もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第333回
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 公演日時: 平成18年 5月10日(水) 午後6時30分開演
  出演者      演目
  桂   三  金 「ダンシングドクター」
  桂   あ さ 吉 「所帯念仏」
  桂   福  車 「豆  屋」
  桂    文  太 「鬼切丸の由来」  遠江山酒呑童子
  中入
  笑福亭 伯  枝 「花  筏」
  桂   雀  々 「茶漬幽霊」(主任)
                  
   打出し 21時10分

     お囃子  林家和女 勝 正子
     手 伝  桂 三ノ助、佐ん吉、笑福亭呂竹(笑福亭福笑)
 「新春初席」から数えて五回目の五月公演。過去四回は全て大入り公演。
最大九連休のGWも終わっての五月十日となった。
今回は雀々、文太の両師匠の競演とあって、前売り、メール予約もジリジリと盛り上げみせる中、当日を迎える。
 先月同様、雨模様の中、お客様の出足もいつも通りで順調。チラシも次々に到着し、「ABC上方落語を聞く会」のCD全集、師匠自ら持ち込まれ手売りされる予定の福笑独演会のチラシを挟みながら、定刻の五時半に開場。 列を作って待っておられたお客様がご入場され席が次々と埋まっていく。
お客様の来席のペースも、その後も衰えることなく会場一杯に並べた椅子も満杯となり開演の時間を迎える。

 その満席の会場に二番太鼓が鳴って、祈が入って林家和女、勝正子の両嬢の奏でる『石段』の出囃子に乗って本日のトップバッターの三枝一門から桂三金師がその愛くるしい笑顔を会場いっぱいに振りまきながら巨体を揺らして高座へ。
「えー、ようこそお越し下さいましてありがとうございます。まず出て参りましたのが上方落語界の橋田壽賀子、桂三金でございます。いやぁ、二回目なんですよ出していただくの。えー前回、私が出たことを知っておられるお客様は・・。それでは前回と同じ噺を・・」と、さらに「三金という名前は師匠三枝と私の前職の銀行員からついたので、関係ないように見えますが、噺家も銀行員もコウザを大切にする」と、笑いをとって「携帯電話の電源を切っておいて下さい」と、挨拶と注意事項をサラリと。
実に慣れたもので、それもそのはずで「新婚さんいらっしゃい」の前説で鍛えられたもの。
 マクラは健康の話題。自身の体重・体脂肪を紹介して、減量の苦心談が続く。
ここらで個性豊かな一門伝統の爆笑噺を演じてくれることを予感させる。
的中し、「えー本日は師匠の創作落語『ダンシングドクター』でお付き合いを願いますと本題が始まる。
この噺、初演は昭和六十二年十二月と約二十年前。時節は「サタディナイトフィーバー」、ディスコが大流行だった。
決して古さを感じさせないのは、原作の素晴らしさと師の工夫の表れであろう。トップから爆笑の連続の高座は十七分であった。

 二つ目は、吉朝一門の総領弟子、桂あさ吉師。この師匠も愛くるしい笑顔でファンも多い。今回は初の二つ目とあって大張り切り。早くから楽屋入りして開場前の高座でネタを繰る。
『お江戸日本橋』の出囃子を登場し、「えー、ご来場ありがとうございます。変わりましてお付き合い願いますが、噺家にもデブな方もいれば、痩せてる方もいるとの極端な例二人でございます」と、マクラがスタート。
 さらに、入門当初、米朝師匠宅での内弟子生活を紹介して、「今日は落語が短いですから・・・」と、師匠に初めて教えていただいた小噺、『くちなし』。続いて、『たけのこ』、さらに、韓国語での落語を紹介して、本題に入る。『所帯念仏』である。
朝から念仏を唱えながら小言をブツブツ言う、一昔前まではどこにでもいたような頑固親父が主人公。
大師匠にあたる米朝師匠を彷彿とさせる落ち着き払い、丁寧に演じるその一言一言に会場から笑いが起こる。十七分の高座であった。

そして、三つ目は福團治一門から桂福車師。
各地の落語会で大活躍な師匠で当席でも常連。師匠(福團治師匠)譲りの高座を期待を受けての楽屋入り???。 最近、足を負傷され、引きずっての楽屋入り。
 『草競馬』の軽快な出囃子が鳴るが、登場し座布団へ座るまで時間がかかる。「ちょっと色々事情がございまして喋り出すのに時間がかかります」と負傷した話題でマクラがスタート。
さらに「ついてないといえば、今日、私『釜盗人』しようと思って、阪神電車で、二回もネタ繰って(練習)来ましてん。この噺、米紫師匠が演じてはったんですが、お亡くなりになってから、今、上方では二百人噺家いますけど、二人(福車・九雀)しかしませんねん(福車師は米紫師匠直伝)。三百回以上やってるこの会でもおそらく出てないと思って・・・。ほんなら、三月に九雀兄さんがやってはりまんねん。ついてませんわ」と、笑いを誘って「今日はついてない男の噺を」と、始まった演題は『豆屋』。
豪快というか、強引な長屋の住人の無理難題に必死で応えようとする新米の豆屋の苦心談。一難去って又一難、益々苦境に立つが「あっ」という結末を迎える。二十三分の熱演であった。

そして、中トリは桂文太師匠。
昭和四十六年入門で個性は揃いの一門では本格派であるのはご存知の通り。上方古典落語、東京からの移植噺と噺の数も多い。
今回は何を?と、期待の中、五時に楽屋入り。
 さっそく、今日、演んじられるご自身の創作芝居噺のキッカケ表(どの言葉を言えばどのお囃子が入るかを示した表)を元に和女嬢と念入りに打ち合わせが始まる。演題は、『遠江山酒呑童子・鬼切丸由来』。勿論、当席では初めて演じられる噺である。
 『三下りさわぎ』の出囃子で登場すると、「昔は可愛らしい子は役者に、おもろい顔の子は噺家にせえ。と、言われたものですが、松鶴師匠までで、米朝、春團治、文枝師匠などは違います。私も入門する時、師匠に『お前は噺家に向いてない、男前過ぎる』と言われたものです。しかし、それも雀々さんあたりから、また変わりました(場内大爆笑)」。
 さらに、四天王の名前を誰が襲名するかによって呼び方が変わるとの話題から、同じ襲名でも歌舞伎は・・・。と、つなげ本題に入る。
 もちろん『遠江山酒呑童子・鬼切丸由来』である。
大家の旦那さんと御寮人の会話から、幇間もちによる芝居の紹介で芝居噺が始まる。まずは、手拭いを幕に見立てて開演となる。
 芝居噺なので芝居の随所に、はめもの入るにぎやかな噺。粗筋を紹介する紙面はないが、悪行を働くので帝の命により摂津源氏の源頼光と嵯峨源氏の渡辺綱を筆頭とする頼光四天王により討伐隊が結成され、酒呑童子を退治する噺。
 四天王は、松鶴・米朝・春團治・文枝でなく、渡辺綱(わたなべのつな)、坂田金時(さかたのきんとき・金太郎さん)、卜部季武(うらべのすえたけ)、碓井貞光(うすいのさだみつ)。
 師匠曰く「工夫して面白い噺にしましたで、はめものも判りやすいものを取り入れて」との言葉通り、聞き覚えのある曲(出囃子)が、流れる。
 ちょっと出囃子と演者を紹介すると、「元禄花見踊り・小米朝」「天王寺」「中の舞」「高砂丹前・松喬」「軒すだれ・三枝」「せり・文我」「小鍛冶・呂鶴」「一丁入り」「鯉・坊枝」「猩々くずし・仁鶴」。拍手喝采の三十二分の名演であった。
 終演後の師匠は「こんなんでよかったら、まだあるからまた呼んで」。

 中入りカブリは、笑福亭一門から笑福亭伯枝師匠。豪放磊落な一門、顔つきもごっつい感じですが、いえいえ外面とは違う繊細な師匠です。
『白妙』の出囃子で登場すると、「えー、私は決して松鶴という名前は狙っておりません。狙っているのは二代目織田無道です」(場内・ドッカーン)
 スポーツ選手のトンチンカンの言動を紹介し、ボクシング、相撲と話題は進む。当席への出演を心待ちにされている師匠だけに過去、『鴻池の犬』『故郷へ錦』『へっつい盗人』、そして、今回、狙いすましての本題『花筏』が始まる。
師匠の風貌と体型、そして、芸風がマッチした二十六分の好演。
 五月場所はモンゴル出身の大関白鵬関が初優勝されたが、「花筏関」は実在したかどうか調べてみると実在際しましたが、1763年冬、64年春の二場所しか名乗らず、すぐ改名している。

 そして、五月・皐月・333回公演のトリは、今回で当席十五回目となる桂雀々師匠。
トップ、二つ目、三つ目、カブリ、そして中トリと全てを経験されて当席の初トリとなるとあって早くから楽屋入りして大張り切りです。
『かじや』の小気味の良い出囃子で満員客席の拍手に迎えられ高座へ「えー、私でお開きでございまして、ケイジャンジャンと申します。どうぞ、じゃんじゃん笑って頂きますように」と、あいさつして修業時代の電話の失敗談。これが、実に面白い。紹介できなくてすみません。
 始まった演題は『茶漬幽霊』。この噺、東京では『三年目』として、昭和の名人、志ん生・円生の両師匠の十八番であったが、雀々師匠のそれは上方バージョン、それもぐっと陽気(女房の死・幽霊を描いているのに)に演じられる。
丑三時にはタイミング良くドラが入る。一回目・拍手、二回目・拍手、そして三回目はタイミングがあわず大爆笑(もちろん、佐ん吉師との息はピッタリ)。
師匠譲りのオーバーアクション、ほのぼのとした夫婦愛を感じさせる絶品の半時間の好演であった。
(大入叶)