もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第426回 
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 公演日時: 平成26年2月10日(月)      午後6時30分開演
 雀松 改め 三代目 桂 文之助襲名記念公演
   出演者     演目
  桂   紅 雀  「いらち車」
  笑福亭 竹 林  「親子酒」   
  桂   千 朝  「蛸芝居」
    中入
  文之助・南光・千朝・竹林・紅雀  「記念口上」
  桂   南 光  「火焔太鼓」
  桂   文之助  「星野屋」(主任)

   打出し  21時00分
   お囃子  林家和女、勝 正子
   お手伝  桂 春蝶、三ノ助、三弥、小鯛、紋四郎
年も改まり、例年通り、例年以上にすっかり冬ムードが続く二月十日の月曜日、もとまち寄席
恋雅亭・如月公演の「雀松改め 三代目桂 文之助襲名記念公演」が開催となりました。
前売券も一月十一日の発売後、月末までに完売と前景気も絶好調で当日を迎えました。
当日は朝から当日券の有無を確認される、お客様の問い合わせも多い中、翌日が祝日の月曜日。
平日とはいえ、お客様の出足はすこぶる好調。いつもながら、一年で一番寒い季節の中、並んで頂いたお客様にはいつもながら申し訳ないことです。
 今回も一杯届いたチラシの折込を人海戦術でこなす。とにかく毎回のことながら、今回も量が多い。大忙しです。
長時間、並んで頂いているお客様にせかされる様に準備を進め、五時半に定刻通り開場となりま
した。木戸を済ませて順々にご入場されるお客様で、会場一杯にご用意した席は次々に埋っていき、最後方に椅子を引いての大入り満席。その後も「立ち見覚悟」で当日券を求められるお客様が次々ご来場され後方に若干の立ち見のお客様もおられる中、開演予定時間の六時半を迎え、二番太鼓(着到)の後、祈が入って、『石段』の出囃子で前座を努める同じ一門の弟弟子に当たる、桂紅雀師の登場となりました。
紅雀師は平成七年九月に故桂枝雀師匠に入門。平成十一年に師匠が亡くなられたので最後の弟子にあたり、師匠、一門の指導もよろしくキッチリした高座で今回は兄弟子の公演のトップを努めるべく、早くから楽屋入りして準備万全。このキャリアでの前座、もったいない。
「えー、只今より、雀松改め三代目桂文之助襲名記念公演の開演でございまして・・・」と、挨拶から「色々な所へ行かせて頂いておりまして、北は北海道から南は元町まで・・・」、「交通機関も便利になりまして北海道の千歳から飛行機で一時間半、関空から家まで二時間・・・」と笑いを誘って、始まった本題は『いらち車』。
発端の「車屋、車屋」の呼びかけに客席から「はい」との若干ルール違反的なタイムリーな突っ込みに「こんなん初めてやーどないしたらー」と困る紅雀師に客席も大盛り上がり。
体の弱い車屋から元気一杯の車屋へと噺は進んで、十五分の持ち時間をキッチリ守ってお後と交代となりました。
二つ目は六代目松鶴一門から笑福亭竹林師。
笑福亭の豪放磊落で、かつ個性溢れる高座は当席でもファンの多い師匠で、いつもマクラから爆笑の連続で、今回は新文之助師匠がたってとの指名で出演となりました。
『やぎさんゆうびん』のいつもの出囃子で高座へ登場して、「枝雀、米朝一門の精鋭の中で演(や)れるもんやったらやってみい、笑福亭と完全アウェイ状態で、なんで呼ばれたのかよく判からない。よっぽど好かれてるか、よっぽど嫌われてるか、おそらく後者。」そう言いながら非常にうれしそうに「笑福亭はこういう立場に弱い。」「この頃、歩くことに凝ってまして・・・」と万歩計の話題。歩き出してよかったことは「落語を沢山聴けること。米朝師匠・・・ええで」。さらに酒は全然飲めないが煙草はヘビーではなくチェーンスモーカー。吸っていないのは煙を吐いている時だけと爆笑マクラ(おねおね)に客席は爆笑の連続。
始まった本題は、笑福亭のお家芸の酒の噺、『親子酒』。
お親父さんがぐずぐず言うクダリに重点を置いて、文楽の補助金カット、某大阪市長も登場する新鮮な話題のボヤキに客席は大爆笑の連続。
上方のこの噺は親父さんが寝てしまって、うどん屋にからんで帰ってきた息子が登場するのだがちょっと型が違うが、酒飲みの親父さんが乗り移ったような竹林師匠ノリノリの高座が大爆発してのサゲとなりました。
中トリは、米朝一門の重鎮で新文之助師匠の一年先輩に当たる桂千朝師匠。若い頃の米朝師匠ソックリな高座から、なんともおかしげな高座に変貌された師匠。今回は叔父さんとして襲名公演に華を添えるべく、『本調子鞨鼓』の出囃子でユッタリと高座へ登場。
見台が出ているので、華やかなお囃子の噺が期待。「昔は芝居好きの発表の場がお風呂やで・・・」と、マクラを楽しむように振って、始まった本題は『蛸芝居』。
しっかりとした基本に裏打ちされた土台でマンガちっくに演じられるので面白くない訳がない。
お囃子との息もピッタリ。所作もせりふも本寸法。
旦那さんや丁稚どんは元より魚屋も蛸も大活躍する半時間弱の名演でお仲入りとなりました。

中入り後は、出演者が勢揃いしての「記念口上」となりました。はたして何が飛び出しますやら。大いにお楽しみに。と紹介しましたがまさしくその通りで、「東西、東~西~」と幕が開くと向かって右(上手)から笑福亭竹林、桂千朝、桂文之助、桂南光、桂紅雀、と勢ぞろい。
記念口上は南光師匠から、雀松師匠がなぜ、文之助を襲名するに至ったかの経緯を説明。
二代目の師匠が引退後、始められたのが甘味どころの文之助茶屋。営業中なので悪影響のない人に継いで欲しいとの意向から、「元々は文枝系統の名前で、継ぎたい言うた人間が二人ほど、いましたが、あの一門は女癖が悪いから無理」。「笑福亭は八割が犯罪者だから無理」。「雀松は真面目だけで襲名出来たんです。落語は全く関係無し!!」と竹林師匠とのキャッチボールで爆笑を誘って紹介。
続いては竹林師匠。「知りあったのは繁昌亭昼席でご一緒してから。何て力の抜けた落語なんだと、すっかりファンになって・・・」。『短命』と笑福亭の匂いのすると『仏師屋盗人』のネタ交換もさせてもらい嬉しかったと紹介。
ここで、竹林師匠が「実は『仏師屋盗人』は、南光師匠がテレビでやっていたもので覚えた」真相を暴露。
これに対して、南光師匠が「僕は六代目松鶴師匠から直接習ったから問題ない。今やから言うけど僕もうちの師匠の枝雀もホンマは松鶴師匠の方が好きやってん。笑福亭のスパイやし、血が流れて・・・。(一呼吸あって)誰が犯罪者や!」。すかさず、竹林師匠が「うちの師匠(六代目松鶴)は、つるべよりべかこが好きやった」。これにも客席は大爆笑。
ここで、千朝師匠が、「芸の世界には御三家や四天王と呼ばれる方々がいて、御三家と言えば、古くは橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦。新しいところで、西城秀樹・郷ひろみ・野口五郎」。南光師匠が「全然新しないぞー」と突っ込む。
そして、「明治時代の初代文枝の四天王の一人が初代文之助」との説明しビシッと締める。竹林師匠が「挨拶って、こういうもんとちゃうんですか」と南光師匠へ突っ込むと、「彼がまとめてくれるから、ボケてるんやないか、台本通り」と返すと客席はまたまた大爆笑。
時間が巻き(笑)という理由で、締めは南光師匠の音頭で一本締め。
恋雅亭らしい襲名口上は全国ツアーとは違って、文之助師匠もリラックスムードで口上の間と笑い堪えてぱなしのリラックスムード。

口上の後は、一門の筆頭で上方落語界の大御所・桂南光師匠の登場となり、『鞨鼓』の囃子に乗って高座へ顔を出すと客席から大きな拍手が巻き起こる。
「えー、時間がないので・・・」と、袴を脱ぎ、羽織を着ての黒紋付で姿。
「この出番は難しい。長く演(や)られへんし、短くやったら、何やと思われるし・・・」と、マクラもそこそこに、始まった本題は上方版『火焔太鼓』。
主人公の可愛く人の良い婿養子の道具屋の旦那。旦那のあまりの天真爛漫振りにあきれながら激励する女房。上方らしく三百両で太鼓を買うのは大店の住友の旦那。そこの番頭がまた面白い。登場人物の全員が南光師匠の舌に乗って大活躍する大爆笑の二十五分の熱演でありました。

トリは、今公演の主役、三代目桂文之助師匠。
昭和三十一年五月生まれの地元神戸市の出身。兵庫県立兵庫高校の三年の夏休みに入門を許され、卒業と同時に故桂枝雀師匠に入門し、桂米朝師匠に落語『船弁慶』の「雀のお松」から雀松と命名され、以後、現在までの活躍は皆様ご存知の通りです。
『連獅子』の出囃子に乗って高座に顔を見せると、万雷の拍手と共に「待ってました!」「三代目!」「たっぷり!」声も掛かり、本日一番の盛り上がり。
「えー、ありがとうございます。待ってましたの声など掛けて頂きまして嬉しい限りでございまして、あの掛け声は今、掛けるものでして、決して終わりに掛けないで下さい・・・。暫くの間、お付き合いを願っておきます。お付き合いといっても~・・・。落語が無かったら~・・・。」と新文之助ワールドがスタート。
商売の話題から、お(目)めかけさんとお(手)てかけさん、本妻とおてかけはんのヤキモチの焼き方の違いの説明から、始まった本題は『星野屋』の一席。
この噺、試したり、騙したり、騙されたり、嘘を付いたりとそのタイミングが難しく、かつ、サゲが大笑いに変わるためにはイヤミな演出にならないようと演じ方が非常に難しい噺。
新文之助師匠の仁(にん)で登場人物全員が生き生きと大活躍。
客席の反応もバツグンでツボツボで爆笑が巻き起こり、サゲも大爆笑を誘った秀作。客席からの拍手は暫く鳴り止まず、お見送りする文之助師匠も嬉しさ全快の笑顔。大成功にお開きとなりました、襲名記念公演でありました。