もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第360回 
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 公演日時: 平成20年 8月10日(日)      午後6時30分開演
  出演者      演目
 桂   吉 坊  「商売根問」
 笑福亭 喬 楽  「鰻屋」
 桂   文 昇  「書割盗人」
 桂   福團治  「ねずみ穴」
  中入
 桂   蝶 六  「替り目」
 桂   小米朝  「皿屋敷」(主任)

   打出し 21時15分
     お囃子  林家 和女、勝 正子
     
  一つの区切りである『三十周年記念公演』を無事お開き。
今回は八月の360回公演を迎えました。前売券も早々売り切れて前景気も絶好調。その後も問合せが途切れないまま当日を迎える。
 平成二十年、八月十日、当日は猛暑の日曜日、前々日から始まった『北京オリンピック』の影響もなく、お客様のの出足も絶好調である。いつもの様に一番のお客様の出足は早い。人気は継続中。その後も多くのお客様が列を作られ開場を待たれる。同時に木戸口では事前に準備された多くの折込まれたチラシを人海戦術で織り込んで開場の準備を進める。今回は過去最高の枚数で、十二名で焦ってスピードアップして準備。
 定刻の五時半、開場。列を作って待っておられたお客様が入場される。出足は絶好調で、次々と来場されるお客様で会場はどんどん埋まっていき椅子席は開演時にはほぼ満席となる。最後に長椅子を並べ、今回は立ち見のご迷惑はなし。

 二番太鼓から定刻の六時半、祈が入って、八月公演が開演。
その公演のトップバッターは、吉朝一門から桂吉坊師。『上方落語界のえなりかずき』と、達者な高座で皆様よくご存じ。満を持しての当席初出演。一番に楽屋入りし、うれしそうにあいさつし太鼓の準備。そして、チラシの挟み込みの手伝いもにこにこ顔でうれしそう。
 『石段』の出囃子で高座へ。会場からは大きな拍手が起こる。「えー、ありがとうございます。只今より開演でございまして、まずは出てまいりました、桂吉坊ともうしまして・・・、なんか出てまいりますとお茶汲み人形みたいなんが出てまいりましてね・・・・。よく、声を掛けていただきます、『お幾つですか』と・・・。私、こう見えましても、どう、見えてるか判りませんが(会場からは笑いがキッチリ起こる)。二十歳を超えております(会場からは「えっー」)」。「こないだはお客様から『兄ちゃん面白かったわ、夏休みやから出れてんのんか?』とか、『兄ちゃん面白かったわ。プロになったらええのに』と・・・」。マクラからドッカンドッカンと大受け。そして、始まった本題は師匠譲りで、よく受けると何か新しいクスグリを入れたくなるのだが、間の良さでキッチリと爆笑を誘う『商売根問』。
 長くも短くも出来るこの噺、「八百屋(三つ葉売り)」「雀取り」、そして、「ガタロ取り」と爆笑が続く。実に達者な高座である。再演を待ち焦がれる二十分であった。

 二つ目は、松喬一門から笑福亭喬楽師。軽快な『大ちゃん数え唄』で高座へ登場。
衣装は縦縞の水色の着物に黒字の薄手の羽織と涼しげ。「えー、続きまして、笑福亭喬楽の方で・・・・。上方落語界の『夏川りみ』、と申します。この目の暑苦しいところがちょっと似てまっしゃろ・・。夏川さんは『なだそうそう』。私は『ギャグ、ズルズル』」と、さらに「ちょっと緊張いたしておりまして、恋雅亭やからやないんです。あまり落語を演ってないので・・・。と、笑いを誘う。
 「暑いから羽織を脱ぎます・・・。」と、マクラが続く。北京オリンピック、暑い夏の汗かきの苦心談、北京でのゲテモノ食い、土用の丑の日、のマクラから本題の『鰻屋』が始まる。多くの演者で練り上げられた噺を、キッチリと発端からサゲまで、汗ブルブルで元気一杯演じた二十分の熱演であった。発端の部分で、川原へ下りていくクダリは『商売根問』とネタが付いたとの即席ギャグはご愛敬。
 この噺は東西でよく演じられる噺で、同じ原話を元に、上方で演じられる筋と、明治維新で没落した士族が、鰻屋を開く通称『士族の商法』。八代目桂文楽師匠の十八番中の十八番の『素人鰻』である。
 【土用とは】土用という時期は立夏、立秋、立冬、立春(暦の上での季節の変わり目)の前十八日間その中の「丑の日」は、年に4回から8回くらいあることになるのですが、鰻を食べるのは夏の土用の丑の日だけです。この風習を流行らしたのは 江戸時代の科学者の平賀源内と言われています。

 三つ目は文枝一門から桂文昇師が登場。
端正な芸風と陽気な中に品のある落語への真面目な取り組みで多くの持ちネタの中から何が飛び出すかと期待の中『越後獅子』の出囃子に乗って登場。
 「はい、ありがとうございます。私の方はお後の福團治師匠の支度が出来ましたら引っ込むことになっておりまして・・・。この間、本当に出てこられたことがございましたが・・・。ここ(恋雅亭)はネタが事前に決まっておりませんのでお客様に合わせて、今日は盗人の噺を」と、名前の紹介。盗人は、「ぬーと入ってきて、すっと物を盗って、とーと逃げるから」追いはぎは「向こうへ行く人をおーいと呼んで、着ているものをはぐから」盗賊は「入る家の戸の前で胸がゾクゾクするから」。
 そして、始まった本題は『書割盗人(東京では、だくだく)』【書割りとは、お芝居の舞台の背景の絵のこと】。この噺の原話は、安永時代に出版された笑話本「芳野山」の「盗人」で、東京の『だくだく』は上方から伝わったとされている。落語にも、はやりがあるようで、今はよく演じられている噺である。しかし、前半の書割の設定がキッチリしていないと後半の盗人が忍び込んできた時のクスグリが生きてこない難しい噺である。その噺、日舞(花柳流)、阿波踊り、天神祭りの龍踊りと踊ることが大好きな師匠だけに、絵を描くところ、盗人との対決など全編、仕草が美しい。
 サゲは「命をとられたつもり」で、基本に忠実に自身の工夫がいたるところにちりばめられた二十分の熱演高座であった。
さらに、書割には最近、風月堂さんから新発売の『生キャラメル』も入っていた。

 そして、中トリは上方落語界の重鎮・四代目桂福團治師匠にとって頂きます。
今回も早くから楽屋入りし、本日の演題を確認し、トリの小米朝師匠に「ちょっと、長いけどよろしいか。今日は『ねずみ穴』を演ってみたいねん。ここのお客さんやったら聞いてくれはるさかい」と了承を得て、当席では三度目、昭和六十三年八月の125回公演以来、二十年ぶりの口演となった。常連さんの多い当席ですが、初めてお聞きになる方が多い噺であろう。
 お茶子さんから「見台は?」に、「出しといて」と応え、『梅は咲いたか』の出囃子に乗って高座へユックリ登場。「えー、暑つおまんなあ、えー、やー、なー長いことやってましてな。すー、もう四十五年位になりますねん。疲れた。別に疲れる商売ちゃいまんねんけど、・・・・。今日は、色々な落語が出てまいりますので、探して一番面白ろない噺を、どっか笑いとあるんですけど、絶対、笑うとこがない噺を・・・・・。『表が騒がしいようやけどどうしました』、あっ、もう始まってます」と、『ねずみ穴』が始まる。
 師匠の言葉通り、ほとんど笑えるところはない。
兄を見返そうとがんばって商売に成功する弟。蔵にねずみが作った穴から入った火で火事で、全てをなくし不幸のどん底に。一連の不幸は、夢でほっとし、サゲとなる。
この噺、元々、江戸の人情噺を上方に移植された師匠が練り上げた秀作で難しくしんどい噺である。師匠のしみじみとした語り口にぐんぐんと引き込まれ、目の前には座ってしゃべる師匠だけなのに頭の中には、炎が燃えさかる火事が浮かぶ。
 落語は想像の芸術。三十五分の口演に場内は咳払い一つなく、演者と会場が一体となった。
神戸新聞に掲載された村上健治さんのインタビューに「百テレビは、一生(いちなま)に如かず。落語を何度テレビで見ても、その感動は実演一回には及ばない」と語っておられるが、まさしくそれそのものの好演であった。

 中入りカブリは春蝶一門から桂喋六師。
師匠譲りの愛嬌タップリの高座で、今回は、初の中入り後の出番で大張り切りで、楽屋でも全開で、楽屋話に花が咲く。そのパワーをそのまま、『乗合船』の出囃子で高座へ。「えー、・・・・・。ここは思い出がありまして、師匠の春蝶、ここにはよく出てまして、そのカバン持って、ずっと来てまして・・・。」と、師匠の思い出を語り、話題は狂言へ移る。場内のお客様を巻き込んで狂言の言い回しを披露。これには場内も乗り乗りで一体化。会場の雰囲気をガラリと変える。十分で充分やろと楽屋へ「時間もないし、もうええやろ」と振って、間合いを図って、「落語も演らなあかんらしく、師匠もよう演ってました、お馴染みのお笑いを・・・。」と、『替り目(悪酔い)』が、始まる。
 師匠直伝とあって、笑いのツボを外すことなくガンガン受ける。ノリノリの二十分であった。

 そしてトリは、米朝一門から来年、大師匠の名跡・米團治の五代目を襲名される桂小米朝師匠。『元禄花見踊り』の出囃子で登城すると会場からは待ってましたとばかり、拍手が巻き起こる。独演会の名ビラが「子米朝」だったとの笑えない話題や、米團治襲名の裏話などの爆笑マクラが続く。ツボ、ツボで笑いが起こる客席にノリノリ。
 そして、始まった本日の演題『皿屋敷』が始まる。
大師匠、師匠と繋がる演出を骨組みに、「ほたら何ですか・・・」と、発端をズバッとカットして膨らます処は膨らました口演は兄弟子の枝雀流。そこに、自身の演出がプラスになっているのだから面白くない訳がない。恐い物見たさに皿屋敷の井戸を訪れる一行。そこに現れる色気に溢れたお菊さんとサゲ前の漫画チックなお菊さん。
  がらりと変わるお菊さんに場内は爆笑に包まれた三十五分の熱演で八月猛暑公演はお開きとなった。