もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第332回
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 公演日時: 平成18年 4月10日(月) 午後6時30分開演
  出演者      演目
  笑福亭 瓶  吾 「粗忽長屋」
  桂   わ か ば 「片棒」
  林家  う さ ぎ 「隣の桜」
  桂    ざ こ ば 「坊主茶屋」
  中入
  桂   文  喬 「お忘れ物承り所」
  桂   春  駒 「猿後家」(主任)
                  
   打出し 21時00分

     お囃子  林家和女 勝 正子
     手 伝  桂 出 丸、三ノ助、そうば、(笑福亭福笑)

「新春初席」から数えて四回目の四月公演。過去三回は全て大入り公演。
今回も前売り売り切れ、メール予約も絶好調で当日を迎える。
 彼岸も済み、桜も満開。しかし、「雨でも降ったらどうしよう」と、恐れていたことが起こってしまった。先月同様に朝から雨模様。小雨が降り続くあいにくの空模様。本当に申し訳ありません。
 その中を一番のお客様は早くから会場に到着され、その後もお客様の出足は衰えることなく、いつものアーケード外では雨に降られるので店の前に並んで頂く。さらに前の方から詰めて頂いて開場時間を十分繰り上げ五時二十分に開場となる。列を作り待っておられたお客様がご入場され席が次々と埋まっていく。
 演者の師匠連も次々と楽屋入り。
一番乗りはわかば師。三時に! なんと早い。高座の言葉を引用すると「今日は三時に楽屋入りしました。ここ(恋雅亭)へは何回も出して頂いておりますが、今回、初めて二つ目で、嬉しいてねぇ」
 瓶吾、文喬、うさぎ、そしてトリの春駒の各師匠連が次々と着到。
そして、昨年入門の新弟子のそうば師(神戸大学落語研究会出身)を連れてざこば師匠が到着され準備万端。お客様の来席のペースもその後も衰えることなく会場一杯に並べた椅子も満杯となり、最後列に長椅子を並べるがついに立ち見になる。

 その満席の会場に二番太鼓が鳴って、祈が入って林家和女、勝正子の両嬢の奏でる『石段』の出囃子に乗って本日のトップバッターの鶴瓶一門の笑福亭瓶吾師が、その愛くるしい笑顔を会場いっぱいに振りまいて高座へ。
 個性豊かな一門伝統の爆笑噺を演じてくれることを予感させる。
「えー足元のお悪い中、一杯のお客様でございましてありがとうございます。笑福亭瓶吾(ビンゴ)です。
(会場から笑い)・・・。何がおかしいんですか、顔か?名前か?」と笑いを誘う。
 そして、オリンピックの話題からマクラがスタート。
「えー、フィギアスケート見ましたか、私は途中まで見てたんですが、その日に限って仕事でしてん。普段は家で寝てるんですが、まさかと思ったんですがラジオを聞くとやってました。NHK。だてに受信料とってないです。中継ですけどスーッとか、サー、スーとか擬音が多くて判りませんでした(笑)」
始まった本題は『粗忽長屋』。
この噺、五代目柳家小さん師匠の十八番として有名だが、瓶吾師の噺の原本は鶴瓶師匠。
師匠は昭和62年3月に開催された「わて今、彼岸でおます」公演(六代目松鶴追悼)で、演じられた『死に目』である。
この公演は、『相撲場風景』小松。『松鶴は今』鶴志。『温情刑事』福笑。中入『死に目』鶴瓶。『天王寺詣り』鶴光。 であった。
その噺を瓶吾師は軽妙に演じる。
そして、トントンと噺を進めておいて、「・・・と、言うことや」とデートバックするような演出は、噺が一本調子にならず結構である。
 師の愛くるしい笑顔とやや現代調の口調で噺はトントンと進みサゲとなった、17分の高座であった。

二つ目は、当席中トリのざこば一門から桂わかば師(はやかぶ会63年組)。この師匠も愛くるしい笑顔でファンも多い。さらに、神戸は地元とあって師自身も大張り切りで今回四度目の出演となる。 会場からの拍手に迎えられ『まかしょ』の出囃子で登場。「えー今、拍手をいただい、い(かむ)た・・・
(会場から拍手)」
 「噺家殺にゃ刃物はいらぬあくびの三つで即死する」と、川柳を紹介して「近視の手術をしたので、こっちからは会場がよく見える」と、笑いをとってマクラが始まる。会場で赤ちゃんが泣いてぼろぼろになった話題から、日本は世界一の長寿国と断って始まった演題は『片棒』。
 三人の息子に跡を譲るけちな親父さんが自分の葬式の仕方を訊ねる。その応えが天衣無縫で笑いを誘う。
 この噺、元々、上方なのか『好きと嫌い(饅頭怖い)』『引越しの夢(口入屋)』などを十八番とされていた東京の先代九代目桂文治(通称:留さん文治)師匠の十八番であった。現在も多くの東京の噺家各師が演じられているし、上方では一門の桂雀松師匠が十八番として演じられている。
そして、実に多くの実名が出てくる難しい噺でもある。『四天王寺』『本願寺』『天満の天神さん』『住吉さん』『島之内の教会』『天理教』『PL教団』『金光教』『ビリケンさん』や役者の名前も次々に出てくる。
その噺を愛くるしい個性で演じるわかば師。会場からはツボ、ツボで笑いが起こった21分の高座であった。

そして、三つ目は林家一門から林家うさぎ師。『うさぎのダンス』のいつもの出囃子で登場。
 彫りの深い顔立ちは外人に間違えられるらしく、マクラでインド人と間違えられた話題で笑いを誘う。自身もそうであるが、奥様はカナダ人とあってお子様も彫りの深い顔立ちだそうである。
 そして、目の手術(近視)で多額の保険が貰った、足の爪の化膿手術で保険求償を狙ったが見事失敗、と笑いを誘って『隣の桜(鼻ねじ)』がスタート。
この噺、いかにも上方らしい噺で一門のお家芸でもあり、三代目、四代目染丸師匠の十八番でもある。その師匠直伝の噺をキッチリ演じる。
お囃子も入って、季節感もタップリ。明るく楽しい噺はマクラも入れて18分であった。

 そして、中トリは「ザコビッチ」こと桂ざこば師匠に飾って頂くことになりました。マスコミでも、落語会でも大活躍の師匠。
 今回もお忙しい中「当席なら」と二つ返事で快諾いただいての登場となりました。4月4日には初めての出版本の記念パーティも開かれ、元気一杯。
当日も楽屋入りされるや、ネタ帳を確認。「えーと、『強情』、『月並丁稚』、えー『狸の化寺』なんか演てるわ、それから・・・。おい、三つ目で『お玉牛』出てるで、誰や?・・」
ネタ帳には春團治と書いてあった。それを見て、「怒られるわ、三代目のお師匠はんや、僕も付けてもろてん」と恐縮。
「よっしゃ、久しぶりに『坊主茶屋』」と、ネタが決定。
 『御船』の出囃子で万雷の拍手で登場。「えー、一杯のお客様で・・・」と、さっそく羽織を脱ぐ。
「(脱ぎながら)脱ぐんやったら着てこなんだらええのに、持ってるとこ見せなねぇ」
「うちの弟子は大学出ばっかりやけど、ものを知らへん。七福神も、干支を順番に言うてみいちゅうたら『ね』、ね、ちゅうたら『はい、猫』。違うやろ、『ね、うし、とら、う、たつ、み。あっ、みーが猫です』」
 「月を昔の名前で言うと『睦月、如月、弥生、・・・・』四番目や、ヒント言うたる。下半身ムラムラや・・・。『判りましたボッキ』やて、ひどいもんですわ」「我々、男が下半身ムラムラとなると、昔は行く所が決まっておりまして・・・」と始まった演題は『坊主茶屋』の一席。
 この噺は東西にあり東京では『坊主の遊び』として演じられている。
さて、非常に内容の似た噺ですが、上方の噺が原型ではないだろうか。
双方とも安い処に上がるのですが、東京は何人ものお客を取って、疲れて何もさせないうちに寝てしまうので、仕返しの意味で髪を剃る。
 対して上方の方は凄い。お相手は、病気で鼻は落ちでいるし、髪の毛は薄くなっている。なんとも酷い。剃刀で頭を剃られる。
 そして、病気を治すように言われるのだが、医者に行ってるけどさじを投げられたと言う。「医者がさじを投げたら、後は坊主に決まっている。」
今は昔で遊郭のことを知らない人が増えたが、頭の中にはありありとその場の情景が思い浮かぶのは芸の力であろう。大喝采の中、お中入りとなる。

中入りカブリは、文枝一門から桂文喬師匠。文枝一門の中軸で、神戸夢屋寄席の主催者として神戸でもお馴染みの師匠。『本調子まつり』の出囃子で高座へ登場するなりエンジン全開。
 入院した府立病院で酷い目にあった話題をマクラに使い、兄弟子の三枝師匠の創作落語の『お忘れ物承り所』が始まる。
この噺、20年ほど前に出来上がった創作落語で、お忘れ物のカウンターに忘れ物を取りに来るさまざまな人と係りの人との応対を題材にしている
 客席の誰もが「あるある」の反応で大爆笑の連続。三枝師匠から数多くの噺家諸師に伝わって練り練られた面白い噺。文喬師匠の好演に会場は大満足であった。

さて、四月公演のトリは、「駒ちゃん」こと桂春駒師匠。
今回も『白拍子』の出囃子で登場すると大喝采。期待の現れ。 「えー、ありがたいことでございまして、一杯のお運びでございます」と、あいさつし、マクラもそこそこに本題の『猿後家』が始まる。
いかにも上方落語らしい噺で、歯が浮きまくるようなおべんちゃらがこれでもかと登場するので、演じ方ではイヤミな噺になってしまう難しい噺である。昨年お亡くなりになられた文枝師匠の十八番で当席ご出演55回の最後の口演となった平成16年8月の312回公演での演題がこの『猿後家』であった。その師匠からの直伝の噺をキッチリ演じられた好演の半時間。
サゲと共に大きな拍手が起こった。(大入叶)