
チラシを持って景気の良い一番太鼓に迎えられてご入場され、思い思いの席を確保される。
最初から絶好調のお客様の出足通り、席は次々と埋まっていき、六時を待たずに立ち見確定。着
到(二番太鼓)がなる頃には客席を囲むように立ち見のお客様が出来ました。

定刻の六時半、柝と共に『石段』の出囃子でトップバッターの、林家染丸一門の元気印・林家染
師が大入りの客席から湧き上がるような拍手に迎えられて、満面の笑みでの登場となりまし
た。「えー、携帯電話をお持ちの方は・・・(お切り下さいではなく)、私に電話下さい」と、絶妙なツカ
ミが、本日最初の大爆笑。
マクラは言葉の話題。世界では同じ音でも全く違う意味になります。たとえば・・・。」と、二、三紹
介してさらに客席の笑いを誘って、昔の日本の方言の話題。「本日の落語は『手水廻し(長頭廻
し・ちょうずまわし)』と言うお笑いで」と、今ではちょっと判り難くくなった「手水を廻す」の意味の説
明。これが判ってもらわないとこの噺が判らないという判断なのだが、別の意味からすると、ネタ
がチョンバレになってしまう危険もある、どこまで説明したら良いか難しい処ではあります。小生は
明治生まれの祖父母が「朝、起きたらすぐ手水使えよ」よく使っていたので判りますが、手水という
言葉は今や死語となりました。ものの本によると、手水とは、①手や顔などを水で洗うこと。②社寺
に参拝する前などに、手や口を水で清めること。③清めるために使う水のこと「―を使う」。④用便
のあと手を洗うところから、便所へ行くこと。⑤そのものズバリで小便のこと。「―をさせて子供を寝
かす」⑥便所のこと。「―に行く」。と、色々な使われ方をしていたようです。
音の変化は手水(テミヅ → テウヅ → チョーズ)となったとあります。
噺の方は発端から笑い全開。持ち前のいつもニコニコ、もっちゃり、はんなりにさらにオーバーアク
ションも織り交ぜ、客席はホンワカムードに包まれ、随所で大爆笑が起こるトップとしての絶好の
好演。サゲも時間もバッチリな染太師でありました。
ご自身もHPに、「僕も学生時代に通っていた落語会に出させて頂ける、幸せ〜!場内は大入り満
員、立ち見もでておりました。」との書き込みがあり大満足が推測されました。

二つ目は先代も当席に出演されておられた三代目桂歌之助師が久々の登場となりました。
当席の二つ目の出番は二年に一度のペースなので、タイミングがずれると久々になってしまいま
す。先代の歌之助師匠は平成十四年に五十七歳の若さでお亡くなりになられましたが当席の常
連で入門当初は「硬」のイメージでしたが、四十歳位からは「軟」に大化け。当席でも『寝床』、『ね
ずみ』、『茶の湯』などの大ネタを伸び伸び演じられておられました。当代も先代譲りのどことなく柔
らかい芸風。早くから楽屋入りされ準備万全で、『雛鶴三番叟』で高座へ登場。
ゆっくりとマクラが始まる。「こう見えましても学生時代はもっと肥えてまして・・・。何事ものめり
込むタイプでして・・・」と浪人時代に急に思いついて始めたダイエットを紹介。効果があったのか、
急に痩せ出した。原因はダイエット効果ではなく軽い栄養失調。には客席は大爆笑。
そして、「今日の落語はちょっと変わった落語で、例えればシャンプーで身体洗うような」と断っ
て、始まった本題は、恐らく同門の三代目桂文之助師匠からの直伝であろう『片棒』。
倹約家の旦那が三人の息子の誰を跡取りにするかを、自分の葬式をどう出すとの問いかけにどう
答えるかを聞いて判断しようとの策略。それを知ってか知らずか三者三様の答えをする三人兄弟
が師の任(にん)とピッタリ一致してさらに爆笑の輪が広がる。
十八番らしくキッチリと腹に納まっているので受けないはずがなく、随所で狙い済ましたように爆笑
がと仕草に拍手も巻き起こった、さらなるバージョンアップも期待される好演でありました。

三つ目も「純ちゃん」こと、鶴瓶一門から笑福亭純瓶師匠。一門では笑瓶、晃瓶、純瓶と十三師
のうちの三番弟子。キャリアも昭和五十九年入門の三十年。落語に取組む姿は師匠譲りで、元気
一杯の高座を今回もと大張り切りで早くから楽屋入り。チラシの挟み込みまでお手伝いを頂く。
出囃子は『梅ケ枝の手水鉢』。浄瑠璃の「ひらかな盛衰記・四段目」の傾城、梅ヶ枝を扱った、
「♫~梅が枝の、手水鉢、叩いてお金が出るならば、もしもお金が出た時は、その時ゃ身請けを、
そうれたのむ。」で、節回しは落語の『らくだ』でも出てくる「かんかんのー」。
ノリノリの出囃子で高座へ登場して、その愛くるしい笑顔一杯でさも嬉しそうに元気一杯のマク
ラがスタート。「(一杯の客席を見渡しで)いやっ、ありがたいなと思っております。」の挨拶から名ビ
ラを見て名前の説明。羽織を指して脱ぐんやったら着んでもええのに。アナログテレビで最後まで
頑張った。夏にパイロンを被ってメリークリスマス。次々に飛び出す支離滅裂な世間話。しかし、こ
れがよく考えられていて、トントンとつないでいるうちに本題へ繋がってくる。
そして、「昔は字を書けない、読めない人が大多数やった時代の噺」と、無筆の小咄を二つ。始
まった本題は『目薬』。
 この噺、小咄としてはお馴染みの噺ですが、それを一席の噺に仕立て上げて演じられる。
随所のクスグリが間延びを感じさせない秀作に仕上がっていた爆笑の連続の二十二分の好演で
ありました。

中トリは先代文枝一門から「しめやん」こと、桂枝女太師匠のとっていただきます。先代直系二
十人中、文枝、きん枝、文珍、文太、小軽、文福、文喬、文也、小枝、枝女太、と、丁度、真ん中の
十番弟子。
『岸の柳』の出囃子と実にあでやかな装いでゆっくり高座へ登場。
「続いて出てまいりました。かつらしめたと申します。決してお寺さんではございません(以前はし
めやんと呼んで下さい)。」と、あいさつから、入門当初から先代の鞄持ちで来席していた当席の
思い出から、「十八で入って今年、五十五、長いこと演ってます。年がいくと悪くなってきます、身体
が、外(そと、頭を指して)、ちゃいまっせ、中身が。」と、胃カメラを呑んだ時の実話談。睡眠薬で眠
って見た夢は胃カメラを飲んで苦しむ夢。医者に聞くと苦しがっていたので正夢。胃には異常はな
かったのだが、見つかったピロリ菌。不衛生が原因と嫁に言うと「私の食器の洗い方が悪いの
か!」怒り出す。そんなことはありません。食器は私が洗ってる。と、爆笑マクラが続く。
そして、始まった本題は五代目文枝師匠直伝の『植木屋娘』。この噺、五代目笑福亭松鶴師匠
の十八番で入門当初、五代目師匠に大変可愛がって頂いた五代目文枝師匠。受け継ぎ十八番と
して演じられておられた逸品。よく考えると一門ではあまり演じ手の少ない噺となっています。
その噺を師匠を彷彿とさせる部分を随所に感じさせ、自由奔放にご自身のキャラクターを活か
してのマクラも入れて半時間超の熱演。師匠も客席も大満足でお仲入となりました。

中入後のカブリは、「上方落語界の熊のプーさん」こと笑福亭三喬師匠。
いつまでも若いと思っていた師匠も、いまや松喬一門の筆頭、お弟子さんも二人おられる上方落
語界の重鎮です。それでいて何時までも愛くるしい笑顔で演じられる爆笑落語は健在とまさしくノ
リノリの師匠。
満席の中入り休憩後のざわつきが残る高座へ『米洗い』の小気味良い出囃子に乗って。
いつもの『我が家のアルバム』で客席を落ち着かして本題へのパターンかと思いのほか、いきなり
「おい、そんなやいやい言うな・・・」と、余白なしに、いきなり本題へ。この演出はよほどの腕がな
いと演れないし、まして、中入り後ではなおさらであります。
始まった本題は『子盗人』。師匠自ら、出番前に「今日は『子盗人』。本日の演題には、下に穴泥と
書いてなぁ」と、師匠の十八番の盗人物。東京ではお馴染みの『穴泥』。
お人好しの盗人が嫁にせっつかれて商売へ。そこで、宴会後の商家へまんまと入ったのだが、這
い出してきた赤ちゃんを笑顔一杯であやし、あやして誤って穴倉へ落ちてしまう盗人。人の良いそ
の家の主人。怖がりの番頭。手伝いの熊さん。と、登場人物全てが三喬師匠並み、、それ以上か
も判らない好人物。全編、ホンワカムード満載の二十五分の大満足な好演でありました。

そして、六月公演のトリは上方落語界の大御所・ナニワの人情派こと桂ざこば師匠にとって頂く
ことになりました。今回も大変お忙しい中、「恋雅亭なら喜んで」と快諾頂きご出演頂くことになりま
した。開演前には楽屋入りされ、トップからのお客様の反応を確認して、演題を『子別れ』『文七元
結』の二つに絞られる。
三喬師匠のサゲをまって、黒紋付で、『御船』の出囃子で高座へ顔を見せられると本日、一番の
拍手が起こる。
「えー、皆さん、家の中はうまいこと行ってますか?」「うちはがたがたですわ」と、お得意のマクラ
が始まる。愛犬の夫婦での取り合いをマクラに客席を暖めて、始まった演題は夫婦の愛を描く『子
はかすがい』の一席。
発端からサゲまで全編、難波の人情派の本領発揮。父母の息子への愛、夫婦の愛がざこば師
匠の紙面には表せられない半時間強の好演でありました。

落語ミニ情報 落語『子はかすがい』について
 この噺は大きく二つの型があります。東京で演じられているのは、子供と別れて出て行くのが、
父親で、一方、上方では、子供を残して出て行くのは父親ではなく、母親です。
この噺は、『子別れ』として明治時代に創作されたらしく、上・中・下に分けて演じられることが多
い。その下が『子はかすがい』として、独立して演じられています。東京では、故人となられた圓
生、志ん生、馬生、小さん、志ん朝、圓楽などの師匠連が演じられておられ、今も人情噺の大物と
して多くの演者がおられます。
 一方、上方へは、明治時代の落語の祖、三遊亭圓朝師匠が「女の子別れ」と改作されたもの
が、四代目笑福亭松鶴、五代目松鶴、六代目松鶴、松之助師匠と伝わっており、両師匠(六代目
松鶴、松之助)の名演が残っている。
 今回のざこば師匠が演じられた型は、父親が出て行く東京の型でありました。