もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第405回 
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 公演日時: 平成24年5月10日(木)      午後6時30分開演
  出演者     演目
 林家   染 左  「狸の賽」
 笑福亭 遊 喬  「餅屋問答」   
 桂   勢 朝  「ハイウエー歌合戦」
 桂    文 太  「南京屋政談」
   中入
 桂   米 八  「曲独楽」    
 桂   雀 々  「夢八」(主任)

   打出し  21時
   お囃子  林家和女、勝正子。
   手伝い  桂 遊々
 日に日に暖かくなるというより暑くなってまいりました、五月十日。第四百五回もとまち寄席恋雅亭・五月皐月公演の開催となりました。GW疲れの影響もなくお客様の出足はいつも通り、次から次へとご来場されるお客様で列はどんどん長くなっていきました。長く並んで頂いたお客様には大変申し訳ないことでございます。今回も一杯届いたチラシの折込を人海戦術でこなして定刻の五時半に開場となりました。次から次へとご来場されるお客様で、席は次々に埋っていき定刻の六時半には、大入り満席での開演となりました。

 「第四百五回もとまち寄席恋雅亭・皐月公演」は、二番太鼓の後、祈が入って『石段』の出囃子で元気一杯に染丸一門の林家染左師が万来の拍手に迎えられて登場。
「ありがとうございます。林家染左と申しまして・・・、噺家になりまして十五年経つんでございます(客席から「ほー」との声)。ほとんどの方が見たこと無いなとの反応でございまして・・・。大変なんです、人知れず芸能活動するのは・・・」。「出てまいりまして、トップバッターでございますからどんな噺がええやろ。やっぱりお客さまに喜んでもらうためにどうすればよいか、我々の方はゲンを担ぐんでございまして、お客様を化かすと言いまして狐や狸が出てくる噺を・・・」と、マクラを振って始まった演題は『狸の賽』の一席。
 多くの演者が個性豊かに演じている噺でお客様にもお馴染みの一席(こんな噺が簡単そうにみえて意外と難しい。ほとんどのお客様が筋を知っておられるから、間が命となるため)。その噺を染左師は元気一杯、奇をてらうことなく基本に忠実に子狸は可愛く、主人公はあほ丸出しで演じ、随所に客席から爆笑を誘って、サゲもズバリ決まって笑いが爆発の十五分の高座でありました。

 二つ目は松喬一門の二番弟子の笑福亭遊喬師。
久しぶりの登場するので楽屋が変わったことをツカミに使って憧れの恋雅亭、好きな神戸の街を紹介して、「恋雅亭に電話して欲しいんですわ、『遊喬さん出てる』『遊喬さん出てる』と、そしたら人気があると思われて出れる」と自己アピール。そして、落語のルーツはお坊さんとつないで始まった演題は『餅屋問答』。
 この噺、東京では『こんにゃく問答』としてお馴染みの噺。上方へは月亭可朝師匠が仕事で一緒になった立川談志師匠と列車の中で「お互いのネタを交換しよう」と、『こんにゃく問答』と『算段の平兵衛』を互いにけいこして、さらにこんにゃくを餅に変えて広まったようです。その噺を土台をキッチリと餅屋の親っさんはご自身のキャラを生かして愛嬌タップリに、ややはじけ気味に、禅問答のクダリは威厳の中に笑いを交えて演じられた二十分の秀作でありました。
 『こんにゃく問答』は、『野ざらし』と同様に二代目林家正蔵師匠の作とされています。二代目は元僧侶であったため「沢善正蔵」とも呼ばれていますし、経験を生かしてこの様な噺を創作されたものと思われます。ちなみに、現代の上方の林家を遡っていくと、この二代目正蔵師匠の弟弟子の初代林家正三師匠にたどり着きます。

 続いて三つ目は米朝一門の万年青年・落語界の森田健作は今も健在の桂勢朝師匠。
『大漁節』の出囃子でポリエステルの羽織、着物で元気一杯に高座へ登場。「えー、『待ってました』の掛け声もなく迎えて頂きまして、三つ目ともなりますと、やかましい落語ばっかりではお客様も疲れますでしょ・・・」と、いつもとは違う低音量レベルでスタート。マクラも低音量。「えー、落語では甚兵衛さんや喜六に清八、そして、八っあん熊さんという名前が登場しますが、私の場合は現代の噺でございますので山本さんや竹内さん、中島さんが登場します。」ここまでは低音量。これは仕込みで本題が始まると急に大音量へヒートアップ。「えー、舞台はバス旅行の車中と思って下さい。(大音量で)『幹事さん!』」。この一言で客席は大爆笑。仕込みがズバリ決まる。始まった本題は『ハイウェー歌合戦』。
 この噺、当席では二度目の口演。前回は十一年前の平成十三年五月の第273回公演。
バス旅行のメンバーの車内でのギャグ満載カラオケ大会を題材にした自作の創作落語で、前回は車中のメンバーは動物だったが、今回は永田町商店街の慰安旅行。会長は野田さん、幹事は岡田さん、行き先は尖閣諸島、民主観光バスの添乗員は不眠不休でお世話を努める枝野さんバスの運転は時々行方不明になるが一人で仕切ると豪語する小沢運転手。ここまで役者が揃うと客席は大いに盛り上がる。次々と繰り広げられる登場人物が歌う歌(なつメロが多い)や内容は時事ネタ満載、ダジャレギャグのオンパレード。客席は爆笑と拍手に包まれる。演者もドッカンドッカンの大受けに大いにのりのり。さらにギャグが面白いように決まる。
 ここでは紹介出来ないが、輿石・長妻・鳩山・小沢・一川・田中・亀井・蓮舫さんとお馴染みの方々が登場しました。次々と今、旬の話題をギャグに使っての進化する創作落語『ハイウェー歌合戦』は、大爆笑・大満足、そして勢朝師匠の美声と共にお後と交代となりました。次回のバス旅行の団体さんははたして誰か・・・・?。

 爆笑・大受けの後、『三下りさわぎ』の出囃子で中トリの上方落語界の重鎮・桂文太師匠。
自他共に認める上方落語界の主軸の登場となりました。高座へ登場すると客席からは『待ってました』との掛け声と共に大きな拍手が起こり、暫く鳴り止まない。「えーありがとうございます。拍手が鳴り止みません、『待ってました』なんて嬉しい限りです。この前、繁昌亭へ出ましたら前からご祝儀が飛んできまして演(や)りにくかったですが、今日は飛んできませんので演(や)易いなぁ」。と、一気に文太ワールドへ突入。
 「先ほどは現代のバスの中でしたが、私のほうは江戸時代の大阪の話と思って下さい」と、さっそく本題の『南京屋裁き(政談)』がスタート。道楽三昧の末、勘当になり死のうと思った若旦那は叔父さんに助けられる。南京を売る仕事をやらすことにして売りに出るのだが上手くいく筈がない。転がった南京をみるにみかねて売ってやる男に助けられて再び元気を取り戻して楽しかった色街での思い出を思い浮かべながら南京を売りに行く若旦那・・・。噺はここで切ってお仲入りとなりました。文太師匠の口にかかると登場人物の全てがより心優しい人に、心が温かくなるのが感じられ、笑い一杯の名演でありました。
 この噺はここから後があって、桂福団治師匠演では裏長屋の貧しい親子に施しをする人情味溢れる噺となり、さらに、この施しを因業大家が取り上げる。これを苦にした母親が首を吊る。知らせを聞いた若旦那が大家に暴力を振るってお裁きになり、若旦那が勝訴。これで若旦那の勘当が許される。どこまで演じるのが良いのかのお望みはお客様それぞれでしょう。
 元々は講談の大岡政談ものを元に東京で『唐茄子屋政談』として出来たこの噺、三代目柳家小さん師匠の十八番だったそうで、さらに、昭和の名人と言われた三代目三遊亭金馬、六代目三遊亭円生、そして、五代目古今亭志ん生、志ん朝師匠らの名演が残っています。現在でも東京の人情噺として誰でも一度は手がけてみたい噺となっています。文太師匠はその噺を上方へ移植され演じておられます。昔は『唐茄子屋』として演じられていましたが、四代目柳家小さん師匠が上方の『みかん屋』を移植して『かぼちゃ屋』として滑稽噺として演じるようになられてから紛らわしいので政談を付けたとされています。ですから、この噺と当席でもよく演じられる『みかん屋』は似ていますが全く別の噺だそうです。

 中入後のカブリは曲独楽の桂米八師匠が本人曰く、「十五年ぶりです。生まれた子供が中学卒業です」と言われてように久々の御出演となりました。正確に言いますと、前回のご出演は平成七年一月の第201回公演以来の十七年ぶり。又、この公演の一週間後はあの「阪神大震災」でしたので、地震後の初出演となります。前回の第201回公演の出演者は、桂坊枝、桂楽珍、桂吉朝(故人)、桂昇蝶、中入、桂米八、桂小米朝(現・米団治)、桂文珍(主任)でした。祈が入って『八兵衛』の出囃子で登場して、まずは、お盆廻し、皿廻し、そして、至芸の曲独楽。大小の独楽の廻し分けや刃渡り(刀の上を渡るように独楽を廻し、切っ先で止める切っ先止め。さらに、高座を下りて上手から下手へ独楽を移動させる糸渡りの大技の至芸の数々に客席は拍手喝采で大いに盛り上がりました。

 五月公演のトリは、「上方落語界の売れっ子・桂雀々師匠にご出演頂き、今回も、汗ブルブルで演じられる爆笑雀々ワールド上方落語。師匠十八番の中なら選りすぐりの究極の一席は、お腹が痛くなるほど笑えることは請け合いです」とご紹介しました。
 今回もリズミカルな『かじや』の出囃子で元気一杯高座へ登場。客席からは待ち焦がれたように拍手が巻き起こり鳴り止まない。「えー、もう一席で、もう疲れられたと思いますので私の方は要点だけとんとんと・・・」と、あいさつからマクラは入門してからの落語の稽古の思い出。「ボウフラが水害に会った時」「伊勢海老が税金を納めに行く時」など、訳の判らない稽古をするけったいな商売で、中にはこんな商売もありましてと、始まった本題は、師匠十八番の『夢八(夢見の八兵後衛)』の一席。
 この噺、昔からある噺で、明治末期の二代目桂円枝師匠の寄席での口演の半分以上がお客様の注文による『夢八』だったそうで、「首吊りの円枝」ないし「夢八の円枝」と異名をとった十八番でした。その後、余り演じ手のなかった噺でしたが、雀々師匠は、五代目笑福亭松鶴師匠口演の「上方はなし」に載っているのを元に小佐田定雄先生の脚色を得て二十年位前から十八番として演じられています。ちなみに当席では雀々師匠初口演となりました。
 題材が首吊りということで後味の悪い噺にならないように発端からサゲまで、全編、漫画チックに言葉の速射砲よろしく汗ブルブルの大熱演。リズミカルに割り木の叩く音や恐怖に怯えるおかしさや、見てはいけないムシロの向こうの首吊り姿を見てからの握り飯を食いながら、割木を夢中で叩き続けるクダリや、首吊りのシーンでは、汗を拭き拭き「せやから、わたいこの噺やるのいやでんねん。」と、ぼやきながら手ぬぐいを首にかけ首吊りを演じる処では客席は大爆笑。
いつもと同じように汗一杯の四十分の大熱演で大いに盛り上がった五月公演でありました。
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 円枝という名前の初代は、初代文枝、後に二代目文枝師匠の弟子でつばめにえだと書いて燕枝。二代目は三代目文枝門人で燕枝、後に東京の談洲楼燕枝と似ているので円枝と改名。三代目は名前が東京に移って三代目三木助から二代目枝太郎門人となられ平成二十三年お亡くなりになられた。