もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第367回 
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 公演日時: 平成21年 3月10日(火)      午後6時30分開演
  出演者     演目
 林家  笑 丸  「ぜんざい公社」
 桂   都んぼ  「真田小僧」
 笑福亭 達 瓶  「ふぐ鍋」
 桂  小春團治  「猿後家」
  中入
 露の  團 六  「お血脈」
 笑福亭 松 喬  「百年目」(主任)

   打出し 21時25分
   お囃子 勝 正子
   お手伝 笑福亭喬若、生寿、桂 三之助、治門、

 平成21年3月の第367回恋雅亭の前売り券も売切れ。
その後も電話やネットで前売券の有無、当日券の状況確認の電話が鳴り止まない。間違いなく大入りが予測される中、当日の十日を迎える。当日は火曜日。平日なのにお客様の出足は絶好調。お寒い中、多くのお客様が列を作られ開場を待たれる。長時間並んで頂くには、まだまだ寒さの残る日々、申し訳ない。チラシの準備も人海戦術で折込を行い、五時半に予定通り開場。一番太鼓と共にご入場されるお客様で会場一杯に用意した椅子が次々に埋まっていく。火曜日だが出足も早く、開演前には当日券の予定枚数も売切れ。最後尾に長椅子を入れ込んで席をご用意するが、お客様の出足は衰えず、立ち見となってしまう。そして、定刻の六時半に開演を迎える。

 三月公演のトップバッターは、染丸一門から林家笑丸師。
「上方落語あほの会」の一員として天然のキャラクターで演じられる高座を期待されるお客様の拍手と『石段』の出囃子に乗って登場。「えー、万雷の拍手、私、化粧をとったタイのニューハーフ」と、あいさつの後、「もし、国がぜんざい屋を営業したら」と、始まった演題はお馴染みの『ぜんざい公社』。多くの演じ手が役所の堅苦しいイメージを誇張して演じる。笑丸師も今も昔も変わらないお役所体質を扱った自身のクスグリをふんだんに盛り込み、客席から共感と切り口の鋭さに笑いが絶えなかった、十九分の好演であった。
 この噺は、明治末期に三代目桂文三師匠が創作した『改良ぜんざい』という噺が原作【二代目立花家花橘師匠は『文化汁粉』としてSPレコードで発表】とされ、戦後になって、松之助・文紅師匠をはじめ、多くの演者の手が加えられ爆笑人気作に仕上がっています。さらに、明治初期には、失業?した士族が慣れない商売をして失敗する『士族の商法』という噺が元になっているようである。『士族の商法』は、鰻屋になる『素人鰻』、殿様の団子作りがうまくいかない『殿様団子』、甘くないので売れない『御前汁粉』という演題がある。

 二つ目は、都丸一門の総領・桂都んぼ師。
師匠の薫陶よろしく行儀の良い高座、『三つ面』の出囃子で登場し、若々しく元気一杯、愛嬌一杯で高座へ登場。座布団に座って「えー、続きまして都んぼの方で・・・」と言っただけで会場全体がホンワカとした雰囲気になる。お得な師匠である。敬老の日での苦心談、入門直後の師匠の子供さんの想い出のマクラから始まった演題は『真田小僧』。
 こましゃくれた子供が、小遣い欲しさに、「おとっつあんの留守の間に、お母はんの一部始終・・・続きを聞きたかったら・・・」と、お父さんが苦しむ姿が笑いを誘う。師の口演に合わせて場内は爆笑の連続。都んぼ師の口演は22分であったが、この後、講談で真田幸村公の子供時代のエピソードが紹介され、最後は薩摩(さつま)へ落ちていくことがサゲとなっていることから演題の『真田小僧』となっている。

 三つ目は鶴瓶一門から笑福亭達瓶師が、乗り乗りの『三下がり・米洗い』の出囃子で元気良く登場。「えー、続きまして達瓶の方で・・・」と端整で現代的なイケメンで高座がスタートする。
 師匠に「ふぐ」を食べに連れていってもらったことをマクラで笑いをとり、「おつですと言うがフグには手を出さず」始まった演題は、『ふぐ鍋』。
 この噺、お馴染みの上方の匂いがプンプンする噺で、色々なクスグリが入っての爆笑編である。「あっ」というサゲまでトントンと噺が展開する。随所でクスグリと目線と仕草、そして、間で笑いが起こる。22分の高座は実に結構でお次と交代となった。
 林家一門のお家芸で伝統でもあるコッテリ、もっちゃりした演出で、愛想の良い男の名前が、大橋さん(三代目染丸師匠の本名)であったので、林家一門からの口伝であろう。

 中トリは上方落語界の創作落語の雄・桂小春團治師匠にとって頂きます。
 毎年一回のペースでご出演の師匠、中入後のカブリから中トリを努められるようになって『アーバン紙芝居』『大名将棋』を熱演されておられる師匠の今回の演題は『猿後家』。
 <師匠はもう説明の必要のない処。センスの良い創作落語は当席でもお馴染み。切れ味鋭い磨きのかかった高座で、今回の当席でも爆笑高座請け合いです。>と、創作落語を演じられるようにご紹介したが、ちょっと予想が外れた。本日に出演者で創作派は師匠だけにもかかわらず、古典を。ここらが真剣勝負の当席への師匠の力の入れ方の表れであろう。「噺家のキャッチフレーズ」「あだ名」から始まった『猿後家』という噺、師匠にとって、昨年、大阪・東京での独演会でネタ下ろし(初演)の自信作である。いかにも上方落語らしい噺で、歯が浮きまくるようなおべんちゃらがこれでもかと登場するので、演じ方ではイヤミな噺になってしまう難しい噺を、発端から汗ブルブルの熱演。口跡よろしく、トントンとたたみかけるように噺は進む。この間、場内は爆笑の連続。奈良の都の紹介も実になめらかに。そして、喋り過ぎてつい言ってはいけない言葉を言ってしまう。
 サゲは、前に失敗した又兵衛さんの失敗談を聞き、「口は災いの元ですなぁ。私も舞台からサル」であった。半時間を超える熱演で、お中入りとなった。

 中入りカブリは、五郎兵衛一門から露の團六師。
地元神戸出身で笑顔の素敵な、愛嬌タップリの高座を期待される会場の拍手と小気味の良い『鍛冶屋』の出囃子に乗って長身をやや前屈みにして高座へ。「変わりあいましてお願いを申しておきます。本当にたくさんのお客様でございまして・・・。我々の言葉で『付く』と言うことを申します。お酒の噺が出ると後は、演(や)らない、子供の噺がでたら・・・。と、でも、着物というのはあんまり考えないんですが、後、楽しみにしといて下さい。松喬師匠、私と同じ柄の着物(大爆笑)。こんなことあるんですねぇ」。
 そして、お釈迦様が脇の下から生まれ「天井天下唯我独尊」と言われたと生意気なので頭を叩かれ瘤が百八、紹介して始まった演題は『お血脈(善光寺骨寄せ)』。登場人物の会話で噺が進展する噺なので、演者が進める「地噺」。力量が要求される噺。自身の工夫が随所に入った22分の高座は爆笑の連続であった。

 そして本年の三月公演のトリは、上方落語界の重鎮・六代目笑福亭松喬師匠にとって頂きます。当席の常連として毎年一回のペースでご出演され『壺算』『住吉駕篭』『首提灯』『崇徳院』と熱演の連続の師匠です。熱演が続き、トリの松喬師匠が高座へ上がられる時間は八時四十分。
 「ご苦労様です」の声に送られて、出囃『高砂丹前』で、ゆったりと高座へ。客席からは本日一番の拍手が起こり、袖には多くの噺家が集まる。「えー、もう一席聞いて頂きましてお開きということでございますが(会場からクスクス笑いが)、で、私、この着物、十五年ぶりに出してきたんです。まさか着物で付くとはねぇ。今日は時間的には押しておりますが、大ネタを(会場からは大きな拍手)」と、船場の名前は丁稚は松、吉が付く。手代は七が、番頭は助が付き名前を聞くと身分が判る、暖簾分けのシクミをマクラで紹介。この師匠のマクラには定評があるが、今回も実に良く理解出来る説明であった。
 そして、上方落語の大ネタ中の大ネタ、『百年目』が始まる。もう説明の必要もないこの噺、多くの登場人物や場面転換も多く、終盤の番頭の心の葛藤、旦那が番頭を諭す際の大きさを出すクダリなど、上方落語屈指の大物と言われている。その噺を発端の番頭の小言、がらり変わっての桜ノ宮の花見の賑わい、旦那と出くわしてからの心の葛藤、そして旦那に呼ばれてからサゲまで五十分の長講に師匠は勿論、会場も大満足の大きな拍手が起こった。