もとまち寄席 恋雅亭
公演記録    第329回
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 公演日時: 平成18年 1月10日(火) 午後6時30分開演
  出演者      演目
  桂   宗 助 「親子酒」
  桂   文 春 「饅頭怖い」
  笑福亭 竹 林 「八五郎坊主」
  桂   米 輔 「けんげしゃ茶屋」
  中入
  笑福亭 仁 嬌 「天狗裁き」
  桂   文 珍 「御神酒徳利」(主任)
                  
   打出し 21時30分

     お囃子  林家和女 勝 正子
     手 伝  露の 楓、笑福亭遊喬、桂 三ノ助

 2005年度は、毎月爆発的な大入り公演の連続でお開きなりました。
会員の皆様方には大変御窮屈な思いをおかけいたしました。が、好演の連続でご満足いただけたと自負いたしております。
 さて、明けて2006年の「新春初席公演」は、十二月からの前売り発売当初から絶好調。前売、メール予約とも完売となって当日を迎えました。
 「寒い中、雨が降ったらどうしよう」と、心配して当日を向かえましたが、雨は降らず一安心。しかし、やはり寒い!!。本当に申し訳ない。
 その中を一番のお客様は早くから会場に到着され、その後もお客様の出足は衰えることなく、開場時間の五時半には会場を囲むようにお客様の長い列が出来る。
 5時半の定刻に開場。列を作り待っておられたお客様がご入場され席が次々と埋まっていく。六時半の開演時には客席は満席で大入公演となる。

 演者の師匠連も次々に楽屋入り。文珍師匠も弟子の文春師の「師匠、力入ってはりますから今日は早よう来はりまっせ」予測通り、六時前には楽屋入りされる(今回は、奥様とお嬢様との三名)。
開演時間の六時半には全演者が楽屋入りされる。大入り公演のトップはトップで楽屋入りされていた、人間国宝・桂米朝一門の末弟で入門・十九年目の桂宗助師(初席とはいえ贅沢)。
 師匠譲りのキッチリとした風格さえ感じる芸風はますます油の乗りきったところで、今回もまだ開場前の高座へ上がり自分の声の通りを確認するようにネタをくられる。
 初席のトップの時だけに前座の出囃子になる『十二月(じゅうにつき)』の出囃子で元気一杯登場。会場全体から親しみをこめた大きな拍手が起こる。
「えー、お寒い中、一杯のご来場、ありがとうございます」と、あいさつをし、さっそく、酒のマクラが始まる。二、三の小咄の後、始まった本題は『親子酒』。師匠直伝とあって悪かろう筈がない。東京ではあまりくどく演じない、息子とうどん屋とのうだうだも上方風にコテコテに演じサゲとなる。

 二つ目は、トリの文珍一門から桂文春師。
当席常連の師匠で、そのなんともいえない笑顔と独特の芸風で展開する上方落語を楽しみにされているファンも多い。早くから楽屋入りして考慮中。師匠の到着を確認して決心がつく。
 後で文春師に伺った。「師匠が来てはらへんかったら、別のネタを考えとってんけど、師匠のここ(恋雅亭)への意気込みから考えたら、早よう来はるやろと思ってました。そしたら『饅頭怖い』を怪談の部分に力、入れてやろうと思ってましてん。師匠に付けてもろた噺やからきっと袖で聴いてて下りてきたら、色々言われることを覚悟して・・・。」
 師匠に「お先に『饅頭怖い』勉強させていただきます。」と、あいさつして高座へ登場。「ありがとうございます。代わりまして出てまいりました私が、桂文珍門下三番弟子、桂文春と申します。どうぞよろしくお願い致します。」
 さっそく、好きと嫌いの噺からスタート。そして、怪談の部分へ噺が進展してサゲの佐藤密太郎こと密っつんが登場してサゲとなる。
「師匠が聴いてはんのん判ってたから、怪談の部分でチョットかんでしもた時は頭が一瞬真っ白になってしもて、言葉を探しもって演じたわ」と、謙虚な感想だったたが、そんあことは全く感じさせない結構な出来であった。(25分)

そして、三つ目、カブリは笑福亭一門。
まず、笑福亭竹林師が『山羊の郵便屋さん』が三つ目として登場。「えー、続きまして、ただ今の饅頭の中に風月堂様のゴーフルが入っていなかったことで関係者に深くお詫び申し上げます」と、いつものフレーズでツカミ。
さらに、地元堺での落語会へ自転車で行って「お車代」を貰い、入り口まで送ってもらったのでしかたなく自転車を置いて帰ったとマクラで笑いを誘う。
「本来なら正月らしい話題の噺をする予定でしたが引出を開けると入ってなかったのでと、犬の小噺と『花咲か爺さん(離さんかじいさん)』から始まった本題は『八五郎坊主』。
 この噺は、故橘ノ円都師匠から枝雀師匠を経て、今では多くの噺家が演じる噺である。当席では口演順に円三、松枝、小米朝、千朝、仁嬌、一蝶、梅團治、染二の各師匠が演じられている。
 噺を聴いていると竹林師匠のイメージに主人公の八五郎はピッタリ、お寺のご住職も漫画チックに生き生きと描かれている秀作。サゲは、枝雀師匠の「法春(ほうしゅん)・・・・、ハシカも軽けりゃ、ホウソ(法春)も軽いわかった。わしの名前、ハシカちゅうねん」ではなく、「のりかす(法春・糊粕)、そうかもわからん、つけ難い言うてはった」であった。
この噺には「つまらん奴は坊主になれ」と坊主になるのだが、親、兄弟嫁はん、子供はなしで、家も商売も知恵もない、フリーターの八五郎さんが甚平はんの紹介状で坊主に就職といったところだろうか。
さらに、「坊主抱いて寝りゃかわゆてならぬ、どこが尻やら頭やら、ちょんこちょんこ」の『ちょん
こ節』ももちろん登場した。

 そして、中トリは米朝一門から、「ポンちゃん」こと桂米輔師匠が、『上方見物』の出囃子で登場。
「今回も師匠直伝のきっちりした上方落語を演じて頂けることでしょう」と、先月の会報で紹介したがその通りとなった。「えー、続きまして漫画のコボちゃんみたいなんが・・・」と、いつものフレーズから、始まった演題は、まさしく師匠直伝の『けんげしゃ茶屋』。
この噺は、当席では珍しい噺である(昭和62年10月の第115回公演桂米朝師匠演以来19年ぶり)での。米朝師匠が復活した噺であることと、設定が年末から年始にかけてと限られているからではないだろうか。
本題に入ると発端からサゲまで師匠の口伝通りキッチリと演じ、半時間近い好演であった。
 ここでの「けんげしゃ」は口演でも説明があったが、上方の死語で、げんをかつぐことであり、落語の題材にはもってこいであろう。
この噺に登場する「渋谷藤兵衛(しぶやとうべえ)」という人物、東京の『かつぎ屋』の同種異題とい
える上方の『正月丁稚』では大旦那としても登場する。共に縁起かつぎの噺であるので、何か縁起かつぎに関する意味があるのか、単なる語呂合わせなのか?

 中入りカブリはもう一人の笑福亭・笑福亭仁嬌師。
「えー、皆さんは初夢をみはりましたか・・・。」から、おなじみの夢の小噺を二つ。
 そして、サッと本題の仁嬌師のこの噺は当席では初となる『天狗裁き』が、スタートする。
 次々と夢の話を聞きたがる繰り返しが連続する噺なので、うまく演らないと飽きられるし、しかし、逆に間が合うとツボで面白いように笑いのくる、さらに、サゲのタイミングも難しい実に難しい噺である。
もちろん仁嬌師演の『天狗裁き』は後者であったことは言うまでもないし、サゲも「ちょっとあんた」で、
会場から爆笑が起こり、そして、間を計って「どんな夢見たん」で拍手喝采とそれも飛び切りの名演であった。
 この噺に似た落語に東京の談志師匠らが演じられる『羽団扇(はうちわ)』いう噺がある。正月二日に「一富士、ニ鷹、三なすび」の初夢を見るため宝船を書いた絵を枕の下において寝る夢の中に天狗が出てくるが、煽ぐと体が浮き上がって空を飛ぶことができる天狗の羽団扇をうまく取り上げ天空高く舞い上がると空を走り、調子にのってに海に出て空から落ちる。しかし運良く宝船の上に落ち、恵比寿様の鯛を肴に弁天様のお酌で酒を飲んでいるところを女房に起されるスケールの大きな噺である。

「新春初席」公演のトリは、お待たせいたしました。恋雅亭の初席といえば桂文珍師匠。
今回も大変お忙しい中、「恋雅亭の初席トリはわしや」と、二つ返事でOK。
 早くから楽屋入りされた師匠。奥様とお嬢様は木戸口でCD発売準備。
あつかましくも師匠にお伺いした。
小生「いつもありがとうございます。今日は?」
師匠「おおきに。今日は『御神酒徳利』を聞いてもらおうかと。この噺は上方の噺やねん。東京のん
    はちょっと粋すぎるから上方風にちょっと臭く演ろうと思てんねん。楽しみにしといて」
『円馬囃子』で、ユッタリと高座へ登場。「えー、ありがとうございます。次々と色々な噺が続きまして・・・。今日はお早いお客様は二時半からおいでやそうで、本当にありがたいことでございます」さらに、年始の挨拶から昨年の想い出を、阪神タイガースの話題に淡谷のり子先生も登場。大阪にはバレンタインはない。NHKドラマの裏話と、爆笑マクラが続く。
 そして、「落語の嘘は影響力がない」と、始まった演題は当席では初演題となる『御神酒徳利』。
会場は初めて聞く噺でトントンと進む場面展開、師匠の実に見事な口演に拍手と爆笑の連続。大満足な40分であった。
 お開きは正月らしく「シコロ」で満員のお客様をお見送りした。
木戸口で開催された即売会は過去最高の売上であった。(大入叶)

二つの『御神酒徳利』について
 古くからある上方落語「占い八百屋」を、三代目柳家小さん師匠が東京に移植、四代、五代小さん師匠に『占い八百屋』として伝わっている。
 もう一つは六代目三遊亭円生師匠が公演後のインタビューで「この噺は、金原亭馬生師匠(五代目・帰京し赤馬生と呼ばれた)が、大阪時代に覚えたものを口伝された」と答えられている噺である。
さらに、円生師匠は昭和48年明年皇后陛下の古希の御祝いで、宮中の御前口演されたことは有名な話である。