もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第407回 
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 公演日時: 平成24年7月10日(火)      午後6時30分開演
 桂 こごろう改め 二代目桂 南天 襲名記念公演
  ごあいさつ  南天・南光・雀三郎・米紫(司会)

   出演者     演目
  桂  しん吉  「遊山船」
  桂  米 紫  「宗論」   
  桂  雀三郎  「親子酒」
    中入
  桂  南 光  「義眼」    
  桂  南 天  「茶の湯」(主任)

   打出し  21時
   お囃子  勝正子。
   
 今回は恋雅亭特別公演の「桂こごろう改め 二代目桂南天襲名記念公演」。
前景気も絶好調で前売券は、一週間で完売し当日まで問い合わせの電話も多い。当日は平日の火曜日にもかかわらずお客様の出足も絶好調。次から次へとご来場されるお客様で列はどんどん長くなっていきました。長く並んで頂いたお客様には大変申し訳ないことでございます。今回も一杯届いたチラシの折込を人海戦術でこなして定刻の五時半に開場となり、待ちわびたようにご来場されるお客様で、席は次々に埋っていき、定刻の六時半には、立ち見も出る大入満席で 「第四百七回もとまち寄席恋雅亭」の開演となりました。

 二番太鼓の後、祈、「東西、東~西~」と共に幕が開き、客席からの大きな拍手と共に「襲名記念のごあいさつ」がスタート。高座には南天師匠を中心に、師匠の南光師匠、叔父にあたる雀三郎師匠、一門で司会進行役の米紫師匠が並ぶ。司会の米紫師匠、「只今から、二代ま(会場大爆笑)、二代目」と言い直すが居並ぶ師匠から鋭い突っ込みが飛び、さらに客席の笑いを誘う。客席の空気が一気になごむ。
 最初の挨拶は南光師匠。「えー、本日はビシッと挨拶をする予定でしたが、司会のやる気がありません」と、米紫師匠が袴を忘れてきて、しん吉師の風呂敷を代用していることを暴露。すかさず米紫師が外してネタばらし。このやり取りに客席はさらに盛り上がる。続いて、新南天師匠の入門時のエピソードを紹介。本名は尾崎 裕一(おざき ゆういち)。客席からの拍手に、「噺家も本名はあります。桂こごろうではおかしいでしょ。ちなみに私は森本良造(もりもと りょうぞう)」。客席からの拍手に応えて、「雀三郎さんは?」。雀三郎師匠が「森種男(もりたねお)と応えると客席は大爆笑。「本名、言うて拍手もらっても嬉しくないわ」と自己ツッコミ。続いて、米紫さんには「日本来て何年になる?」。「私、タイ人、ちゃいます」。すかさず客席から「日本語、上手いなぁ」とツッコミ。南光師匠がヤンワリと「お客様は参加しないで」。実に、ほのぼのとした会話のキャッチボールが続く。
入門当時から物を壊す、おっちょこちょいでバカラのグラスを割られたエピソードをサンケイホールの披露口上で紹介すると、ご両親からもっと高価なバカラのグラスが届いたエピソードを紹介して、絞めはキッチリと弟子をお願いしますと結んで、次の雀三郎師匠に引き継ぐ。「桂雀三郎、本名森種夫よりご挨拶」と、紹介されて、「二代ま」と強調して、「南天、なんてん、実に良い名前」と、これが言いたかったと頭が沸いてますと笑いをとって、「南光兄さんはキッチリした人で内弟子卒業時点でたいしたものやと思てました。」と、将来有望をその時点で確信したとして、
理由を、「天性のものがある、まず顔・・・。(南光師匠が『あんた顔のこと言いな』とつっこむ)。声が抜けてる、これは癒し系。人に好かれる(どことなく抜けてる)。」と褒めて、お客様に将来をお願いしてあいさつを締めくくられた。
さらに、本来の襲名披露ではない、南天師匠よりのごあいさつは、子供の頃から親しんだ風月堂、ゴーフルの缶々にビー玉やメンコを入れていた思い出を語ってそのホールでの披露目の会を実に嬉しそうに熱のこもったあいさつでありました。
そして、雀三郎師匠の音頭で三本絞めで陽気に門出を祝う、ごあいさつが締めくくられた。

 一息あって『早禅相方』の出囃子で元気一杯に落語のトップは吉朝一門から桂しん吉師の登場。ノリテツ(乗り鉄)で有名な師でありますが、今日はその話題は封印。
「えー、ありがとうございます。私の後が風呂敷巻いた米紫さんで」とのツカミから昔の暑気払いの話題から始まった演題は夏の大阪の風物詩・大川の夕涼みを題材にした『遊山船』の一席。
お囃子も随所に入って襲名記念に相応しいお賑やか高座は、基本に忠実に随所に自身の工夫もタップリ入った口演。船の中の食事風景を羨ましそうに橋の上から眺めてちゃちゃをいれる二人の男。寿司の食べ方を教えるクダリで切ってお後と交代となった、こんな演じ方もあるんやと感心させられた、テンポよし、滑舌よし、そして、間もよしと三拍子揃った十五分の好演でありました。

 二つ目はご挨拶で司会を努められた桂米紫師匠が、師匠の塩鯛師匠が都丸時代に使っておられた軽妙な『猫じゃ猫じゃ』の出囃子に乗って高座へ登場。
「我々、基本的に京阪神を中心に落語会に出さしていただいてますが、たまに、東京に呼んで頂きます」と、関西と東京のイメージの違いを関西は泥臭くて人情味があり、東京はシュッとしてますが愛想がないと紹介。さらに、地名で違いを紹介。銀座、六本木、お茶の水に対して大阪の溝池、道修町、鰻谷。横浜はあざみ野、桜木町。「いいですね、桜木町、歌にもあります」と、熱唱。さらに、大阪の地名での替え歌。そして、文化の違いから宗教観の違いへとつないで本題の『宗論』が始まる。浄土真宗を信仰する父親とキリスト教を信仰する息子のかみ合わない宗教論争。このかみ合わない熱心な論争。テンポの良い噺の進展が客席の笑いを増幅させる。従来のサゲもちょっと判り難いので工夫されていた秀演でありました。
「宗論はどちら負けても釈迦の恥、どの道を行くもひとつの花野かな」でした。

 中トリは桂雀三郎師匠。これも軽妙な『じんじろ』の出囃子で高座へ姿を見せると待ちかねた客席から大きな拍手が起こる。
さっそく酒に酔っている人と酔っていない人の違いのマクラからスタート。そして、若い人と年配者の酔い方の違いから始まった本題は『親子酒』の一席。師匠十八番の一席であります。実際、酔うとロレツが廻らなくなり話している言葉が聞き取りにくいものでありますが、落語では何を言っているが言葉ははっきり聞き取れる。もちろん、雀三郎師匠の酔っぱらいの言葉は聞き取れる。しかも、酔っぱらいは酔っぱらいで。ここらが芸の力。いつもながらの十八番の流れるような口演に客席からは絶え間なく笑いが巻き起こった二十五分。お中入りとなりました。

 中入カブリは桂南光師匠。『猩々』の出囃子で高座へ姿を見せると客席から大きな拍手が起こる。「えー、ここ(恋雅亭)へは三年に一度位しか呼んでもらえなくて、私が忙しいからではありません。噺家が増えたんだ。二百五十人以上、私も知らん人が仰山います」と、さらに、「ここは、昔、笑クリエイト社の楠本さんが松鶴師匠と仲が良かったんで神戸でしゃべる処ということで作ってもろたんですが、私が最初に出してもろのは、まだ、べかこというてた頃で二十七、八でした。ピチピチでした。それが、今、還暦です」とあいさつ。
 【南光師匠の当席へのご出演は、阪神大震災復興再開第一回の202回公演から、217回(15ケ月)、234回(17)、248回(14)、273回(25)、299回(26)、319回(20)、334回(15)、353回(19)、356回(3)、368回(12)、407回(39)。師匠の言われる通り今回は3年3ケ月ぶり。】
 マクラは還暦をキーワードに、米寿の米朝師匠に年を言ってビックリされた、電車で学生に席を譲られた、肉がまだまだ好きな米朝師匠、肝臓でお世話になった飲み友達のお医者さんの養生舞踊場入院、などで笑いを誘って、「首より上の病気は痛い・・・」と、いきなり、『義眼』が始まる。客席の反応を、「ここ(恋雅亭)は前から後ろまでお客様の反応が手に取るように判ります。『えー、どないなったん。何が始まるのん』と。しかし、落語は伝承芸能で型がありますので、師匠(枝雀師匠)に習った通りに演じてます。もう一度、戻ります。『新しい目の玉を入れておきましたがガタガタしませんか?』」この演出に客席は大爆笑。いかにも漫画チックなこの噺を師匠同様に誇張した演出で楽しそうに演じられる。その一言一言に客席は大きな笑いに包まれる。サゲもズバリ決まって、演者も客席も大満足で大いに盛り上がった高座でありました。

 さて、本公演のトリは勿論、こごろう改め二代目桂南天師匠。襲名を機に出囃子も『正月娘』に変更。満面の笑みで万雷の拍手で迎えられて高座へ登場。
嬉しさ一杯のあいさつから、今日は全員、大受けで嬉しい、まるで「覚醒剤の廻し打ち」みたい。高座も客席も熱気ムンムンと嬉しそうにマクラは人のことをじっと見るのが趣味と始まる。そこで、見つけた関西人の言葉の癖、「ちゃうねん」「何、言うてんのん」「判るわ、それ」「話変わるけどな」「なんでや思う」「なんぼした思う」「知らんけど」などを紹介して客席を大笑いに巻き込んで、「無趣味の方もいらっしゃいまして・・・」始まった演題は『茶の湯』の一席。
 この噺、元々は東京ネタであったものを上方で手がけられたのは先代の桂歌之助師匠ではないでしょうか。今から20年前の平成5年1月の「第137回ABC土曜名人会」の音源が残っています。南天師匠も平成9年12月の第227回枝雀寄席で演じられていらっしゃるので自信タップリの演題であります。発端からサゲまで、ハショルことのない口演は、随所にご自身の工夫を盛り込んだ「襲名記念公演」のトリに相応しい半時間の秀作に客席からの万来の拍手は暫く鳴り止みませんでした。