もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第429回 
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 公演日時: 平成26年5月10日(土)      午後6時30分開演
   出演者     演目
  笑福亭 べ 瓶  「真田小僧」
  桂   まん我  「応挙の幽霊 」   
  桂   宗 助  「稲荷俥」
  桂   文 也  「親子茶屋」
    中入
  笑福亭 晃 瓶  「ちしゃ医者」
  桂   福團治  「ねずみ穴」(主任)

   打出し  21時15分
   お囃子  入谷 和女、勝 正子
   お手伝  桂 紋四郎、月亭 秀都
平成二十六年も五月。「新緑の色増す季節」「新緑の野山に萌える今日この頃」「風薫るこのご
ろ」「風薫る五月の空に鯉のぼりが」と一年で最も過ごし易い五月・皐月公演となります第429回
公演となりました。
消費税疲れ、GW疲れもあったのか、前売券もちょい残りで、土曜日の当日を迎えました。
出演者にも手伝って頂いてスムーズな開場のための準備を進め、チラシの挟み込みを実施。
今回は机に並びきれない程のいつも以上のチラシの量、応援も磐石(梅團治師匠も夫人もお手伝
い頂きました)で、人海戦術で手際よくこなして開場に間に合わしました。
定刻の五時半に開場となり、いつもながら早くから並ばれたお客様が次々とパンプレットに一杯
挟み込まれたチラシを持って景気の良い一番太鼓に迎えられてご入場される。
最初はやや低調だったお客様の出足も着到(二番太鼓)の入る頃には、後方にやや空席の残こり
ましたが、ほぼ満席となり、定刻の六時半、『石段』の出囃子でトップバッターで、笑福亭鶴瓶一門
の元気印・笑福亭べ瓶師の登場となりました。
数度の不祥事も師匠の愛情に包まれ、持ち前の明るさで、元気一杯・若さ一杯で各地で開催され
る落語会で大活躍中。今回は特に一門のホームグランドとも言うべき当席への初出演とあってい
つも以上の大張り切り。
前座ながら袴を着けて高座へ姿を見せると客席から大きな拍手が起こる。
達者な師だけにお客様のツカミもバッチリでマクラから客席は大爆笑の連続。
ちょっと身体の調子が悪かったのでネットで調べたら・・・・!。
演りにくい所は幼稚園と、子供の鋭い突っ込みにタジタジ。
始まった本題もマクラからの流れもピッタリなこましゃくれた子供が大活躍する『真田小僧』の一
席。こましゃくれた息子とまんまと話術にハマってしまう父親も、ちらっと登場する母親も、登場人
物の全員がべ瓶師のニンともピッタリ。客席の笑いもクスクスからハハハ、そして、ワッハッハとヒ
ートUP。
ピークになった瞬間を見定めたようなサゲも決まって十八分の爆笑高座はお後と交代となりまし
た。
この、『真田小僧』の噺の前半で別名を『あんまさんご苦労』という演題で昔は演じられていまし
た。時間の関係で大いに盛り上がったここで切るのが良い切れ場と思います。
この噺、後半は、まんまと小遣いをせしめたこの息子が、騙された父親の「本当に知恵のある子
供は」と言って、講談に登場する真田幸村の若い時代の話を母親にする。それを逆手にとった息
子がまたまた、小遣いを騙し取るクダリとなりサゲとなります。演題の由来はここまで演じないと判
らないのです。

二つ目は、地元神戸の兵庫高校から金沢大学を経て、平成十一年に四代目桂文我師匠の総
領弟子として入門。平成二十四NHK新人演芸大賞(落語部門)大賞受賞の実力者の桂まん我
の久々の登場となりました。
『くいな』の出囃子に乗って、愛くるしい笑顔をさらにくちゃくちゃにして元気一杯で高座へ登場。
「えー、ありがとうございます。地元神戸出身で兵庫高校(会場から拍手)、ありがとうございます。
こちらへは(恋雅亭)、久々でございまして、まさか、こっち(高座)へ座るとは思いませんでした。そ
っち(客席)へ座って観てましたから・・・。」と、流暢にマクラを振って、骨董品の話題から始まった
本題は珍しい噺『応挙の幽霊』の一席。
掛け軸に描かれた幽霊(もちろん女性)が、高値で売れたので祝杯を挙げた主人の手向けのおか
げで蘇り酒宴に参加。三味線を弾き都々逸を・・・。酔いつぶれた幽霊を見てのサゲとなりました。
あまり笑いのない噺なので演じ手の工夫と演じ方で大きく違う噺。その噺を持ち前の明るさと口
跡の良さ、さらによく通る声で演じる。場内はツボツボで爆笑の渦。
途中、幽霊の都々逸のまん我師の美声と節回しに客席から大きな拍手があったことは言うまで
もありません。
この噺の一方の主人公の円山応挙(圓山應擧・まるやまおうきょ)は、江戸時代中期に活躍した
絵師で現代まで続く円山派の祖とされ、写生を重視した親しみやすい画風で人気を博した。諸説
ありますが今では当たり前な足のない幽霊を描き始めた画家とも言われています。

三つ目も実力者・米朝師匠の末弟の直弟子の桂宗助師匠の登場となりました。
末弟と言っても昭和六十三年入門ですからもうキャリア二十六年。
ろくさんのはやかぶから名付けられた『はやかぶ会』や、梅田の大融寺の『宗助さんの会』など、各
地の落語会で大活躍中。
芸風も師匠の教えをキッチリ守った行儀の良い本格的上方落語で当席でも既にお馴染みな逸
材。『月の巻』の出囃子で高座へ登場し、「狐狸は人を化かす」から年を経た狐の神通力、天狐(て
んこ)、地弧(ちこ)、風弧(ふうこ)、雲弧(**こ)。勿論、ここで大爆笑。
狐はお稲荷さんのお遣わし、鼠は弁天さん、毘沙門天は百足(むかで)から、百足の爆笑小咄か
ら「この噺とセットとなっています小咄として、『高倉はん(高倉稲荷)へは、どう行ったらよろしい
か? こうづ(高津)ーっと行きなはれ』」を紹介して始まった本題は、師匠直伝の『稲荷車』。
米朝一門で米朝師匠に最も似ているとの師匠が、直伝の噺を演じられるのだから悪かろうはず
がない。
発端の高津神社(千両富が当たる『高津の富』の舞台)の中にある高倉稲荷からスタート。
騙したつもりがドツボで、騙されたつもりがラッキーと、ドンデンドンデンの連続で噺が宗助師匠の
絶妙な口演で爆笑を誘いながら進み、長屋の場面では客席のお客様の「想像通りの展開だ」との
笑いが巻き起こる。上方落語の特徴のお囃子もジャンジャン入って賑やかなサゲ。二十二分の好
演でありました。

高津(こうづ)神社は、別名を浪速高津宮で、仁徳天皇を王神と仰ぐ神社で、平安期の初期清和天
皇によって社殿を築かれたとある。場所は松屋町筋下寺町交差点と谷町筋谷九交差点の中間あ
たりをひと筋北。
俥屋=人力車が大阪に登場したのは明治初年。明治三十年頃には三万台を超えたが、明治三
十六年、大阪市電の創業と昭和初期の円タクの登場でその役割を終えたので、この噺は明治中
期から大正時代の噺であります。
稲荷神社の別称は正一位(しょういちい)なので、神社の神位では最上位。
伏見さんといえば伏見稲荷のことで全国の稲荷神社の総本社。

中トリは上方落語界の重鎮・文枝一門の大番頭・桂文也師匠。京都出身の品の良さと随所に
先代が見え隠れし、独特の個性で演じられる明るい上方落語を楽しみされるお客様の拍手と『五
条橋』の出囃子に乗って高座へ登場。
ここで、ちょっとしたハプニング。お茶子さんが小拍子を忘れてしまう。気がついてマクラの最中に
届けるとそれを逆手にとって「ちょっと、おかしいなぁと思っておりました。ちょくちょくあるんです。
(帰りかけるお茶子さんに)ちょっと、ここに座ってゆっくりされたらどうですか」と、客席の雰囲気
を変え、「京の着倒れ、大阪の食い倒れ、神戸の履き倒れ」と、京阪神の違いを紹介。
さらに、当席の最近、とみにも物忘れが酷くなったと、スターバックスをオートバックスと間違えた
実話を紹介。さらに、当席のネタ帳を見ての「生きてる、死んでる、生きてる、死んでる、生きてる
けどやめた」と、笑いを誘って、最近の噺家の若手は遠慮がないと紹介して、始まった本題は、上
方情緒タップリの『親子茶屋』の一席。
文也師匠のいつまでも若々しくちょっと軽いニンとこの極道の親子がピッタリ一致。また、先代
文枝師匠も見え隠れするノリノリの口演はマクラもプラスで半時間強の好演でありました。
年寄りの隠れ遊びとして登場する「狐釣り」は、上方落語の『百年目』や歌舞伎の『仮名手本忠
臣蔵・七段目』でも登場する大人の鬼ごっこで、扇子で目隠しされた鬼が手の叩く方に向かって行
き、鬼に捕まったら罰として酒を飲まされ、鬼になるというものである。
また、文句の「信太の森」とは、平安時代の陰陽師・安倍晴明が和泉国(現大阪府)信太(信田ト
モ)に生息する雌狐の子であったという俗説によるもので、『天神山』や『吉野狐』にも登場する。
原話は明和五年なので今から二百五十年前の作となります。
上方では四代目米團治師匠(昭和二十六年にお亡くなりなられていますが、晩年の二十分弱の
音源が残っています)から米朝師匠へ、そして、三代目春團治師匠へと口伝されました。
東京では八代目桂文治師匠が『夜桜』として演じられていましたが、今はあまり演じ手のいない噺
となりました。

ちょっと脱線して桂文治について(敬称:略)。
幕末の上方尻取り唄に「桂文治は噺家で」と登場する通り文治という名前は上方の噺家の止め名
(最高位の名跡)でありましたが、四代目の弟子の初代文枝が五代目を継がなかったため、三代
目から東西あった文治という名前が東京に残り、上方の文治という名前は消滅しました。東京の
六代目文治が一代限りの約束で、七代目は上方の二代目桂文團治が襲名しました。ちなみにこ
の二代目文團治の弟子が初代春團治、三代目米團治(米朝師匠はこの師匠の孫弟子に当たりま
す)。そして、八代目は『夜桜』で登場した、通称、山路の文治、九代目は通称、留さん文治、十代
目は伸治でお馴染みの師匠。系列から言うと、十代目の師匠は七代目文治(二代目桂文團治)の
弟子の二代目桂小文治ですから、系列としては上方に戻ったことになります。ちょっと、ややこし
い。現在は十一代目が活躍中です。

中入後のカブリは、久々の出演となります。鶴瓶一門の二番弟子・笑福亭晃瓶師匠に登場願い
ました。平成十年から続くKBS京都ラジオの冠番組、毎週月曜日から金曜日の朝六時半からの
『笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ』でお忙しい中、久々の登場。嬉しそうに楽屋入りして、また、ザ
ワザワ感の残る会場に『太鼓船』の出囃子と満面の笑みで高座へ登場。
師匠譲りとラジオで鍛えた明るい雰囲気で爆笑マクラがスタート。
 師弟とはこんなに似るものかといつも感じることがありますが、多くのお客様が晃瓶師匠の高座
の至る処に鶴瓶師匠を感じられたのではないでしょうか。
五十を超えて身体も色々な処が悪くなったと耳鼻咽喉科の医院での治療風景を紹介するのだが
これが実に面白い。「先生も八十を超えて、手が震えて・・・、薬の瓶に針金の脱脂綿が上手く付か
ない。もちろん、鼻には入らない。助手は私を抑えないで先生を抑えてよ。」
ノリノリの爆笑マクラは十五分。そして、始まった本題は『ちしゃ医者』。
パワー全開で噺は進み、途中で「私も若くないのでここで、ちょっと一服」と休憩するクスグリも
爆笑を誘い、上方特有の「きちゃない」落語の横綱格の噺は爆笑に爆笑を誘って、マクラも入れて
半時間の強の爆笑高座はサゲとなりました。

そして、五月公演のトリは上方落語界の大御所・四代目桂福團治師匠にとって頂くことになりま
した。楽屋入りされると、「今日はお客様から、是非、『ねずみ穴』を、と、言われまして、ちょっと、
長いですがよろしいか?」。勿論、OKで演題が決定しました。
当席後、急死されたレツゴーじゅん師匠のお通夜に参列されるとのことでしたが、「タップリ演らし
てもらいます」と、名調子『梅は咲いたか』の出囃子でいつものようにユッタリと高座へ登場。
客席の御贔屓から小気味の良い掛け声が掛かる。
「えー、長いこと演ってますねん。疲れた。」と、いつもの福團治ワールドに即、突入。
「多くの落語の中でおもろない落語が三つあります。その内の一つを今日は演らして頂きます」と、
始まった演題は師匠が東京から移植して上方の人情噺として演じられている『ねずみ穴』の一席。
師匠が上られたのが九時二十分前で、お開きが九時十五分。途中、カットされたヶ所、間が詰ま
る、早口、でもないのに師匠曰く、短縮バージョンらしい。発端からサゲまで、そんなことを全く感じ
させない好演でありました。サゲで大きな拍手と掛け声が掛かったことは言うまでもありません。