もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第403回 
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 公演日時: 平成24年3月10日(土)      午後6時30分開演
  出演者     演目
 笑福亭 智之助  「十徳」
 桂   あさ吉  「天災」   
 桂    坊 枝  「天王寺詣り 」
 桂    梅團治  「ねずみ」
   中入
 笑福亭 伯 枝  「貧乏花見」    
 笑福亭 仁 智  「多事争論」(主任)

   打出し  21時05分
   お囃子  勝 正子。
   手伝い  桂 小梅。
「暑さ寒さも彼岸まで」とは言いながら、まだまだ暖かくならない三月十日。第四百三回もとまち寄席恋雅亭・三月弥生公演の開催となりました。前景気も好調で、前売券も残部わずかで当日を迎えました。当日は小雨模様だったり、太陽が顔を出したりと定まらない中、お客様の出足はいつも通り、次から次へとご来場されるお客様で列はどんどん長くなっていきました。
 寒さの厳しい中、長く並んで頂いたお客様には大変申し訳ないことでございます。
今回も一杯届いたチラシの折込を人海戦術(今回は過去最大の応援者のおかげで快調に進む)でこなして定刻の五時半に開場となりました。次から次へとご来場されるお客様で、席は次々に埋っていき定刻の六時半には、測ったように客席とお客様がピッタリとなる満席の大入りとなりました。

 「第四百三回もとまち寄席恋雅亭・弥生公演」は、二番太鼓の後、祈が入って『石段』の出囃子で元気一杯にトリの仁智一門の筆頭弟子で地元、神戸出身の笑福亭智之介師が登場し、開演を迎えました。
 トップでの出演とはいえ、平成十二年四月入門ですので、キャリアは十二年。なんとも贅沢な出番組となりました。あいさつもそこそこに、最近遭遇した事件を漫画チックに紹介して、『落語の中にも面白い人が登場します・・・。』と始まった本題は、上方の前座噺の定番の『根問物(根堀り葉堀り聞きただす)』の『十徳』がスタート。茶人や俳人が着物の上から着る十徳のいわれを聞きに来て、その頓珍漢のやり取りを面白おかしく聞かせる噺。十徳自体が判りにくくなったせいもあってか、余り演じられる回数の少なくなった噺で四百回の歴史を持つ当席でも演じられるのはこれで三度目となる。
『前から見たら羽織のごとく、後ろから見たら衣のごとく、五とく、五とくで十とくや』をいい間違えて笑いを誘う噺で噺自体にあまり力がないので、演者の力量で引っ張っていかなければならないので基本に忠実でないと難しい噺と言える。
 その噺を発端からサゲまで主人公と甚兵衛さん、そして友人の会話の間の良さで笑いに変える見事な高座で客席からも大きな笑いが耐えなかった十七分でありました。

 二つ目は吉朝一門の惣領弟子の桂あさ吉師。
『お江戸日本橋』の出囃子で細身で端正な顔立ちに笑みを浮かべて登場。マクラは大阪の人の気の短さを梅田の信号と「俺、俺詐欺」の被害が少ないと紹介。そして、始まった本題は師匠直伝の『天災』。この噺も一度に多くの登場人物が登場するのでもなく、それでいて場面展開の多い噺。前半の喧嘩早い主人公と落ち着き払った心学の先生の会話の妙を、後半は心学者気取りでトンチンカンな会話に終始する主人公の可笑しさ師匠直伝のキッチリと演じられた十六分の秀作でありました。

 三つ目は文枝一門から当席常連の桂坊枝師匠。
いつものように早くから笑顔いっぱいで楽屋入りされ、そのムードのまま、『鯉』の出囃子でさらにパワーアップした愛嬌のある笑顔を会場一杯に振りまきながら高座へ登場。
『今のあさ吉さん、若い時から体重が変わってないそうです。ええ男ですね。トップの智之介さん、色白でスッとしてはります。ここからトリまでしばらく、むさくるしく、暑苦しいのが続きます。トリの仁智師匠もスッとしてはります』。『今日は身の上話から・・・』と、師匠(五代目文枝)の思い出話。
 文枝師匠がお亡くなりになられたのは、七年前の三月十三日。
意識の薄れておられた師匠に付き添われておられた坊枝師匠が、『今から恋雅亭に行って来ます、師匠、天王寺詣り、演(や)らしてもらいます。』と言うと、意識のないはずの師匠は首を振られた。今から七年前の三月十日の第319回の恋雅亭公演でありました。今回、奥様を訪問した際は『あれは、首を縦(OK)に振ったんではなく横(NO)に振った』、と言われました、けど、私は縦やったと思っています。』とつないで、 『それでは今日はお彼岸中の天王寺さんへ・・・・。』と『天王寺詣り』、師匠直伝の本題が始まる。皆様、よくご存知の通り『天王寺詣り』は、上方独特の噺で五代目、六代目松鶴の十八番、笑福亭のお家芸として有名ですが、五代目文枝師匠も五代目松鶴師匠からの口伝を受けた十八番です。その師匠からの直伝を自らも十八番として演じられておられるだけに悪かろう筈がない。師匠からの教えに忠実に、なおかつ発端から元気一杯に発進し、随所に自身の工夫が見える。目を閉じて聞いていると情景が目に浮かぶし、スケッチ落語としての部分も抜群で、『こう言っておりますと境内は誰もいない様ですが・・・』のキッカケからお囃子が入り見せ処となる。
 ここからが見せ場で、寿司を握りながらくっしゃみをしたり、亀山のちょべはんでは「なんのこっちゃ判りませんけど、師匠から習った通りやってます」、栄養万点の乞食の演出と随所で拍手と大爆笑が起こる。
 半時間強の口演はオーバーでなく、六代目松鶴、五代目文枝の両師匠と肩を並べた名演。さらに、文枝師匠の最後を看取った坊枝師匠の没後、七年となる師匠へのはなむけの好演、ご自身にとっても十八番中の十八番の名演でありました。

 中トリは春團治一門から桂梅團治師匠にとっていただきました。
開演前に実子で弟子でもある桂小梅師と揃って楽屋入り。楽屋でも終始ニコニコモードで花菱の特大の紋の入った黒紋付で『竜神』の出囃子に乗って満面の笑みで高座へ。『やっと、暑苦しい峠が越えたようで』とあいさつ。マクラはちょっと声を飛ばしている訳(二日前の余興でビンゴゲームの司会での張り切りすぎが原因)、さらに当席の初出演【演題は『大安売り』】の時も運動会の司会で声を飛ばした思い出噺。そして、始まった本題は名工左甚五郎の逸話を題材とした『ねずみ』の一席。
 この噺、元々、上方の浪曲師の広沢菊春師匠が十八番として演じられていたものを意気投合した東京の三代目桂三木助師匠が脚色して昭和31年7月に初演。その後、先代桂歌之助師匠が舞台を仙台から岡山に移して東京から里帰りさせ、その後、岡山にゆかりのある梅團治師匠が十八番として演じられている大爆笑落語です。
 発端の少年(宿屋の息子)に口説かれて汚い「ねずみ屋」なる宿屋に泊まった甚五郎が主人と息子のために一肌脱ぎ、最後はハッピーエンドになる。涙あり、笑いありの日本人の最も好きなパターンのストーリー。以前は演じ手の少ない噺だったが、梅團治師匠【当席では初演】や故歌之助師匠【当席では平成八年二月演】から口伝を受けた師匠が手がけられているので最近は聞く機会も多くなった噺だが、本家本元の師匠はやはり絶品。
 師匠の客席も大満足な半時間の好演でお仲入りとなりました。

 仲入り後、カブリはこの師匠も当席常連の笑福亭伯枝師匠。
今年で入門三十年を迎えるのだが、いつまでも平城遷都のイメージキャラクターの「せんとくん」と似ている愛嬌タップリで腰の低い師匠であります。 『白妙』の出囃子で登場し一瞬の沈黙と風貌でお客様を惹きつけて、『こんな頭でこんな色の着物着て座ってますとお坊さんみたいで・・・』と爆笑に巻き込むツカミ。花粉症、不眠症のマクラも見事に決まって始まった本日の演題は季節感にピッタリの『貧乏花見』の一席。
 この噺、東京では『長屋の花見』としてこの季節になると一日に必ず演じられる程のポピュラーな噺だが、上方では半時間の大ネタであります。当席でも昭和五十三年の開席第壱回公演で笑福亭松鶴師匠がトリで演じられました。朝の雨で出そびれた長屋の連中が、お酒ならぬ、お茶け、かまぼこならぬ釜底や、素麺(醤油:箸ではそめん)沢庵の出し巻き、などを持ち寄り、それぞれ思い思いの風体で嫁はん連中を芸者衆に見立てて大阪の桜の名所の桜ノ宮へ繰り出しての大騒ぎ。 なんともほのぼのとして庶民の底力を感じさせる上方ならではの名作をご自身のキャラクターをご存分に発揮されての名高座。客席は師匠の狙い通りの爆笑に包まれた二十五分の高座でありました。

 今公演のトリは『創作落語の鉄人』笑福亭仁智師匠。本日の演題の効果音のCDの準備も出来、聞き慣れ親しんだ『オクラホマミキサー』ではなく『六段くずし』の出囃子で高座へ顔を見せると客席からは本日一番の拍手と『待ってましたタップリ!』の声もかかる。
 『続いてハゲ二号で・・・』とのあいさつから東京と大阪の違いを面白く紹介。その一言一言で客席を大爆笑に巻き込んで始まった本題は創作落語『多事総論』。目玉焼きにかけるのはソースか醤油かで夫婦喧嘩が始まる。それを収めようとする仲裁人も次々と塩やタバスコと答えるので喧嘩の輪がますます大きくなって犠牲になっていく。智之介師が開演前にセットし、キッカケの度に流す効果音もピッタリ決まって爆笑の渦は大きく増幅される。
 収まりが付かなくなりついに裁判員裁判に発展。裁判官は客席のお客様。拍手の多さで白黒を付けるという演出。これも見事に決まってさらに盛り上る。『他に意見のある方』の問いかけに、客席からは『コショウ』、『何もかけない』とのウイットに富んだ答えに、『この間、東京で演(や)ったらシーンやったのにさすが! 盛り上がるわ』と、大喜びの師匠。サゲもバッチリ決まった半時間の大爆笑高座でありました。
 大爆笑の連続でお開きとなった弥生公演でありました。