もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第404回 
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 公演日時: 平成24年4月10日(火)      午後6時30分開演
  出演者     演目
 林家   笑 丸  「片棒」
 桂   三 金  「奥野くんの幽霊」   
 月亭  八 天  「二階ぞめき 」
 桂    枝 光  「紙屑屋」
   中入
 桂   かい枝  「オトナの試験」    
 笑福亭 呂 鶴  「壷算」(主任)

   打出し  21時
   お囃子  林家和女、勝正子。
   手伝い  笑福亭遊喬、桂三ノ助、笑福亭呂好、月亭天使、月亭太遊
 「冬は必ず春となる♪~」。歌の文句ではありませんが、桜も満開となりました四月十日。
第四百四回もとまち寄席恋雅亭・四月卯月公演の開催となりました。お客様の出足はいつも通り、次から次へとご来場されるお客様で列はどんどん長くなっていきました。長く並んで頂いたお客様には大変申し訳ないことでございます。今回も一杯届いたチラシの折込を人海戦術でこなして定刻の五時半に開場となりました。今回はトリの呂鶴師匠からお客様へのプレゼント付き。次から次へとご来場されるお客様で、席は次々に埋っていき定刻の六時半には、後方にやや空席が残っての開演となりました。

 「第四百四回もとまち寄席恋雅亭・卯月公演」は、二番太鼓の後、祈が入って『石段』の出囃子で元気一杯に染丸一門の林家笑丸師が登場し、開演を迎えました。
 名ビラを見ながら「これでエミマルと読みます」と、挨拶して、聞きたい噺をお客様に確認して始まった演題は『片棒』。始末家の親父さんが自分の三人の息子に自分の葬式の出し方を聞いて跡取りを決めるという噺。この噺の元は江戸時代に発行された「軽口あられ酒」の一遍である『気ままな親仁』だそうで、東京では、自他共に十八番と認める、九代目桂文治(通称留さん)師匠が有名であります。上方では最近、桂雀松師匠と小佐田定雄先生がタッグを組んで工夫を凝らした秀作として演じられています。笑丸師匠は若さ一杯、元気一杯で演じられる。奇抜な発想の息子の提案に苦慮する親父さん。決め手は始末葬式。なるほどと納得出来るサゲもズバリ決まった十八分の熱演でありました。

 二つ目は三枝一門から上方落語界の巨漢・桂三金師。
貫禄タップリの巨漢を目にも鮮やかな黄色の紋付で包み(この表現が相応しい)、『喜撰くずし』の出囃子に乗って、高座をきしませて登場。登場だけで客席の雰囲気を一変させ三金ワールドへ。マクラで巨漢で困ったことを面白おかしく紹介して始まった本題は自作の『奥野くんの幽霊』の一席。ちなみに主人公の名前の奥野は三金師の本名、つまり、主人公は師匠自身ということ。この噺、幽霊は出てくるが、ちっとも恐くない、むしろ可愛い。三金師のニンと相まって爆笑の連続であった二十分の熱演でありました。
 師匠の奥野くんシリーズは、この「・・・幽霊」「・・・コンパ」「・・・選挙」「・・・彼女」「・・・色事根問」などの爆笑オンパレード作品です。

 三つ目は来年三月に七代目月亭文都を襲名される月亭八天師匠。
文都という名前は、桂、立川、そして月亭と数えると七代目にあたりますが、月亭としては先代が亡くなられてからだと実に百十三年ぶりの名跡復活となります。
 その八天師匠、神戸は元より各地で落語会を積極的に開催される努力家、もちろん、当席の常連でもあります。『おかめ』の出囃子で高座へ登場して、マクラもそこそこに先代月亭文都師匠が十八番で最期に演じられた噺とされる『新町ぞめき』に関連して『二階ぞめき』の一席がスタート。この噺、東京では昭和の名人・五代目古今亭志ん生師匠の十八番であり独壇場でした。若旦那の連夜の吉原通いを止めさす為に大旦那が考え出した奇策は、家の二階に吉原の風景を作り出すというもの。そこを楽しそうに「ぞめいて(冷やかし)」廻る若旦那を面白おかしく描いた落語で、その場面を江戸の吉原から大阪の新町へ移し替えたもの。随所に師匠オリジナルのクスグリや現代へタイムスリップする工夫満載の秀作落語。汗ブルブルの25分の熱演でありました。
 題名の「ぞめき」とは今でも使われている「冷やかし」のことで、この言葉の由来は、江戸の吉原遊郭の傍にあった山谷の紙すき職人が、紙の原料を水に冷やしている間に吉原へ行っては、格子の中の女郎をからかって、すぐ帰ってしまったので、女郎を買う気も無いのに、からかうだけで帰ってしまう彼らは、紙を冷やかしてきた連中、というわけで「ひやかし」と呼ばれていたそうです。

 中トリは桂枝光師匠。
米つぶみたいな顔なので桂小つぶ。小柄で童顔の可愛らしい顔でTVでも売れっ子だった師匠もキャリア三十年のベテランとなられました。当席の初出演は入門わずか一年五ヶ月後の昭和五十五年二月の第23回公演(演題は『祝のし』)と、期待の星でありました。平成九年二月の第222回公演で『小つぶ改め三代目桂枝光襲名披露公演』では『たちぎれ線香』、一昨年、十二月の『蛸芝居』と、文枝師匠の十八番を演じられ、その際、「次は、師匠十八番中の十八番で口伝された『紙屑屋』を型通り演じます。」と約束された師匠。その約束通り、艶やかな袴姿に舞扇を持たれて『猩々』の出囃子に乗って高座へ登場される。
 「えー上方落語界のえなりかずきと呼ばれております」。この一言で客席をホンワカムードに包み込んでのマクラは、ご自身の奥様との生活の実体験も入ったサラリーマン川柳の紹介で客席の雰囲気を作られ本題の『紙屑屋(天下一浮かれの屑寄り』がスタートしました。八天師匠の若旦那が「ぞめき」が過ぎ、勘当同様となって出入りの手伝いの家に居候と噺が続いて、居候先の主人に紹介されて始めた仕事が紙屑選り。発端の居候と主人の滑稽な会話も爆笑の連続で、圧巻は中盤から下座のお囃子との息もピッタリで恋文を読んでいるうちに隣のけいこ屋から聞こえてくる三味線に乗って、幇間がしゃがんだ姿勢で踊る「吉兆まわし」「義経千本桜・吉野山」の狐忠信の軍語りのくだり、そして、「娘道成寺」と、舞台狭しと大活躍。客席からは随所に大きな拍手が巻き起こる。居候、長屋衆の総出で踊り出し大騒ぎとなります。立って踊る訳にはいかないので立膝になって踊る必要があり、見た目は派手ですが演者名は相当の体力が要求されるくだりは、師匠の文枝師匠同様、華麗。そして、サゲとなったお客様も演者も大満足な半時間を越える大熱演でお中入りとなりました。
 この噺の別名は『天下一浮かれの屑より』と仰々しい名前ですが、天下一とはサイコロを三つ使ってする賭博の目で、「五・五・一」。これが出ると場にあるお金は親の総取り。元々の演出では屑の山から出てきたサイコロで遊んでいるうちにこの目が出て、「総取りや!」とせっかく整理した屑をかき集めるサゲとなっていたことからより分けたクズをかき寄せてサゲとなっていたことから由来しているそうです。

 中入後、カブリは地元神戸在住の文枝一門の桂かい枝師匠。
今回は初の中入カブリ後の出演。ご自身のブログでは【神戸の歴史ある落語会「元町寄席恋雅亭」に出番頂きました。初めての中入り後の出番、うれし〜!】と嬉しさを表現されておられた。『三段弾き』の出囃子で笑顔一杯で高座へ登場され、マクラはご自身のお子さんの入学式での話題で、新入生は祝電にも「ありがとう」と挨拶がキッチリ出来る。続いて、カンニングにまつわる小噺。そして、社会人になっても試験があったら? との創作落語『オトナの試験』が始まる。商談が合意しても、試験に合格しなければ商品を買い取ってもらえない会社の試験を受ける羽目になった担当者。見事、不合格。再チャレンジするが、又、不合格。続いて、上司の課長が代わってチャレンジするがこれまた不合格。この試験の珍問・珍答に客席は大爆笑の連続。
 実はこれは両社の部長間で仕組まれた不合格にしかならない陰謀で、これがサゲにつながった二十二分の秀作はお客様も演者も大満足のうちにトリの呂鶴師匠とバトンタッチとなりました。

 四月公演のトリは笑福亭呂鶴師匠。
ご存知上方落語界の重鎮であります。今回もお弟子さんの呂好師を引き連れ早くから楽屋入り。さらに、今回はお客様への特別サービスとして「接着剤」のお土産も持参頂きました。『小鍛冶』の出囃子でユックリと高座へ登場され、見台を軽く叩きながら一礼。お囃子が止むと「えー、私もう一席でございまして、この間、有名なお医者さんにお伺いしますと人間が同じ場所に居ることが出来る時間が2時間までだそうで(客席はクスクス笑いに包まれる)、もうオーバーいたしております。ただ今のかい枝さんでお開きにすればよいのですが、ご当所は階段が一箇所、エレベーターも一機しかございませんので、お帰りの際にお怪我されては大変です。丁度、私がおりましたので、私がしゃべっている間にユックリ帰って頂こうと出てまいりまして・・・」と、あいさつから白湯で喉を潤して、始まった本題は『壷算』。
 師匠のこの噺を聞くのは初めて。実は事前に師匠から問い合わせがあり、過去のネタをお知らせしましたので、選りすぐりの一席のはずです。噺自体は多くの噺家さんの工夫で非常に面白く出来上がっていて笑い多い噺で、呂鶴師匠も基本に忠実にご自身の工夫も随所に織り込まれ、さらに一昔前のほのぼのとした人間の様子を感じさせる秀作。随所に盛り込まれたクスグリが狙い済ましたように決まって客席は大受けの連続。極め付きはサゲ前の困り果てた番頭と「上手くいった」とほくそえむ友人、そして、笑いを押し殺して悶絶する主人公のくだり。やけになった番頭が言う言葉と返答がサゲとなった半時間の秀作でありました。客席から起こった拍手にお礼を述べお見送りされた師匠でありました。
 この噺の原話は延享(えんきょう)時代の笑話本「軽口瓢金苗」の一遍である「算用合て銭たらず」だそうです。この時代は徳川八代将軍吉宗公の代で人形浄瑠璃の「菅原伝授手習鑑」や「義経千本桜」の初演の頃だそうです。サゲも昔のサゲは意味が通じなくなったので、今のサゲに米朝師匠が作り変えられたそうでして、元々は、「これがほんまの壷算用や」で、坪算用、大工が坪数を見積もり損なうことから、上方では勘違いの意味だそうですが、「さっぱり判らん猫の糞」です。東西に多くの演じ手がおられるし、この噺を土台に東京の立川談笑師匠は秋葉原へ薄型テレビを買いに行く『薄型テレビ算』を創作され十八番とされておられる。一荷とは、「てんびん棒の両端につけて、ひとりの肩に担える分量」(『三省堂大辞林』)で、それだけの水が入る壷のことです。